●11.怪盗、襲来。
ある廃墟になっているマンションの一室に、数人の男女が集っていた。
帽子を被ったグレーの髪の青年が窓から他の建物とは比較にならないほど豪華な屋敷を見ている。
グレーの髪をポニーテイルに結い、藍色の浴衣を着た少女が、青年に寄り添うかのように軽くもたれかかっている。
「兄上……」
「心配することはない。ちゃんとうまくやる」
オレンジ色の空は黒に移り変わり、夜の訪れを告げる。
青年は服のポケットに入っている拳銃に、躊躇いながら軽く触れた。
● ● ●
目を覚ますと、途端に頭がすっきりする。今まで頭の中でわだかまっていた見たくもない人々の夢が一気に消え去り、アケミは夢の世界から解放される。
ベッドから身体を起こすと大きく伸びをした。それから窓の外を見て、空が暗くなってきていることを知る。
昼寝のつもりだったはずなのに、思った以上に長い間寝ていたらしい。いつもは一時間ぐらいで起きてしまうのだが。
心当たりはある。最近、夜に寝ている時間が減少している理由に。
あの夢のせいだろう。
誰の夢かはわかっている。〝彼〟の夢だ。
同じ建物の中で寝ているからかどうかは知らないが、寝ていると〝彼〟が見ている夢がアケミの中に流れ込んでくる。
綺麗な笑顔の少女。崩れ。燃える家。炎の中。佇む少女。
鳴り響く銃声。血が飛び散る。大量の躯の中。佇む少年。
――思い出しただけで、吐き気がしてくる。
一体あれはなんなのか、想像できるがしたくない。彼は、自分とは違う〝異端者〟なのだから。
アケミは無理矢理思考を打ち切ると、ベッドから降りた。着たままになっていた皺くちゃの服のまま、自室から出るためにドアノブに手を置く。
ドアを開けながら、彼女は呟いた。
「大丈夫なのか……ヤスユキ……」
● ● ●
「はぁっくしょーん!」
盛大にくしゃみが出た。ヤスユキは慌てて鼻を押さえるがもう遅い。大きな音がしたあとなのだから。
イリエとオリエを見ると、双子は変わらずに寄り添いあいながら二人きりの世界に入っていた。
ベッドの上に座り込み、双子は手を繋ぎ、顔を見合わせて目を瞑っている。
双子は会話をしているわけではないのに、時々クスクスと同時に笑い声を上げていた。
神宮寺がこの部屋からいなくなったときから、何時間たっているのだろうか? 少なくとも一時間以上は経過している。それなのに何も起こる気配はない。ただ退屈な時間が過ぎていくだけ。
――どうでもいいから早く帰りたい。この屋敷から出て、事務所に戻ってソファーで寝たい。
あの冷たい視線は、いま自分に向けられていない。けれど、緊張感は感じていた。
精神的疲労は膨大だ。限界を超えようとしている。
――ああ、でも、許してくれないだろうな。
もし自分がちゃんと断っていれば、神宮寺や閑古は許してくれただろう。
だけどもう無理だ。目の前にいる少女たちは、自分がここからいなくなることを許してはくれないのだから。
その証拠に、この部屋の扉の前に執事服を着こんだ三十代ぐらいの男性が立っている。死んだ魚の目をしている彼は、ジッとヤスユキを見ていた。圧迫されている気がして精神が削れていく。
ため息をつき、顔を上げると、二つの黒い瞳と目が合った。少女たちは寄り添ったままヤスユキを見ている。いや、正確にはヤスユキの背後にある窓のほうを見ていた。執事も何かを感じ取ったのか、ヤスユキから視線を逸らして窓を眺める。
何があったのか。ヤスユキは気になり振り返ると、
「「きたようなのです」」
イリエとオリエが面白そうに呟いた。
● ● ●
「やっぱり、黄金というだけはあって、とっても綺麗ね!」
「ねぇ」
「ああ、何回見ても美しいわ~! あたしの美貌には敵わないけれど、このキラキラ感がたまらない!」
「なぁ」
「数珠の珠ひとつひとつ手を抜いていないものだから、ひとつひとつの輝きがとっても綺麗で……まさしく、あたしに相応しい! ドラゴンなんかじゃなくって、あたしがうばっちゃいたいぐらいだわ!」
「閑古く」
「うふふふふ。やっぱり素敵ね! イリエちゃんもオリエちゃんも可愛いし、この黄金の数珠と合わせてお持ち帰りしたぁい! うふっふふふふふっ」
「閑古君!!」
自分の世界に入り浸っていた閑古は、普段出さない神宮寺の大声で我に返った。
少し不機嫌そうにしながらも、閑古は笑顔で神宮寺を見る。
「何かしら、神宮寺?」
あたしの楽しいひと時の邪魔をしたのだから、それ相応のものなんでしょうね? と言外に込めて。
いつもと変わらない無表情の神宮寺は、軽くため息をつくと、死んだ魚のような目でゆっくりと窓の外を見た。
「何だか、外が騒がしくなってきたみたいだよ」
「外? ……あたしには、わからないけど」
神宮寺にならい閑古も窓の外を見る。だが彼の言っていることがわからない。騒がしいという割には、窓から見えるのは、庭に生えている木々のみ。何も変わったところはないように思える。
否、違った。騒がしくなっているのは庭ではない。屋根の上のようだ。
閑古は窓の外に身を乗り出し上を見上げる。
「きたのかしら」
どこか楽しそうな気持ちを滲ませ、閑古は囁く。
「ああ……そうみたいだね」
そんな彼女の後ろで、神宮寺はいつものように何の感情もこもっていない呟きをした。
● ● ●
星が瞬く夜景を背に、屋根の上に立つ人物が二人。
ひとりは、長いこげ茶色の髪を優しく吹く風に靡かせ、黒いサングラスをかけ、黒いスーツに身を包んだ背の高い女性。彼女は夜の闇の中に溶け込んでいる。
もうひとりは、ツンツンとした銀髪で、白いスーツに身を包んだ男性。銀色のメガネを掛けている彼は、闇に溶け込むこともなくただそこに立っている。
二人の内、女性――アイが口を三日月形に開いた。
「思ったよりも、簡単に侵入できたわね」
「ええ、屋根の上ですが……」
男性――真白はボソリと呟くが、アイは気にせず言葉を続ける。
「今、アオはどうしているのかしら?」
「……さぁ? もうこんな時間ですし、眠っているんじゃないでしょうか」
「まだ九時前よ。いくら何でも早すぎる気がするのだけど」
「子供はそんなものですよ。アオはまだ十歳ですし、もう眠っていてもおかしくはないかと。……いつも、大体この時間に眠っているみたいですし」
「よく見ているのね」
「一応、アイたちの警護もワタシの仕事ですから」
言って、それが失言だと気づいた。もう言ってしまった後なので遅いが、真白は口を噤む。
アイは口元に笑みを浮かべたまま、何も言葉を発しない。
気まずい静寂。
どうすればいいのか、真白は焦り言葉を捜す。
「すみま」
「真白」
謝罪を遮り、アイが口を開いた。
「私もアオも自分の身ぐらい自分で護れるわ。……昔の貴方の使命なんて忘れなさい」
冷たい声だ。真白はアイを見ることができず、俯く。
――それはこちらの台詞でもあるのですが。と思ったものの、彼女と同じで、昔の自分を忘れられない自分がいる。いや、当たり前だろう。小さいころからそうやって育てられてきたのだから、数年かそこらで変われるわけがない。今はまだ、二人のことを呼び捨てにすることぐらいしか、自分にはできていない。
真白は揺れる気持ちを落ち着かせ、冷静を保つために軽く深呼吸をする。
そして、
「わかっていますよ、アイ」
優しい顔で微笑んだ。
アイはさっきまでの冷たい声が嘘だったかのように楽しげな声を出す。
「もう気づかれたみたいだから、楽しみつつ早く終わらせましょう」
「え?」
――気づかれた?
真白は「何を」と尋ねようとして、反射的に右に避けた。
彼の頬を何かがかすり、屋敷の屋根の上に突き刺さる。ズンッっという音が遅れて響き、それが銃弾だと気づいた。微かに火薬のにおいが鼻につく。
本能によりそれがどこから来るのか嗅ぎわけて、真白は銃弾が飛んできたところを仰ぎ見た。
そこには薄汚れた廃墟のマンションがあった。その一室で、キラリと何かが光る。
「ライフル……? また、あの人たちなのでしょうか?」
「そうみたいね。探偵に加えてあの子たちもとなると、いよいよ楽しくなってきたわね!」
――ワタシは嫌な予感しかしないのですが。
そう思ったが、口には出さず真白は右手で軽く左腕に触れる。
「ワタシの力を、使わずに済めばいいのですが……」
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