●4.蟲食い少年の真意と思惑。

 おねえちゃんはボクのせいで大切なものを失ってしまった。

 あのころのボクはなにも知らないガキだったから。

 ボクはそれをどうにかしてとりもどすって決めているんだ。


 どんなことをしても、ぜったいに。



● ● ●



 真昼間。規則正しい人なら昼ご飯を食べているだろう時間帯。

 都会に佇むとあるビルの一室。その扉の前で、ひとりの少年が壁にもたれて目を瞑っていた。

 肩まで伸ばしている栗色の髪は、前髪が長く顔を隠している。髪の間から唯一覗いている口はきつく結ばれていた。

 ダボダボのベージュ色のトレーナーを着た少年は、思わず両手を強く握り締める。

 前髪の隙間から白い瞳が覗く。彼はかたきを見るかのように扉を睨みつけた。


「……まだ、でてこないのか」


 少年の見た目はまだ幼く、十歳ごろだろう。彼は声変わりのしていない高い声で呟いたが、それに反応を返す者は近くにはいなかった。廊下には少年しかいない。

 ギリッと音が鳴るほど強く、少年は奥歯を噛みしめた。そろそろ我慢の限界だ。

 それを待っていたかのように目前の扉が開く。

 少年は壁から体を離すと扉に近づいた。扉からはひとりの男性が出てくる。

 短くツンツンとした銀色の髪の持ち主の男性は、銀色のフレーム眼鏡の奥の瞳を優しげに細めると少年を見た。


「なんだよ、ささっとどけよ。中に入れないじゃないか!」


 子犬が威嚇するかのような声を上げる少年に、男性は苦笑する。


真白ましろのくせに、ボクのじゃますんなよな!」

「すみませんね、アオ。そこまで気が回りませんでした」


 あくまで優しく丁寧に、真白と呼ばれた男性はそういいながら扉の前から離れる。

 少年――アオは、それを見逃さずさっさと扉の中に入って行った。真白のことなんて気にしてないが、後ろから聞こえてきたため息に少しイラッとする。けれど、これから会える人のことを思うと許せる気がした。

 薄暗い部屋の中、アオはまっすぐ黒いソファーに向かって行く。

 ソファーにはひとりの女性が腰掛けていた。彼女はアオに背を向けていたが、


「アイおねえちゃん!」


 アオの無邪気な声に振り返った。


「あら、アオ。どうしたの?」


 透き通るような、中音の声が響いた。黒いサングラスの奥底の瞳がアオを見る。

 アイに見られたことが嬉しく、アオはますます嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべるとソファーによじ登った。アイの横に座る。


「なにもないんだけどね。おねえちゃんとお話ししたかったんだ」


 優しく頭を撫でてくれるアイの顔を見上げ、無邪気な笑みのままアオは質問をした。


「ねぇ。真白となんの話をしていたの?」

「…………」


 口元に笑みが浮かべられているが、それが開かれる気配はない。

 アイに悟られないようにと、アオは俯き笑みを消した。白っぽい瞳が前髪の間に隠れる。

 ――やっぱり、ボクには教えてくれないのか。

 アオはアイのことが大好きだ。自分の実の姉だというのもあるけれど、彼女の優しさや強さ。それからあのとき自分を助けてくれたこと。それらを含めて、アオは姉のことが大好きだった。

 だから姉の仕事を手伝いたい。いつもそう思っている。

 それをアイは許してくれなかった。何回お願いしても、ダメ、と優しく窘められるだけ。

 今度こそ姉の役に立てるように、強さも磨いているというのに、やっぱり今回も無理みたいだ。

 ――まあ、あとで真白をといただせばいいか。ほんとうはあんなやつと会話をするのもイヤだけどしかたがないよね。アイツだったら、ボクのいうことを聞いてくれるだろうから。


「話したくないならこれ以上は聞かないよ。ボクは、ただおねえちゃんと話をしたいだけなんだぁ。ねぇ、なにか話して。<怪盗>をしたときの話でもなんでもいいからさっ。おねがい、おねえちゃん!」


 あくまで子供っぽく、アオは無邪気な声を出す。




 黒いサングラスの奥の瞳でアイは心理を窺うかのようにアオを見るが、やはり今回も何も分からなかった。自分の弟ながら、彼は時々子供とは思えないような暗さを見せるときがある。いまもそうだ。けれどそれを問いかけると何かが決壊してしまうような気がして、アイは言葉を飲み込む。笑みを浮かべた口をゆっくりと開いた。


「わかったわ。……そうね。では、あの話をしましょうか。あの時は、まだ私はね――」


 ――まあ、いいわ。今はまだ、この子と一緒に過ごしているだけで私は幸せ。アオが傍にいてくれれば、私はまだ自分を保てるのだから。

 アイは目を細めながら愛しい自分の弟を見る。

 彼は無邪気で楽しそうに、自分の話を聞いてくれていた。

 ――アオだけは、真っ当な人生を生きてもらわなくては。私みたいな〝犯罪者〟には決してさせない。

 何をしても絶対に護って見せる。

 叶うかわからないその思いを胸に、アイは次の獲物について考えていた。



● ● ●



「なんだよ、真白のやつ。ボクのおねがいを聞かないなんて、ふざけんなよっ」


 黄昏時の自室の中。

 アオはパイプ椅子に腰をかけながら天井を睨んでいた。視線の先には硬いコンリート以外何もない。でもこの階の上に大嫌いな真白の部屋がある。

――クソッ。こんどこそだいじょうぶだと思ったのに。アイツの前で子供っぽくふるまってやったというのに、なんでだよぉ。


「ふざけるな」


 アオは天井を睨みつける。白っぽい瞳は子供らしからぬ、強い怒りが込められていた。


「あっ」


 そのとき、アオは思い出した。視線を部屋の隅にやる。


「そういえば、まださいごのしゅだんがあったかぁ」


 アオの視線の先にあるのは、蟲が入っている大量の水槽。

 椅子から飛びおると、アオは水槽に近づき、そのうちの一つを手に取ると入り口を開け放った。小さな虫が大量に出てくる。


「あははっ。ボクのかわいい蟲たち。おねがいを聞いてくれないかなぁ」


 目の前で大量に飛んでいる〝蚊〟の大群を見て、アオは愛しそうな声で囁く。


「アイおねえちゃんと、いまいましい真白のどうこうをさぐって、次のエモノがなんなのか、ボクに教えてよ……。教えてくれたら、おまえたちは食べないでおいてあげる」


 ――ちょっとの間だけね。

 くふっと笑い声を上げると、アオは蟲に背を向けた。羽音を響かせ蚊がいろいろな方向に飛んでいく音が聞こえてくる。

 満足そうに微笑むと、アオは目の前にある水槽の内の一つ、ミミズの入った水槽の入り口を開けて手を突っ込んだ。一匹のミミズを取り出し――

 それを、徐に口の中に入れた。

 ゆっくりと噛み締め、咀嚼をする。

 口の中に甘酸っぱいような味が広がった。

 ――これを、おいしいと思うだなんて、ボクはおかっしいんだおろうな。

 それでもアオは己の契約した〝使い魔〟のせいで、蟲を食べなければ生きていくことのできない身体になってしまっていた。普通のご飯を食べても何の味もしないのだから、味を感じ取ることのできる蟲を食べるしかないのだ。

 ――まあ、ボクはそれでいいんだけどね。少なくとも、ちゃんと味がするし、食べることができるし。

 アオは前髪から覗いている口元だけを歪ませるとパイプ椅子に座りなおした。

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