●34.そして道化師がひっそりと微笑む。

「あれ?」


 目を覚ますと、誰もいなかった。

 否、起きている人が誰もいない。辺りに散らばっているのは物言わぬ亡骸のみだ。

 その中心で、アオは立ち上がる。

 念のために、もう一度辺りを見渡してみる。

 だけど、姉はどこにもいない。


「おねぇちゃん?」


 思い出すのは意識を失う前。確か、アイは体から血を流していた。

「もしかして」

 死体を一体、一体、確認する。

 安堵の吐息を漏らすと、途方にくれた顔で空を仰いだ。

「どこにいったの? おねえちゃん」

 この町の空は滅びへの道を着実に進んでいる。とんとんと、それがまるで当たり前かのように濁りきった空に、薄っすらと太陽の光が見える。夜に月の光がさすこともない。灰色の雲が空を覆っている。


 アオの周りに蟲が寄ってくる。その内の一匹を口にいれると、ごくんと飲み下した。

 力が沸いてくる気がした。

 栗色の長い前髪で顔を隠し、だぼだぼのトレーナーのポケットに手を入れると、路地裏から出るべくアオは歩を進めた。


 幾多の〝異能者〟の気配がする。

 彼らなら、姉の居場所を知っているかもしれない。


 ――――殺してでも、ぜったいに、ききだしてやる。



● ● ●



「なあ、ジン。もう帰ろうぜ」

「まだヤスユキ君に会えてないからね。レオンの情報は正確なはずだから、ここら辺にいるはずだよ。……〝異端者〟の気配は分からないから、困ったね」

 困った顔で、アケミは手を繋いでいる雪姫を見る。

 どうして、彼女はここまでヤスユキに執着しているのだろうか。

 まるで彼がいないと、彼女は一人の人間として成り立たないみたいだ。

 それは、ただ彼のことが好きだとか、その程度の話ではないだろう。


 アケミは神宮寺を見上げる。

 警戒心を緩めることなく路地裏を睨んでいる神宮寺が一歩足を踏み出した。

 それはまるで自然な動作で、よく見ていなければ分からない行動だろう。

「ジン?」

 呼びかけるが返事が帰ってこない。

 死んだ魚のような目をした神宮寺が、ゆっくりと瞬きをして路地裏を睨みつける。

 アケミは知らずの内に雪姫の手を握る力を強めた。

「アケミ君、下がって」

「あ、うん」

 神宮寺の言葉にアケミは雪姫の手を引きながら後ろに下がって行く。


 その時。

 空気が変わった。


 路地裏から一人の人物が出てくる。


 だぼだぼのトレーナーを着た少年は、周囲を見渡すと一番前に出ていた神宮寺に目を向けた。

 白っぽい瞳はどこかおぼろげで、長い前髪に見え隠れしている。

 少年が口を開く。


「ねえ、おねえちゃん、知らない?」

「誰のことだ」

 少年の問いに、神宮寺が淡々と返す。

「ボクのおねえちゃんだよ。世間から、≪怪盗ドラゴン≫とかいわれている、ボクの大切なおねえちゃん。知らない? 教えてくれなきゃ殺すよ?」

「……知らないな」


 ――≪怪盗ドラゴン≫! じゃあ、こいつはあのドラゴンの弟なのか? いや、それにしては若い。というか、ドラゴンは本当に女だったのか。


 神宮寺の答えに、少年が明らかに不機嫌そうな顔をした。


「ふんっ。じゃあ、いいよ。あんたを、殺すから」


 プツッ、と少年の右頬に亀裂が奔った。

 小さい血の雫が落ちてきて、それが蟲の形をとる。

 一匹、二匹とられてきた血の色の蟲が、どんどんと増えていく。

 少年の血液が蟲に変化している。

 ふいに、蟲の一匹が飛んだ。

 それはまっすぐ神宮寺に向かってくる。

 神宮寺の右肩がうずいた。

 不愉快そうに眉を顰める彼の肩から、漆黒の羽が一枚現れる。

 それは、ゆっくりと羽ばたき、興された風が蟲を両断した。

 ぴちゃ、と血の色をした蟲が地面に落ちて血の水たまりを作る。


 それを見ていたアケミ以外の〝異能者〟の一人が「ひぃ」と悲鳴を上げた。彼は少年を見ているわけでも、血の色をした蟲を見ているわけでもない。ただ、怯えた表情で神宮寺に目を向けていた。他の〝異能者〟も、恐ろしいものを見る目で神宮寺を眺める。

 その視線を断ち切るかのように、漆黒の羽――【堕天使アザゼル】の羽が、一回羽ばたく。

 起こされた風が、少年の生みだした蟲を、一匹残らず両断した。

 唇を噛みしめた少年が恨みがましい目で神宮寺を睨みつける。


「殺すっ!」


 少年の背後から、蟲の大群がやってきた。


 それを静かに眺めて、神宮寺が呟く。


「めんどくさいね」


 風が、漆黒の羽から無数に生み出され、蟲を一匹ずつ両断していく。


 その光景を呆気にとられてみていた〝異能者〟の一人が、ぼそりと囁いた

「まさか、マジで【堕天使】と契約したやつがいるとか。頭おかしいんじゃね」

 嘲笑するような言葉を発した男を、アケミが睨みつける。その視線に気づいたのか、黒い瞳に見られた男が、怯えたように後退った。

 直後に少年の叫び声が響く。


「ぼ、ボクの蟲を殺しやがって! もういい! 殺す! おまえも、おまえらもッ。ころしてやるッ!」

「――君は弱い。ドラゴンの弟だというからどんなものかと思ったが、あの獣よりは弱いね。どうやら君はまだ能力を完全に引き出せていないみたいだ。君は、ここにいる誰も殺せない。俺一人で十分だ」

「ッ! 違う! ボクは強い!」

「弱いよ、君は」

 わざとらしくため息をつき、神宮寺が右手を前に出した。

「アザゼル。あの子供を、大人しくして」

 応じるように漆黒の羽が羽ばたきを起こす。

 その風が一カ所に――神宮寺の手に集まって行くと……それはゆっくりと少年に向かって行った。


「ちょっと待った」


 神宮寺の眉が動く。

 だけど、一度起こされた風は制御できないため、風は容赦なく少年に降り注いだ――ように見えた。


 少年の前に、一人の人物がいる。


 とても長い黒色の髪の毛を後ろに一つに結んでいる女性だ。

 彼女がゆっくりと右腕を振った瞬間、全てをも破壊するはずの風がまるで空中の見えない壁に阻まれたかのように霧散した。


 女性がもう一度腕を振る。

 すると、女性の姿が霞み――次の瞬間、そこに一人の男性がいた。

 緑色の髪の毛の、ひょろりとした背の高い男性がそこにいた。落ちくぼんだ目が、優しく神宮寺に向けられる。


 それを傍から見ていたアケミは、目を見開いた。

 男性の姿ではなく、単純に女性の姿が男性の姿に替わったことに驚きを隠せなかったからだ。

 アケミはこの人物を知っている。この能力を持っている者は、一人しかいないはずだ。

 アケミもの本当の姿をしているわけではない。それは神宮寺も同じだろう。施設で育った他の子供たちも同じだ。


 師匠。


 自らそう名乗っているそのは、いつも姿かたちが老若男女問わず変化して、まるで自分の姿を忘れてしまったかのように、存在を掴ませてくれない。


 ――――どうしてここに師匠が?


「……なぜ、ここにいるんです、か?」

 神宮寺が淡々と、言葉を選びながら問いかける。

 右手をひらひらさせながら師匠は微笑んだ。

「ちょっと忘れ物をしちゃって、ね」

 そう言って彼は振り返ると、少年をじろじろと眺めはじめた。

「へぇ、すごい。傷ってすぐ治るんだ。まあ、蟲がその姿を維持しているってだけで、君の本当の姿は違うのかもね。うん。でも、不思議だ。こんな〝使い魔〟、今まで聞いたことがない。いったいどこに隠れていたのだろうか」

「……だ、誰だよッ!」

 少年が叫び声を上げて後退る。

 不思議そうな顔で師匠がじっと少年の顔を見た。

「え? ああ。ごめんごめん。君、【ドラゴン】の弟、でしょ。今からお姉ちゃんのところに連れていってあげるから、大人しくついてきて欲しいな、と思って」

「お、おねえちゃんの場所知ってるの! な、なにをしたんだよ!」

「いやいや、私は何もしていないよ。ただ助けてあげたんだよ。暴走していた彼女を」

 師匠の言葉に少年が不思議そうな顔をする。

「たすける……? な、なんで?」

「うん? 気まぐれかな?」


 その言葉は嘘だとアケミは思った。だが、知っているはずの神宮寺が何も言わないので、アケミも静かに成り行きを見守ることにした。

 雪姫が虚ろな目で地面を眺めている。涙はとうに枯れ果てたのか腫れた瞼に隠れた瞳から雫は流れていない。


 少年は暫く迷っていたみたいだが、唇を噛みしめると、ゆっくりと頷いた。


「連れてってよ、おねえちゃんのとこ」

「最初からそのつもりだよ」

「生きてるの?」

「ああ。私のを持ってすれば、あんな傷なんてどうってことないよ。だから、さ」


 男性が両手を広げて、優しく微笑んだ。


「私と一緒に来ないかい?」


 迷いながらも少年が頷く。


「うん。……うそついたら、ゆるさないよ?」

「私は嘘つかないから安心していいよ」


 男性が振り返ると、神宮寺に目を向けた。


「じゃあね、ツカサ。お仕事がんばって」


 それにゆっくりと神宮寺が――神宮ツカサが頭を下げる。


「はい」

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