第3話

「明日は始業式、クラブ紹介があります」


 教室に戻った小笠原先生は淡々と説明する。


「自己紹介、委員決めも明日してもらうつもりです」


 あれ、そういうのは今日じゃないんだ。

 今日は本当に入学式だけなのか……。

 本音を言えば、自己紹介くらいはしてほしかったな。

 頑張って顔と名前を憶えていかないと、仲よくなりようがないし。

 相手が男なら、とりあえずキャッチボールでも何でも誘って、「ところでお前の名前何だっけ?」なんて手も使えるけど、女子相手にそれは無理だろう。

 バレーでもいいんだけど、この学校の女子って休み時間にバレーしたりするんだろうか?

 どちらかと言えば音楽室にでも集まって楽器を演奏したり、コーラスをしたりしそうだ。

 お嬢様に対する偏見かもしれないけどね。


「本日はこれで解散します。赤松君、号令をかけてくれますか?」


「え、はい」


 突然振られて焦る。

 あたふたと立ち上がり声を絞り出した。


「起立、礼」


 俺の声に合わせてお嬢様達は礼をする。


「皆様ごきげんよう」


 女子達の挨拶に俺はぎょっとした。

 ごきげんようなんて初めて聞いたよ……と同時に、やはりお嬢様達なんだと認識を新たにする。

 号令をかける時、うわずったりどもったりしなくてよかったよ。

 初日からマイナス印象を植えつけたくはないもんな。

 さて、解散となったわけだけど、これからどうしようか。

 中学時代までなら、仲のいい奴の一人や二人いたもんだから、そいつのところへ行って駄弁ったりしてたんだけどな。

 相羽やデジーレに声をかけて、もうちょっと話でもしてみようか?

 少なくともデジーレなら、気にせずつき合ってくれそうだ。

 そう言えば、相羽は隣だけどデジーレの席はどこだ?

 俺が例の金髪少女の顔を探すと、お目当ての人物は四人に囲まれている。

 うわ、マジかよ……さすがにあの中に入っていくのはちょっとな。

 あの性格なら友達だって多いだろうし、仕方ない事なのかもしれない。

 今日のところは諦めた方がいいかな。

 せめて相羽はどうだろうって思って隣を見ると、ちょこちょことデジーレの方に入って行って、何と談笑の輪に加わった。

 な、何だと……俺は半ば呆然としてしまう。

 これじゃお手上げじゃないか。

 他を見回しても、皆それぞれがグループを作っている。

 中学の時の同級生みたいにでかい声をたてたりはしないが、上品なさざめきは発生していた。

 俺は言いようのない孤独感を覚え、そっとクラスを退出する。

 俺以外が内部生揃いだったなら仕方ないかもしれない。

 そう言いわけをしながら。

 廊下に出ると俺以外にも人影はあった。

 どうやらまっすぐに帰宅する子は一定数いるらしい。

 情けない話だが、ほんの少しだけ安心してしまった。

 寂しく帰るのが俺一人じゃなくてよかった。

 少しだけ足取りが軽くなったけど、何と言うかやはり視線らしきものは感じる。

 動物園にやってきた珍獣みたいな感じだな。

 どの子も遠慮がちにそっと見てくるから、あそこまで酷くはないかもしれないけど。

 いずれにせよ、前途多難っぽいなぁ。

 下駄箱で靴を履きかえ、ため息をつく。

 玄関を出れば満開の桜が視界に飛び込んでくる。

 来る時は立派なものだと素直に楽しめたものだが、今は何だか慰めてもらっているような気分だ。

 見る方の気持ち一つで全然違うもんなんだなぁ。

 桜の花びらが落ちている道を歩いていく。

 周囲には女子や迎えに来たらしい保護者、あるいは護衛らしき人達がいる。

 車が周囲にないのは専用の駐車場でもあるんだろうか。

 ……あっても別におかしくないか。

 体育館も教室も空調機が完備されているような学校だし。

 資産家達の寄付か何かで作られていそうだ。

 気のせいでなかったら、護衛らしき人達が俺の事を警戒するような目で見ている。

 大切なお嬢様につく悪い虫になったりしないか、観察しているんだろうか。

 心配する気持ちが分からない事はないけど、ただでさえ胃が痛いのに、更にきつくなってしまう。

 護衛の人達はそれが仕事かもしれないが、こっちの身にもなってくれよ……。

 色んな人の視線を集めながら、俺は帰路についた。

 案内をしてくれた先輩は、残念ながらどこにも見当たらない。

 今頃は体育館で後片付けをしていたりするんだろうな。

 ああいった人や生徒会長、デジーレや相羽みたいな子と仲よくなれたら嬉しいんだけど。

 そんな事を口に出すのが怖い空気ではある。

 せめて男子が他にもいるなら、この気持ちを分かち合えるかもしれないのに……。

 家に到着すると鍵を開けて中に入る。

 お袋は仕事でいないはずだ。

 玄関の鍵をしめてリビングに行くと、テーブルの上にメモ紙が置かれている。

 昼食は冷蔵庫の中という事なので開けて確認してみた。

 オムライスに鶏肉の唐揚げ、コーンポタージュか。

 俺の好物ばかりって事はちょっとしたお祝いなんだろう。

 後、入学式に参加できなかったお詫びと。

 俺が英陵学園を受験したいと言った時の二人の顔は忘れられない。

 ……いつまでもくよくよしてちゃいけないな。

 心配させない為にも、あの学校で頑張っていかなきゃいけないんだ。

 とりあえず服を着替えて、クラブについて調べてみるか。

 学校のしおりに一覧は掲載されていたはず。

 それと学校のホームページだな。

 どれほどの情報があるのか知らないが、活動内容くらいは期待してもいいだろう。

 自分の部屋に行って鞄を置き、着替えてから机の上に放っておいたしおりを手にとる。

 えっと……一応運動部も見ておくかな。

 陸上部、バスケ部、テニス部、弓道部、なぎなた部、合気道部、水泳部、ソフトボール部の八つか。

 あれ? 何か少なくないか?

 野球やサッカーがないのは分かるけど、空手や柔道部もない。

 合気道部やなぎなた部なんかに吸われているのかな。

 確かに空手や柔道よりは合気道って方がお嬢様っぽいけど……。

 まあ、運動部は俺と縁がないだろうから、文化部に移ろう。

 華道部、料理部、手芸部、書道部、美術部、筝曲部、日本舞踊部、茶道部、放送部、コーラス部、文芸部、日本郷土史研究会、ESS、コンピュータ部か。

 運動部と比べて多いのは、やはりお嬢様学校だからだろうか。

 お嬢様の習い事って茶道、華道、琴、日本舞踊って感じだし。

 偏見かもしれないけどさ。

 しかし、ダンス部や吹奏楽部ってないんだな。

 筝曲部や日本舞踊が代わりなのかな?

 少なくともこの二つは論外だな。

 初心者、しかも男が入部してやっていけるとは思えない。

 初心者の男がきついって意味じゃ、茶道や華道、料理、手芸あたりもか。

 コーラス部や美術部も部のレベル次第だろうけど、初心者にはハードルが高いよなぁ。

 俺が入っても支障がなさそうなのは、放送部、文芸部、日本郷土史研究会、ESS、コンピュータ部くらいか。

 他は女子だけってのはきついけど、そんな事を言っていたらそもそも英陵を選ぶなって事になるし。

 この中で選ぶとしたら、放送部かコンピュータ部かな。

 部活見学会に行ってから判断する事にしよう。


「たっだいまー」


 元気でよく通る声が玄関の方から聞こえてきた。

 千香の奴だな。

 軽快なリズムの足音がまっすぐこちらに向かってくる。

 止まった瞬間、勢いよくドアが開いて一人の女の子が飛び込んできた。


「お兄ちゃん、ただいまー」


 抱き着くと言うよりは体当たりしてきたのは、妹の千香である。

 残念な発育の為、柔らかい感触などなく痛いだけだったりするのだが。


「お帰り。まずノックしろよ」


 挨拶を返しつつ、釘を刺しておく。

 毎回のように言っている事なのでたぶん今回も効果はないだろうけど。


「えへへ、ごめんなさい」


 ちろっと舌を出してえくぼを作って距離をとる。

 兄のひいき目が入っているんだろうが、結構可愛い。

 具体的には一年七組にいてもおかしくないくらいにって、これじゃ兄馬鹿だな。


「で、英陵はどうだった?」


 好奇心で両目を輝かせながら尋ねてくる。

 こいつは自分も英陵に行きたいと思っているのだ。

 女子も学費免除の特待コースは存在するけど、偏差値はべらぼうに高い。

 こいつで大丈夫なのかなぁって思うが、そういう事を聞きたがっているわけじゃないだろう。


「教室と体育館くらいしか見てないけど、見た目は意外と普通だぞ」


「え? そうなの?」


 千香はきょとんとした顔をする。

 まあ、気持ちは分からないではない。

 正直、俺も似たような感想だったし。


「うん。何か学校全体にいい匂いがしていたのと、セキュリティ関連がしっかりしていそうだったのを除けば普通じゃないか? ああ、空調機は完備っぽかったな」


「え〜、それって私立だと珍しくないんじゃ?」


 妹が口をとがらせて首をかしげる。

 どんなすごいエピソードが飛び出すのか、と期待していたら肩透かしを食わされたって感じか。

 そんな事を言われても普通な点は普通だったんだ。


「俺のせいじゃないしなぁ」


「むぅ〜……まだ初日だしね」


 しぶしぶと言った感じで納得してくれた。

 あ、二つほどあったか。


「そういや、挨拶がごきげんようだったな。あれにはびっくりした」


「へええ、本当にごきげんようなんだ?」


 千香は目を丸くする。

 まあこれは俺も都市伝説的な何かだと思っていたしなあ。


「おう。問題なのは俺も言わなきゃいけないかもしれないってところだな」


 そうぼやくと妹は盛大に吹き出した。


「に、似合わないよ、お兄ちゃん」


 腹を抑えて体を震わせている。

 必死で笑いを殺しているのだろう。

 自覚はあるので失礼とは思わん。


「そりゃそうだろ。お嬢様の挨拶が似合う男がいたら気持ち悪いわ」


「た、確かに」


 目に浮かんだ涙をぬぐってやる。

 笑いすぎじゃないかと思ったが、立場が逆なら俺も爆笑したかもしれない。


「他には何故か右隣の子の名字が相羽だったな」


「え? 右隣が?」


 妹の目が丸くなる。

 やっぱり変に思ったか。

 俺達が知っている限り、名前の順で席を決める場合、前から後ろになるのが普通だ。

 男子が先だとしても相羽の席は俺の後ろになるはずである。


「前から後ろじゃなくて、左から右なのかな?」


「かもしれないな」


 千香の言葉に俺は賛成する。

 他に考えようがなかったからだ。

 「へー」と言いながら妹は更に質問をしてくる。


「ところで部活はどうするの?」


「うん、ああ放送部かコンピュータ部にしようかと思ってな」


 どちらかは決めていないと言うと、興味深そうに俺の背後を覗き込む。


「ふーん。しおり、見てもいい?」


「おう」


 置いていたしおりを取って手渡してやる。


「ありがとう」


 千香はベッドに腰を下ろしてページをめくった。


「あ、本当に普通なんだね」


 校内の写真を見て言う。


「うん、もしかしたら俺達じゃ分からない高級品かもしれないけどな」


「あー、ありえそー」


 納得したらしい。

 本物の金持ちは美的センスもいいって聞くからだろうか。


「今日見た限りじゃ、派手な子はいなかったしな」


 唯一の例外はデジーレだけど、あいつはそもそも外国人だし、身だしなみはきちんとしていたし。


「ふーん。どんな人達だったの?」


「身だしなみをきちんとしていたし、髪を染めたり化粧してそうな子はいなかったな」


 俺が思い出しながら言うと千香はしおりから顔をあげた。


「え? ナチュラルメイクもしていなかったの?」


「いや、俺じゃそこまで分からんし、そもそも顔をじろじろ見れないよ」


 相羽とかデジーレとか、すれ違った女の子の顔はチラ見できたけどな。

 さすがにそれだけじゃ分からない。


「そりゃまあそうだよね。初対面の男にじろじろ見られるなんて、女の子にとっては気持ち悪いだろうし。お兄ちゃんの割には上出来じゃん」


 へタレっぽかったかなあと思ったけど、どうやら間違いではなかったようだ。

 ただ、言われっぱなしというのもしゃくだったので、


「お兄ちゃんの割にってのは余計だ」


 鼻を指先でつついてやる。


「ひゃん」


 妹は妙な声を出して鼻を抑えた。

 何だ、その反応……。


「もー、お兄ちゃんのえっち」


「どこがだよ」


 俺は呆れた。

 ムキになるのも馬鹿馬鹿しいので、しおりを指さして言う。


「読まないなら返せよ。そして服を着替えろ」


「お兄ちゃん、お母さんみたいに口うるさいー」


 千香はふくれっ面になりながら、再びしおりをめくり始める。

 俺は黙ってその隣に腰を下ろす。


「参考になるか?」


「うん。と言うか、運動部って少ないんだね」


 妹の視線の先には部活一覧があった。


「ああ、お前もそう思ったか」


 どうやら同じ事を考えたらしい。

 さすが兄妹って言ったら、嫌がるだろうか。


「筝曲部や日本舞踊部があるのはさすがって感じだけど」


 この点でも同感である。

 俺がうんうんうなずいていると、隣の顔が悪戯っぽいものに変わった。


「お兄ちゃんと同じなんてショックー」


「そうかそうか」


 適当に答えておく。

 だったらまず俺と同じ学校を志望するなって話だが、言わないでおこう。

 本気で言っていない事は明らかだし、大人げない気もするからな。

 まともに取り合わないでいると、ころっと表情を変えて尋ねてくる。


「で、お兄ちゃん、部活はどうするの? 日本舞踊部にでも入るの?」


「お前な」


 千香恒例の兄弄りである。

 こっちとしては苦笑するしかない。


「俺がお嬢様達に混ざって日本舞踊やっているところを想像してみろよ」


「……気持ち悪い」


 顔でも表現する妹の頭を軽くはたく。


「じゃあ言うなって事だ」


「へへへ」


 またしても舌を出す。

 今回のはただのごまかし笑いだな。


「でも実際困ってはいるんだよ」


 そう心情を吐露する。

 千香の言動が俺を心配してのものだとは分かっているからな。


「放送部かコンピュータ部ならそんなに戸惑わなくていいと思っているんだが」


「ああ、お兄ちゃん、ブラインドタッチはできるもんね」


 したり顔での推測を首肯する。

 ブラインドタッチができたから何だと思われるかもしれないが、何もできるものがないよりはマシだろう。


「でも中等部ではどうなのか、という問題もあるんじゃない? 中等部からやっている子が多いとか」


「ああ、それは考えていなかったな」


 そこまでは気が回らなかったというのが正しい。

 確かに中等部から部があり、高等部でもそのままってパターンはありえる。

 それが一番きついな。


「それに一番の問題は男を受け入れてくれるかどうかなんだけど、こればっかりは行ってみないと分からないからなぁ」


「男子禁制だったらどうするの?」


 妹の顔がやや真面目なものになる。


「うん? じゃあ共学にするなって思うな」


 おどけて言うとプッと吹き出す。


「そりゃそうだね。取り越し苦労だったらいいね」


「おう」


 もちろん願望がこもっているのだが、言わぬが花というものだろう。


「お前の方はどうだったんだよ?」


 こいつの通う中学(俺も卒業した)も今日が入学式であり、こいつは生徒会役員として手伝いにかり出されていたのだ。


「うん? 特に変わった事ないよ。子供っぽい子が多いなーってだけ」


「そりゃ、つい最近まで小学生だったんだからな」


 そんな急に大人びたりはしないだろう。


「うんー。私はどうだった?」


 何を期待しているのか、俺の目を見つめてくる。


「ガキだったな」


 ばっさり切って捨てておく。


「えー、ひどいよ、お兄ちゃん」


 風船のように頬を膨らませる。

 睨んでくるが少しも怖くはない。


「そういうところがガキだって話なんだよ」


 頬をつまんで伸ばす。


「い、いひゃいよ」


「大して力入れてないだろ」


 すぐに離しながら、それでも大げさな訴えは却下する。


「もー、お兄ちゃん、女の子に優しくしないと、学校で嫌われちゃうよ?」


 頬をさすりながら憎まれ口を叩いてきたので、応戦してやろう。


「お前以外には優しいから安心しろよ」


「ひどっ」


 目を見開き、「がーん」と声に出す。

 ふざけているようでいて、割と本気でショックを受けたっぽい。


「冗談だ」


 そう言って髪の毛を優しく撫でてやる。


「むむむ……私の心は深く傷つきました。もっと撫でてくれないと治りそうもありませーん」


 頭を俺の目の前にずいっと差し出してきた。

 相変わらず甘えん坊な奴である。

 頬を緩ませながらゆっくりと撫で続ける。


「ちょっとは癒されたか?」


「だめでーす。まだまだ必要なの」


 そう言うと俺の太ももに頭を乗せてくる。

 まるでブラコンみたいだな、こいつ。

 俺はそっと襟を持ち上げてふっと息を吹きかけた。


「にゃあっ?」


 びっくりしたのか、ぴくんと反応した。


「えっち、スケベ、変態、痴漢」


 膝から転がり落ち、見上げながら猛烈に攻撃してくる。


「兄妹なのに何を言ってやがる」


 小学校を卒業するくらいまで一緒に風呂入っていただろうが。

 小六の妹と風呂に入っているって言ったら、友達がびっくりしていたんだぞ。


「むー。変質者が反省していない。よし、英陵に行って兄は痴漢だから気をつけてって言いふらそう」


「それだけは止めろ。俺の高校生活が詰む」


 人を疑う事を知らなさそうなお嬢様達の顔を思い出しながら、俺はストップをかける。

 こっちの本気さが伝わったのか、千香はニヤリと笑った。


「ふっふっふ。女社会で嫌われたら、それはもう恐ろしい展開に。今なら口止め料を受けつけておりますぞ」


「調子に乗るな」


 頭にチョップをお見舞いする。


「いたっ。もー、お兄ちゃん、ノリが悪いよ?」


「ノれる事とノれない事がある」


 頭をさする妹に釘を刺しておく。


「かしこまりました、隊長」


 立ち上がって敬礼する。

 俺も立ち上がり頭を撫でてやった。


「着替えてこい」


「あいあいさー」


 今度はあっさり了解し、部屋を出ていく。

 やれやれ、台風一過って感じだったな。

 それにしても、女社会で嫌われたら恐ろしい展開か……俺、大丈夫かな。

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