●26.天使は微笑んでくれない。

「真実? 何のことかしら」

「君が知らないことだよ」

「あら、心外ね。あたしは情報屋よ。ホムンクルスちゃんに聞いて、わからないことなんてないわ」

 自信満々に腕を組み、閑古は満面の笑みを浮かべる。反対に、神宮寺は無表情で感情のない目を閑古に向けていた。

「……じゃあ、質問するよ」

「どうぞ」

 ――何かしら。

 閑古は少し不安に思い、だけどそう思うことはないと自分に言い聞かせる。

 自分は強いのだ。物理的な強さは足りないが、自分には情報がある。人を操ることのできる術がある。

 【人造異能生命体】――ホムンクルス。

 あたしは〝使い魔〟を生み出すのに成功した。自分の脳を〝犠牲〟にして、いままで誰にもなしえなかった新しい〝使い魔〟を生み出したのだ。もちろん、これは自分にしか使えない、自分だけの〝使い魔〟。実体がない分、力の底は自分にもまだわからない部分もあるが、この〝使い魔〟は最強なのだ。なんていったって、自分が生み出した最高の〝使い魔〟なのだから。

 閑古には誇りがある。誰にも優る、天才としての誇りがある。

 ――あたしは天才。〝使い魔〟を生み出した、天才。

 ため息をつき、神宮寺は言葉を区切ることなく質問を開始する。

「君は事務所の合鍵を持っている。合鍵を使って侵入することができる。君は冷蔵庫からアイスを盗んだ。証拠はない。依頼者のプライバシーのために、監視カメラはつけてないからね。君はアケミ君のことをよく知っている。アケミ君が甘いものを好きで、一日一個はアイスを食べることとか。俺は数日おきにコンビニでアイスを買っている。冷凍庫の中が空にならないようにね。だけど一昨日、アイスはなかった。前日に買ったのにも関わらずだ。アケミ君は深く考えていなかったみたいだが、君が盗んだんだろ。何をしたかったのかも、君が三日前に話してくれたことで見当がつく。君は、どうにかしてヤスユキ君を家の外に出したかった。その理由は何なのか。〝異端者〟である彼は、ある組織に入っていた。〝異端者〟は弱いからね。能力を持たない分、多勢で無勢を上回るしかない。それに〝異端者〟の多くは〝異能者〟に恨みを持っている。あたりまえだ。異能者俺たちは、〝異端者〟を世界の汚物だと思って軽蔑している。そんなの彼らが耐えきれるはずがない。《現実主義リアリズム》は、もともと異能のない世界を作ることを目的とされた〝異端者〟の組織だ。ヤスユキ君は《現実主義リアリズム》にいた。どうして記憶を失くしているのかまだわかっていないが、それでも彼は〝異能者〟を殺してきたのだろう。俺は不思議だった。君がヤスユキ君に初めてあったときの反応が何から来るものなのか、ずっと考えていた。君は現実の人間にはほとんど興味がないだろう。〝異端者〟ならなおさらだ。どうしてあそこまでヤスユキ君に執着していたのか、それが気になっていた。探求心だろうね。だから俺は探偵をやっているのかもしれない。いや、これはおいておこう。とにかくだ。君はヤスユキ君に会う前から、ヤスユキ君のことを知っていた。これに間違いはないだろ? 三日前、君は言っていた。〝異端者〟にシノ君を殺された、と。その犯人は、ヤスユキ君じゃないのかい? だから君は、ヤスユキ君の記憶を取り戻すために、《現実主義リアリズム》に接触させた。ここまではあっているかい」

 笑みを消すことなく、閑古は神宮寺が言葉を切ったのを見計らい、頷く。

「君は《現実主義リアリズム》のメンバーの誰かにも情報を渡している。ボスではないだろう。その誰かは勝手に行動を起こして、勝手に自滅した。コンビニで出会った彼は、いま何をしているんだろうね。アケミ君を安全なところに置いて、俺は一度事務所に戻ったんだ。そこに五人の男女はいなかった。帰ったのか、それとも――君に消されたか。恐らく前者だろう。君は、情報を操るのが好きなだけで、それで誰がどうなるが関係ないから、自分の手は汚さないだろうからね」

「そうね。情報を渡したあと、どうするかはクライアント次第。あたしはね、情報が好きなの。この世のすべてを知り尽くしたいわ」

「……ああ、そうだろうね」

 質問はこれで終わりだ、とでもいうかのような沈黙。

 自分から視線を逸らすことなく見てくる神宮寺の目を覗き込み、閑古は後ろに手を回して空を見上げる。――ちょうどいいわ。あたしも質問しましょう。

「神宮寺。あなたは、どうしてアケミちゃんと一緒にいるの?」

「……師匠に言われたからだ。一緒にいて守ってあげなさいと」

 それは、おそらく感情のない神宮寺に、生きる目的を上げるための師匠の優しい行為。

「神宮寺。あなたは、どうしてヤスユキ君を……〝異端者〟と、一緒に住んでいるの?」

「……それは、アケミ君が拾ってきたからだ。しばらく置いておいてくれないか、と頼まれたからだ。それ以外に理由はないだろう」

 自分でも気づいていないのだろう。だから閑古は余計なことは言わない。

 とことこと神宮寺に近づいて行き、最後の質問をする。

「じゃあ、神宮寺。あなたは、師匠にアケミちゃんを殺せって言われたら、殺すことができる?」

「……」

 口を噤む。そのあとに言葉は続かなかった。

 所詮、師匠は自分の命を救ってくれた恩人だ。その思いから、神宮寺は師匠の言葉に従っている。けれど、師匠はただの育ての親にしか過ぎない。アケミと師匠。彼にとってどっちが一番大切なのか、一緒にいた時間がどちらの方が多いのか……閑古は、表情の変わることのない神宮寺の顔を見る。彼は眉を潜めていた。質問の意味を考えているのか、どう返答すればいいかを考えているのか――。

 クスッと声を上げ、閑古は大きく伸びをした。

「飽きたわ。あたしの質問は終わり。これ以上、用がなかったら帰るわよー」

「ここからが本題だ。さっき、俺は真実を伝えに来たよ、と言ったよね」

 どうやらさっきまでのは前置きだったらしい。長い前置きもあったものね、と閑古は不思議に思うが神宮寺の言葉の続きを聞くことにする。

 どうせ帰ったところで一人なのだ。なにもやることなく、なにもすることなく、ただ自分に付き従っているだけの〝使い魔〟と会話をするのも疲れるし、情報屋は求められたモノしか提供できない。例外もあるが、自分から情報を進んで話したりはしないのだ。ちょうどクライアントもいないから、寝ることしかやることはない。

 だからしばらく話を聞いてあげようか、と閑古は微笑みながら神宮寺の目を見て、息を飲んだ。

 いつも感情の浮かんでいない死んだ魚のような目が、意志の宿った冷たい瞳に変わっている。

 背筋を、何かが通り抜けていく。

 遅れて悪寒だと知った。

 ぶるっと寒く感じて、閑古は思わず両手で自分を抱きかかえる。

 ――神宮寺は、いったい何を言おうとしているの?

 聞いていけないと言っているのは誰だろうか。

 閑古は、逃げ出したいと思ってしまった。

「さて、言うよ」

「……どうぞ」

 ――大丈夫だ。安心しろ。落ち着きなさい。あなたは天才なんだから。

 自分に言い聞かせる言葉が惨めに思う。

 縋るものを探す前に、神宮寺の口が開いていった。

「君は、〝異能者〟じゃない」

「――――え?」

 ナニヲイッテイルノワカラナイ。

「あたしが〝異能者〟じゃない? 笑わせないで。何を言っているの? ここにちゃーんと、いるじゃない」

 自分の頭を指さす。

「彼は、【人造異能生命体ホムンクルス】は、ちゃーんっと、ここにいるのよ。ほら、いまもあたしに話かけてくるわ。『ドウシマスカ?』って可愛いじゃない。あたしの〝使い魔〟は、あたしが産み出した〝使い魔〟は、ちゃんとここにいるのよ! 神宮寺、あんただって知っているでしょ? 〝異能者〟は、〝異能者〟を感知できるって。実際に、あたしは初めて会った〝異能者〟のことを、〝異能者〟だってわかったのよ。いまもよ。神宮寺の顔を見るだけで、あなたが〝異能者〟だってわかるわ。そこにも、ほら、向かいの通りにいる人だって〝異能者〟よ。あとはほとんど〝異端者〟ね。〝見捨てられた町フォーセイクンタウン〟は〝異端者〟が多くって困るわ。……ね、でしょ。あたしは、〝異能者〟を区別することが切る。〝使い魔〟を生み出して、その〝使い魔〟に頭まで捧げたのに、〝異能者〟じゃないなんてとんだ侮辱だわ!」

「君は〝異能者〟じゃない」

「まだ言うの? いいわ。それ以上言うのだったら、証明して見せなさい! あたしが〝異能者〟じゃない証拠。あるんでしょ? ないなんて言わせないわよ。もしそれが間違いだったら、これからもうあんたが一生過ごせないように、世界中に情報をばら撒いてやるんだから!」

「好きにすればいい。俺は、ただ事実を言っているだけだ」

 変わることのない神宮寺の言葉。

 激昂した閑古は神宮寺の胸倉を掴み上げると、頬にビンタをした。

「言いなさい! 証拠を言いなさい! そうしないと、殺すわよ」

「証拠、か。それはない。けれど、君が〝異能者〟じゃないのは事実だ」

「じゃあ、どうしてあたしは〝異能者〟を感知できるのよ!」

「それは、君が情報を持っているからだ。君の頭の中には沢山の情報で詰まっている。その情報から導き出される結論で、前にいる相手が〝異能者〟か〝異端者〟かが分かるだけで、君はそれを〝異能者〟だからわかると勘違いしている」

「そんなことない! じゃあ、どうして、どうして、師匠はあたしのもとにきて、『〝異能者〟同士一緒に暮らさないか?』て言ったの! 師匠は、〝異端者〟を嫌っているんでしょ。その師匠が、あたしのことを〝異能者〟だって認めて、一緒に暮らしてくれていたのに。そこでシノに出会ったのに……おかしいじゃない!」

「それは俺も考えていて、一つの結論に至った。師匠は、君の能力を怖がっていた。君は産まれてから、〝異能者〟と見紛うぐらいの力を持っていた。師匠はおそらく、その力を傍に置いておいて監視したかったのだと思う。だけど周りの子供は、俺も含めて気づいていたよ。だから、君は孤立していた。どうしてここに〝異端者〟がいるのか、陰で言われていたことに気づいていなかったのか? 君は、情報通だろ」

 知らない。だって、閑古は自分から他の子供たちと距離をとっていたのだから。自分の意思で、一人でいたのだから。

「みんなは、師匠から口を閉ざすように言われていた。あの子を〝異能者〟として接してあげなさいと。シノ君もね、言われていたんだよ」

「シノが、あたしに嘘をついた」

「それは違うよ。シノ君は、君を守ってあげたいって言っていた。〝異能者〟の中に、一人放り込まれた〝異端者〟の君を、傍にいて支えてあげたいって。シノ君は、〝異端者〟も同じ人間だって言っていたよ。あの子の笑顔は、特別だった」

「……シノッ」

「閑古君」

 俯きかけていた顔を上げる。頭が、冷めていく。

「君が作り出した【人造異能生命体ホムンクルス】は、君自身だ。君は、一人で寂しく孤独だったときに、別の人格を作り出していたに過ぎない。〝使い魔〟にやらせていると思っていたことは、全部君が自分でやっていたことなんだよ」

「そう。そう、だったのね」

 神宮寺から離れ、閑古はふらふらと後ろに下がると、ゆっくりと蹲った。

「神宮寺」

「なんだい?」

「どうしていま、そんなこと言いに来たの?」

「これ以上、アケミ君に迷惑がかからないようにするためだよ」

「それだけ?」

「ああ」

「じゃあ、さ。どうしてそんなに残酷なことを言えるの?」

「それは俺に感情がないからだよ」

「うそつき」

「俺は真実しか言えない。探偵だからね。そうアケミ君とそう約束したんだ」

「そう。神宮寺には、アケミちゃんがいるものね」

 羨ましい。あたしはこんなに孤独なのに、もう傍にいてくれる人もいないのに。

 どうしてシノはあたしから離れて行ったの。あんなに可哀想な姿で殺されてしまったの? 死んでしまったの? 死んだら人はお星さまになるとかいうけれど、そんなの童話だけよ。空を見上げたって、薄汚れた夜空にシノはいない。天使も、悪魔も、〝使い魔〟になり果ててしまっている。もうあの笑みを見ることはできない。死んだ人間は、微笑んでくれない。

 神宮寺がため息をついた。

「じゃあ、俺は帰るよ。アケミ君を待たせているからね」

「あ、あはは」

 笑い声を上げる。

「あたしをこんな状態にして帰るつもり? 足が動かないのよ。家まで送ってくれないかしら」

 気力のない声は、神宮寺に届かなかったらしい。彼の背中が遠ざかって行く。彼は振り向いてくれなかった。

 閑古はお尻を地面につけて座り込む。

 ――これから、どうすればいいの。

 帰る気力も、場所すらないような気がした。

 誰もいない場所に帰りたくない。

 自分には【人造異能生命体ホムンクルス】がいるものだと思っていたのに。

 どうやらそれは虚像だったらしい。

 ――別人格なんて笑わせるわね。あたしは独りしかいないのに。

 後ろに気配がして、閑古は首だけで振り返る。

 そこに、買ったばかりのゲームのソフトを持っている、サイヤがいた。不思議そうな顔に、無性にイライラしてくる。

「何よ」

「え? いやぁ、どうして地面に座ってんのかが気になってね。別に気にしないで。俺、帰るとこだし」

「どこに」

「えー。そういやぁどこだろうな。誰かさんのせいで、居場所なくなっちゃったし。どうしよう。お金使いきったから、家借りれねーし。あ、ちょうどいいや」

 サイヤは閑古を眺めまわし、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「あんたのせいで、俺は行く場所なくなったっしょ。だからさ。あんたの家に住まわせてくんね。家事とかできないけど、俺もうすぐ〝異能者〟になるし、護衛ぐらいにはなれるんじゃね。そうと決まったら帰ろうぜ」

「勝手に決めるんじゃないわよ」

「え? 嫌なの? じゃあ、いいや。適当に野宿するから」

「待って」

 今度こそこの場を離れようとしたサイヤの服の裾を、閑古は掴む。

 振り返った顔はキョトンとしていて、閑古は睨みつけるようにサイヤを見る。

「別に嫌なんて言ってない」

「え? いいの? ジョークだったんだけど」

 頬をぽりぽりと掻くサイヤ。

「ま、いいや。じゃあさ、いくらくれる? 俺、お金ないと動かねーよ。今度は、あんたが俺のクライアント、でいいのか?」

「いくらでもくれてやるわよ。そのかわり、あたしの言うこと聞かないと許さない」

「了解っす。じゃあ、家まで連れていけよ。えっと、閑古さん?」

 そういってサイヤは手を差し出してくるが、閑古はその手を叩く。

「契約成立ね」

 ――ああ、この顔を殴りつけたい。

 閑古はふらふらと自分の力で立ち上がり、ふらふらと自分の事務所に帰るのだった。

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