●13.思い出せない記憶。
真白は自分が侵入した室内を見渡して、自分の失敗に気がついた。
「……これは、どうしましょうか」
軽く眉を寄せて、真白は目の前の光景を見る。
そこには――
扉の近くに立っているメイド服を纏った三十代ぐらいの侍女。黄金色に輝く宝石が飾られている、プラスチックのケースの上に置いてあるパソコンを眺めている、カジュアルな服の上から白衣を纏った茶髪の少女。それから真白の目の前で、右肩から黒い羽を生やした、死んだ魚のような目をした青年。
その青年の目から視線を逸らし、真白はため息をつく。
――情報が、間違っていたのでしょうか。いや、いつもより時間がなかったので、準備が間に合わなかったんだ……。これはそもそもアイが急かすから。ああ、でも、彼女の言葉に逆らうことのできない自分が悪いのかもしれない。
――だから今は、ここをどう切り抜けるか考えないといけませんね。
真白は左腕に触れる。
● ● ●
アイは開いていた窓から屋敷内に侵入すると、作戦通りにある部屋に向かって行く。
先ほど轟音がなかったかのように、屋敷内はひっそりと静まり返っている。
――コツ、コツ。
アイの足音だけが響く。
突き当たりの角を曲がると階段があった。アイは躊躇うことなく下の階へと降りて行く。
――コツ、コツ。
――――カツッ。
それに別の音が重なった。その音はゆっくりと近づいてくる。
ちょうど踊り場に降りたばかりのアイは、足を止めると息を殺し、掛けているサングラスに指を触れさせた。
静寂の中、カツ、カツ――という足音が階段を登ってくる。それはどんどんと大きくなってくるので、誰かが近づいてきているのがわかる。アイはサングラスをゆっくりとはずし、瞳を階段から登ってきた影に向けた。
――――カツッ。
足音が目の前で止まった。三十代ぐらいの執事服を纏った男性が、死んだ魚のような目を向けてくる。
アイは自分の瞳を男性の瞳に合わせ、能力を発動させようとする。だが男性のあまりにも虚ろな瞳を見て、発動させるのを辞めた。
――これは、必要なさそうね。彼には効かなさそうだし。
サングラスをかけなおすと、アイは男性の進路方向から逸れ、歩き出す。
――コツ、コツ。
――――カツッ。
一拍遅れて男性の足音が響き、ゆっくりと遠ざかっていく。
アイは口を三日月形に歪めた。
――やっぱり、ここは面白いわ。
階段を降りたアイは、足音を鳴らしながらある部屋に向かって行く。
一つの部屋の前で、アイは足を止めた。扉を眺めながら小さな声で囁く。
「ここに、アレがあるのね」
待ちわびていたモノとの再会に心を躍らせ、アイはゆっくりと扉を開いていく。
扉を開いた先、部屋の中の光景を見て、アイは眉を潜めた。
「これは、いったいどういうこと?」
● ● ●
神宮寺は目の前にある壁が砕けたことに動揺することなく、そこから現れた銀髪の男性を死んだ魚のような目で見つめる。男性はブツブツと何かを呟いていたが、口を引き締めて笑みを浮かべると、穏やかに話しかけてきた。
「えっと――そうですね。あの、アナタが、《探偵》さんですか?」
「ああ」
「そうですか。初めまして。ワタシは、《怪盗ドラゴン》の……仲間みたいなものです」
「仲間? 君が、ドラゴンじゃないのかい?」
何も考えずに言った神宮時の言葉に、男性は一瞬呆けたような表情をしたが、すぐ笑顔に戻すと、「ははっ」と笑い声を上げた。
「まさか。世間でドラゴンは女性だといわれているはずです。ワタシは見た通り男ですよ?」
「……そうだね」
神宮寺は冷静に頭の中で、《怪盗ドラゴン》の情報を反復する。
《怪盗ドラゴン》は、欲に塗れた怪盗というのが一般的見解で、その姿は美しい女性とされている。
だがドラゴンに会ったことのある人々は、皆がみんなドラゴンの容姿を覚えておらず、詳しいことはわかっていない。
ただ闇夜に浮かぶシルエットが、美しい体躯を持った女性の形をしていたということで、《怪盗ドラゴン》は美しい女性という説が根強い。
もしかしたら、ドラゴンというのは女装をした男性で、今目の前にいる男性が《怪盗ドラゴン》の可能性もあるのではないだろうか。体は細いし、あり得ないことではないだろう。
神宮寺がジーッと目の前の男性を見つめていた時、背中から声をかけられた。
「何しているの、神宮寺。そいつドラゴンの仲間だって言ってるんでしょ? だったら、早くどうにかした方がいいんじゃないかしら?」
少しだるそうな閑古の言葉を聞き、神宮寺は考える。
―――確かに、閑古君の言うことも一理あるね。手っ取り早く終わらせるか。
目を閉じて深呼吸をする。そして目を開けると、右手を前に掲げた。
「頼むよ――アザゼル」
瞬間、あたりに風が吹き荒れる。
何でも切り裂くことができるその風は、閑古や侍女を器用に避け、あたりの物を切り裂き始める。
棚に飾ってあるシンプルな花瓶、壁にかけてある風景画の描かれた額縁――それらを切り裂くにつれて風は勢いを増していき、銀髪の男性に向かって行く。
自分に向かってくる風を見た男性は、眉を潜めると左手を前に出した。
「これは少々厄介ですね」
神宮寺は、ジッと男性を見つめる。風はもうすぐ男性に到達し、左手からどんどん切り裂いていくだろう――そう半ば確信した神宮寺は、軽くため息をつく。
同時に、部屋の扉が開いた。
「あ」
と思ったときにはもう遅い。誰かが来ることを予想していなかった為、何でも切り裂くことのできる風が、扉から現れた〝人物〟を切り裂いてしまった。
鮮血が辺りに飛び散る。
● ● ●
ヤスユキは扉が開いて数秒もしない内に鳴り響いた甲高い叫び声に耳を塞いだ。
何が起こったのかわからず、困惑した表情でヤスユキは叫び声の主を見る。
頭を抑えて涙を流している少女――オリエが、今も直叫び声を上げている。
「いやぁああああああああああッ」
「お、オリィ!?」
イリエが隣にいるオリエを慌てて抱き寄せると、あやすかのように頭を撫で始める。
「落ち着いて、オリィ」
「うあッ。ぱ、パパがああああッ」
「大丈夫。大丈夫よ、オリィー。大丈夫。パパは――死んでなんかいないわ」
最後の方はボソリと囁いた為、ヤスユキにはよく聞こえなかった。
悲鳴が嗚咽に変わったため、ヤスユキは耳から手を離す。耳を塞いでいたためよく聞こえてなかったが、しきりにイリエが「大丈夫」と繰り返し囁いている。
「大丈夫よ、オリエ。何があっても、パパが死ぬことはないわ。もちろん、ママもね」
「でも……でもッ。パパ、真っ赤に染まってッ」
「大丈夫よ、オリエ。パパの魂がある限り、身体の変えはいくらでもきくんだから。……魂さえあれば、別の身体でも構わないもの」
そう言うイリエは笑みを浮かべているが、声は震えていた。無理矢理浮かべているかのような引きつった笑みを、先ほど扉を開けて部屋の中に入って来た人物に向けると、彼女は恨みを込めた声を出した。
「――あんたらのせいか?」
その声は今まで聞いた中で一番低く、確かな怒りが込められている。
ヤスユキはイリエの声に寒気を覚えた。
怖い。
一歩後ろに下がろうとするが、壁があり遠ざかることができない。
ヤスユキは目を閉じるとゆっくりと深呼吸をする。目を開け気持ちが少し落ち着いたことを確認すると、イリエの目線をたどり、部屋に入って来た人物に向ける。
焦げ茶色の髪を腰辺りまで垂らした、背の高い女性がそこにいた。彼女イリエの言葉に黒のサングラスをかけた顔を向ける。笑みが刻まれている口がゆっくりと開いた。
「何のことでしょうか?」
本当に何も知らなさそうに、女性は呟く。
イリエの白い顔が真っ赤に染まった。
「しらばっくれるつもり!? 犯罪者がッ」
「――犯罪者、ですか。確かに私は一般的にそう呼ばれていますね。で、それが貴女の……お父様? が死んだことと関係あるのでしょうか?」
口に笑みが浮かべられているものの、女性の声には何の感情も込められていない。サングラスに遮られていてわからないが、多分彼女の目は笑っていないのだろう。
イリエの顔がますます赤くなっていく。
「パパは死んでなんかいないわッ! 死ぬことなんて、絶対にありえないものッ」
「それは――もしかして、【死神】の能力ですか?」
赤く染まっていたイリエの顔が、さっきとは打って変わって蒼白になる。
「あなた、なぜそれを知っているのですか……?」
イリエに抱き寄せられていたオリエが小さく呻き声を上げる。オリエの頭を撫でながら、イリエは怯えるような瞳で女性を見た。
笑みが浮かんでいる女性の唇がゆっくりと開いていく。
「調べたからですよ。貴女達のことは、相方が調べてくれました。――まあ、調べなくとも、貴女達がもう百年以上は生きているらしいという噂は有名ですが」
「百年以上……ッ」
ヤスユキは思わず声を上げた。女性から目を逸らし、イリエとオリエを見る。
――そんなのありえない。
そう思う反面、少女達が纏っていた、子供には似つかわしい大人の雰囲気を思い出す。
――もしかしたら……。
彼女達は〝異能者〟だ。それもありえるのでないだろうか。〝異端者〟のヤスユキが言わせると、異能は何でもできそうなイメージがある。
イリエとオリエを交互に見て、視線を女性に戻した。
目が合う。
女性は口元に笑みを浮かべていない。サングラスに隠れていてよくわからないが、冷たい視線を感じる。
「貴方は……」
感情の篭っていない声が響く。
「生きて、いたのですか?」
「――え?」
女性の目はヤスユキを見ている。だからこれは自分にかけられた言葉なのだろう。
怯えと共に、ヤスユキは首を傾げた。
――言っている意味が分からない。
知り合いなのだろうか。女性の目をまじまじと見るが、何も思い出せそうにない。記憶がないから当たり前だが、記憶を失くす前の知り合いの顔でも見たら少しでも記憶が戻るのではないかと思っていただけに、ヤスユキはどうしようもない不安を覚える。
女性の纏う威圧感に、ヤスユキが身じろぎするのと同時に女性が口を開いた。
「ああ――そうでしたか。貴方は……。それなら、覚えていなくとも不思議ではないですよね。逆に私にとっては幸いですし。――でも、凄いですね。記憶をなくしてもなお、生きているなんて。今まで記憶を失くした人は、半狂乱になって命を落とす人が多かったのですが……。生きていられるなんて、貴方は思ったよりも強い人だったのですね」
スラスラと並べられるその言葉に、ヤスユキは困惑する。
まるで自分のことを知っているかのように女性はゆっくりと独白めいて喋っていた。
――僕のことを、知っているのか。
困惑の末に出てきた疑問が頭の中を巡る。
――この人は、僕のことを知っているのか。しかも、記憶をなくしたことまで。
――知りたい。自分が何者なのかを。知りたい。知りたい。知りたい。
無意識のうちに口が動いていた。ヤスユキは縋るような目で女性を見る。
「僕のこと、知っているんですか?」
「――ええ」
沈黙の後、女性は頷きとともに肯定する。口元に笑みが戻っていた。
「少しぐらいは、知っていますよ」
それを聞いた瞬間、ヤスユキは一歩足を踏み出していた。
「教えてください! 僕のっ……僕のことを! あなたが知っていることだけでもいいですから、僕のことを教えてくださいッ!」
記憶がないことは怖い。頭の中が空っぽで、自分が何者なのかわからなくって――。
この名前も確かに自分のものかどうかはわかっていない。ただポケットの中にそうか書かれていた紙が入っていて、そう思い込んでいるだけで……。でもそのお蔭で自我が保たれていた。
自分の名前がこれだと、そう思い込み、覚えている振りをしている――それだけだった。
時々見る悪夢や、自分の記憶のことについて考えている時の絶望感などを思い出し、いつの間にかヤスユキは女性に縋りつくように彼女の服を掴んでいた。
顔を上げて自分よりも背の高い女性を見る。
「無理、ですね。それは私にはできかねます」
「なんでッ」
「それは――もう、とっくに貴方に、記憶が戻っていてもおかしくないからですよ」
「ど、どういう、意味ですか……?」
困惑した表情でヤスユキは首を傾げる。
「そのままの意味ですよ。私の能力は、持続性に欠けているので、もう貴方に記憶が戻っていてもおかしくないはず。それがまだだということは、貴方自身が自分の記憶を拒否しているのではないでしょうか。今、楽しい時を壊さないために……貴方は、自分で自分の記憶を封印しているんですよ。それも、無意識にね」
「えっ?」
「貴方は、本当に記憶が戻って来て欲しいと思っているのですか?」
「それは――」
口を開きヤスユキは固まる。
――僕はどう思ってるんだ?
記憶が戻ってきて欲しいと、切に願っている。でもその反面、アケミや神宮寺との騒がしくも心休まる幸せな日々が壊れやしないかと、怯えている自分もいる。
よく覚えていないが、時々見る悪夢。
もしそれが自分の記憶の欠片だったら――
「赦さないッ」
ヤスユキは、突如響いた金切り声で我に返る。
声がしたところを見ると、そこにはボサボサになった髪の毛を整えることなく立っている、右目に眼帯をしている少女――オリエがいた。
彼女は怒りと憎しみに満ちた瞳で、女性を睨んでいた。その口から憎悪の声が漏れでる。
「赦さない。赦さない。赦さない。あんたは、絶対に赦さないのです!」
オリエの後ろには、困惑顔のイリエが立っている。
「オリィ? どうしたの?」
「わたくしは、あなたを絶対に赦さない。お父様の身体は、あのときから変わっていないのです! それなのにっ……。この罪は万死に値するのです! ――【死神】、目の前にいる犯罪者に、死をッ!!」
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