●32.暴走、暴走、獣に代り。

 ――――声がきこえる?


 だるくって体がいうことを訊かない。

 たまにこういうことがある。自分の体の筈なのに、別の何かが乗り移っているような、そんな感覚がするのだ。

 それもそうだろう。

 アオは、自身の体を〝犠牲〟にして、〝使い魔〟【鬼生蟲きせいちゅう】と契約したのだから。

 そのせいでアオの体は、もう自分のものとは言えなくなっていた。体液は小さな羽虫だし、涙も、唾液も、殆どが全て蟲と化しているのだ。

 それは、この体に住み着いた【鬼生蟲】の所為。

 蟲しか食べられない体になってしまったのも、全ては自分のせいなんだ――。



 ――――くそっ。



 ――――うごけ。



 体に力を入れてみると、案外うまくいった。

 息をするのを忘れていたのか、「かはっ」と詰まっていた蟲と一緒に空気を吐き出す。

 新鮮な空気を吸い、アオはゆっくりと目を開いた。


「おねぇ、ちゃん」


 そこにはサングラスを片手に持っている姉がいた。

 アオは地面からのろのろと立ち上がると、傍らをみる。

 〝異端者〟の少年がうつ伏せで倒れている。

 ――――死んだ?

 姉がこの少年を殺すつもりだったのは知っている。理由は分からないが、真白との会話で聞いたことから推察すると、彼は≪怪盗≫の秘密を知ってしまったらしい。

 ――――秘密って、なんだろうね。

 アオは気になったが、アイや真白が教えてくれるとは思えないので黙っておくことにした。

 ただ、姉の手をこれ以上汚さないように、アオは自分の力を使ってこの〝異端者〟を殺すつもりだったのに――うまくいかないものだ。

 不意を突かれて、その時に【鬼生蟲】が邪魔をしてきたのだろう。しゃべらないくせに、あいつは時々アオの意思など関係ない無く動くことがあるのだ。

 ブーンと羽音がして、数十匹の蟲の群れがアオの傍にやってきた。蟲はアオの周りをただ飛んでいる。

 ――――こいつらは、ただボクを仲間だとか思っているだけなんだよね。ただの食料のくせに。

「アオッ」

 アイに呼びかけられると同時に、暖かいもので体を包まれた。蟲をものともせず、アイは優しくアオを抱擁する。

「おねぇちゃん。助けてくれてありがとっ」

 アオは無邪気な笑みを浮かべる。


 ――――また、おねぇちゃんの手を汚しちゃった。もっと、もっと、強くならないと。

 ――――これ以上、おねぇちゃんが能力を使っちゃうと、危ないからね。


 本人は隠しているつもりだろうが、姉の目的はわかっている。

 アオがあの時逃げたせいで、アイの体は呪われてしまった。

 家に代々受け継がれているというあの〝使い魔〟――いや悪魔は、アイの体を好き勝手使っている。

 アイは身代わりになったのだ。

 あの時逃げた先で、アオは自分に姉がいることを知った。

 今まで行われていたこと、父親からの暴力など――地下での孤独の日々を、アオは包み隠さずアイにすべてぶちまけたのだ。

 そしてそのまま眠ってしまった。

 それがいけなかった!

 アオが寝ている間。アイは、自ら〝使い魔〟のもとに出向いて、アオがもともと契約するはずだった〝使い魔〟と契約をしてしまった。

 起きてそれを、アオは憐れんだ表情を浮かべている父親から聞いた。

 アイは、何とか一命をとりとめたものの、視力を〝犠牲〟に〝使い魔〟と契約をしてしまったため、もうまともに歩くことも、アオの顔を見ることもできなくなったのだ。

 それでもその時のアイは、アオの声を聞いてとても幸せそうな顔をしていたっけ。

 そんなこと、アオはもう忘れてしまった。

 ただ、その時に湧き上がった感情は忘れていない。


 ――自分のせいだ!


 アオは自己責任からその家を抜け出した。


 そして――宛もなく生きついたうっそうと茂る森の中。


 そこで、アオは〝使い魔〟【鬼生蟲】と出会い、契約したのだ――。



 契約した反動で倒れていたところを匂いを辿って追ってきた真白が見つけ、ちょうど屋敷を抜け出していたアイと共に、アオたちは父親の目が届かないところに逃げ出した。


 そして、アイは目的のために怪盗をしている。


 アイの体が離れる。アオは温もりが名残惜しかったが、今はここから姿をくらますことが先決だ。

 いくら路地裏で人気が無いといっても、ここは街中なのだ。何が起こる変わらない。


 アイの差し出した手をアオは握る。見上げると、優しくアイは笑っていた。

 目を覆う黒いサングラスを掛けると、アイは〝異端者〟の少年の呼吸を調べるために近づいて行く。


 その時――の銃声が響いた。


 油断していたアイの体に小さな穴が複数空き、力の抜けた手がアオの掌から滑り落ちていく。アイの体は、ゆっくりとうつ伏せに倒れ込んだ――。


「おねぇ、ちゃん」


 ――――なぁに?


「おねぇ、ちゃん?」


 ――――どうして、ちがでてるの?


「……おねぇ、ちゃん……」


 ――――どうして、うごかないの?



 思考が追い付くまでもなく、アオの頭は真っ白になり――羽音が聞こえた。



● ● ●



 真白が路地に足を踏み入れたときには、もう遅かった。

 危惧していたことが、そこでは怒っていたのだ――。


 〝使い魔〟の暴走。


 それも、一体じゃない。二体もの〝使い魔〟が、同時に暴走した。


「アイっ!」


 最初に目に入ったのは、焦げ茶色のボサボサの髪の毛を風にそよぐ光景。

 アイの体を使ったそいつは、アイの手で周りの〝異端者〟を殺している。

 真白の声が聞こえたのか、にぃっとそいつは笑みを浮かべると、こちらを見た。

 サングラスを掛けていない。したその眼を、アイは嫌っているというのに。

 だけどそれよりも――

 アイの横で、酷いことになっているのが――アオだった。


 アオは寝転がっている。

 けれど、その体の穴という穴から、多種多様な蟲が湧き出ている。

 あのままではアオは死んでしまう。アオの体は蟲で出来ているので、その蟲がいなくなったら……アオは間違いなく死ぬ。


「アイ……アオ……」


 あのとき探偵と相対しなければよかったのだろうか。

 探偵と会ったことにより、自分の中の許せない部分を知られているみたいで、どうしても探偵を倒さなければいけないと思ってしまったのだ。

 あんなことがなければ……いや。あのままアイの傍にいたら――無事だったのではないか?


 幼い頃、真白は〝使い魔〟と契約した後の自分の容姿が嫌いだった。

 それを、アイが綺麗だと言ってくれた。

 名前のなかった自分に真白という名前を付けてくれた。

 それが、たったそれだけのことが嬉しくって……一生、この人を守ると真白は決めたのだ。


 それなのにっ。

 あの時、真白はアイが〝使い魔〟と契約をするのを守れなかった。太古の神獣、ドラゴンと契約をするのを、真白はただ見守ってみていることしかできなかったのだ。主の命令は絶対だから……。

 それが悔しい。もしその時に止めていれば、アイはこんなことにはならなかったのでは?

 いや、それよりも。

 真白はアオの存在を知っていた。

 アオがアイの前に現れなければ。一生地下牢にいれば。それか、アオが〝使い魔〟と契約をしていれば。――アイは無事だったのでは?

 こんなことにならなかったのではないだろうか。

 アオの存在を知らずに、アイはどこかの裕福な家に嫁ぎ、幸せな日々を過ごすことができていた筈だ。

 真白は、ただアイの傍で、アイの幸せな顔を見ているだけで幸せだったはずなのに――。


 ――――どこで狂った。


 もし、もし、自分があの時アイを止めていれば何かが変わっただろうか?

 もし、自分がアイの従者に任命されることがなければ、こんなことになってなかっただろうか?

 もしも自分がこの世に生を受けていなければ、アイはこんなことになってなかったのではないだろうか。


 過去を変えることはできない。そんなこと、真白は知っている。

 それでも、悔やまずにいられなかった。


「アイっ!」

 呼びかけて応えるのは、〝使い魔〟の嘲笑。

 アイの体を乗っ取ったは、こちらを見てにぃと嗤っている。


 真白はゆっくりと歩を進めた。

 左腕に力を込める。

 恐怖を爆発させるために、【銀色狼】の体になるために、真白は叫び声を上げた。


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 左腕がなくなる感触がして、そこから【銀色狼】の体に変わっていく。


 暫くして、一秒にも満たない静寂のあと、そこにが現れる。


 人間の体のサイズより一回り大きい、銀色の狼がそこにいた。

 獰猛な牙を光らせた狼は四足でのっそりと歩き、人の姿をしたドラゴンに近寄って行く。


 ――――アイは、必ず守って見せるッ!



● ● ●



「いやな気配がするね」

 神宮寺は真白が消えていった方向を眺めながら、囁く。傍にやってきたアケミはゆっくりと頷くと、雪姫とつないでいる手に力を込めた。

「……寒気がするぜ」

「〝使い魔〟が、暴走している。それも結構強力な力だ」

 付近にいた〝異能者〟も険しい顔をして立ち止まる。だけど誰も動きだそうとしなかった。いくら異能を持っていたとしても、自らの力で止めることはできないだろう。そう、知っているものがほとんどだからだ。

 こういうことは、警察や消防に任せておくか、このまま放置して〝使い魔〟が力尽きるのを待つに限るのだ。

 神宮寺は、昔師匠が言っていたことを思い出す。

『この世の〝使い魔〟はすべて、人間が平等に生きて行く為に、ある一定以上の能力は出せないようになっているんだ。だけど、残念なことにね、もう何百年もこんな世界が続いているから、変わってしまうこともあるんだよ。〝使い魔〟の中には学習して、力を蓄えて、私が限定した以上の力を持っちゃったものもいる。それは、本当に恐ろしいよね。私が把握している以上に、〝使い魔〟は多いのかもしれない。ほんとうに参っているんだ! まあ、私は死なないからどうでもいいのだけどね』

 つかみどころのない人だった。

 どうして師匠があの時に神宮寺を助けてくれたのか、教えてくれたことはないが神宮寺はなんとなくわかっていた。

 神宮寺が規約している〝使い魔〟【堕天使】の能力は破壊衝動だ。それにより、契約後に身を滅ぼしてしまう人がほとんどだった。だけど、神宮寺は師匠のおかげで生き残ることができた。

 恐らく師匠は、【堕天使】の力を把握したかったのだろう。師匠の作った学校みたいな施設は、ありふれた〝使い魔〟とは異なり、ちょっと変わった能力を持っている子供が多かった。アケミも、シノも、それから一応閑古も……。

 師匠がどういう人なのか、神宮寺は知らない。だが、〝使い魔〟と無関係というわけじゃないだろう。

「さて」

 どうしようか。

 雪姫はリボルバーを握りしめて、アケミの手を掴んだまま泣いている。アケミは心配そうに雪姫にちらちらと視線をやりながらも、不安そうに前を見ていた。

 神宮寺はため息をつくと、前を向いた。

 ――――どうして、誰の〝使い魔〟が暴走したんだろうね。

 やはり、どうしても嫌な予感がして仕方がない。

 師匠の言いつけ通り、どうにかしてもアケミは守らなければならないだろう。雪姫も、アケミのために。


 ――――どうしてだろうね。

 どうして、自分は未だに師匠の言いつけ通り動いているのだろうか。


 路地裏から、数人の男女か転がり出てくる。

 見覚えがあると思ったら、あのときサイヤという少年と一緒に探偵事務所を襲ってきた大柄の男と短髪の女がいた。他は見たことがないが、恐らく〝異端者〟集団、《現実主義リアリズム》の連中だろう。

 大柄の男と短髪の女は神宮寺を見つけて目を見開いて足を止めかけたが、それでも先程受けた恐怖を忘れられないのか、背後を振り返りながら逃げていく。

 雪姫は、仲間に目を向けもしない。それほどまでヤスユキが大切なのだろうか。

 神宮寺はゆっくりと上着を脱ぎすてた。

 ――用心に越したことはない。

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