3話
英陵学園の生徒達を乗せた飛行機は、とある孤島に無事に着陸した。
「凄いな」
俺としては他に言葉が見つからない。
しおりに書かれていた情報からそれなりに広く、自然もあるのだろうと想像はしていたのだが、目に飛び込んでくる情報には圧倒される。
車道の左右にはそびえるような木々が生い茂っていて、風に合わせて葉を揺らしているのだ。
遠くからだろうけど、鳥の鳴き声らしきものも聞こえてくる。
大自然が世界から切り離され、保存されていると言われても信じられるだろう。
飛行機から見た限りでは、周囲一面が海だったからなおさらだ。
一瞬「ガラパゴス」という言葉が頭に浮かんだほどである。
「自然もあると思っていたけど、これじゃ自然の中に施設があるって言った方がいいかもな」
そうつぶやくと同じ班の三人が相槌を打つ。
「ここまで見事だとは思わなかったよ」
相羽が感嘆の声を漏らす。
その言葉にひっかかりを覚え、俺は尋ねた。
「あれ? 皆はここに来た事はないのか?」
「ないよー」
相羽がそう答え、の二人もうなずく。
何だ、初等部か中等部で来た事があると思ったんだが。
顔に出ていたのか、こちらを見ながら恵那島が言う。
「ここは高等部になって初めて来るのですよ。中等部までは来れないのです」
「そうなのか」
俺はそう言って納得したように見せたが、内心では唸った。
高等部でしか使わないのに買って維持しているのか、ここ……。
金の無駄使いとまでは言わないけど、それに近いものがあるんじゃないか?
金持ちにしてみれば、年に何回か使うなら無駄じゃないって事かもしれないけど。
それこそ別荘みたいにさ。
釈然としない気持ちを抱えながらバスに乗る。
俺の気持ちを察したのか、隣の恵那島が疑問をぶつけてきた。
「赤松さんからすれば、理解できない事でしょうか?」
どうやらごまかし切れなかったらしい。
遠慮が混じった彼女の声に俺は正直にうなずく。
俺の価値観が彼女達のものとは違う事くらい、今更隠しようがないと思ったからだ。
「一種の環境保護にもなるのですよ」
恵那島はそう説明してくれる。
世界に広がる緑の減少を食い止め、生態系の保護にも一役買っているという。
学園の生徒達の為だけに使うならばともかく、そういった側面もあるので無駄ではないと力説した。
「もし、自然が手つかずで残っているなら、楽しみだな。川に魚とかいたりするのかな」
俺はそう切り出す事で、彼女の主張を認めた事を示す。
「そうですね。鮎はいるらしいですよ」
伝わったのか、頬を緩めて答えてくれた。
川魚は獲れたてを塩焼きにすれば美味いと思う。
でも、英陵でそういう事をやるのかな。
川をカヌーで下ったりするらしいけど……。
中学の時はアマゴ掴みとかやったもんだが、お嬢様達だからなぁ。
もしやるとするなら、俺が輝けるかもしれないという思いはある。
「鮎を釣ったりとかするのかな?」
会話を途切れさせない為にも実際に尋ねてみた。
大崎の表情には困惑の色が浮かぶ。
「そういう事はやらないと思いますよ。たぶん、誰も釣りをした事はないでしょうし……」
どこか申し訳なさそうだった。
俺が期待していると思ったのだろうか。
「あ、いや。言ってみただけだから。むしろ皆できる方がびっくりするよ」
そう言ったものの、返ってきたのはあいまいな笑みだった。
気を使ったと思われてしまったかな。
何となく停滞した空気になりかけた時、通路を挟んで右側に座っている大崎が話しかけてきた。
「赤松様は釣りがおできになるのですか?」
「え、うん。そんなに上手じゃないけどね」
とっさにそう答える。
別に謙遜ではなく、本当にあまり上手くないのだ。
もっとも、大崎が質問をしてきたのは、フォローみたいなものだろうけどな。
「男子は釣りが上手なのかと思っていたよ」
相羽がそう言って微笑む。
表情的に場を和ませようとしているのだと判断する。
「俺だって、女の子は料理が得意な子が多いと思っていたからなぁ」
この流れだと嫌みや悪口には聞こえないだろうと思ったのだが、狙い通り大崎も相羽も、そして恵那島も笑ってくれた。
「私達、普段包丁も針も持たないですからね」
恵那島がそうつぶやく。
どこか後ろめたそうだ。
「練習が大変でした」
そして大崎が大真面目な顔で言う。
三人の手には絆創膏がいくつも貼られている。
きっとオリエンテーションに備えて練習してきたのだろう。
俺任せにしたくないという想いの表れだと解釈できる。
こういうところはとても好ましい。
今のところ、絵に描いたような高飛車お嬢様を見かけないのは、英陵の校風によるものなんだろうか。
「俺も一応練習したよ。皆に変なものを食べさせないように」
そうやっておどけてみたら、三人はくすくす笑った。
どうやら信頼されているらしい。
あまり期待されていないといいんだが。
味見係を務めた千香は「余計な事をしなきゃ、食べものは出せそうだね」と感想を言っていた。
食べもの絡みだと辛辣になるので、まあ信用していいだろう。
問題は、彼女達の舌に庶民の味が通用するか、という点にある。
考え出すとキリがなくなってしまいそうだから、あまり考えないようにしていた。
「皆で頑張りましょうね」
大崎が言って話は一旦しめくくられる。
少し気が早いようだが、雰囲気がいい感じなったんだし、よしとしよう。
バスが通っているのは、林か森の中と言えそうなところだ。
アスファルトで綺麗に舗装されているし、曲がりくねっていたりしているわけではない。
だからこそギャップを感じさせられる。
そのうち野生動物でも飛び出してくるんじゃないかって思うくらいだ。
まあ、お嬢様達に危険が及ばないよう、クマとかは退治されているだろうけどな。
リスくらいならいるかもしれないと想像してしまう。
皆に期待させたら悪いので口には出さないでおこう。
女の子って小動物系が好きなイメージが強いし。
もしかすると俺の勝手なイメージかもしれないけど、実際のところは分からないからな。
施設の外見は高級旅館とでも評するしかなかった。
白くて立派な四階建てで、ホテルと言うにはちょっと高さが足りない。
そんな勝手な事を考える。
だが、三百人程度が宿泊するなら、むしろ立派すぎるとも思う。
うちの学校、やっぱり金あるんだなーというのが正直な印象である。
玄関でスリッパに履き替え、一度各自の部屋に荷物を置き、それから昼食という運びになった。
建物の中に入っても印象はあまり変わらない。
落ち着いた雰囲気で、見るからに高級そうなもの、派手な色合いのものは何も置いていなかった。
成金っぽさとは無縁なのは学校と同じと言えるだろう。
もっとも、俺が分からないだけで高級なものを使っている可能性は否定できない。
さて、今の問題は俺の部屋だな。
少なくとも同級生の隣って事はないと思っていいはずだが、建物の構造的にどこならいいんだろうか。
三人の班員が「また後で」と手を振ってきたので、振り返して別れる。
そして小笠原先生を探す事にした。
先生はすぐに見つけられたが、他の同級生に部屋割りの指示を出しているようだったので、壁に背を預けて待つ事にする。
誰もいなくなった段階で先生はこっちに向き直った。
どうやら俺が待っていた事はバレバレだったようです。
「お待たせてしまいましたね、赤松君」
声には申し訳なさが滲んだが、表情は相変わらずクールなままだ。
「いえ、お気になさらず」
失礼に当たらないよう、そう答えておく。
「あなたの部屋ですが、教員側になります。さすがに女子生徒達の側にするのは、風紀的にも外聞的に問題がありますから」
「はい、よく分かります」
どうせそんな事だろうと思っていたので驚きはない。
「私の隣になりますから、一緒に行きましょうか」
先生はそう言って歩き出したのでその後をついていく事にした。
廊下には赤い絨毯のようなものが敷かれているし、高そうな花瓶には見事な花が活けられている。
残念ながら名前は分からないが、芳香は漂ってくる事に違いはない。
それにしても小笠原先生だって若くて綺麗な女性なんだが、男の側でも問題はないんだろうか。
……単純に先生と生徒でって発想がないのかもしれないな。
覚悟の上でとか言われたらさすがにちょっとなあ。
なんて考えるのは先生に対して失礼かな。
荷物を置いて食堂へと向かおうと思ったが、場所が分からない。
誰かに訊くか後についていけばいいと思い直し、歩を進める事にする。
すると一人のメイド服を着た女性を見かけたので声をかけた。
「すみません。食堂に行きたいんですけど、ここからどう行けばいいですか?」
うら若き女性は俺を見て一瞬驚き、ついで納得したような顔になり、最後に微笑を浮かべて答えてくれる。
「ご案内いたします。こちらへどうぞ」
軽やかな声と足取りで歩き出したので、甘える事にした。
「いつもこちらにお勤めなんですか?」
場をもたせる為に質問をしてみると女性は否定する。
「いいえ。普段は別の職場で、毎年この頃になるとこちらに派遣されてくるんです。人手が必要になる時期限定というわけです」
なるほど、学生達が大量に来ないなら、そこまで人員は必要じゃないもんな。
というか、今の口ぶりだとこの人はメイドが本業なのか。
いるところにはいるもんなんだなあ。
これまではフィクションの世界でしか知らなくて、本物を見たのは今日が初めてだが。
「食堂」と達筆に描かれた文字が上の方に見えてきた。
入口の向こうには既に何人もの女子が着席している。
ここまでで大丈夫だと断ろうとした時、メイドさんは振り返って笑顔で訊いてきた。
「失礼ですが、クラスはどちらになりますか?」
「七組ですが」
それがどうかしたのかと言いかけて、すぐに己の失敗に気づく。
メイドさんはすっと中に入り、手で七組の席を示してくれたのだ。
「あちらになりますね。それでは何かございましたら、お気軽にお申し付け下さいませ」
見事に一礼して去っていく。
それはいいのだが、周囲からの一斉に注目されてしまっている。
迷子になって連れて来てもらったと大々的に告知されてしまったようなもので、俺は顔から火が出るような気分になりながら、こそこそと教わった場所を目指す。
メイドさんに悪気は全くなかっただろうから怒れないけど、ちょっとしたさらし者になっている気分だ。
救いなのは誰も俺を見て笑ったりしていない事だろうか。
何となく小さな子を温かく見守っているお姉さんのような、そんな曖昧な感じの表情な気はするんだけど。
並びの中に相羽達を見つけたのでそちらに向かう。
テーブルは四人一組タイプで、既に料理らしきものは並べられている。
一つあいている椅子に座ると隣の相羽がそっと話しかけてきた。
「ここ、分かりにくかった?」
声に嘲りの色はなかったので、俺も素直に答える。
「場所を訊いたら、親切にここまで案内されたんだよ」
そこまでしてもらわなくてもよかったのに、という思いを言葉に込めた。
すると正面の大崎が口を開く。
「私の時もそうでしたから。とにかく親切な対応をして下さいます」
斜め前の恵那島もうなずいている。
これはもしかしなくても、俺と同じように懇切丁寧な案内をされた子は結構多いんだろうか。
だから皆、何とも形容しがたい顔だったんだろうか?
まあ、恥ずかしい気分を引きずっていても仕方ない。
気持ちを切り替えるべく、昼食を確認した。
お膳の上には白いご飯、たくあん、きゅうりの漬物、味噌汁、焼き魚、出し巻き卵、ごま豆腐、野菜の天ぷら、はまちとマグロの刺身が乗っている。
それから小型の鍋とでも言うべきものに木のふたがされていた。
火はまだついていない。
結構豪華で美味しそうではあるけど、俺にはちょっと足りないかも。
残す子がいればもらえるんだが……食べかけを男に譲るって事に抵抗がある子はいるかな?
誓ってそんな気はないものの、傍目から見れば間接キスみたいなものだろうしなぁ。
手つかずのものなら遠慮なくもらえそうではあるけど、そもそも皆が残す前提ってのもな。
ひとまずは確認作業からやってみよう。
「相羽は苦手な食べものとかある?」
「え? うーん、あるけど、ここに出ているものは大丈夫かな」
どこかすまなそうな顔で返事をされてしまう。
残念ながら第一の作戦は空振りに終わったが、諦めるにはまだ早い。
次の標的に恵那島と大崎を選ぶ。
「恵那島と大崎は?」
「私は特に何も」
大崎が申し訳なさそうな顔になる。
うん、相羽と同じで俺の真意に気がついているんだろうな。
最後に恵那島だったが、
「私はお刺身が苦手なんです」
とこちらはどこか期待した顔だった。
ラッキーと思ったけど、とりあえずは待っておく。
さすがに食べ始め前にもらうのは問題だろうと思ったのである。
全員が揃ったのを確認し、学年主任が一言あいさつをした。
そして一組の学級委員長と副委員長が前に出てくる。
「いただきます」
全員で唱和して食事がスタートした。
このあたりはそこらの学校と同じなんだなと思う。
さて、どのタイミングで切り出そうかと恵那島の方を見ると、ばったり目が合ってしまった。
「えっと、よろしければ召し上がりますか」
そう言ってお皿を差し出してくる。
何だか催促をしたようで申し訳なく思いつつ、皿を一旦受け取った。
そして刺身を俺の皿に移して返却する。
「ありがとう」
「いえ、こちらこそ」
俺達はそんなやりとりをするが、考えてみれば奇妙かもしれない。
少なくとも相羽と大崎を含めて数名は、俺達のやりとりに気づいているはずだが、誰も騒がなかった。
見て見ぬふりをしていてくれるのか、それともこういう事は黙認されているのだろうか。
いずれにせよ、万が一の為に証拠を隠滅しよう。
刺身を醤油につけて口に放り込むと驚いた。
美味い。
俺の舌や表現力じゃ他に言いようがない。
刺身ってこんなに美味いものなのか?
それじゃ俺が今まで食べていたものは一体……これが金持ちとの格差なんだろうか。
俺以外に驚いているような子はいないようだ。
皆、当然と言わんばかりの顔をしている。
もしかして学食とかもこんなレベルの味が出ているんだろうか?
ずっとお袋に弁当を作ってもらっていたから利用した事はなかったんだが……お袋には悪いが、大きな損をしていた気分になってしまう。
俺なら無料で利用できるはずだから、今度行ってみようかな。
そこまで考えた時点で、入学して一週間かそこらの身じゃ学食に行くのは精神的なハードルが高かった事を思い出した。
今回のオリエンテーションで、特定のクラスメート以外とも仲良くなれたら、少しは行きやすくなるのかもしれない。
いずれにしても、たった一切れで俺の気分を変えた刺身は恐るべしだ。
刺身でこれなら、他のものもと思って恐る恐る手を出す。
やばい、天ぷらも美味い。
衣がサクサクしていて、それなのに少しも油っぽくない。
油の差だけじゃ説明がつかないよな?
焼き魚も身がほろりと崩れるし、塩もいい感じできいている。
……俺が庶民なのだと改めて思い知らされていた。
やっぱり学食に行くのは止めようかな。
舌がこのレベルの味に慣れてしまったら困る。
おれがこんな味を体験できるのは、せいぜい英陵を卒業するまでだろう。
それが終われば、また庶民の生活に戻らなければならないんだ。
だったら、さっさと忘れた方がいいに決まっている。
うちのお嬢様達とは住む世界が違うのだろうとはぼんやりと思っていたが、こんなところで思い知る羽目になるとはな。
そして更に一言。
英陵、絶対金に困っていないだろう。
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