第7話

 7

 ……居心地が悪い。

 何故かと言うと単純明快である。


「ごきげんよう、智子様」


「ごきげんよう、智子さん」


 行きかう女子生徒達が、こぞって内田先輩に声をかけていくのだ。

 内田先輩もそれに応えている。

 両者ともに素敵な笑顔で、内田先輩が好かれている事はよく分かった。

 そうでなかったら、数は多くないとは言え会う人皆が、こんな反応にはならないだろう。

 そしてちらちらとこっちに視線が来る。

 俺が会釈をすると間を置かず会釈が返ってくる。

 そして内田先輩が説明するのだ。


「こちらは一年の赤松さん。庶務として生徒会の役員会入りするの」


 聞いた人達は納得したと言わんばかりの顔になり、深々とお辞儀をして去っていく。

 生徒会入りするって分かった途端、そうなるって……生徒会ってそんなに権威があるのかな?

 それとも元々俺の立場がひどいだけなのかな?

 ……あまり考えない方がいいかもしれない。

 それよりも「様」だったり「さん」だったり、呼称が違うのはどうしてだろうか。

 俺の事を「様」づけで呼んだ同級生もいたな。

 呼び手次第で変わっているだけで、あまり深い意味はないのか?

 まあ呼び方一つまで指定されているなんて、フィクションくらいなものか……目上への礼儀は別にして。

 それはさておき、内田先輩はてきぱきと案内してくれる。


「ここがプールで、あっちが体育館」


 まず南館の周りから順番にだ。

 体育館のほぼ正面にプールがあり、その反対側には運動場がある。

 今は各種部が活動しているのだろう。

 そして先輩は移動して体育館の奥の建物を指し示した。


「あれが舞踊館よ」


「ブヨウカン……?」


 体育館に気を取られて見落としていたが、それにしても何やら嫌な予感がする。

 きっと顔に出ていたのだろう、内田先輩は俺の方を見て頬を緩めた。


「ええ。社交ダンスとか日本舞踊とかダンスの際に使うの」


「……俺、全くのド素人なんですけど、大丈夫でしょうか?」


 自分でもびっくりするくらい情けない声が出た。

 たぶん、顔も似たような事になっているんだろうな。


「大丈夫よ。男子の受け入れを想定してカリキュラムは組まれるはずだから」


 先輩は母性本能を刺激されでもしたのか、慈母のような表情で慰めてくれた。

 何だか居たたまれない気分になってくる。


「みっともないところを見せてすみません」


 一応謝罪をしておく。

 何も言わないよりはマシだろうと思ったからだ。


「いいのよ。そういう理由もあって、生徒会入りを薦めたのだから。何かあったら私達に言ってね?」


 優しく言われて胸にじーんとくる。

 惚れてしまいそうだ……実際おどけないと俺の精神がやばい。

 生徒会の人達がいい人すぎる。


「何だか先輩がたのおかげで、不安に苛まれていた心が晴れ渡りそうです」


「そう? それならよかったわ」


 明朗な笑顔は、太陽のように眩しかった。

 圧倒されかけるが、それ以上にバツが悪い。

 容姿基準で選ばれたんじゃないかって思ったのは、とても失礼だった。

 今ならきっと性格重視で選ばれたんだろうと分かる。

 口に出して謝罪する勇気はなかったが、せめて心の中だけでも謝ろう。

 ごめんなさい。

 すると内田先輩は怪訝な顔をした。

 やばい、表情に出ていたか?


「次に校舎の中を案内するわね」


 スルーする事にされたようで、少しホッとする。

 また褒めるしかなかったし、そうなるとさっきみたいに変な空気になったかもしれない。

 先輩もそう判断したのかもしれないな。


「はい、お願いします」


 俺もそれだけ言っておく。

 先輩が歩き出したので後を追う。


「赤松さんはどうしてここを選んだの?」


 内田先輩は足を止めずにそんな質問をぶつけてきた。

 一瞬ためらったものの、正直に答える気にする。


「ここなら学費が安かったからです。色々とお得かなって」


「色々とねぇ」


 何やら特定の部分だけ力をこめて反芻された。

 いや、多分分かっていてからかっているんだろう。

 どうもこの人はお茶目で他人をからかうのが好きな性格みたいだし。


「女の子がたくさんいるから……とでも考えた?」


 悪い顔になっている。

 こういう表情も似合うから美人って得だな。

 しかし、俺はやられたらやり返す性分だと理解してもらう必要はありそうだ。

 事あるごとにからかわれたんじゃたまらないしな。


「それは考えませんでしたが、内田先輩に会えたのはラッキーでした」


「なっ、ま、またそんな事を……」


 先輩は声を上ずらせたあげくしどろもどろな返事をする。

 明らかに動揺していた。

 よし、もうひと押しだな。


「もしかすると人生で一番の幸運は、先輩に会えた事かもしれないですね」


「えええええ」


 先輩は大きな声を立てて後ずさりする。

 人通りがない事は確認しておいたから問題はない。

 さすがに他の女子の目があるところで、こんな恥ずかしい事は言えないからな。


「ほ、本気で言っているの?」


 消え入りそうな声でちらちらこっちを見る。

 何だか目が濡れていて熱いものが混ざっている気がした。

 これ以上やると、何だか取り返しがつかない事になりそうな予感がする。


「半分冗談です」


「は、半分?」


 あれ、何かミスったか?

 内田先輩、更に後ずさりをする。

 これって第三者的に見れば、俺がセクハラか何かして、先輩が距離を取ったように見えたりするんじゃないかな。

 ふとそんな考えが浮かび、背中に冷や汗が流れる。

 女子社会だから気をつけようと思っていたのに、うかつだった。

 幸いまだ誰も通らないみたいだから、今のうちに挽回しよう。

 ……そこまで考えたのはよかったけど、実際どうやればいいのか、はたと困る。

 完全に冗談だったと言うのはさすがに問題がありそうだしなあ。

 まるで心を弄んだみたいだ。

 じゃあどうすればいいのかって言うと……ダメだ、いい案が浮かばない。

 ここは強引にでも話題転換をしよう。


「と、ところで校内にはどんな部屋があるんですか?」


 いくら何でも不自然すぎるかと思ったけど、幸い先輩はすぐ乗ってくれた。


「そうね。茶道室、華道室、書道室、視聴覚室、音楽室ってところかしら」


 ぎこちなくはあったが、案内されていた時の空気が戻ってくる。

 校内にあるのは割と普通だな。

 いや、普通と言ったら語弊があるな。

 想定の範囲内って言った方が適切だろうか。


「舞踊館みたいなものはないようで安心しました」


 俺がおどけて言うと、先輩は例の悪戯っぽい顔になった。


「そういう意味でなら、多分安心するのは早いんじゃないかしら」


 何だろう、すごく含みがある言い回しだったような気がする。

 とんでもないものがあったりするんだろうか。

 でも、見たところ校舎はそこまで変わったようには見えない。


「何があるんですか?」


「ついてくれば分かるわ」


 おっかなびっくりといった感じで尋ねると、曖昧な笑みを返された。 

 そして先輩は歩き出したので、仕方なくついていく。

 果たして何があるのだろうか?

 それとも単にからかわれているだけなんだろうか?

 複数の気持ちが入り混じった状態だった。

 それだけじゃ何だかシャクなので、とりあえず話を振ってみる。


「先輩はどうしてここを選んだんですか?」


 俺の志望理由を聞かれたお返しみたいなつもりだったが、すぐに失敗を悟る事になった。


「親が選んだからと言うしかないわね。初等部からここだし」


「そうですね」


 そう言えばここの初等部は入ったら自慢ができるとかって話なんだっけ。

 千賀の奴が「英陵の初等部出身は上流階級でも羨望の的」とか何とか。

 庶民でしかない妹が入手できる情報なんて、どこまで信じていいのか分からないんだが。

 俺の形容しがたい表情をちらりと見て、先輩は口元を緩める。


「でも、ここはいいところよ。悪い言葉を使うなら、お人よしがほとんど。私が知っている範囲では、と但し書きつきになるけれど」


 確かにいい人は多そうだと思う。

 男としては心配になるくらいに。

 つい、言葉に出してしまう。


「俺が言うのも何ですが、もうちょっと警戒した方がいい気はします」


 何と言うか、男を知らない箱入り娘達にしてみれば、ずいぶん俺への警戒心が低い気がする。

 相羽だって俺の話し方に怯えていただけで、ちょっと気をつければあっさり打ち解けられたし。

 全部が演技だったりしたら、人間不信一直線になってしまいそうなくらいだ。

 疑問と忠告みたいなもののつもりだったんだが、何故か内田先輩は流し目で見てくる。

 何だか色っぽくてどきっとさせられた。


「もう言っても問題ないと思うけれど」


 先輩はもったいつけた言い回しをする。

 かなりわざとらしかったので何も言わずに続きを待つ。


「うちの審査、とてつもなく厳しいのよ。本職に調査を依頼するから」


「本職?」


 思わず訊き返す。

 何やら不穏当な単語の気がする。

 先輩はにこりと笑って言う。


「あなた自身とご家族の過去の経歴、洗いざらい調べ上げて入学させてもよいかどうか判断するの。あなたしか男子がいないのは、他の子は不適切って判断されたのでしょうね」


 え、何それ、初耳なんですけど。

 俺の驚愕が伝わったのだろう、先輩は人差し指をつきたて、もっともらしい顔を作って言った。


「素人に気づかれるような調査方法をしたんじゃ、プロとは言えません」


 そこまで言ってこっちを見て、ウィンクをする。


「これは先生がたの受け売りだけどね」


 内田先輩の仕草はとてもチャーミングだったのに、ちっともときめなかった。

 何だか嫌な汗がだらだらと流れている気がする。


「え、他に男子がゼロっていうのは、もしかして受験したのが僕だけじゃなくて?」


 不自然だと思ってはいたんだよ。

 あんな好条件なのに入学したのが俺一人だったなんて。

 と思っていたら変な顔をされた。


「受験の時、他の男子とは会わなかったの?」


 そんな風に訊かれる。

 ああ、確かにそう思われるのは無理もない。


「受験って各自の中学校でだったんですよ。僕の中学から受けた男子は他にいなかったんです。面接の時は、女子としかすれ違わなくても、別におかしくはないかと」


 受験の時にここに来れなかったのは、生徒以外の男子を入れる気はないって意思表示みたいなものだったんだと、勝手に解釈していたな。

 だから男子の合格者がどの程度いるのか、さっぱり分からなかったのだ。


「そうなんだ。私、そういうの知らなかったからねー」


 内田先輩は納得したと言わんばかりに何度もうなずく。

 俺はそれを疑問に思ったので尋ねた。


「生徒会役員なら、ご存じだと思っていましたが」


「ああ。会長はご存じだったかもしれないわね。でも、基本的に受験に関しては、生徒会もノータッチだから」


 今年の新入生には男子が一人だけいるって聞かされてはいたけど、と先輩は微笑む。

 そういうものなのか?

 今一つ仕組みが分かりにくいな。

 名門と呼ばれる学校だから色々とあるんだろうか。


「赤松さんもおいおい分かってくるわよ」


 内田先輩はそう言って前を見てしまう。

 話はこれでおしまいって事だろうか。

 確かに色々と寄り道して、肝心の校内案内が捗っていなかった気はするな。

 お世話になっている身だから遠慮した方がいいかな。

 うーん、立ち回りが難しい。

 少しずつ覚えていくしかないのか。

 ただ、いつまでも駄弁っていられないというのには賛成だ。

 俺のせいで内田先輩の本来の業務を滞らせるわけにはいかない。


「内田さんごきげんよう」


「小山先生ごきげんよう」


 おっと先輩が先生と挨拶を交わしている。

 多分三十前後くらいの人と。

 美人だけど、姫小路先輩達を見た後だとインパクトに欠ける。

 なんて失礼な感想を思わず抱いてしまった。

 目があったので挨拶をする。


「こんにちはっ」


 元気よく爽やかなに、を心がけた。


「はい、こんにちは」


 先生はにこやかに返事をしてくれる。

 よかった、好印象を与えられたようだ。

 「男はごきげんようでなくていい」と聞いていなかったら危なかったかもしれない。

 相羽達に感謝だな。


「唯一の男子生徒という事で色々大変でしょうが、期待していますから頑張って下さい」


「はい、ありがとうございます」


 なるべくはきはきと丁寧にお礼を述べる。

 先生は満足げな顔をして去っていた。

 ふう、ミッションクリアだと思っていたら、内田先輩がジト目で俺を見ている。

 そんな顔も綺麗だけど、気まずさはあった。


「何でしょう?」


 首をかしげて見せたら呆れた顔をされる。


「今の何。さすがに別人過ぎじゃないかしら?」


「いえ、先生に失礼があってはならないと思いまして」


 先生と先輩なら、先生に対する方が礼儀正しくなるのは当たり前だと思う。

 それが通用するかは別問題だし、少なくとも内田先輩には何かもっともらしい言い訳をひねり出す必要を感じた。


「そう? ああいった女性が好みとかじゃなくて?」


 やっぱり……と言いたいところだが、さすがにこういう言い方をされるのは心外である。

 小山先生は美人だけどいくら何でも年が離れすぎじゃないか。


「年上は好きですけど、少し年が離れています。先輩くらいがちょうどいいです」


 言ってからしまったと思う。

 これじゃ先輩を口説いたように受け止められるんじゃないだろうか。


「だ、だからさ……そういうのはよくないと思うの」


 案の定、先輩は真っ赤になってうつむいてもじもじする。

 とてもキュートだけど、正直なところやってしまった感が強い。

 まるで内田先輩をナンパするのが主要目的みたいだ。

 ただ、言うべき事は言っておこうと思う。


「生意気を言うようですが、先輩にも原因はありますからね?」


 そもそもこの人が俺をからかおうとしたのが事の発端である。

 それを棚にあげられては堪らない。


「うん。さすがに懲りたわ。赤松さんをからかうのはもう止める」


 先輩は神妙な顔をしてそんな事を仰いました。

 つまるところわざとやっていたんですね。

 いちいち口にするまでもないだろうが、それでも脱力に近い感覚に陥る。


「さて、それじゃ校内に行くわよ?」


 元気よくそう言ったが、よく見たらまだ頬が若干赤かった。

 俺を手のひらの上で弄んでいたわけじゃなくて、本気で照れていたみたいだな。

 俺は俺で言い回しに気をつけた方がいいかもしれない。

 けど、美人に美人って言うのも無理なら、どう言えばいいんだろうなあ。

 うかつに褒めたらアウトってのはきついんじゃないだろうか。

 手当たり次第に女の子を口説くような奴って誤解はされたくないから、何か考えた方がいいよな。

 千香の奴にも相談してみようかな。


 内田先輩は、その後は真面目に案内してくれた。

 視聴覚室、書道室、茶道室、華道室はいずれも高貴な雰囲気を発していたし、美人な部長さんが対応してくれ、俺とも言葉を交わしたが、特筆すべき点は他にない。

 意味ありげな態度は何だったんだろうと気になってきた。

 俺をからかう為のものだったんだろうか?

 その疑問が解決されたのは音楽室を見た時だった。


「ここが音楽室よ」


「……部屋じゃないでしょう?」


 「室」と言えるのは大きさくらいで、その中身はどこの楽団が使うのかと言いたくなるような設備である。 

 コンサートホールをコンパクト化させて入れた、と言われても納得できた。

 内田先輩が悪戯を成功させた悪がきみたいな顔をしている。

 くそ、悔しいけど、これは確かにすごい。

 圧倒されずにはいられなかった。

 と同時に不安にもなる。

 これだけ立派な施設があるという事は、授業も相応のものだという事じゃないだろうか。

 俺、リコーダーくらいしか吹けないぞ。

 後はハーモニカやピアニカか。

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