第三章 ホムンクルスの憂鬱

●16.これからの日々に漂う暗雲。

 目を閉じるといつもあの子の顔が浮かんでくる。

 薄いショートの茶髪に、藍色のくりっとした瞳はあの子の笑みを一層キラキラと輝かせていた。

 可愛かった。

 自分を一身に慕ってくれるあの子は、とても可愛くって大好きだった。

 それなのに。

 あれは一ヶ月も前のことだっただろうか。

 毎日いつも同じ時間に事務所を訪ねてきていたはずなのに、その日あの子は来なかった。

 おかしいな、とは思ったけど、一日ぐらい来ないことあるだろうと深く考えてはいなかった。

 そうして帰り道。私は悪臭を感じて路地裏に視線をやった。

 死体が落ちていた。

 あの子の……あの子の死体だった。

 あの子は眉間を撃ち抜かれて死んでいた。

 眉間から流れていた血はとうに乾ききって、もう何時間も前に死んでいたこと告げている。

 いつからここにいたのだろうか。

 もう少し前に気づいていたら、もっと前に気づいていたら、あの子は助かったのだろうか?

 眉間の穴は銃創だ。

 こんなもので人は簡単に死ぬのだろうか。

 そう思った。


 あの子は〝異能者〟だった。能力は特別高くはないが、そこらにありふれている能力でもない。

 あの子は何の為に殺されたのだろうか。


 それを知ったのは、二日後。

 あの子の死体を自分だけで弔い、死を隠した次の日。

 丁度路地裏の近くに監視カメラがあったことを思いだし、それを調べていたときに。

 路地裏から出てくる彼の映像を見つけた。

 片手にリボルバーをもって、荒い息を吐いている彼を。

 少し調べるだけで彼のことはわかった。

 名前も住んでいるところも血液型も身長も体重も、何の目的があったのかも。

 調べればすぐにわかることだった。

 だからわかった。

 彼の目的が。

 〝異端者〟である、彼の目的が――。



● ● ●



「おっはよー! やっすゆっきくん!」

「……おはようございます」

 ――ああ、まさか目を覚ましたら目の前に閑古さんの顔があるなんてそんなことっ。

「どうしたのですか?」

 恐る恐る尋ねると、満面の笑みのまま、鼻息荒く閑古さんは言うのだった。

「ヤスユキ君に会いに来たのよ!」

 なぜ、と聞くことすら怖い。そんな笑みを浮かべている閑古さんから目を逸らし、ヤスユキは事務所内を見渡した。

 ――誰もいない。

 アケミはおそらく自室にいて、閑古さんがいなくなるまで出てきてはくれないだろう。

 神宮寺はどこに行ったのだろうか? また出かけているのだろうか?

 朝の八時は過ぎているので、さすがに自室にいるということはないだろう。神宮寺は出かけているとき以外は、いつも事務椅子に座って難しい顔をしている。

 つまり今、事務所内にいるのはヤスユキと閑古だけで……。

「うわぁ」

 思わず叫び声を上げてしまった。

 閑古はきっと合鍵で入ってきたのだろう。どうして取り上げてくれなかったのだろうか、とあの時の神宮寺を恨みつつ、寝起きの頭で動いていないものだからヤスユキはあまりにも混乱しすぎてソファーから滑り落ちてしまった。

「大丈夫?」

 閑古が気づかいからかしゃがみ込んで手を差し出してくるが、その手を掴んでしまったら何かが終わる気がしたのでヤスユキはブルンブルンと顔を振った。

「だだだだいじょ、うぶ、ですん」

 ――うまく呂律ろれつがまわらない!

 尻餅をついたまま、ヤスユキは閑古から距離を取ろうと後退していく。

 それなのに何故か満面の笑みを浮かべたまま、「うふふ」と怪しい声を上げながら閑古が近づいてくるので、ヤスユキはあまりもの恐怖に、「ぁぁあぁぁぁ」と声を上げながらスピードアップして後退していった。壁に当たった。

 そしてそこはちょうどアケミの部屋のある壁で、中からドンッと思いっきり壁を蹴る音がする。

「あはは、何しているのよ、ヤスユキ君っ。面白いわね」

 ――僕は怖いです。

 早く神宮司さん帰ってきてくれないものか、そうヤスユキが思ったとき事務所の扉が開いた。

「神宮寺さん!」

 死んだ魚のような目をした、黒髪の青年が入ってきたのを見つけてヤスユキは声をかける。

 神宮寺はその声に反応してこちらを向くと、眉を潜める。

「閑古君……前、合鍵壊さなかったけ? 確か宝石の護衛をしているときに、隙を見つけて壊したと思ったのだけど」

「合鍵が一つだと思ったら大間違いよ、神宮寺」

「…………」

 神宮寺は無言になると、目を逸らしいつもの事務椅子に座ってしまった。

 それを見ていたヤスユキは、閑古の視線が自分から逸らされたことを見落とすことなく体を起こして立ち上がると、神宮寺いる事務机まで一目散に近づいて行き彼の背後に立つと警戒する猫の如く閑古に目をやった。

 彼女はとても面白そうに微笑んでいる。

「あはは、ヤスユキ君どうしたの? あたしなにかやった?」

 ――自覚症状がないのか。

 閑古が満面の笑みのまま近づいてくるので、ヤスユキは小声で「神宮寺さん」と呼ぶと、彼はうっとおしそうに左手を払った。

「閑古君。今日は何をしにきたんだい? なにも用なく、君はこないだろう」

「あら、さすが神宮寺ね。あたしのことわかっているわぁ」

「……君とは昔からの付き合いだからね。君が損益無く動かないことぐらい知っているよ」

「うふふ。でも、ね。あたしだってたまーに可愛い顔を拝みに来たくなるのよ」

 そう言ってヤスユキに向かってウィンクをしてくるので、それを叩き落とす。

「嘘、だね。それぐらい俺にだってわかるよ。用件は何だい? もし用が無いのなら帰ってくれないかな」

 迷惑なんだ、と神宮寺は嘆息する。

 閑古は笑みを浮かべたまま口をうっすらと開く。

「さっすが神宮寺~。何でもお見通し、ね」

「で、用件は?」

「今、ここでは言えないわぁ。だから、ちょっと出かけない?」

「……わかった」

 神宮寺は頷くと、立ち上がった。上着を羽織ると、彼はいち早く事務所から出て行く。そのあとを閑古がスキップしながらついていった。

「またね、やっすゆっきくん」

 ハートマークがついているかと思うほど色っぽい声で言う閑古を見送ると、ヤスユキはソファーに腰掛ける。少ししたらアケミがそろーりと自室から出てきた。



● ● ●



 閑古から少し遅れて、神宮寺は彼女の後を追いながら話かけられるのを待っていた。基本自分勝手な性格をしている閑古に、こちらから言葉をかけると適当にはぐらかされたり無視されたりすることがよくあったからだ。

 人通りのまばらな通り道。≪神宮寺探偵事務所≫から出て十分たったころ。

 都心に向けて歩いていた閑古が振り向いた。

「神宮寺、覚えてる?」

「何を?」

「あの子のこと」

「……あの子?」

 それが誰を指す言葉か、神宮寺は分からずに首を傾げる。

「シノちゃんのこと」

「……ああ。お前の助手らしき子供か」

 ――そういえば最近見ないな。

 いつも閑古と一緒にいる子供がいた。

 茶色の髪でキラキラとした藍色の瞳の子供だ。少女か少年か、中性的な顔立ちと体系をしていただけに性別はわからず、神宮寺は深く考える性格じゃないものだから気にしてはいなかった。

 閑古はシノを溺愛していた。自分の子供のようにというのが甘ったるいぐらい、まるで恋愛感情を持った相手に接するかのように、閑古はシノを甘やかし仕事中はずっとそばに置いては頭を撫でていたのを思い出す。

 一ヶ月ぐらいだろうか。ここ最近シノを見掛けない。

「あの子ね、性別がなかったの」

「そうか」

「唐突に何でこんな話をするのかって話よね。だけど聞いて欲しい」

 閑古は今までの満面の笑みが嘘かのように、感情の抜けきった朧げな表情のまま悲しそうに微笑む。

 神宮寺はその笑みをただ見つめて、静かに彼女の言葉の続きを待った。

「あの子は、【天使】と契約していたの」

「……天使?」

「そう。貴方とは正反対といってもいい能力よ。【天使】能力は治癒。これぐらい、神宮寺は知っているわよね」

「そうだな」

「【堕天使】といっしょで、【天使】もありふれた能力で、だけど制御が難しい能力。人の傷を治すのと、殺すのはほとんど同じなのね。【天使】の力は一つ間違えると、人の命を容易く奪ってしまうの。そこらへん【堕天使】よりも怖いわ」

「……そうだね」

「で、ね。あの子は自分の性別を犠牲にしていたの。男でも女でもない身体。両方共の性別ってことじゃなくって、あの子は性別の概念から外れていたのよ」

「……難しいね」

「そうね。実際にあたしもね、あの子の素肌を見るまでわからなかったから」

 くるりと足を軸に一蹴すると、閑古は笑みを消した。

「それでもあたしはシノのことが好きだった」

「……知っているよ」

「あの子を拾ったのは師匠だけど、育てたのはあたし。あの子があたしを慕ってくれて、こんなにも黒くって醜いあたしのことを好きだって言ってくれたから、育てることにしたの」

「…………」

「最初は特に何とも思わなかったわ。だけど仕事の手伝いをしてくれたり、一途の思いを向けられていたらね……コロっと落ちちゃったのよ。恋愛的な感情が芽生えたのね」

 神宮寺は無言で彼女の言葉を聞いている。感情を〝犠牲〟にしている彼にとって会話とは、なんと返答して何と答えればいいのか、昔から叩きこまれたマニュアルが頭の中にあるだけで、ほぼすべてそれで返答できていた。だけど閑古の話は長く、自分が話したいことを話している彼女の話の腰を折るのは止めた方がいいとなんとなく思い、神宮寺は無言でただ彼女を見つめる。

 閑古は虚空を見ていた。彼女の瞳はここにはいない誰かを見ているのだろう。

「あの子のもとの性別が何だったのか、今ではわからないし、どうでもいい。男でも、女でも構わない。あの子はあたしのすべてだったのよ」

 それなのに、と閑古は地面を睨みつけ、口を醜く歪めた。

「あの子は殺されたの。ねぇ、神宮寺? 誰だと思う?」

「……ライバルかい?」

「なにそれ、あたしにライバルなんていないわ。あたしは誰も認めないもの」

「……じゃあ、別の〝異能者〟」

「それも違う。第一、よっぽどのキチガイじゃない限り、〝異能者〟が同じ〝異能者〟を殺そうとは思わないわよ」

「……だったら……ああ、もしかして」

「そう。〝異端者〟」

 神宮寺の言葉を遮り。閑古は暗い表情のまま微笑む。その笑みは誰に向けられているのだろうか? 神宮寺にはわからなかった。

「《現実主義リアリズム》の〝異端者〟がっ、あの子をッ。殺したのよ!」

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