6話

 家から帰って晩飯の際、俺は妹にいくつものダンス練習予約がとられた事を言った。


「ほへえ、お兄ちゃんがねぇ」


 千香は間が抜けた顔をしながら、感心して見せる。

 と言っても半信半疑と言った態度だった。

 もっとも俺だって立場が逆なら同じような反応をしただろうから、責めるわけにもいかない。

 大体、どこの庶民が色んなお嬢様達の家に遊びに行くというのだろう。

 そりゃダンスの練習をする為なのは確かだが、それだけだと誰も思うまい。

 少なくとも俺なら信じないなあ。

 とりあえず今度は桔梗院家か。

 お土産代、結構やばい事になる気がするんだけど、どうしようかね。

 俺の小遣いでまかないきれるか……?

 この点を考慮してくれないあたり、やっぱりお嬢様だよなぁ。

 いや、ただの恨み言だな。

 微妙に情けない気もするし、これ以上は言わないでおこう。

 妹はずるずるとそばを口の中に流し込んでから、言葉を発した。


「でもまあ、お金で買えない経験をしている最中じゃない? ちょっとくらいの出費でガタガタ言わない方がいいと思うな」


 言いたい事は分かるが妹よ、両親の前でそれは禁句だぞ。

 俺達を養う為に、毎日夜遅くまで働いていてくれている事を忘れるな。

 俺の言葉に千香は真剣な顔をしてうなずく。 


「分かっているよ。でもさ、だからこそってあるでしょ?」


 うん? 何が言いたいんだ?

 妹の真意を探ろうと目をじっと見つめる。

 表情は真剣で茶化すような空気はない。


「だからこそ、私達も遠慮しすぎない方がいいんじゃない? お父さんとお母さんの性格的に」


 それは……否定できないな。

 俺が英陵を受験する理由を知った二人の顔は今でも忘れられない。

 嬉しそうな悲しそうな、そして申し訳なさそうな顔が。

 あまり遠慮しすぎるとかえって逆効果かもな。


「お前は少し図々しすぎるけどな」


 釘を刺すのは忘れないでおくけど。


「はーい」


 分かっているのかいないのか、妹は首をすくめて舌を出した。


「でもお兄ちゃん。バイトってできないの?」


 表情を目まぐるしく変える千香は、小首をかしげる。

 これは俺も以前から考えていた事だった。

 けどなあ。


「いや、できるできないって言うか、やるって発想がないんじゃないかな」


 これまでのパターンから想像するに、可能性は高いと思う。

 英陵の校則はあまり厳しくないが、誰かが実行すると想像すらしていないからだ。

 登下校中の寄り道や買い食いなどがいい例だろう。

 ほぼ車通学のお嬢様達だから、どこかに寄るはずもない。

 そもそもコンビニで買い物をした事すらないんじゃないだろうか?

 下手をすればスーパーを見た事がないって子までいるかもしれない。

 そんな学校だから、アルバイトをしたいと思う子など過去にいたはずはない。


「さすが英陵だね……」


 千香もげんなりした顔をする。

 予想を超えるお嬢様学校っぷりを改めて感じたのだろうか。


「一応、訊くだけ訊いてみるよ。打ち上げの件は通ったしな」


「そうだね。でも、打ち上げとバイトじゃだいぶ違う気はするなぁ」


 不吉な事を。


「止めてくれよ。嫌な予感がして胃が痛くなってくるから」


「てへ」


 千香は片目を閉じて舌をぺろっと出した。

 クソ、兄のひいき目を抜きにしても可愛い。

 英陵に行ってもこいつは浮かないかもしれないな。

 お嬢様ぶりという点に関してはどうしようもないけど、容姿だとそうそう負けてはいない。

 ただし、姫小路先輩や紫子さんにはとても敵わないだろうが。

 あの二人は文字通り別格だしな。


「あ、今、誰か他の女の子の事を考えていたでしょう」


 何で分かる。

 正直、驚きを隠せない。

 そんな俺の顔をじっと見た千香は、「ふふん」と笑って言った。


「女の勘、舐めちゃダメだよ。お兄ちゃん、割と表情に出やすいしね」


「そうなのか」


 悔しいが、こいつの言う事が外れているとも思えない。

 生まれた時からのつき合いだし、お互いの事は大体分かっている。

 おまけに俺は両親にも「お前は分かりやすい」と言われた事が何度もあるのだ。

 単にうちの家族が凄いだけなんじゃないかって気はするんだが、そうでない根拠がないのも事実である。


「もう、そんなんじゃ学校でも苦労しているんじゃない?」


「しているよ、既に」


 妹の問いに即答した。

 百合子さんとか他の子のお誘いとか、どう対処していいのか困っている。

 彼女達の本心も分からないし。

 千香ならある程度見抜けるかもしれないが、こいつをクラスメート達に会わせるのもなぁ。

 そもそも、お嬢様達をこの家に呼んでもいいものか。

 「男の家に行く」という選択肢が、あの子達に存在するのかという意味でだ。

 別にこの家の事を卑下しているわけじゃない。

 そりゃ、相羽の家にすら及ばないけど、それは分かり切った事だ。

 あっちは住む世界が違うお嬢様達なんだから。


「ほへえ。お兄ちゃん、モテているみたいだね」


「ぶはっ」


 脈絡もなく突拍子もない発言をされて、俺は文字通りお茶をふいた。

 元凶である妹は、何とお茶碗でしっかりガードしていた。

 とは言え、完全には無事とは言えない。


「もう、お兄ちゃん汚いよ」


 服や髪の一部が濡れてしまったので、ふくれっ面で抗議する。


「すまん。だけど、お前も悪いんだぞ」


 俺はそう指摘する事を忘れなかった。

 こいつがとんでもない事を言ったのが原因なんだから。


「むう」


 反省しているのかいないのか、一つ唸ると立ち上がってタオルを取りに行く。

 戻ってきてから尋ねた。


「モテているって何だよ。告白された事なんかないぞ」


「まあ、そういう意味とはちょっと違うかな」


 千香は微妙そうな顔をする。

 何だそりゃ、訳が分からないぞ。

 だが、いくら訊いても妹は教えてくれない。

 この日、何度も質問してははぐらかされるの繰り返しだった。



 数日後、今日は百合子さんの家に行く日だ。

 紫子さんには前回の礼を言って、今回は何を持っていけばいいのか尋ねてみた。

 呼んでくれた相手に訊くべきではないんだろうが、なりふり構っている余裕なんて俺にあるはずもない。


「そうね。わたくし達姉妹が好きなものがありますよ」


 安くはないが俺でも買えるレベルのチョコレートを持って家に行く。

 とは言え歩きではない。

 こう書けばもう既にお分かりだと思うが、黒塗りの高級外車の中である。

 やはりと言うべきなのか、一度学校の前まで行ってそれから迎えの車に乗り込んだのだ。

 そして桔梗院家へと到着する。

 ……実のところ、嫌な予感はあったのだ。

 相羽の家に行く時は大きな家が並んでいて、「高級住宅街」を通っているという感じがあった。

 ところが、今回は途中から高い塀が延々と続いていたのである。

 何かの施設かなと思うようにしていたのだが、実際のところは全てが桔梗院家の敷地だったのだ。

 家の外見自体はそこまで特別ではない。

 単純にバカデカいだけである。

 その為、家と言うよりはどこかのレジャー施設みたいに見えてしまう。

 相羽の家とは露骨なまでに格が違っている。

 あいつが自分の家を卑下するのにも、根拠がないわけじゃなかったのだと納得してしまった。

 車から下りると同時に玄関の扉が開いて百合子さんが姿を見せる。

 青いワンピースドレスっていいのか?

 首にはネックレスをしている。

 何だろう、もしかして白くて大きな粒は真珠? 


「赤松様いらっしゃいませ」


 太陽みたいな眩しい笑顔を向けてくる。

 ここまではまだいいと思う。

 全く予想していなかったわけじゃないから。

 問題は後ろに大勢のメイド服の女性と執事服の男性が揃っていて、一斉に頭を下げて「いらっしゃいませ」と唱和したのだ。

 百合子さん、いくら何でも気合入りすぎじゃないかな。

 ここまでやられるとドン引きです。

 何とか態度に出さないように心がけたけど、頬の筋肉が引きつっている事は自覚できた。


「お邪魔します」


 どうにかそれだけ言って中に招かれる。


「皆さんお待ちですよ」


 そうか、またしても俺が一番遅かったのか。

 距離と手間を考えれば仕方ないのかもしれない。

 皆はこの家の近くの高級住宅街に住んでそうだしな。

 ……この付近が「住宅街」なのかはこの際、考えないでおこう。

 まず、玄関がすごい広い。

 十人くらいは同時に靴を脱いだりはいたりできそうだ。

 更には内装もすごい。

 学校でも見た事あるような、派手ではないけど上品な感じがする調度品も置かれている。

 壺とか絵画とかがいくつも飾られているし、廊下も広かった。

 どこのホテルだよって言うか、下手なビジネスホテルとかよりずっと高級感が溢れているぞ。

 別世界に紛れ込んでしまった気分っていうのは、今みたいな気持ちの事を言うんじゃないだろうか。

 通された一室も煌びやかだった。


「いらっしゃい、赤松さん」


 出迎えてくれた紫子さんは、赤色のワンピースドレスである。

 多分だけど百合子さんとは色違いのお揃いだ。

 他に特筆すべき点はないんだが、この姉妹のような美少女達が美しく着飾ると、それだけで圧倒されてしまうような雰囲気が出る。

 相羽とデジーレも来ているが、二人とも前に見た時よりもいい服を着ている気がした。

 二人ともどちらも桔梗院姉妹が着ているようなドレス姿なのである。

 デジーレが赤で相羽が水色というのは俺のイメージと合致していた。

 こうして見るとデジーレはもちろん、相羽も華やかだ。

 女の子ってオシャレをすると化けるものなんだなあ。

 正直、美少女達にはある程度慣れたつもりでいたけど、少しもそんな事はなかったと分かった。

 と言うか、デジーレ、紫子さん、百合子さんは体のメリハリがはっきりしているんだな。

 体のラインがよく分かった。

 相羽は……うん、幼児体型じゃないんだからまだいいよ。

 手土産を百合子さんに手渡し、まずはお茶会といく。

 ダンスの練習に来たはずだが、練習しかしないと女の子達に失礼なのかもな。

 「世間話すらする気はない」みたいな扱いになってしまって。


「いかがですか?」


 百合子さんが意を決したような表情で、俺の方を見つめてくる。

 言うまでもなくドレスの感想だな。


「眩しくて目が潰れそうです」


 鼻血が出そう、だとお嬢様達相手だと下品かと思ったのでこういう言い方にする。

 あまり変わらないんじゃないかと思ったが、百合子さんと相羽が嬉しそうな顔をしながら真っ赤になったので、とりあえずは成功だよな。

 紫子さんとデジーレも微笑んでくれたけど、この二人の方には余裕がある。

 やっぱり男から称賛される事に慣れているんだろう。

 むしろ慣れていない方がおかしい美貌の持ち主だからな。


「ヤスもだいぶ板についてきましたわね」


 デジーレが俺のいでたちを褒めてくれる。

 これがすまし顔だったらもしかしたらムッとしたかもしれないけど、満面の笑みを浮かべながらだったので悪い気はしなかった。

 紫子さんも首肯する。


「女って意外と細かいところまで見るものなのですけれど、清潔感は大切ですよ」


 むしろ清潔感くらいしかセールスポイントにできないんだけどな。

 他の部分はどうすればいいのか分からん。

 正確に言えば上流階級の女の子達に好印象を与える事ができるのか、でだ。


「ありがとうございます」


 こういう事って将来の役に立つんだろうか。

 いや、大学にも行けるなら無駄にはならないのか?

 それに見る目が厳しいお嬢様達の目に晒され続ければ、多少はマナーがまともになるかもしれない。

 今のところあまりうるさく言われていないので、実のところ不安ではあるけど。

 庶民が二、三カ月であれもこれもできるはずがないって大目に見てもらえているんだろうか。

 直接訊けたら一番だけど、そんな事なんてできるわけがないよなあ。

 俺がそんな事を考えているうちに、土産が開けられてお茶が運ばれてくる。

 今日持ってきたのはオーソドックスなショートケーキだ。

 紫子さん情報によると、百合子さんはケーキに目がないそうである。


「もちろん、わたくしも好きですけどね」


 片目をつぶって見せた紫子さんはお茶目でチャーミングだった。

 お店に関してもやはりこっそり教えてもらったのである。


「美味しいー」


 相羽が口元を綻ばせた。

 一見すると行儀悪そうだが、きちんと口の中のものがなくなってからの発言である。

 庶民的なイメージを持ちがちだけど、彼女も立派なお嬢様なのだった。


「ヤスのお土産に外れなしですね。侮れない情報網を持っていますね」


 デジーレもそう感心してくれる。

 百合子さんは黙って舌鼓を打ちながら、時折同級生達に相槌を打っていた。

 紫子さんは優しく微笑んでいるだけである。

 少しも手柄顔をせず、俺の事を称賛しているかのような態度だった。

 最初はほっとしたり嬉しかったりしていたけど、とうとう罪悪感に負けてしまい、本当の事を言いたくなってしまった。


「いや、実は助言をもらっているんだ。こういうお店のこういう商品がいいって」


 両手を挙げて降参の意を示す。

 この動作自体にあまり意味はなかったが、何となく気分の問題だ。


「なるほど、そういう事でしたか」


 デジーレは納得がいったという顔をする。

 そりゃ庶民の男の俺が、お嬢様達を喜ばせる食べ物をホイホイ見つけられるわけがないからな。


「いい助言をもらいましたね」


 百合子さんがそう言ってくれたけど、俺としては少し困惑する。

 この子、俺のやる事なら何でもいいように解釈するようになっていないか?

 さすがに考えすぎだろうか。

 うん、ちょっと自惚れてしまったかもしれない。

 気を付けないと自意識過剰な痛々しい人間になってしまう。

 自分を戒めておこう。


「そうだね。感謝しているよ」


 誰とはあえて言わないし、紫子さんの方を見たりもしない。

 それでも紫子さんが嬉しそうにしているのは伝わってきた。

 それを百合子さんが目敏く気づく。


「お姉様……?」


 小首をかしげた妹に対して紫子さんは何も言わない。

 ただ黙って意味ありげに見つめただけだ。

 百合子さんにはそれで充分伝わったらしく、「なるほど」と小さくつぶやいてうなずいた。

 バレてしまったか。

 いや、隠しきれるとは思っていなかったんだけど、それでもいざバレたとなると落ち着かないな。

 相羽もデジーレも何となく気づいたようだが、口に出しては何も言わない。

 相手が紫子さんだから遠慮しているのかな。

 つい勘ぐってしまう。


「さて、そろそろ始めましょうか?」


 微妙になりかけた空気を読んだか、紫子さんがわざとらしく手を叩いた。

 同時にドアが開いてメイドさん達が入ってくる。

 いつも思うんだけど、ドアの外に待機しているのかな?

 中の会話とか聞かれてたりしないのか?

 それともメイドさんは家具や調度品と同じ認識だったりする?

 疑問がいくつも湧いてきたけど、皆は時間をくれなかった。

 確か限りがあるんだけどな。

 俺が案内されたのはダンスーホールだった。

 相羽の時とは違い「ルーム」ではなくて「ホール」である。

 具体的に言うと、馬鹿デカい敷地にダンス用の為の建物が一棟建っていたのだった。

 自宅の敷地にそんなものをわざわざ建てるなんて、一体どれくらい金持ちなんだろうか。


「服はどうしますか?」


 百合子さんが俺に尋ねてくる。

 どうやら貸衣装もどんな人間にも対応できるよう、あらゆるサイズが用意されているらしい。


「さすがに二メートル超えだと厳しいですけども」


 百合子さんはそう言って微笑んだが、俺は笑えなかった。

 驚きもここまでくるともう言葉が出ない。

 この日、色々教わったんだけど、正直あまり身にならなかった気がする。

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