その男の理想郷は狂気に満ちている。

槙村まき

はじまりにひとつ

●『私が作った〝異能者〟の世界』

 私が幼かった頃の話をしよう。その頃、私は普通の人間だった。

 両親に促されるままに幼稚園に通い、帰ってきては外で遊び、ご飯を食べてお風呂に入って寝る。誰もが過ごしてきただろう(いや、今となっては、そうじゃない人がいることを、私は知っている)人生を、過ごしてきた。好き嫌いも多かったし、苦いピーマンが嫌いで、甘いお菓子が大好物だった。だからか母親に歯をこれでもかというぐらいに丁寧にしつこくブラッシングされたのをよく覚えている。それが、私の記憶の一番古い部分だからだとは思うが。


 私はそのころは普通の人間だった。

 そう、普通の〝人間〟だったのだ。


 あれは小学校に上がったころだっただろう。

 ある日起きて鏡を見ると、そこには別人が映っていた。いつもの自分とは全く違う顔が。どこかで見たことあると気づき記憶を探ると、父の好きな露出の多い服を着ている女優に似ていることに気づいた。だけど、鏡を見ているのは自分の筈で、そこに映っているのも自分の筈で、私はわけが分からずに首を傾げていた。そこに父親がやってきて、わあっと叫び声を上げると、ぱちぱちと何回も瞬きをして首を傾げた。

「何をやっているんだ、お前?」

 父親の言葉に、私は鏡と再び向き合った。そこに女優の顔はなく自分の顔が映っていた。幻覚だったのだろうか。私は勝手にそうと決め、父親に「顔を洗っていたんだ」と何食わぬ顔で答えた。そのころから、もしかしたら私はあまり動じない、無感動な人間だったのかもしれない。最近面倒を見ている子供とかにそう言われることがある。

 父親は不思議そうな顔をしながら、

「おかしいな、さっき」

 と何やらぶつぶつ言っていたが、私は顔に水をばしゃばしゃとかけてタオルで拭くと、その場を後にした。



 そして数日後、小学校でのことだ。授業中、黒板と向き合っていた先生が振り返り、そして私を見て「ひっ」と悲鳴を上げた。それに反応してクラスメイトが私を見ると、三者三様に驚き、隣に座っていた女子生徒が、「校長先生?」と恐る恐る聞いてきた。それに私は首を傾げる。その女子生徒は続けて、「え、でもさっきここには」と私の名前を言うと、私と同じように首を傾げた。同じような恰好で数秒向き合い、私は気がついた。また、別人の顔に変わっていることに。どういうことなのかはわからないが、自分の顔は時々、自分ではない人の顔になるということに。

 暫く経ち私の顔はもとに戻ったが、傾げた首は元には戻らなかった。


 一体何が起きているのだろうか。その日家に帰ると、私は鏡と向き合った。そこには自分の顔が写っている。だけど、次の瞬間、そこにはいつの間にか隣の席の女子生徒の顔があった。自分が強く思ったからだ。この顔になりますように、と。

 次に母親の顔を思い浮かべ、担任の顔を思い浮かべ、そして父親の顔を思い浮かべてみた。

 中々楽しい。

 私はその時、新しい娯楽を見つけ喜んでいた。

 これで退屈な日々が、少しは楽しくなるんだと!



 だけど、それは訪れる。

 ある日、家でいつものように鏡と向き合って次々と顔を別人に変えていると、近くで悲鳴が上がった。母親が青ざめた顔で私を見ていることに、遅れて気づく。

 私は鏡から顔を逸らし母親と向き合う。「ひぃ」と彼女の口から小さな悲鳴が上がった。

 どうして叫んでいるのか解らずに、私は母親に近寄った。彼女は両手を前で広げて下がると意味の分からない言葉を発し始めた。

「何なのあんたはだれッ! あの子はあたしの子供は一体どこに行ったのよぉッ! ねぇ、誰あたしの子はどこなの!」

 何を言っているのか、最初は解らなかったが、鏡を見るとそこには道端ですれ違った青年の顔があった。私は慌ててもとの姿に戻ると、再び母親を見て、自分の名前を言う。だけどそれはもう遅かった。というより、それはますます悪かった。見る見るうちに、母親の顔が喜怒哀楽で表すことのできないぐらい青くなり、目も口も眉も引きつってあまり原形をとどめていないその顔は、正直子供から言わせるとバケモノとしか言いようがないくらいの形相だった。

 その余りの変貌に、私は恐怖をしてしまった。言葉が出なくなってしまった。


「違う違う違う違う違う違うッ! あんたはあたしの子じゃない。知っているんだから、今あんたがあの人や先生や近所の嫌味なおばさんや近所の学生の顔をしていたのを知っているんだから! 顔を変えられるのでしょう、あんたの本当の顔は何なのよいったい誰よ。あたしの子をどこにやったの。あたしのあの子は、あの子はそんなことできない普通の子なのよ。変な力を持っているバケモノなんかじゃない。そんなのあり得ないんだから、あり得るはずがないわ。だからあなたはあたしの子じゃない。あたしの子の筈がない。じゃあ、誰ッ! 本当の姿を見せなさいよ。あたしのあの子の姿をしないでよぉッ!」


 何を言っているのかは解らなかったが、私はあまりにも冷静になってしまい、そして悟ってしまった。ああ、別人になっていたのを見られていたのか、と。バケモノのような形相をしたその人は、もう私の母親ではなくなってしまったのだと。そして、私は〝バケモノ〟になってしまったのだと。

 まだ小学校四年生だった私は、そのまま家から出て行った。行く宛などなく、ただふらふらとそのあたりを彷徨って、私はその日初めて野宿をした。



 数日町を彷徨っていた私は、大人の姿で(不思議なことに自分は服も他人を模倣できることに気づいた)図書館に入り、自分の力のことについて調べることにした。そのころはネットなんてなかったものだから、私は司書に変な能力の載っている本を探してもらい(今思うとおかしなな注文だろう)、それを数日間読み漁った。それでも何も見つからなかった。


 だけどある日。公園のトイレ内の鏡を見て、男性の姿から女性の姿に変わった瞬間、後ろから声をかけられた。

「へぇ、すごいねぇ」

 緑色の髪の薄気味悪い男だ。彼はニヤニヤと変な笑みを浮かべて私を見ていた。女の姿の私が男子トイレにいるからだろうか、と思ったがすぐに違うということが分かった。

「君も〝異能〟を持っているのかー」

「異能?」

「そう、異能。選ばれたものだけが持ち得るものさ」

 身振り手振りを加えながら、男は私のバケモノの力について、教えてくれた。

 それは異能だと。普通の人間とは〝異〟なる、〝能力〟だと。

 それは、選ばれたものしか持ちえないということを。


 男はそう言うと右手を一閃させた。辺りに生い茂っていたみすぼらしい雑草が、その瞬間、公園に生えているのが不自然なほどの綺麗な花々に様変わりした。

 気味の悪い男には似つかわしいその力に、私は感嘆する

 そして私は、男と行動を共にすることになった。



 私はそのまま二十歳になるまで、別人の姿で日々楽しんでいた。学校には行かずにいろいろなバイトをして、たまには年齢を偽って(といっても姿もだが)いかがわしいバイトもしていた。だけど家に帰ってから、朝に家を出るまでは、本当の姿を保っていた。そうしないと、自分の本当の姿を忘れてしまう。そう思ってのことだった。

 男とはまだ一緒にいたが、変わったことならあった。それは、〝仲間〟が増えたことだ。つまり人間とは違う選ばれた力を持つ者、〝異能者〟が私たちの他にもいたということだった。

 だから余計に楽しく、私は充実した日々を過ごしていた。その間両親のことを思い出すことなどありはしなかった。

 ある日、男が「サーカスを作ろう」という提案に私は心の底から賛同した。

 仲間で作ったサーカス団の名前は何だったのか、それはもう忘れてしまったけれど、そのサーカスの最初の活動は日本で、そして徐々に外国に出て行き、いつしか外国でのみ活動を行うようになっていた。団長は私だった。言い出しっぺの男を私は押したが、彼は頑なに団長にはなろうとはしなかったので、私は仕方なく団長をしていた。私の役職はピエロで、男には役職はなく、裏方仕事をしていた。表に出るのは苦手だと、彼は言っていた。


 フランス辺りを拠点に活動していたある日のことだった。

 男が殺された。

 男は原形をとどめてはおらず、体の隅々まで鋭い何かで貫かれており、赤い固まりとしか私は判断できなかった。慌てている仲間をよそに、私は酷く冷静になり状況判断をしていた。

 誰が男を殺したのか。こんなにも無残な死の仕打ちをしたのは誰なのか。男の見た目は気味が悪いが、それでも私なんかよりは優しかった。子供だった頃に私を養ってくれたり、それから私が別人の顔で馬鹿をやっていたときには一緒になって逃げたり、警察に捕まりそうになった時はいきなり花々を咲かせては警察を撹乱させて一緒に逃亡したり、とにかく優しくいい人だった。〝仲間〟もみんなそれを知っているから、一緒にサーカスを作ったというのに、その柱となっていた男が殺された。正直いって、私は団長をやっていたが、そんなのはお飾りだった。仲間はみんな男を慕い、そして男の命令には従っていた。だから男の死を嘆いている〝仲間〟に対し、私は平気な顔をして聞くことができたのだ。


「殺したのって誰?」


 もしかしたら、あの時母親に言われた言葉で狂っていたのかもしれない。それとも、もっと前からか。校長先生の姿をした時か。それとも女優の姿をした時か。いや、産まれたときからなのか。

 私はいつの間にか男の姿になり、笑顔を浮かべて〝仲間〟を見ていた。

「な、何してんだよ団長さんよ! あんたどうかしているのか! 俺らの誰かが殺したって聞くのはおかしいだろ! 殺すわけがないッ!」

「やっぱり? そうだとは思っていたけど」

「それとその恰好やめろよ。人をおちょくるのやめろよ。ふざけんじゃねぇ」

 私より僅か年下の青年は、激昂をあらわにして睨んできた。皆も同じような表情をしているのに、私は不思議でたまらなく首を傾げる。

 すると、その青年と寄り添うように立っていたこのサーカスの目玉でもある栗色の髪の少女が、恐る恐る口を開いた。彼女は、目をうろうろさせながら語り始めた。

「私、聞いたんです。あの、テントで用意しているときに、そのテントの裏に普通の人が……能力を持っていない人間のことです……このサーカスはバケモノの集団だから火を放った方がいいって言っているのを。あの、副団長(男はみんなからそう呼ばれていた)さんと一緒に。だから、副団長さんがどうにかするって言って、安心していたんですけど、殺されたなんて。でも、どうやって。殺したとしても、人間が人間を。違う、私たちがバケモノだから」

 半狂乱になってぶつぶつ言い出した少女を青年は優しく抱擁して諭す。それを、私は冷めた目で見ていた。

 結論づけると、男は〝普通の人間〟に殺されたようだということなのだろう。

 〝仲間〟はさっき私に向けていた表情とは違う、呆けた顔をして口を噤んでしまったので、私は背を向けるとその場を後にした。


 一人になりたかったわけではない。冷静な頭が沸騰してくるのを感じ取ったからだった。


 人間が〝人間〟を殺した。

 ――それは本当なのか?

 人が〝人〟を殺した。

 ――だから、それは違う。

 人が〝異能者〟を殺した。

 ――これも違うだろうが。

 人が〝バケモノ〟を殺した。

 ――そう。そういうことなのだ。


 〝異能〟と呼ばれている能力を持っている私たちは、人々から見ると、〝バケモノ〟以外の何者でもない。ただそれだけなのだ。

 バケモノ、得体のしれないもの、または〝害虫〟。

 害虫は、〝駆除〟しなければいけない。

 普通の人間は、ただそう思った。それだけなのだ。たった、それだけ。何がそれだけなのだ。それは許されて良いことなのだろうか。いや、いいはずがない。我々だって、人間なのだから。そんなこと許されて良いわけがないだろうが!


 テントに戻った私は、自分の決意を仲間たちに語った。

「〝異能者〟の世界を作ろう」

 それには殆どの仲間が賛同してくれた。だが、賛同してくれないものもいた。その者たちに説得しようとしたが、気がついたらいなくなっていた。何も告げることなく、勝手にサーカスを抜けていたのだった。その中に青年と、彼と恋仲であった少女もいた。

 裏切りは許さない。〝異能者〟はみんな仲間だが、自分の野望を叶えるのに邪魔な仲間を私は排除する気でいた。だけど逃げた者も異能者だ。隠れる能力にたけているものが多かったのでそれは後回しにすることにした。世界を征服するためにサーカスの活動を再開して異能者を集め始めたのだ。



 それから何年。いや、何十年たっただろうか。もしかしたら何百年かもしれない。私の世界征服は、一回目は失敗したがそこで不死身の能力を得ることができて、二回目に成功することができた。

 そう、私はこの世界を〝異能者〟の世界に書き変えることに成功したのだ! 


 〝異能〟を〝使い魔〟と呼ばれる空想の生き物に植えつけ、生まれつきの〝異能者〟の存在を失くし、誰でも〝使い魔〟と契約をすれば異能を得られる世界に書き変えることに成功したのだ!

 契約時に、自分の一部を〝犠牲〟にしなければいけないが、そんなのはこれから得られる崇高なる力があるのだから、安いものだろう。私は、自分の〝命〟を犠牲にして【道化】と契約をしているのだから。


 だが、この世界にも変異はあるものだ。

 能力を持たない人間。頑なに能力を持つことを嫌がる人間。

 そんな人間が現れるなんて、私は思ってもみなかった。

 でも、まあ、ただ私が産まれたころと反転しただけなのだろう。


 〝能力のない人間〟が強く、〝異能者〟が弱かった時代が、

 〝異能者〟が強く、〝能力のない人間〟が弱い時代に。


 でも私はそれでもよかった。〝異能者〟が……〝仲間〟が人の上に立つことができていれば、私はそれでよかったのだ。



 だが、そうだな。

 能力のない人間に、何か別称でもつけてやろうか。



 例えば――〝異端者〟とかね。





―――――――ある人の自著『私が作った〝異能者〟の世界』より一部修正して抜粋。

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