15
いつまでも誰かを頼ってはいられないと思う。
翠子さんは今年で卒業してしまうんだし、来年は紫子さんも。
思い切って言ってみる。
「えっと、みんな高校、大学を卒業すれば、もっと素敵な人と出会うだろう。いいところの御曹司とか、バリバリのエリートとか」
だから全員俺のものなんていうことが、起こり得るはずがない。
冷静になってもらおうと現実を指摘したつもりだった。
ところが、何故かみんな不思議そうな顔をして、可愛らしく首をひねる。
「どうしてですか?」
百合子さんまでが何を言っているのか分からないという表情だ。
「えっ? だってみんな家のために結婚相手を選ぶんじゃないの?」
英輔さんが言っていたことを忘れたわけじゃないけど、あれはあくまでもあの人の個人的な意見だと思う。
思っていたんだけど……何だか雲行きが怪しいぞ。
小早川が代表するように言う。
「どうしてそんな成り上がり者みたいなまね、私たちがしなければいけないの?」
「えっ?」
今度は俺がきょとんとする番だった。
デジーレが小早川に代わって口を開く。
「わたくしたちの家、伴侶一人で左右されるほど脆弱ではありませんわ」
「私たちを娶りたいと思っている殿方がどれだけいらっしゃるか分かりませんが、出自や能力でだけで私たちを娶る資格があると思われても困りますよね」
別のお嬢様も困惑気味に話す。
「財産の管理や会社の経営なんて、優秀で信用ができる人間に任せればすむでしょうに。どうしてわざわざ結婚相手に選ぶ必要があるのでしょう?」
「契約書なしでも裏切らない人はいますし、裏切る人は結婚した相手でも裏切りますよね?」
「伴侶一人に未来を委ねるより、それぞれの分野のエキスパートたちを集めた方が、全体として安定するのではありませんか? その人たちをまとめあげるリーダーが別途必要になるかもしれませんが」
すさまじい会話がポンポン飛び交っていて、口のはさみようがない。
とりあえずお嬢様たちにとって「家や会社のことを考慮して結婚相手を選ぶ」という発想そのものがないということは理解した。
そういう考えは成り上がりもの特有ってことなのかな?
たしかに今更発展とか考える必要がある家なんてなさそうではある。
相羽はどうなんだろうとふと思ったけど、デジーレの言葉にこくこくうなずいていた。
ウィングコーヒーは新興勢力ではあるはずなんだが、彼女や彼女の家の考えはここのお嬢様と同じらしい。
俺の視線に気づいたらしい相羽は、にこりとしながら言う。
「好きではじめた事業が当たっただけだから、お前も好きなように生きろって言われたよ」
そうなのか。
自分の事業を子供に継いでほしいと思う人は多いようなイメージだったけど、実際に成功するような人はさすがなのか?
お嬢様たちの格が違いすぎて、俺じゃもうどうにもならないな。
何やら出口を見つけたとドアを開いてみたら、行き止まりだったような心境だ。
「……この国は一夫一妻制です」
口に出してから俺はいったい何を言っているんだろうと思ったが、もう遅い。
「法律? 変えればいいだけでは?」
二年のお姉さまがそのようなことを言う。
法律は変えればいいって発想が怖いんですが。
「そうよね。何なら一夫多妻を認める国の永住権を取得すればいいのだし」
お嬢様たちが楽しそうに言い出したため、目を白黒させているとデジーレが得意そうな顔をする。
「わが祖国は元々一夫多妻です。ヤスヒロがわが国でわたくしと結婚すれば、その時点で多妻を持つ権利を得ることになります」
法律を変える必要すらないだと……。
お嬢様たちは歓声をあげたが、俺は笑えない。
「ただし、その場合日本国籍を失うことになります。この国は二重国籍を認めていませんから」
あ、そうなんだ……じゃなかった。
このまま勢いに任せたままというのは絶対にまずい。
ヘタレだろうが何だろうが、いったん冷却期間を置いたほうがお互いのためになるはずだ。
「ま、待ってくれ」
俺は必死に声を張り上げる。
「一生を左右するような問題、俺たちだけで決められるはずがないと思うんだ」
お嬢様たちもこれを聞いてようやく冷静な判断力を取り戻したのか、「たしかに」と言う。
「お父様とお母様にお話しないと」
「賛成していただけるかしら」
さすがのお嬢様たちも親の許可が出るかどうかという点では不安らしい。
とても申し訳ないのだが、こっちとしてはむしろ安堵する。
問題を先送りしただけの気もするけど、とりあえずこの場はしのげたと思う。
幸い、昼休みの終了時間が迫っていることを告げる予鈴が鳴ったため、お嬢様たちは慌てて教室に戻っていく。
誰も走りださないあたりはやはり英陵というところだろうか。
感心しながら俺も教室へと向かう。
遅刻について英陵は厳しいのだ。
もっとも、やむをえない事情以外で遅刻した人はまだいないようだが。
午後の授業が終わった休み時間にお嬢様たちに取り囲まれるということはなかった。
ただし、あちらこちらで何やら噂話の花が、百花繚乱な状態になってしまっている。
全員もらう発言を心底悔やんだものの、後からしかできないから「後悔」というのだなと、もっともらしいことを思うだけであった。
いっそ直接聞いてもらえたら最低と言われようと誤解だと否定するのだが、誰一人として聞いてこない。
そのせいで生殺しにされているような心境である。
誰が悪いのかと言うと、やっぱり俺が悪いのだろう。
反省しているので、誰か打開策を授けてくれないだろうか。
誰がいいだろう……おそらく先生がたの耳には届いているだろうし、報告を兼ねて相談してみようかな。
そう思いつき、放課後小笠原先生を訪ねる。
職員室にいた先生は快く出迎えてくれて、要件を伝えると「ああ」という顔になった。
「たしかに小耳には挟みましたが、今のところ問題としてとらえてはいません」
「えっ」
この学校のお嬢様は全員俺のものと言ったのに、問題にならない?
呼び出されなかったくらいだからそうなのかもしれないが、ちょっと意外すぎる。
とまどいを隠し切れずにいると、先生は微笑した。
「ずいぶんと大胆で豪快な発言をしたようですが、殿方たるものそれくらいでなければと好意的な意見が多いのですよ」
思わず耳を疑い、ついで本気で言っているのかどうかを疑いたくなるような発言である。
いや、問題視されるよりはよっぽどマシなんだが、それでいいのか英陵……と俺に言う資格はないか。
「そ、そうなのですか?」
何がどうしてそうなったのか知りたいと思っていると、先生は教えてくれる。
「あくまでもあなたの意気込み、姿勢を口にしたと解釈されていますから。……まさか本気でこの学校の女子生徒全員と、結婚しようと思っていたわけではないですよね?」
急に真顔になって質問されたため、両手と首を懸命に動かして否定した。
「そ、そんなこと、考えた覚えはありません」
「そうでしょう?」
先生の微笑を見て、俺は事態が飲み込めた気がする。
口にした主語があまりにもデカすぎたために、かえって真に受ける人がいなかったんだ。
たぶん、翠子さん、紫子さん、百合子さんの三人を嫁にする、くらいだったら本気にした人がいたかもしれない。
何が幸いするか分からないものだな。
「ならばいいのです。聞いた状況的に、誰かに罪を問うとなると、たった一人を大勢で囲んでいた女子生徒たちになりますから」
多勢に無勢だったということも考慮されるのか。
だからと言って俺に非はないと言い訳する気はないけど、そもそも問題そのものがないのだから、何も言わない方がいいかもな。
「早合点してしまった子もいたようですが、言い聞かせておいたので沈静化するでしょう」
「ありがとうございます。お手数おかけして申し訳ありません」
先生がたの偉大さを感じ、また余計な仕事を増やした申し訳なさもあり、頭を深々と下げる。
小笠原先生は優しく微笑んでいたが、不意に笑顔を消す。
「私は姫小路家の方と桐生院の方を存じています。姫小路家の方々は面白がって終わりでしょうけど、桐生院の方々は少し心配ですね」
英輔さんが面白がって終わりというのはとても想像しやすかった。
ただ、桐生院の反応が予想できないから不吉な感じもする。
「紫子さんと百合子さんがきちんと説明するでしょうが、それでも念のためを想定しておいた方がいいかもしれませんよ」
謝る準備はしておけということかな。
窮地脱出はただの結果オーライだったし……そろそろ向き合う時が来ているのかもしれない。
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