●37.過去の因縁が絡み合い。
雪姫にとって、ヤスユキは居なくてはならない存在だった。
彼がいるからこそ、雪姫はここにいる。
あの頃、雪姫は孤独だった。二人の兄も、そこにいるのは、雪姫よりも年齢の上の者たちばかり。雪姫は、まだ幼く武器も上手く扱えず、皆の足手まといにしかならなかった。そのうえ、彼女はボスの妹でもあった。雪姫は、当時のボスのことが苦手だった。
血の繋がった実の兄弟のはずなのに、いつも兄からは冷たい目で見られていたのだから。妹を、妹とは思っていないような目だった。あの兄は、ただ〝異能者〟を殺すことしか目に映っていなかったあの兄は、役立たずの妹になんて興味がなかったのだろう。
ユウヤは、雪姫のことを大事に扱ってくれた。武器が使えなくても、怒ることはなかったし、雪姫は戦う必要がないよとまで言ってくれた。けれど、それもまた雪姫に孤独を与えていた。
雪姫は、誰からも必要されていないと思ってしまった。
そんな折り、自分とそんなに年の離れていない薄汚いボロボロの服を纏った少年――ヤスユキが新しい仲間に加わった。
年齢が近いのだから、仲良くなれるかもしれない。そう、微かに希望を抱き雪姫はヤスユキに話しかけた。
その時の、感動をなんといおう。
ヤスユキは、雪姫を邪険に扱うことも、大事に扱うこともなく、なんだか困ったような表情をしながらも、やさしく接してくれた。彼の手が空いているときは、一緒に遊んでくれた。それが、とてもうれしかった。
あの頃、孤独だった雪姫を救ってくれたのは、紛れもなくヤスユキだ。
雪姫は、必然的にヤスユキのことが好きになっていた。ヤスユキがいればそれでいい。
ヤスユキの傍にいられれば、雪姫はそれでよかったのに――。
ある日、突然ヤスユキが居なくなった。
兄は、〝異能者〟と一緒にいたヤスユキを「裏切り者」として処分するといった。
そんなの雪姫が許せるはずがないだろう。
雪姫は、ヤスユキの傍に、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと居たいのだから。
やっと、彼を見つけたと思った。
また、これから彼と一緒にいられるのかと思った。
それなのに、また彼は――居なくなってしまった。
どこに行ったのかもわからない。
わからなくって、泣き喚いても戻ってこなくって、涙はとうに枯れてしまったけれども、雪姫はまだヤスユキを求めている。
ヤスユキが居なければ、自分の存在価値はない――。
● ● ●
「サラと申します」
長く美しい黒髪の少女が、ゆっくりと腰を折り、そう名乗った。
アケミは、思わずのその髪に視線を吸い寄せられた。純粋な黒を誇っているだろうその髪は、見るものすべてを虜にする。
瞬きをして、アケミの髪よりも赤く輝く瞳をやさし気に歪めると、サラは微笑んだ。
「それで、依頼とは何だい」
面倒ごとが嫌いそうな神宮寺が、雑談を挟むことなく少女に問いかける。
「それは」
言い淀み、少女は言葉を探すように目を伏せる。
そして再び顔を上げると、神宮寺の目を真っ直ぐに見て言うのだった。
「わたしの、幼馴染を探して欲しいのです」
「幼馴染?」
「はい。わたしが十二の頃、とある事件により離ればなれになってしまった、同い年の少年です」
「名前は?」
「網谷ヤスユキ」
囁くような声で、少女が言う。
「なッ!?」
アケミはソファーから立ち上がった。サラは、不思議そうに首をかしげてアケミを見た。
神宮寺は死んだ魚のような目を一瞬アケミに向けたが、すぐに逸らして、サラを見続ける。正確には、怪しいほどに輝く赤色の瞳を。
「どうか、なさいましたか?」
小首をかしげて、サラはアケミに問う。
アケミが何か言おうと口をパクパクさせていると、神宮寺が先に答えた。
「ああ。いや、なんでも、なくないね。――実は、俺たちも網谷ヤスユキという少年を探しているんだよ」
「まあ、それは偶然ですね!」
両手を合わせ、サラはうれしそうな反応をする。
「でも、どうして?」
「それは」
神宮寺は、そこで言葉を区切ると、雪姫に視線をやる。
「それは、ヤスユキ君がそこにいる少女にとって、必要な存在だからだよ」
「え?」
サラは、そこではじめてこの事務所にいる人物がもう一人いることに気づいたとでもいうかのように、驚いたように雪姫に視線を向ける。
蹲って、ソファーに横たわっていたはずの雪姫は、目を開けていた。
開けた目は、真っ直ぐにサラを見つめている。
ヤスユキ、という名前に反応したのだろう。
アケミは息を呑んだ。雪姫の虚無感に満ちた眼差しは、感情のない神宮寺に似ている。けれど、それに光が宿って、絶妙に狂ったような眼差しになっている。それが、居たたまれずに、少し苦しい。
「……ヤスユキ……」
掠れた声が聞こえる。
サラは、少し眉を潜めた。でもすぐに取り繕うように真剣な顔になると、神宮寺に向かって再び腰を折る。
「お願いします。彼を見つけてください。わたしは、彼に会って謝らなければいけないのです」
「……ああ。わかった。依頼を受けよう」
● ● ●
カサカサとした喉が、渇きを訴えている。唾すら出てこない。
ヤスユキは、壁に背中を預けて、考える。
――――僕は、このままこの地下に閉じ込められて死ぬのか。
そんなの嫌だ。まだ、僕は、復讐を果たせていない。〝異能者〟を、殺さなきゃ。殺して、殺して、全員殺さなきゃ。異能なんてあんなもの、存在してはいけないんだ。異能は、人を狂わせる。〝使い魔〟と契約した人は、狂ってしまう。そんな世界ではいけないのだと。だから、《
それに。
自分は、まだ最初の目標を――復讐の相手を殺せていない。
あの少女を。美しい黒髪の、幼馴染を。彼女は、いとも容易く、ヤスユキの家族を奪った、狂った少女だ。瞳から赤い血を流し、狂った笑い声を上げながら周囲一帯を火の海にしたのを、ヤスユキはよく覚えている。今は、もう覚えている。
記憶は戻っているのだ。いくらあの二人がヤスユキにやさしくしてくれたのだとしても、〝異能者〟は殺さなければ。そうしなければ、自分は、この怒りをずっと抱えて生きていかなければいけなくなる。
咳をする。
それと同時に、牢屋のように重い頑丈な扉が開いた。
二人の男女が中に入ってきた。
ユウヤとアユだ。
ユウヤはボロボロの帽子を被っていた。その帽子にどんな思い入れがあるのか、記憶が戻っているヤスユキにもわからないけれど、そのボロボロの帽子の元の持ち主に心当たりがある。
ユウヤの兄だ。前ボスだったあの男が、普段被っていた帽子と似ている。もしかしたら、あの男のモノだったのかもしれない。
どうでもいいな、とヤスユキは思う。そんなことよりも、どうやって生き延びるかが重要だ。記憶が戻っているのを悟られるのはヤバい。まだ、記憶喪失の振りを続けなくってば。
「水だ」
ユウヤの言葉に、目の前に差し出されたコップに視線が吸い寄せられる。
アユから渡されたコップをひったくるように奪うと、ヤスユキは水を一気に飲み干した。びっくりしたかのように、喉が唸る。それはすぐに収まり、ヤスユキは一呼吸着くと、目の前の二人を怯えたような瞳で見上げた。
――――今、僕はまだ記憶を失くしている。失くしているんだ。彼らのことは知らない。仲間だとも思っていない。どちらかというと、敵のような感情を抱いているのだろうか。きっとそうだ。それに、自分は一度、ユウヤに銃を向けた。
ユウヤが右わき腹を軽く押さえる。
まるで、お前のせいだとでもいうかのような瞳で――いや、事実そうなのだけれど。ヤスユキは、彼に傷を負わせた上、彼が大切にしている雪姫を奪ってしまったのだから。
記憶が戻っているヤスユキは、ユウヤがどれだけ雪姫を大切にしていたのかを知っている。彼女に人を殺させたくなくて、ユウヤはわざと雪姫に武器の誤った使い方を教えていた。だから、彼女は〝異能者〟狩りに参加することは叶わなかった。
「話せるか?」
「……」
ヤスユキは怯えながら頷く。
「教えてもらうぞ。雪姫の居場所を。それからお前の処遇を考える」
若干含みのある言い方だった。
その男の理想郷は狂気に満ちている。 槙村まき @maki-shimotuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。その男の理想郷は狂気に満ちている。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。