5
「赤松君」
ある日の朝、小早川に話しかけられる。
俺がクラスに馴染んで以降はほとんどなくなっていた為、久しぶりの気がした。
ただ、今日の彼女は何だか既に疲れているように見える。
「ああ、小早川おはよう」
「ごきげんよう」
あいさつをすると、彼女は「しまった」という顔をして素早くあいさつを返してきた。
真面目で礼儀正しい彼女があいさつを忘れるなんてずいぶんと珍しい。
何かよほどのことがあったんだろうか?
……と思ったのはほんの一瞬だけだった。
恐らく姫小路先輩から連絡があったんだろう、という心当たりがあったせいである。
「翠様から連絡があって、スケジュール調整をしたわよ。文化祭の方が先だから、翠子様との約束を優先させて」
「ああ、ダンスパーティーは十二月なんだっけ?」
そして確か文化祭は十一月だった。
それだと芸術鑑賞を先に済ませた方がいいというのは分かる。
「ええ、そうよ。それじゃ伝えたからね。翠子様との日程が決まったら教えてくれる?」
「うん、ありがとう」
わざわざ連絡してくれてありがたい。
もっとも、俺は直接お嬢様たちと連絡をとれない立場だから、誰かがやらなきゃいけないんだろうけどな。
これは個人の意思ではどうにもならない問題なんだろうし、文句を言えるはずもなかった。
授業はつつがなく終わり、生徒会の時間がやってくる。
姫小路先輩や高遠先輩に相談したいけど、まずは職務が先だ。
先輩たちは公私混同をしないので、やるべきことをきちんとやらないと話をさせてもらえない。
普段はまずお茶で一服を楽しんでから業務に入るんだが、今日はそうならなかった。
「次の代の生徒会の件で相談があります」
姫小路先輩が真剣な顔でそう言い放ち、室内の空気がぴんと緊張する。
二学期で引退ということは、後一か月くらいはいるはずだけど……ああ、引き継ぎ期間を作らなきゃいけないのかな?
「わたくしは次の会長に朱莉さん、副会長には瑞穂さんと赤松さんを指名したいと考えております」
えっ? 何を言い出すんだ、この人?
と目をぱちくりさせたのは俺くらいで、他の人たちは皆当然と言わんばかりの表情だった。
えーっとツッコミと言うか、疑問はちゃんと言っておいた方がいいよな。
すっと手を挙げると姫小路先輩がこちらを見る。
「赤松さん、どうかしましたか?」
「いえ、僕が副会長になるっていいのかなと思うんですが」
そう言うと、先輩は心底不思議そうに首をかしげた。
美人だからそんな仕草も絵になるが、見とれてはいけない。
「何か問題でもあるのでしょうか?」
当たり前だろ、俺は男なんだぞ。
そうはっきりと言いたいんだけど、この空気の中じゃとても言えない。
先輩たち皆美人で、全員が「こいつ何言っているんだ?」と言いたそうな顔でこっちを見ている。
「えっと、いいんでしょうか? 内田先輩は? 他の一年生は?」
すっかり気圧されてしまい、しどろもどろになってたずねた。
情けないとか言わないでほしい。
美人女優やモデルが泣きダッシュしそうな美少女たちにじっと見つめられて、平然と会話を続けられるほど慣れているわけじゃないんだから。
ただ単に美少女に囲まれて暮らすだけなら、さすがに慣れたけどな。
「智子さんには引き続き書記をお願いするつもりです。空きができる役職には、一年生から立候補を募ろうと思います」
姫小路先輩がそう言うと、皆がうなずく。
改めて考えてみればすごいことである。
何だかあまり疑問を言わない方がいい気すらしてきてしまう。
彼女の言葉にはそんな不思議な力があるようだ。
「皆さん異論がなければ、そのつもりでいて下さいね」
それで話は終わりと言わんばかりだったので、手を挙げて発言許可を得る。
「他の誰かが会長に立候補してくるということは、考えられないんでしょうか?」
別に水倉先輩を否定する気はない。
むしろこの人が会長になってくれた方がありがたいくらいだ。
しかし、他の生徒たちがどう思うかは全く違う問題のはずである。
そう思っていたら、姫小路先輩が応えてくれた。
「ありえなくはないと思いますが……過去に滅多にないので」
高遠先輩もそれに続く。
「基本的には信任投票ですね。他の役員も立候補者がいれば選挙になりますが、ほぼ信任投票です」
そうなのか。
この学校では前会長の推薦を否定するなんてありえないとか、そういう感覚なんだろうか?
皆、顔には出していないものの、目が「何も知らない子に優しく教えてあげなきゃ」と言っている気がする。
俺が何も知らないのは事実なので、ありがたく教えてもらわないといけないんだが。
「でも今年はもしかするといらっしゃるかもしれませんよ」
姫小路先輩が不意にそんなことを言い出す。
てっきり俺へのフォローなのかと思ったが、表情を観察したかぎりかなり本気っぽい。
何か心当たりでもあるんだろうか?
そう感じて首をひねると、何故か全員がいっせいにこっちを見る。
えっ? 俺?
まさか俺と一緒にいたいが為に立候補する子が出る、なんて思っているのかな?
他ならともかく、英陵のお嬢様たちにかぎってそんなことをするはずがないじゃないか。
……と言語化するのに勇気が必要な感じである。
いやまあ、ひょっとしたら百合子さんはするのかなという気はちょっとだけあるかもしれないけど。
何を言っているのか分からないかもしれないけど、今の心境を誰かに伝えるのはとても難しい。
「そんな人はきっといませんよ」
でも、何となく何も言わないでいるのはよくない気がした。
俺のこの発言には皆目を丸くしている。
よほど意外だったんだろう。
何せ本人だってかなり驚いているからな、自分の行動に。
「あら、どうしてそう思うのでしょうか」
高遠先輩がきらりと目を光らせて尋ねてくる。
どこか言葉に棘を感じるのは気のせいだろうか。
ここで怯んではいけない、と弱気になりそうな自分に言い聞かせながら口を開く。
「だって皆、生徒会のことを信じて支えてくれるような人ばかりじゃないですか。それにここは英陵ですしね」
何となくきちんとした答えにはなっていない気がする。
でも、生徒会の先輩たちは俺が言わんとすることをしっかり理解してくれたらしく、笑顔になった。
どこか頬が赤い気がするのは、きっと差し込む太陽の光のせいだな。
「だからきっと今回も皆さんが信用されて終わりでしょう。問題があるとすれば、それは僕ですね」
「……赤松さんが一番心配いらないと思いますけど」
高遠先輩がそうつぶやき、他の先輩たちがうなずく。
いやいや、いくら何でもそれは過大評価だろう。
確かにヒーロー様って持ちあげてくれる子たちはいるけど、生徒会役員としての信用度は別問題に決まっている。
これまでずっと頑張っていた水倉先輩、藤村先輩、内田先輩が評価されないなんてありえない。
そう力説すると、先輩たちは困ったように目をそらす。
どうしてだ?
感謝してほしいとは言わないけど、礼の一言くらいはありそうなものなのに、誰も何も言ってくれない。
それどころか、何となく空気が奇妙だ。
俺、何かやらかしたか?
困惑していると姫小路先輩が咳払いをした。
一同の視線を集めた彼女はこちらを向く。
「赤松さんがお嫌でしたら無理に引き止めるつもりはありませんが、よければお引受下さい」
黒い瞳でまっすぐに見つめられると、自然と背筋が伸びる。
「はい。皆さんがいいのでしたら、僕は頑張ってみようと思います」
そう答えると、二年の先輩たちが安心したように息を吐き出す。
ああ、男子がいなくなってしまうと困る事態が何かあるんだろうな。
それとも彼女たちの評価が下がってしまうとか。
……いや、自分の都合で俺を無理に引き止めようなんて考えるような人は、この生徒会にはいないな。
生徒会どころか英陵全体にもいそうにもないところが、この学校のすごいところだ。
そんな場所で生徒会副会長なんてポジションをやることになるとは……これまでの頑張りと認めてもらえたんだと解釈しよう。
その方が建設的だろう。
「とにかく今日の話はそれだけです。皆さん、心構えだけは作っていて下さいね」
姫小路先輩はやや強引に話を切り上げる。
その後はお茶会に入らずに業務になった。
それにしても俺が生徒会の副会長とか、確かに心の準備をさせる為に早めに言おうと判断されたのも当然だよなぁ。
ところであいている枠には誰が入ってくるんだろう?
デジーレか小早川、百合子さんあたりなら嬉しいんだけど、あの三人は立候補するのかなぁ?
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