●24.わたしの居場所と、あなたの居場所。

 頭に拳銃が突きつけられて体が動かない。今までどのように体を動かしていたのか、と考えてしまうほど強張った体はゆうことを聞いてくれそうにない。

 そのとき、足を誰かに引っ張られた。ソファーから体が滑り落ち、同時に頭上で銃声が響く。

 近くから少女の声が聞こえてきた。

「ヤスユキ」

 雪姫の声は、怯えたように震えている。

 ヤスユキはどうしようか、辺りを見渡すが視界はまだ良好じゃない。

 自分を呼ぶ声がどこからか聞こえてくる。アケミだ。返事をしようとするが、煙を吸ってしまい咽かえる。

「ヤスユキ。落ち着くのじゃ。……お主は、まだ生きなければならぬ。だから、こんなところで死んではいけない」

 どこか大人びたような雪姫の言葉。その言葉に、ヤスユキは幾分か気を取り戻す。手を開いて閉じて、体の強張りが取れていることを確認すると、ヤスユキは躊躇いながら上着のポケットに手を入れる。

 ――僕は、これを使えるのか。

 取り出す手が震える。

 命を容易く埋まってしまう重みは、今のヤスユキに重すぎた。

「ヤスユキ。お主なら大丈夫だ。それは、お主と共に一緒に成長してきた。けどな……。妾は、それを握っているお主が苦手だった。だから、使わぬとも好いのじゃぞ」

 腕をぎゅっと握られる感覚がして、視線を下に向けた視界に、雪姫の顔が浮かぶ。彼女はひきつったような満面な笑みを浮かべていた。

「雪姫ちゃん……」

「ヤスユキ。いつまでも話している時間はないぞ。相手は強い。妾たちじゃ、手も足も出ぬじゃろう。だけどな、お主は妾と一緒にいるのじゃ。妾は、まだ殺されぬ」

「え、殺され」

「……裏切り者の宿命、というやつかの。妾には難しいことはわからぬ」

「裏切り者……」

「その話はあとじゃ。今は逃げることが先決。神宮寺といったかの。あの探偵なら、どうにかしてくれると思うぞ」

「あ、そうだ神宮寺さん!」

 ヤスユキは思い出した。神宮寺は、さっきの閃光手榴弾を間近でうけたのだ。無事なのか心配になり立ち上がったとき、近くから声が聞こえてきた。

「くそっ。おい、ヤスユキ。大丈夫、か」

「はいはい。ヤスユキ君。雪姫ちゃーん。動かないでね」

「雪姫さん。こちらに来てください」

「あれ。ミウ。何してんの?」

 近くに寄ってきたアケミの背中に拳銃を突きつけたサイヤが、雪姫の背後に立っているサイドで軽く髪の毛を結んだ少女を見て首を傾げる。ミウと呼ばれた少女は、右手に拳銃を持ち、それをサイヤに向けていた。

 ――同時に、壁が砕ける音が響き渡る。

 神宮寺がいつも座っている事務机。その背後の壁に大きな穴が開いていた。その前に黒い羽を生やした神宮寺が咳こみながら立ち、こちらを睨んでいる。その目はいつもと同じで感情は浮かんでいない。

「茶番は終わりだ。依頼者でないのなら、早く出て行ってもらおうか。《現実主義リアリズム》」

「……ほぅら、俺らの正体知ってんじゃん」

 サイヤが呟くが、その声にハリはなかった。

 目をキッとさせて、アケミが神宮寺を見る。

「何してたんだよ、ジンッ」

「……視界を奪われたんだ。簡単に動けなかったんだよ。すまなかったね、アケミ君」

「……どうすんだよ」

「さっき言った通りだ。《現実主義リアリズム》にはご退場願うよ」

 神宮寺が足を一歩踏み出した。

「ちょい待ち。動くんじゃねぇよ、探偵さんよぉ。この女殺すぞ」

「やってみればいい」

 神宮寺が腕を一閃させた。

「〝異端者〟じゃ、〝異能者〟に勝てない。今まで君たちが〝異能者〟を殺せたのは、ただの偶然――運だよ」

「へ?」

 黒い羽の起こした風がサイヤを襲う。

 次の瞬間、サイヤが壁に叩き付けられ、サイヤの持っていた拳銃は粉々に砕け散っていた。

「じゃあ、アケミ君。ヤスユキ君。ちょっと出かけようか。ここでは暮らせそうにない」

「んだよ。二年もここで暮らしていたのに、もうしまいか。これからどこに行くんだ?」

「……さて、どうしようか。師匠のところに戻るのは無理だから、適当にそこら辺の廃ビルで、暫く暮らしてみるのもいいかもね」

「事務所はどうすんだ? そんなとこだと、依頼者こねぇだろ」

「……あとで考えることことにするよ」

 事務所の壊れた扉を脇にどけながら、神宮寺が答える。アケミは呆れたような顔をしていた。

 煙の晴れた室内を見渡してみると、そこには、乱入者である五人の男女が倒れていた。殆どが重傷で、すぐには動けないだろう。

 ヤスユキは左腕に縋ってくる雪姫を見て、彼女の背後に立っている同じ年ぐらいの少女を見る。乱入者の一人であったミウという少女は、冷静な顔で成り行きを見守っていた。まるで、仲間などどうでもいいかのように。彼女はヤスユキに目を向けることなく、ただ静かに雪姫を見つめている。

「雪姫さん。どうしたのですか。今ならまだ間に合います。サイヤが身勝手に暴走してくれたおかげで、時間稼ぎができました。今ならまだ、雪姫さんの帰るところはあります。どうしますか」

「妾は……ヤスユキと一緒にいたい」

「それは不可能です。ヤスユキは、裏切り者です。ユウヤさんがそう言ったのですから、それはもう変えることはできません。このまま裏切り者についていけば、あなたも裏切り者として殺さねばならなくなるでしょう。そうすると一番悲しむのは誰だと思いますか?」

「……知らぬ」

「ユウヤさんです。アユさんも悲しむでしょう。私も、少し悲しいと思うかもしれません。あなたの居場所はまだあります。今のうちに帰ってきなさい」

 ミウの言葉は最初こそ問いかけるものだったものの、どんどん強制的になっていく。その言葉に、いやいやと駄々をこねる子供のように雪姫が首を振る。

 左腕の痛みが増すのをヤスユキはぐっと堪える。

「雪姫ちゃん」

「……ヤスユキは、殺させない。兄上にも、アユでも、ミウでも、サイヤなんてもってのほかじゃ。誰にも殺させない。ヤスユキは、妾は、妾はヤスユキがいないとダメなのじゃ。そんなの、ありえぬ。妾のヤスユキは、裏切り者でも、ぐずっ、でも、でもでも、それでも妾はヤスユキが好きだから、ヤスユキの傍にずっといたいのじゃ」

「無理です」

 きっぱりと告げるミウの顔は、あまりにも冷静だった。

「ヤスユキの居場所と、雪姫さんの居場所は違います。もう変わってしまったのです。一度変わったものは、戻ることはありません。いくらあなたが願ったとしても、それは一生変えられないのです」

「嫌じゃ!」

「雪姫さん」

 初めて少女の声に怒気がこもった。

「目を覚ましてください! 貴方の居場所は、こちらにしかないんですよ! こっちにいてくれないと、あの方の居場所もなくなってしまうんですから!」

「どちらでもいいけれど、そろそろ俺たちはいくよ、ヤスユキ君」

 ミウの背後に神宮寺が立っていた。怒りをあらわに歯ぎしりしたミウは、うっとうしそうに背後を向く。

「邪魔をしないでください」

「ここは俺の事務所だ。部外者の君こそ、邪魔をしないでもらいたいものだね」

 億劫そうに言う背の高い神宮寺を見上げ、ミウは口を尖らせるとそっぽを向いた。

「もういいです。雪姫さんの居場所はもうどこにもありません。私は帰って仲間に伝えますから。これで、仲間は本当に分裂するでしょう。そうなったら、すべてあなたの責任ですから」

 その言葉は誰に向けられたのか。ヤスユキは彼女から視線を逸らせなかった。

 ミウは躊躇いのない足取りで事務所を出て行く。

 死んだ魚のような目をした神宮寺が、ジッとヤスユキを見ていた。

「じゃあ、行くよ。必要なものは持ったね。出かけようか」

「……で、でも」

「どうしたいのか、それは後で決めればいい。俺は早くこの事務所から出たいんだ」

 嫌な予感がするからね、という神宮寺のひとりごとはヤスユキに聞こえなかった。

 アケミが退屈そうに欠伸をして歩きだす。神宮寺はすでに事務所から出る扉の前にいた。

「ヤスユキ」

 涙を浮かべた目で雪姫が見上げてくる。そのグレーの瞳を見つめ返し、ヤスユキは頷くと立ち上がった。





 事務所から誰かが出てくる。その姿を見て、ユウヤは歩きだした。

 サイドで軽く髪の毛を結った少女は、近づいてきたユウヤを見て眉を潜める。普段あまり表情を見せない彼女だが、どうしてかユウヤに対してだけ、敵意にも似た嫌そうな顔をすることがあった。それでも任務はきちんと果たしてくれるからユウヤは特に気にしていなかった。

「ミウ。どうなった」

「……あなたに話すことはありません。もう、《現実主義リアリズム》は終わりです。あなたの所為です。あなたが、もっと早くヤスユキを殺してくれていたら、雪姫ちゃんが裏切ることもなかった。ユウヤさんは、どうするのですか? 雪姫ちゃんを殺すことはできますか?」

 冷静だった少女の瞳に、いくらか怒気がこもる。

 一晩雨で頭を冷やしたユウヤは、大きく息を吸い、吐き出す。

「雪姫はまだ裏切っていない。ヤスユキに唆されただけだ。そういうことにすればいい。ヤスユキは、今から殺す」

「それ、あの二人を見ても言えますか?」

 そう言ってミウが視線を向けた先。

 ≪神宮寺探偵事務所≫の入り口付近を見て、ユウヤは目を見開く。

 いつの間にか探偵と、赤い髪の女がそこにいてこちらを向いている。その背後から、階段を降りて現れたのは、線の細い中性的にもとれる少年とグレーの髪をポニーテイルしている少女。グレーの髪の少女は、いつもの浴衣姿ではなくシャツに短パンという服装で、だけどそんな服装などはどうでもよく、ユウヤはただ、少女が少年の腕に縋りついて幸せそうに微笑んでいるのを見つけてしまい、思わず唇を噛む。

 ――ヤスユキ。

 怒りの言葉を押しとどめる。怒りに身を任せてしまっては、冷静な判断ができなくなるのだ。それで昨日は失敗してしまった。二度目はない。

 ユウヤは、死んだ魚のような目でこちらを見ている背の高い男を睨みつける。

 ――あれが、探偵か。〝異能者〟で、能力は何だったか……。

「【堕天使】ですよ。あの探偵、確かそうでした」

「破壊衝動か。……なるほど。探偵のあの感情のない目、恐らく感情にまつわる何かしらを犠牲にしているな。能力を、コントロールできるのかもしれない。厄介だな」

「どうしますか?」

 アユの言葉に気軽に返事はできない。考えながら、ユウヤは自然な動作でナイフを取り出して構えると、探偵から視線を逸らして同じグレーの髪の少女を見る。ユウヤの妹――雪姫は、怯えたような目でこちらを見ていた。

「雪姫」

 ――いま、助けるからな。





「あ、あの人。あの時の」

「……ああ。やはり《現実主義リアリズム》か」

 ヤスユキの言葉に、神宮寺がぼそりと囁いた。

 アケミが神宮寺の背後に隠れながら、雪姫に声をかける。

「雪姫。こっちにこい。神宮寺の後ろにいたら安心だぜ」

「だそうじゃが、ヤスユキ、どうするのじゃ?」

「そう、だね。神宮寺さん。お願いできますか」

「……まったく。しょうがないな。俺ぐらいしか戦えないみたいだからね。だけど、さっきも言ったと思うけど、ヤスユキ君。君は、自分の身を守るすべは持っているだろう。自分の身は、自分で守りたまえ」

 感情のない、どこか適当にさえ思える神宮寺の言葉に、ヤスユキは歯切れの悪い返事をする。雪姫と共に神宮寺の背後に隠れ、ヤスユキは視線を前に向けた。

 グレーの髪の青年は、グレーの瞳で睨んでくる。右手にナイフを構えており、いつでも戦闘できる態勢みたいだ。彼の背後にいる女性は拳銃を構えており、その近くに静かに佇むミウと呼ばれていた少女も拳銃を構えている。

「さて、どうするか。あまり弱い者いじめは好きじゃないんだけどね」

「嘘つくなよ、ジン。てめえより強いの、ほとんどいないじゃねぇか」

「それもそうだね」

 ため息をつき、神宮寺が足を踏み出した。

 同時に青年も歩きだし、ナイフを構えながら殺気のこもった目でヤスユキを見る。

 背筋に悪寒が奔る。

「アユ。先に雪姫を返してもらうぞ」

「わかりました。ミウ、行くわよ」

「はい」

 アユと呼ばれた女性と、サイドで軽く髪の毛を結った少女が同時に走り出した。

 神宮寺の黒い羽が羽ばたき、風が巻き起こる。

「殺さない程度に、しておくか」

 青年より前に出てきたアユとミウの拳銃から火花が散り、銃弾は神宮寺の羽に阻まれる。その隙をつき、グレーの髪の青年がいつの間にかヤスユキの前に立っていた。サイヤとは比べ物にならないぐらい、動きが早い。

「雪姫すまない」

 眼前まで迫っていたナイフが止まる。

 青年の放っていた殺気が、霧散した。青年の腕を、雪姫が掴んでいる。

「ダメじゃ。ヤスユキを殺したら、いくら兄上でも許さない!」

「……くっ、そ」

「ユウヤさん」

 アユがユウヤの後ろに立っている。

 神宮寺は躊躇うように視線を巡らせて、静かに羽を降ろした。

 みんなの視線が一点、雪姫に注ぐ。まるでそれが当然のように、彼女はどこからか取り出したリボルバータイプの拳銃を、ユウヤに突きつけていた。いや、それはヤスユキのポケットに入っていたものだ。いつの間に盗みだしたのだろうか。

「雪姫」

 絶望したようなユウヤの声。

「ま、まだ兄上が、ヤスユキを殺そうとするんだったら、妾が兄上を殺すぞ!」

「雪姫……」

「……ユウヤさん。どうしますか。雪姫ちゃんを殺しますか。これで彼女は立派な裏切り者ですよ。私が、代わりに行いましょうか」

「ミウは黙っていろ!」

 ユウヤの恫喝に、ミウが申し訳なさそうな表情で拳銃を降ろす。隣でアユが無言で腕を伸ばし、ひっこめた。

「ヤスユキは、妾のじゃッ。いくら兄上でも、許さないッ! 殺したら、妾も死ぬ! 兄上も殺す! みんなみんな死んじゃえばいいんだ!」

 そういう雪姫は、駄々をこねる子供のようで……。

 ヤスユキは雪姫の背後から包みこむように拳銃に手を覆うと、優しく彼女に声をかけた。

「雪姫。君がそれをしちゃいけない気がする。僕に貸して」

 今引き金を引けば、目の前のグレーの髪の青年は死ぬだろうか。

 いろいろなことがありすぎて、その上、よけいに頭がズキズキと痛みだして、思考がうまくまとまらない。

 自分はどうするべきなのだろうか。

 自分は弱い。いまはまだ、目の前に言いる少女の手が血で染まるのを止めることしかできない。

 引き金は引けるだろうか。

 無理、だと思ったら無理になってしまう。それでも――

「ヤスユキッ! 雪姫から離れろ!」

「ヤスユキ!」

 ユウヤと雪姫の叫び声が響き、

 目の前に左に持ち替えたナイフが迫ってきて、

 ヤスユキは無我夢中で、リボルバーの引き金を引いた。

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