●15.決意、過ちとなり果てて。
視界には、瓦礫が映っていた。さっきまでそこにあったはずの大きな屋敷は、見るも無残に崩れ果てている。
ヤスユキはそんな光景を、近くの道路の上で膝をついて呆然と眺めていた。
――さっきまであの中にいたはずなのに。
「どうして僕はこんなところに……?」
「それは私がここに運んであげたからですよ」
背後から感情の籠っていない声が聞こえてきた。
振り返ると、そこにはサングラスに隠され表情の伺うことのできない、怪しい笑みを浮かべる女性がいた。彼女は、じっと屋敷があったところを見つめている。
「どうして、僕を」
「――助けた理由は……そうですね。ただ近くにいた、それだけだと思いますよ」
よくわからない女性の言葉に、ヤスユキは困惑する。
だけどそれより。
屋敷が瓦礫になる前、見えぬ声と会話していた双子の少女は、どうなったのだろうか?
「貴方が、それを疑問に思うことなんてないのですよ」
女性が呟く。
「彼女たちは貴方とはただの他人。もちろん私とも。その他人をいちいち心配することなんて、するだけ無駄。特に、貴方は――」
そこで女性は言いよどみ口を閉じる。風で弄ばれる茶色い髪の気を手で押さえ、変わらぬ笑みを湛えたまま、≪怪盗ドラゴン≫と呼ばれている女性は冷たい声で言うのだった。
「それも貴方の記憶が戻ったその時にわかることですよ」
● ● ●
「あー……。びっくりしたわね。何があったのかしら。ねぇ、神宮寺?」
数秒前、今まで立っていた部屋の床が崩れ去り、そしてあたりの風景が
真っ暗な何かに包まれた閑古は、どこにいるかわからない神宮寺を呼ぶ。
だがすぐに自分が置かれている状況を思い出し、ため息をついた。
「このままじゃ聞こえないか。えーっと、もう解除してもいいわよ」
『――了解シマシタ』
暗闇の中、反響してロボットのような中世的な声が響く。
それと同時に、真っ黒な空間の一部――部屋で例えれば天井付近の一角に、ビリっというような亀裂が奔り、そこからゆっくりと空間の崩壊が始まった。
バラバラと落ちていく壁を模したそれは、ある意味電子世界の欠片のようで、ビリッ、パラッと落ちていくそれらは、内側からではよくわからないが、外から見るとキラキラと綺麗に見える、らしい。
――だけど、閑古はただそれを冷めた目で眺めるのみ。
「――ああ、出てきたのかい?」
「なぁに、神宮寺。あたしにずっと仮想世界に篭ってろっていうのかしら?」
「いや。違うよ。ただ、君が出てきたから、出てきたといっただけさ」
死んだ魚のような目でどうでもよさそうに言う神宮寺に、閑古は微笑み呆れた顔をする。
「で、外では何があったの?」
「ん? ……ああ、彼女たちの〝使い魔〟の暴走、かな」
目をそらし神宮寺はあたりを見渡す。さっきまであったはずの大きな屋敷が、跡形もなくなってしまった。
あるのは瓦礫の山のみ。
「ん?」と首を傾げ、神宮寺は気づいた。
「あの獣の男、いなくなっているね」
「〝獣〟? あー、ドラゴンの仲間らしいなぜか熱血漢にあふれた男のことね。瓦礫にでも埋もれちゃったかしら」
妙に間延びのした声で、閑古も辺りを見渡す。
木、煉瓦、コンクリート、ガラス、エトセトラ。
もう何だったのか把握することのできないもろもろの下に、普通の人間だったら軽々と押しつぶされてしまうだろう。全身ほとんど白ずくめのあの男――彼がもしかしたら下敷きになっているのではないか、〝異能者〟だけど。という意味で閑古は冗談でそう言ってみる。だが、
「それはないだろうね。彼も〝異能者〟なのだから、そう簡単に潰れたりしないよ。瓦礫如きではね」
いつの間にか漆黒の翼を消した神宮寺が、淡々と言うのだった。
そんな彼をムスッとした顔をして睨みつけ、「わかってるわよー」と閑古はひどくめんどうそうに呟き、「あー」と言って俯いた。
「ほんっと、冗談の通じない男ね。つまらないわ」
「彼ならきっと、もうここにはいないだろうね」
閑古の囁きが聞こえているのかいないのか、変わらず感情の篭っていない瞳と声の神宮寺。
「それも、わかっているわ。……で、どうするの、神宮寺? 今回の依頼は、怪盗から双子を守ることの筈だったのだけど、守る対象の双子が自爆しちゃったわ。怪盗もきっと逃げただろうし、警察にはどう話せばいいのかしら?」
「ありのままを話せばいいんじゃないのかい?」
疑問に、疑問系で返された。
長い付き合いの為、神宮寺の言いたいことをなんとなくわかっていた閑古は、彼の出した答えに頷き満面の笑みを浮かべると、
「そうね! なら私はいなかったことにしておいて、ぜーんぶ神宮寺のせいにしておくわね!」
そう言い放つ。
少しの静寂。
神宮寺は閑古から顔をそらすと、わざとらしく大きなため息をつく。
「……わかったよ」
そして、ふと何かを思い出したかのようになぜか空を見上げると、目線だけで閑古を見た。
「ところで、ヤスユキ君はどこだい?」
「さあ? あたしに聞かれても……。もしかして、瓦礫に埋もれちゃったのかしら」
「笑えないね」
「何を言っているの。神宮寺はもともと笑えないでしょー!?」
「そうだね」
あははっ、と不自然なほど笑顔な少女を、神宮寺は死んだ魚のような目で見続ける。
●● ●
「あ、いたね」
「ヤスユキくーん! 大丈夫~?」
遠くから神宮寺と閑古の、対照的な明るさの声が聞こえてくる。
反射的に、ヤスユキは女性に向けていた顔を声がする方に向けてしまっていた。
「……神宮寺さん。閑古さん……」
たった数時間離れていただけなのに、どこか懐かしくさえ思える二人の姿を見つけ、ヤスユキは無意識に顔を歪めていた。特に閑古の向日葵のような笑顔を見ているととても安心する。
まだ遠くにいる筈なのに、そんなヤスユキの表情を目ざとく見つけた閑古は、なぜか馬鹿らしそうに笑いだした。
「あははっ。なんて顔をしているのよ、ヤスユキ君。可愛いわね、まったくもうっ」
語尾にハートマークが付きそうなほど色っぽい声で叫ぶと、三つ編みを振り回すかの勢いで、鼻息荒く少女が突進してくる。人間にもとから与えられている危険なものから身を守るための本能で、自分の危機を察したヤスユキは、慌てて逃げようとして身構え、同時に大切なことに気付いた。
「あれ? ドラゴンは?」
さっきまですぐ近くにいた筈の長身の女性が、いつの間にかいなくなっている。神出鬼没と云われている物語の怪盗の如く、ドラゴンはどこかに消え去ってしまっていた。
「どうしたの、ヤスユキ君?」
すぐ近くからどう聞いても身の危険を感じる恐怖の声が聞こえ、「うおあっ」という変な声を出してヤスユキは飛びのいた。
抱き着こうとしていたのか、閑古の両手が目の前で空を切る。
――ふう、危なかった。
ヤスユキは汗を拭おうとするが、その暇もなく少女に腕を掴まれる。
腕、を、掴まれて、しまったっ!!
「うわああああああああああああッ」
悲鳴が出る。
「何よ、変態にあったかのような声を出しちゃって。あたしは変態じゃないわ」
「そんなドヤ顔で嘘言わないでくださいよおおッ」
鼻息荒いがどこか色っぽい、そんな笑みの閑古から慌ててヤスユキは逃げると、やっと近くまで来てくれた神宮寺の背中に隠れる。
「助けてくださいぃ!」
「全く、騒がしいね」
神宮寺がそう言って嘆息する。続けて何かを言おうとして、口を閉じた。
「どうしたんですか、神宮寺さん?」
神宮寺は、ジーッと閑古を――いや、閑古の背後、もっと先。街灯など置いていない、暗い通りを見ている。
さっきまであらぶっていた閑古も何かを察したのか、真面目な顔でさっと振り返り、暗闇を見つめる。
ヤスユキはわけがわからないまま、二人の視線を追って暗がりに目を凝らし――
はっと息をのむ。
殺気に満ち満ちた鋭く冷たい瞳が、こちらを見ている。
背筋を悪寒が駆け抜ける。
ヤスユキはあまりの恐怖に縋るかのように神宮寺の腕を握る。
暗闇の中で淡く浮かぶ、グレーの髪の青年が、恨みがましい目でこちらを見ている。彼の手には、なぜかボロボロになった帽子が握られていた。
青年の口が開く。
だがそれは、すぐに閉じられた。
歯ぎしりをするかのように口をきつく結ぶと、青年は帽子をギュッと握りしめて、踵を返し、そのまま暗闇の中に消えて行ってしまった。
――今のはいったい何だったのだろうか。
ヤスユキは上目遣いで神宮寺を見る。
相変わらず死んだ魚のような目をした彼は、暗がりをいまだに見つめていた。
だけど不意に。
「うふふふふ」
さっきの悪寒とはまた別種の、とてつもない恐怖を伴う悪寒をヤスユキは感じた。怪しい笑みを浮かべている閑古を、警戒した目でヤスユキは見る。彼女はどっからどうみても危険な
ヤスユキはさらに強く、握っていた神宮寺の腕を握りしめる。だが、うっとおしそうに振り払われてしまった。
絶体絶命の大ピンチッ!!
ヤスユキは、慌ててこの状況を切り抜けるためにどうしようか考えて、また伝え忘れていたとても大切なことを思い出した。
「ああああああああ」
叫び声をあげ、辺りを見渡す。
その不審な行動に、閑古が訝しみ首を傾げる。
「どうしたのヤスユキ君。不審者みたいよ」
「…………」
あなたには言われたくないです。という言葉を飲み込み、ヤスユキはいつの間にか消えた女性、ドラゴンのことを話そうとする。
「あっ、あの、実はさっきまでここに、あのっ、どっ、ドラゴンがいたんです!」
「へっ?」
閑古が間抜けな声を出す。
神宮寺も不思議そうに首を傾げた。
「あのっ、でも、いつの間にか消えていて、でも、本当にさっきまで、ここにドラゴンがいたんです!!」
「あら? でも、もういないじゃない。どうして?」
「そ、それはいつの間にか消えちゃって」
「まあっ!? 犯罪者をやすやすと逃がしたっていうの!?」
大げさに、茶化すかのように閑古は驚いて見せる。
「そ、そそそそそんなのいつの間にか、こう、ぱっと消えちゃったんだからしょうがないじゃないですかぁ!?」
なぜかムキになるヤスユキ。
二人の会話を聞いていた神宮寺は、わざとらしくため息をつくと、歩き出した。
「どこに行くんですか、神宮寺さんっ?」
「――どこって、帰るんだよ」
当たり前のように神宮寺は言う。
「あ、待ちなさい、神宮寺!」
閑古も慌てて後を追って行く。
一人、取り残されそうになっていることに気がつき、わけもわからずヤスユキも二人の後をついていくべく走り出した。
もうすっかり夜中近くなった夜空には、月が覗くことのない薄汚れた雲が漂っていた。
●● ●
「大丈夫か?」
「ええ、もちろんです。雪姫さん」
心配する雪姫に、アユは優しく微笑み返す。少女を安心させるかのように。
彼女の傷の手当てをしていた雪姫は、子供特有の無邪気な笑みを浮かべた。辺りを見渡して、他に傷を負っているものがいないかを探しだす。
いきなり傾れ込んできた蟲の大群は、いきなりふつっと途切れていなくなった。蟲の大群をどうにか退治しようとしても、相手は小さい生き物。なかなか難しかったのだが、いきなりいなくなり、あとに静寂と共に傷ついた仲間たちが残こった。
雪姫はユウヤが身を挺して守ってくれたため無傷だったが、ユウヤをはじめとするほとんどの仲間たちは、傷ついていた。
少女は無力で、傷の手当てもまともにできない。だけど、守られてばかりも嫌な彼女は、自ら進んで仲間たちの傷の手当てを買って出ていた。
そんな彼女を眺めていたアユは、不意に部屋の入り口から誰かが入ってくるのに反応して身構える。だけど、入ってきた人物がよく知る人物――それも自分が最も慕っている人物だと気づき、構えるのをやめた。
「ユウヤさん。どこに、行っていたのですか?」
「……外に、様子を見に行っていた」
何やらイライラしているらしいが、感情を必死に押し殺しながらユウヤが答える。
いつもは被っている帽子をギュッと握りしめているその姿を見て、アユは察して言葉を続けるのを辞めた。ユウヤから視線をそらし、雪姫を見る。
「……あいつに会った」
低い声で、ユウヤは怒りを押し殺して言う。それにアユは驚いた顔をして、彼を見た。
あえて聞かなかった言葉。それを自ら言ったユウヤは、雪姫を見ていた。その瞳には、怒りと悲しみが宿っているのを、アユは確かに感じとる。
「どうでしたか」
「……しょうがないんだ。これは、しょうがないことだ。雪姫の思いは前からわかっていたけど、それでもこれは本当にしょうがないから……。アユはわかっているだろ。この組織の掟を」
「裏切り者には死を――」
「あいつは、本当にオレらを裏切っていた。忌々しい〝異能者〟共と仲良くしていた。もうダメだ。あいつを……裏切り者は、俺が殺す」
殺意と悲しみを漲らせた瞳は、雪姫から逸らされ、じっとアユを見つめていた。
アユは口を開き、だけど、何も言うことなく彼から目を逸らした。
――あの子は仲間を裏切った。だから殺す。たったそれだけ。だけど……。
彼には、荷が重すぎる。
あの子を殺すことなんて、させたくないし、彼にはきっとできはしない。それでも。
「私は、貴方についていきます。たとえ何があっても。雪姫さんを騙してでも」
「……ああ、助かる」
低くささやくその声は、雪姫には届くことはない。何も知らない無邪気な少女は、ユウヤの視線に気づくと、にっこり可愛い笑みを浮かべた。
○ ○ ○
誰もいなくなったはずの屋敷があった場所。
瓦礫まみれになったそこには、屋根となっていた木材、壁となっていたコンクリート、暗い部屋の中を照らし出していた電球、外を見渡せ、外から見ることのできる窓のもととなっていたガラス、――それらが散乱していた。
さっきまでいた、怪盗や探偵や〝異端者〟。彼ら彼女らは、数時間前にそこを去っていた。
物音、一つしやしない。
――はず、だった。
カタリッ。と最初に。
ガラ、ゴロッ。と何かが落ちる物音が。
そして。
ガタゴトゴトッ。
と大きな音がして、誰もいないと思っていたそこに、一人の女性が現れる。
否。一人ではなかった。
ボロボロのメイド服を着た女性は、蹲るようにしていた身体を、ゆっくりと起き上がらせた。
サワ、と白が揺れる。
ユラユラと揺れるそれは、誰がどう見ても髪の毛で、髪の間からは人形のように閉じた目が見え隠れする。
ツインテールにされていたはずの髪の毛は、髪留が取れてしまっていた。だけど、女性が守っていたためか、その髪の毛はあまり汚れてはいない。
左目に眼帯をした少女は、もう一人の少女を抱きしめていた。姿かたちが似ている、右目に眼帯をした少女を。
泣きはらした顔のまま、眠りに落ちている少女を抱きしめている、左目に眼帯をした少女の瞳が少しずつゆっくりと開いていく。
少女の瞳に女性が映る。
二人を崩壊から守っていた女性は体中血だらけて、特に背中などは見るも無残に、打撲や切り傷なんて生易しく見えるような、赤黒い酷い傷を負っている。だけど女性は、まったく痛みなど感じてないような顔をしていた。
そんな女性の姿、それから彼女の表情を見て、少女は守られてしまったことを思い知った。
彼女の中にある魂が、きっと反応したのだろう。
だけどそれは信じたくなく。信じたら、もう何年も昔に自分たちが犯してしまったことを、過ちだったと思ってしまうのが嫌で、ただ一筋――涙を流した。
自分の腕の中にいる、同じ顔のツインテールをした少女をもっときつくきつく抱きしめる。慈愛に満ちた表情をしながら、見つめて。
少女は――
ゆっくりと、目を閉じた。
二人を屋敷の崩壊から守り抜いた女性が、口元に笑みを湛えたまま、ゆっくりと後ろに斃れる。
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