●35.未だに靄は晴れずに。
【つまらないよね。なんなの、あの人間。僕の力を吸収しやがって】
【ねえ、アイ。きこえてる? 僕の声】
【やっと時が来たと思ったのに。どうやらまだ僕は世界を蹂躙できないみたいだ】
【だから、さ。早く、願いを叶える宝石を見つけてよ。あの宝石はね、何でも願いごとを叶えてくれるんだよ】
【たとえば、巨万の富を得たり、世界を救ったり、逆に世界を滅ぼしたり、それから〝異能者〟を〝使い魔〟から解放したり、〝使い魔〟を
【キミは、弟を〝使い魔〟から解放させたい。だから、僕も大人しくしてあげていたんだよ? それなのにさ、全然見つからないみたいだ】
【正直、つまらない記憶を食べるのに飽き飽きしてきたんだよね。ちょっと僕だって遊びたくなった。だから、キミが我を失いそうになった時に横から体を乗っ取って、そのままこの世界を壊そうかと思ったのに。なかなかうまくいかないみたいだ】
【キミたち人間は、本当に勘違いしているよ】
【〝使い魔〟が、自分の思い通りに動くだなんて考えちゃいけない。僕たち〝使い魔〟は、ただ、キミたち人間の体を借りないと現世に顕現できないから力を貸してあげるだけだ。だから、契約を打ち切るのもこちらの勝手だし、行為で暴走させるのなんて簡単】
【指一本で済むぐらい】
【だと思ったんだけどねー。どうやら、一人だけ世界の
【どうやらあのピエロは、この世界中にいる人間すべての姿に変えることができて、しかも契約をしていないのにもかかわらず、〝使い魔〟の能力を扱えるみたいだね。まあ、それにも制約があるだろうけど……たぶん、死んだ人間の能力しか使えないんじゃないかな】
【あれは厄介だよ。できればかかわらない方がいい】
【狼のほうはどうやら信じちゃったみたいだけど。もしかしたら殺されるかもね、キミも、彼も】
【ねえ、どうする。キミが望むなら、僕はまたキミの体を使って遊んでもいいんだよ? 今は力がほとんどピエロに吸収されちゃったけど、暫く人間の記憶を食べ続けたらそれも回復するだろうし】
【ねえ、どうするの?】
【僕の手を取る?】
【宝石を探すのを諦める?】
【もしかして、ピエロの手を取る方を選んだりしないよね?】
【それとも、一生眠ったままでいるの?】
【いつもならうるさいぐらい僕の言葉に反論するくせに……。まさか、まだ眠っているわけじゃないよね? そうしたらいくら僕でもこればかりはどうしようもないよ】
【キミの傷はもう治っている】
【生きているんだ】
【暴走も止まった】
【あとは、キミが目を覚ませばすべてが決まる】
【さあ、どうするのさ?】
――――うるさい。
――――わかってる。
そうしてアイは目を覚ました。
「……アイ?」
酷く懐かしく感じる声が聞こえる。
アイはゆっくりと瞼を上げて、その声の主を見た。
「真白」
ツンツンとした銀髪の男性がいた。いつも通りの白いスーツは所々ほつれては汚れており、その服のシミを眺めていると、部屋の扉が音をたてて開いた。
扉を開けて入ってきたのはアイのよく知る人物。
アオだ。
長い栗色の髪の下の白っぽい瞳がまんまるになる。それが徐々に崩れていき、くしゃくしゃの顔になったアオがアイのお腹に飛び込んでくる。
「おねえちゃんッ……。生きてたっ、生きてた……ッ」
「アオ」
「……あ」
真白が何か言いたそうな声を上げる。
そちらを見ると気まずそうに目を逸らされた。
アオに目を戻す。少年は、ベッドに寝転がっているアイのお腹から起き上がる気配がない。アイは優しく彼の頭を撫でてあげた。
「ごめんね、迷惑をかけて」
「ううんッ。ぼ、ボクが、勝手なことしたから……ッ。おねえちゃんがこんな目にッ」
「……あれは、私の所為よ」
「ちがうっ」
「私が、悪いの。いつも見ていてあげられなくって、ごめんね」
「……ボクのほうこそ……こんどこそ、ボクがおねえちゃんを守ろうとしたのに」
思わずアイは目を開く。
意志のある赤く腫れた眼をこちらに向けてくるアオの瞳を見ていると、とても愛おしくなりアイは込み上げてくる思いのままサングラスをゆっくりと外した。
ドラゴンの瞳が露わになる。
アイは視力を〝犠牲〟にして〝使い魔〟【
ドラゴンの瞳から見えるアオは、体中に青い靄を守っている。真白は左腕に白い靄を。
どうやらそれは、〝使い魔〟がいるところを示しているみたいだ。
そこに〝使い魔〟は、人間の体の一部に擬態する成り寄生するなりして生きている。
それを殺したらどうなるのだろうか、とたまにアイは考える。
〝使い魔〟が体からいなくなったら、〝異能者〟は死ぬ。
〝異能者〟は、〝使い魔〟と契約をしたら、もう死ぬまで〝使い魔〟と共に歩まなければならないのだ。
それはアイも、アオも、真白も同じだろう。
だけど、もしも、もし、〝使い魔〟だけを殺すことができるのであれば……もしかしたら、〝異能者〟は〝異端者〟として生きて行けるのかもしれない。
夢の中でのドラゴンの台詞を思い出す。
【あの宝石はね、何でも願いごとを叶えてくれるんだよ】
噂では、あの宝石は虹色に輝いているという。
だけど、その輝きは昔、とある人間により七つの色に散らばった。
散らばった色は宝石となり、今もどこかで眠っているという。
ただのおとぎ話のようで、だけど太古から生きている神獣が云うには、確かなこと。
その宝石は存在する。
だけど、宝石は世界中に散らばっており、どれが本物か見つけるのはただの人間には難しい。いくら目利きの宝石職人でも、骨董商の重鎮でも、〝人間〟の視力には限界がある。
その点、アイにはドラゴンの瞳があった。
ドラゴンの瞳は、〝使い魔〟の在処だけではなく、宝石の意思も見ることができる。
宝石に意思があるなんて、〝異能者〟でも笑うようなことだろう。
だけど、アイには見える。
宝石の意思も、〝使い魔〟の居所も。
いくら深淵の視える【視える人】にも、きっと宝石の意思なんて見えないだろう。
ドラゴンと契約をしたアイにだけ、それは見ることができる。
今、宝石はまだ七色も集まっていない。
一色だけだ。
虹色になるには、まだ足りない――。
「おねえちゃん?」
「アオ。ありがとう」
「……うん。ボクのほうこそ」
「感動の再会は、そろそろいいかな」
中性的な声が響いた。いや、その声は途中で少女の声に変わっている。それも、とても幼い少女の声だ。
そういえば、ここはどこなのだろう。
アイが
開いている扉の中心に、その人はいた。
まだ十にもなっていないだろう、アオよりも幼い少女だ。くるくるの巻き毛をくるくる触りながら、少女がこちらを向く。
瞬間、少女の姿変わった。
落ちくぼんだ目の、どこか薄気味悪い男の姿に成る。緑色の髪が、気味悪さをひき立てていた。
移り変わりと共に、変化したものがあることに気づき、アイは眉を潜める。
幼い少女は赤い色の靄を髪の毛に纏っていた。
だけど落ちくぼんだ目の男は、指先に緑色の靄を纏っている。
男が右腕を一閃させた。
突如、彼の周辺に草花が咲き乱れる。
「〝異能者〟」
アイは思わず声を上げていた。
男が面白そうに両手を打ち鳴らす。
「正解、正解、だいっせいかい!」
何がそんなにも嬉しいのか、男は帽子をとるような動作をしてからお辞儀をする。
それはまるでサーカス団のピエロだ。
赤い鼻をつけて白いおしろいでも塗れば、彼はピエロになれるだろう。
「私は、自分の〝姿〟を犠牲にして〝使い魔〟【道化】と契約しております。子供たちは私のことを師匠と呼んで慕ってくれますので、宜しければ御三方もどうか、どうぞ、師匠、とお呼びくださいまし」
夢の中でのドラゴンの台詞を思い出す。
ピエロは、この世の人間すべての姿になることが出くると。
それから、死んだ人間――〝異能者〟の能力を使うことができると。
ドラゴンの言っていたことだ。本当かどうかは分からない。それでも警戒に越したことはないだろう。
アイの警戒を知ってか知らずか、ピエロは楽しそうな笑みを消すことはない。
痺れを切らした真白が、重い口を開いた。
「ワタシたちをこれからどうするおつもりですか?」
「助けてあげたのに、そのいい方はないんじゃないかい?」
ピエロがムスッとした顔をするが、恐らくそれは演技だろう。ピエロっぽい行動だ。
「ワタシはね、〝異能者〟が好きなんだ」
どこか慈愛に満ちた声音で、男がいう。
切なさの交じったそれは、鼓膜を震わせるように耳に入ってくる。
「昔、〝異能者〟は迫害されていた。異能を持っているというだけで、能力を持たないただの人間は〝異能者〟を嫌っていた。気味悪がり、蔑み、自分のほうが尊いんだと、馬鹿みたいに考えているのもいたっけ。そのせいで、この男は殺された。能力を持たない人間に。今でゆうところの、〝異端者〟に」
息を飲む音は誰のだろうか。
「だから、私はこの世界を作ったんだよ。誰もが〝使い魔〟と契約することにより人とは違う能力を持ち、〝異能者〟となる権利を得ることのできる世界を」
「貴方が?」
アイの喉が鳴る。
「そうだよ。私が、世界の理を改変させて、この世界を作った。謂わば、創造主だ」
「……もしかして、それは虹色の宝石が関係していますか?」
「うん?」
不思議そうな顔になる男。首を左右にカクカクすると、うぬ、とピエロがうめいた。
「ごめんね、忘れたよ」
「……そうですか」
「もう、昔の話だからね」
「ちょ、ちょっと待ってください。アナタは、どうしてこんなにも長い間、生きているのですか? 〝使い魔〟がこの世に現れたのは、百年以上も昔のことっ。普通の人間が長生きできるはずがありません」
真白の問いに、にこっと男が笑う。
「私は、〝命〟を犠牲にして【道化】と契約したからね」
「でもさきほどアナタは、〝自分の姿〟を犠牲にしていると」
「うん、確かに言ったけど、それは嘘だ」
「……どうして嘘を?」
「何となく?」
「では質問を変えます。……アナタは、どうしてワタシたちを助けてくれたのですか?」
「それは、〝異能者〟だからだよ。私は、〝異能者〟が好きなんだ。だから、好きな〝異能者〟が暴走していたら、助けるのは当たり前だよ」
にっこり笑う男の顔は気味が悪いが、それに嘘は見えない。
「では先程のアイの質問です。ワタシたちをこれからどうするおつもりですか?」
「別に。私は助けただけだから、あとは君たちがどうするのか、自分たちで決めたらいいんじゃないかな?」
真白が言葉を失くす。
今の言葉に嘘はなさそうだ。
アイは体を起こすと、アオを抱き寄せた。
「帰りましょう、アオ。私たちの家に」
「……うん」
「……アイ」
何か言いたげの真白はすぐに口を噤む。
そんな真白に向かって、アイは微笑んだ。
「真白も。帰りましょう」
「……はい。アイがそういうのなら」
ベッドから足を出し、アイは立ち上がる。
アオと手を繋ぎ、前を真白が歩いていった。
ピエロが扉から離れて廊下に消える。
三人まとまって廊下に出ると、壁に持たれて幼い少女が無邪気に笑っていた。
「じゃあね。また会えると嬉しいなぁ」
「……ええ」
短い言葉を交わし、アイたちは地下から地上に出る。
そこは都市から離れた、小さな町の小さな教会の地下だった。
地上に出ると、どこからか子供たちの笑い声が聞こえてくる。
目をやった先では子供が数人輪になって遊んでいた。
どの子供にも、体のどこかに色のついた靄が見える。
〝異能者〟の子供だ。
アイは目を逸らすと、アオの手を握りながら協会の敷地から出て行った。
背後から、手をパンパン打ち鳴らす音と共に、老人のしゃがれた楽しそうな声が聞こえてくる。
「よし、次は何して遊ぼうか」
どこか【道化】を思わせる、偽りの声だ。
● ● ●
「雪姫はどこだ!」
ユウヤの声が、地下の部屋に響く。彼の視線の先に、目をうろうろとさせているまだ幼さの残る線の細い顔立ちの少年がいた。
背後からその少年を、アユは他の仲間と共に眺めていた。
「だ、誰ですか……?」
少年がやっと絞り出した声は、ユウヤの質問に答えたものではなかった。
ユウヤが無言で少年を睨みつける。
「オレの妹だ」
「……あの、僕は一体……」
「アイツは、お前のことがッ」
そこで、ハッとユウヤが言葉を止めた。
自分の言葉に反応したわけではない。
アユは少年を眺める。
少年はどこか虚ろな目で虚空を眺めている。その姿はどこか妙だ。
ゆっくりと、静かに、少年が口を開く。
「僕は……何?」
誰も反応しない。
もしかして、とアユは思った。
あの時の雪姫の絶叫を思い出す。
――「ヤスユキは、記憶を失くしているのじゃ!」
もしも、もしもあれが本当だったら。
彼は、もしかして――。
アユは過った考えを打ち砕くべく、手を強く握り締めた。
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