●17.黒さや秘めた思いがわだかまり。
「アイ。今、何と言いましたか?」
薄暗い室内の中。高級そうな黒いソファーに座っている、長い茶髪の女性のおいたグラスに赤色のワインを注ぎながら、眩いほどの銀髪に白いスーツという身なりをした男性が問いかけた。
黒いスーツに身を包んだ女性は、ワインを一口含み少ししてから静かな声で答える。
「あら、私変なこと言った?」
「言いましたよ!」
「そう? 真白が言うほど変かしら?」
うーん、と首を傾げると、アイはめんどうになったのか考えるのを放棄した。
そんな彼女の姿を見て、真白は頭を抱えて蹲りたい衝動を必死に押しとどめながら、もう一度聞く。
「今言ったこと、本当なんですか?」
「ええ、勿論」
「……でも本当にほかっていてもいいのですか?」
「それこそめんどうじゃない」
真白は今度こそ本当に頭を抱えそうになったが、持っているワイン瓶が頭にぶつかりそうになったことにより、「ああ」と声を出しながらも必死に押しとどめる。
その行動を不思議そうにアイが見てきて、
「大丈夫?」
と他人事のように言うものだから、真白はとうとう瓶を抱えこむようにして蹲った。
「大丈夫だと思いますか?」
「あら、真白。いい歳をして子供みたいよ」
あはは、とアイが笑う。
その笑みを見て、――貴方に言われたくないです。という言葉を飲み込みながら、真白はアイにもう一度訪ねた。
「本当に
「ええ」
「記憶は……まだ戻ってないみたいですが、もしあの秘密を思い出すようなことがあったらどうするのですか?」
「消すわ」
いっそ清々しい。
そんなアイの返答に、真白は安心しきれずにため息をつく。
「ため息をつくと幸せが逃げるって昔からよく言うらしいけど、今の私たちに幸せはあるのかしらね」
それは問いかけか。
真白は測りかねてアイを見ると、彼女は口元に笑みを浮かべていた。だけど瞳は黒いサングラスに覆われていて、伺うことができない。
「ワタシは、あの頃に比べたら、今はとても幸せですよ」
「……そうね」
それっきりアイはワイングラスを弄びながら黙り込んでしまった。
真白は音をたてずに立ち上がり、コト、と瓶を机の上に置く。
口元に笑みを浮かべたままのアイは、今、どこ見ているのだろうか。
それは長年付き添ってきた真白にもわからないことだった。
五分程たった頃。アイが唐突に口を開いた。
「ねえ、真白」
「何でしょうか」
「あの少年、当分記憶が戻ることはないと思うわ。だって、彼は今〝異能者〟と一緒にいるのでしょ? あのままだと、記憶は戻らないんじゃないかしら。誰かがきっかけを与えない限りね」
「だから今は手を出さない方がいいと?」
「私はね、別にあの子が今幸せに過ごしているんだったら、なにもしない方がいいと思うの」
「……アイらしいですね」
彼女は優しすぎる。だから自分はもう少し厳しくならないといけないのだろう。真白は何度も思ってきたことを、心の中で繰り返す。
「もし今まで自分がしでかしてきたことを知ったら、彼はきっと壊れるでしょうね。その時は、勝手に自滅してくれるんじゃないかしら」
うふふ、と声に出してアイが笑う。その言葉が、狂ったような笑い声が、彼女が自分の優しさを隠すために演じていることだと、真白はあの時に知った。
だから今もそうなのだろう。
真白はこれについてはもう何も言わないと、別のことを考えながら目を閉じる。
――次の獲物はどれにしましょうか。
● ● ●
一階を丸々切り取った、地下にある部屋。都心から離れたそこは、《
カランカランと下駄の音を鳴らしながら、藍色の浴衣に身を包んだ少女が走っていた。
向かう先は、少女と同じグレーの髪の青年の元。いつも被っているはずの帽子をダウンのポケットに無造作に入れている、《
「兄上―!」
「ん? どうした、雪姫」
ポニーテイルしたグレーの髪をぐるぐる回しながら突進してきた自分の妹を優しく懐に抱き寄せ、ユウヤは彼女に微笑みかける。
満面の笑みを浮かべながら、雪姫は「えへへ」と声を上げると口を開いた。
「あいつの居場所が分かったって、本当か!」
その言葉に思わず唾を飲む。
――誰が教えたんだ……。視線だけで辺りを見渡すと、妹から遅れてやってきた十九歳の少年と目が合う。スナイパーとしての腕は良いのに、口が軽いのが欠点だろう。軽く睨むと、少年はしまったという顔をして縮こまりながら、こそこそこの場を去っていく。
視線を妹に戻すと、キラキラした眩しい瞳に見つめられていた。うっと言葉が詰まる。
「どこにいるのじゃ!」
そんな目で見られると、何でもお願いを聞きたくなってしまう。
甘やかしたい衝動にかられ、ユウヤは息を飲み下しそれから言った。
「誰がそんな適当なことを言ったのかは知らんが、まだ居場所は特定できてないよ」
「ある程度はわかって居るのか! だったらしらみつぶしに、妾がそこに向かうぞ!」
「ダメだ」
「何故じゃ?」
「オレは、雪姫を危険な目に合わせたくないんだ。大切な家族だからね」
本当はもう居場所は特定できている。集めた情報から、彼が≪神宮寺探偵事務所≫で暮らしているということをユウヤは知っていた。だけどこれは雪姫には隠さねばならない。彼はもう決めたのだから――。
雪姫に微笑みかけ、安心させるように頭を撫でてやる。
「大丈夫だ、雪姫。すぐに居場所を特定して見せる。そうしたら、一緒にヤスユキを迎えに行こう」
――その時に、あいつはもう死んでいるだろう。探偵事務所に潜入させて〝異能者〟を消す予定だったのが、一緒に暮らしていた〝異能者〟に見つかって殺された、とでもいえばいいだろう。そうすれば、あいつが裏切り者だと妹は気づかない。
――雪姫を悲しませることになってしまうかもしれない。けれど、あいつの裏切りに気づいてしまったら、彼女はもっと悲しみ苦しんでしまうだろう。そうしてもし妹が心を閉ざしたり、死んでしまったら――ユウヤは耐えられる自身がなかった。
雪姫を見る。彼女は難しそうな顔をしていたが、頷くとユウヤから離れて腰に手を回し、くるっと回ると楽しそうな声を上げた。
「妾は早く会いたいぞ!」
――雪姫の笑顔だけが救いだ。だけどそれを崩してしまうのは、オレになるのだろう。
ユウヤが一瞬悲しそうに顔を歪めたのを、傍にいたアユは気づいた。思わず手を伸ばし、それを引っ込める。
――代わりに……私が……。
● ● ●
閑古は一人で道を歩いていた。
いつも薄暗いものに覆われている空の下。都内は夜も昼も変わらず明るく眩しい。こんなに薄汚れた世界になったところで、人々は関係なく地球を汚しまくるのだ。
そういえば自然を操れる、地球温暖防止役立ちそうな〝異能者〟はいただろうか。閑古は頭の中で彼に呼びかける。
『水、炎、風、土、マタハ光や闇、空気、ソレラヲアヤツレル者ハオリマスガ、温暖化ヲ止メルコトハ誰ニモ不可能ダト思ワレマス』
『どうして?』
『何故ナラ、自然ノ
「確かにね。そんな便利な〝異能者〟がいたら、こんなに廃棄臭い世の中なってないわね。大きな力を持つには大きな代償がいるというし、そんな代償を払ったところで異能と〝使い魔〟を使いこなせなければ意味ないものね。少なくとも自分の身をすべて犠牲にしてまで、地球温暖化をどうにかしたいとは思わないもの」
――あたしはね?
独白めいたところで、閑古にとってはどうでもいい話題だったので思考を中断する。プツンと通信が途切れるような音がした。
今は夜なのだろうか。
神宮寺にあのことを打ち明けてから、一人事務所への道を歩いていた。一人になって思い出すのはいつもあの子のこと。
あの子――シノがいなくなってからもう一か月も過ぎてしまった。
あれから自分は何をしていたのだろうか、と振り返ってみる。
余りにも悲しくってシノの死を隠してから、犯人を見つけることができた。どうしてシノが死ななければならなかったのか、犯人がシノを殺さなければいけなかったのか、どうして原因は? きっかけは? 目的は? どうして? 意味? 根本となった理由? 必要。ない、けど、それでもあの子がああなってしまったきっかけを、探しに探して……見つけては違うと判断して、あとからやっぱりそうだと思いながらも、それでもそれだけは見て見ぬ振りをしてきた――答え。
だけどそれだけは、それを少しでも声に出してしまったところで……シノは戻ってこないのだから。来ないものを追い求めて、いったい自分は何をやっているのかと。そう思ったこともあった。
それでもそれだけは。理由を追い求めて解決をするためには、犯人をどうするのかを決めなくってはいけなかった。
犯人は《現実主義(リアリズム)》と呼ばれている、異能の持たないただの人間の組織にいた。その組織でも特に〝異能者〟に対して復讐心を持っていた子供だった。
幼い頃火事で親しい人をすべて亡くしている少年。彼はすべての〝異能者〟を憎んでいるのだろう。
――今は記憶を失くしている。けれどその記憶が戻ったとき、彼はシノのことを思い出すのかしら。
どうして記憶を無くしてしまったのか。その理由も閑古は知っていた。
だからその原因を使って彼の記憶を取り戻させようとしたけれど、それも無意味だったらしい。それとも接触が足りなかったからか。
閑古は無造作に懐から端末を取り出すと、情報を与えるためにある人に電話をすることにした。情報は〝異能者〟や〝異端者〟関係なく、誰もが欲しがるものだ。
五コール目で出た相手は、待っていたかのようにすぐに用件を聞いてくる。閑古は楽しそうな声で答えてあげた。
――シノがいなくなってからよりどころを失くした彼女は自分の気持ちにわからなくなっていた。自分がどうしたいのか、彼女はわかっていない。
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