三章

1話

 オリエンテーション合宿から帰ってきて、数日後。

 俺はクラスメートに連れられて、学食にやってきた。

 親に合宿の事を報告したら、「順応する為にも学食は経験しておけ」と言われた為である。

 有料ならばともかく、無料だったら構わないと。

 翌日、相羽に相談を持ちかけたらそこから一気にクラス内に広まり、何故か複数の女子が交代で俺と同行する事になったのだ。

 いや、感謝はしているけどね。

 お嬢様達が愛用するだけあり、かなり本格的な料理が出るのだ。


「昼休みが一時間しかない以上、フルコースは無理ですけどね」


 同級生の一人が微笑みながら言ったのだが、俺は笑い返す事ができなかった。

 「時間があればフルコースが出るのか?」という疑問が湧いてきたからである。

 どうにもお嬢様達にとっては本格的ではない、と認識されているようなのだ。

 肯定されたら恐ろしいので、声に出して尋ねはしなかったが。

 今日のメンバーは小早川、デジーレの二人だ。

 あまり人数がいても俺が困るだろうと配慮された結果なのである。

 ごく自然に気遣いをしてもらえて嬉しいのだが、見えない重圧を感じてしまう。

 これは俺がへタレだからだろうか。

 学食に行くと既に何人もの人間が先に来ていた。

 授業終了のチャイムとともにダッシュをするような輩は一人もいないのだが、それだけに授業が終わる早さやクラスからの距離が重要となる。

 一年七組のクラスは、比較的遠い位置にあるのだった。

 とは言え、座れなかった事など今までは一度もない。

 食堂そのものが広々としている事、テーブルが大きい円状なのでその気になれば五、六人は同時に座れる事が理由として挙げられるだろう。

 あいていたテーブルに適当に腰を下ろすと、すぐに水とおしぼりとメニューが運ばれてきた。

 持ってきてくれたのは、二十歳前後と思しきうら若い女性である。

 黒い服に膝丈のスカート、白いカチューシャとエプロンを身に着けている彼女は「メイドさん」と言えた。

 オリエンテーションでも同業者らしい人達はいたし、すっかり見慣れてしまった俺がいる。

 さて、何にしようか、とメニューを開くのが本来やるべき事なのだろうが、見ても分からないからな。

 何故なら、語学教育と一環という事でメニューが全て英語かフランス語なのだ。

 恐ろしい事に全て筆記体である。

 おかげで俺には何が何だか分からなかった。

 その為、同行してくれている女子達がメニューを読むのを待っているのである。

 全員が筆記体で書かれた英語やフランス語を難なく読めるって時点で、英陵は恐ろしいと言うか、どこかおかしいと思う。

 庶民の僻みが入っている事は認める。

 「メニューとはあくまで日本での言い方」だとやんわり教えてもらった事があるのだ。

 じゃあここでは何て言うのかって?

 えーとカルタかカルトとか、そんな感じじゃなかったかな。


「かぼちゃとカマンベールチーズのタルティーヌ、コンソメのスープ、舌平目のクリームソース、リンゴのタルトでいいかしら?」


 小早川が俺の方を見たのでうなずいておく。

 彼女は俺に訊く為にわざわざ日本語で言ったのだろうから。

 俺にしてみれば充分すぎるほど立派なメニューなんだけど、彼女達に言わせれば簡単なもので本格的なものではないらしい。

 まあ、本格的なコース料理を数百人分、なんてやるにはどれだけの人材が必要なのか、想像もできないんだけど。

 デジーレの方は別のものを注文したようだけど、早口な外国語だったのでさっぱり理解できない。

 注文が終わると、俺達はメイドさんが差し出した紙に名前を書く。

 これが後で料金請求の時に使われるらしい。

 俺は無料だからいいんだけど、一食あたりの値段っていくらなんだろうか。

 えーと、高級なフランス料理店で一人十万とか聞いた事あるけど……さ、さすがにそこまではしないよな。

 あくまでも本格的ではないんだし。

 メイドさんが下がると小さく息を吐く。


「まだ慣れないかしら?」


 デジーレがどこかからかうような目で尋ねてくる。


「慣れないなぁ。まず何が書いてあるか分からない」


 堂々と口にする。

 情けなさをいちいち晒すのもどうかと思うのだが、女子達にはこういった態度の方が好ましく映るらしいのだ。


「料理の名前はパターン化されているので、そちらを覚えた方が早いかもしれないわよ」


 そう助言してくれたのは小早川である。

 何度か言葉を交わしているうちに、だいぶ砕けた言葉使いをしてくれるようになった。

 おかげで彼女が気さくで面倒見のいい性格だという事が分かっている。 

 さすが学級委員長になっただけの事はあった。


「舌を噛みそうだから、要練習だなぁ」


 俺がぼやくと二人は口元を小さく緩める。

 いちいち声に出して笑ったりしないのが、上流階級のマナーなんだろうか。 


「一度尋ねてみたかったのですけれど、ヤスは普段どんなものを食べているのですか?」


 デジーレがそんな事を訊いてきた。

 お嬢様って庶民の生活に興味があるのかなぁ。


「えっと、ラーメンとかハンバーグとかチャーハンとかオムライスとか、後はカレーとかシチューとか……分かる?」


 言っていて不安になった。

 少なくともお嬢様達が食べた事がありそうなものなんて、さっぱり分からない。


「名前は聞いた事ありますね」


「ラーメンってあれでしょう? 麺がスープに入っているもの」


 デジーレと小早川の反応に俺はあいまいな笑みを浮かべた。

 麺とスープが入っているのはきっとうどんとそばもじゃないかな、なんて言えない。

 名前を聞いた事があるってだけでも凄いんじゃないか。

 そんな風に思えてしまう。


「大体は合っているね」


 俺としてはそう言うしかなかった。

 二人はどこか嬉しそうな、それでいて安堵したような表情を浮かべる。

 トンチンカンな事を言ったら恥ずかしい、という気持ちがあるのだろう。

 しかし、お嬢様達が知らなくても仕方ないというものは多いように思う。

 おでんとかロールキャベツとか知っているのかって感じだ。 


「テレビとかで見るのかい?」


 ラーメンやカレーなら、テレビの特集で人気店が取り上げられる事も多い。

 そう思って尋ねたのだが、二人は首を横に振った。


「テレビはニュースしか見ないのよ」


 小早川が言うとデジーレも同調する。


「音楽番組などは許されていますけどね。ドラマとか一度見てみたいものです」


 お嬢様達の目の色にはどこか憧れのようなものがあった。

 彼女達にとっては、「低俗」扱いされている娯楽番組の類を見るのが夢であるらしい。

 とことん庶民とは対照的だな。

 うちの家で音楽番組を見る時って年末くらいだよ。

 と、そこに桔梗院と同級生がやってきた。

 彼女達は俺を見つけるとまっすぐにこちらにやってくる。


「あの、皆様。同席させて頂いてもよろしいでしょうか?」


 一応、全員への問いかけではあったが、その眼は俺を見据えていて、ちょっと居心地が悪い。

 念の為、他の二人に訊いてみる。


「俺はいいと思うけど、どう思う?」


 何だかずるい尋ね方になってしまったな。

 そう反省する。

 二人は笑顔で応じていた。


「もちろんですよ、百合子様」


「ユリコと一緒なんて光栄ですわ」


 あれ、やけに丁寧な態度だぞ。

 デジーレは誰に対しても丁寧だと思うが、小早川って仲のいい相手には結構フランクなのに。

 桔梗院は何気なく俺の左隣へと腰を下ろす。

 その直後、小早川とデジーレは固まったし、周囲からは軽いざわめきが起こった。


「百合子様が殿方の隣にお座りになったわ」


「一体どういうおつもりなんでしょう」


 何やら大事になっている気がする。

 お嬢様達はこれまで内緒話の類はしていても、俺の耳に届くような大きさではやらなかった。

 それだけ今回の事が衝撃的だったのだと考えられる。

 今更だけど、桔梗院ってかなり大物だったりするのか?

 でもなきゃ周りがこんな反応はしないよな。

 俺がこの場で訊くわけにもいかないし、誰か説明してくれないものか。

 どうしていいのか分からずに手をこまねいていると、もう一人の子が俺の右隣に座った。

 ざわめきは再度起こるが、今度は話し声は聞こえていない。

 やはり、桔梗院が座ったからこそのインパクトだったんだろう。


「あの、赤松様。お昼は何を召し上がる予定なのですか?」


 当の本人は、周囲の反応や俺の困惑をどこ吹く風といった態度だ。

 綺麗な顔をしてかなり図太いな……それとも全く気づいていない天然ちゃんだったりするんだろうか。

 とりあえず、訊かれて答えないのも悪いな。


「えーとかぼちゃのタルトとコーンスープと舌平目だっけ?」


 記憶を掘り起こしてそう声に出す。

 自信がなかったので小早川に目で確認してみる。

 小さなため息が聞こえ、訂正の言葉が投げられた。


「かぼちゃとカマンベールチーズのタルティーヌ、コンソメのスープ、舌平目のクリームソース、リンゴのタルトですよ、百合子様」


 すげえ、そらんじたよ。

 俺は素直に感心する。

 小早川の言葉を聞いた桔梗院は目を瞬かせ、いつの間にかやってきていたメイドさんに言った。


「わたくしも同じものを」


「かしこまりました」


 メイドさんはうなずいて手を動かす。

 もう一人の女子が注文をし、メイドさんは引っ込んだ。

 それを見てから桔梗院はやや口を尖らせて言う。


「文香さんと赤松様、仲がいいのですね?」


 そんな顔も可愛かったけど、あまり聞き流してもまずい気はする。

 かと言ってどうかわせばいいのかも分からない。

 そもそも文香って小早川の下の名前でいいのか?


「それは同じクラスですから」


 小早川は澄ました顔で返事をする。

 表情からは何一つ読み取れそうにもない。

 ポーカーフェイス、上手いな。

 俺も加勢する。


「分からない事が多いので、委員長の小早川さんにはお世話になっております」


 何となく丁寧な言葉使いになってしまった。


「困った時はお互い様ですからね」


 デジーレがタイミングよく話に加わる。

 それが桔梗院は面白くなかったらしい。

 先ほどと比べてよりはっきりとつまらなそうな顔をした。


「わたくしも七組がよかったわ」


 さすがに小声だったが、俺の耳は聞こえてしまった。

 しかし、これは反応したらまずいだろう。

 仕方なしに聞こえなかったフリをしておく。


「赤松様、英陵での生活はいかがですか?」


 今度はよく聞こえる大きさだったので、無視するわけにはいかない。

 切れ長の目を見つめて答えた。


「まだ戸惑う事も多いですけど、何とかやっています」


 他にどう答えろと思ったりもするが、桔梗院に悪気はないのだろう。

 自意識過剰、あるいは自信過剰でなければ俺と会話したがっている節がある。


「そうなのですか。何かお困りの事がありましたら、わたくしに申し付けて下さいね」


 優しく言って上品に微笑む。

 今更言うまでもなくとびきり上等な部類である。

 ただし、生徒会やら何やらですっかり耐性ができてしまっていた。

 英陵に入る前の俺なら、見とれてしまうか、のぼせあがってしまうかしていたのだろうけど。


「ありがとうございます。ただ、今のところよき同級生や生徒会の先輩に恵まれていますので……」


 率直に言えば桔梗院の出番はないだろう。

 社交辞令で「困った時はお願いします」と言えばいいのだろうが、この子の場合、何か「社交辞令」が通用しない気がするんだよな。


「まあ、そうですか」


 少し悲しそうな顔をされ、良心が少し痛む。

 親切の押し売りではなく、純然たる好意によるものだから、俺としてもあまり無下にはできないんだが。

 ふと会話が途切れた時、料理が運ばれてきた。

 別に狙いすましたわけじゃないだろうけど、グッドタイミングだった。

 小早川と俺には同じもの、デジーレにはよく分からないが多分パンとスープとステーキだな。 


「あ、お先にどうぞ」


 桔梗院が先手を打ったようにそう言う。

 それを聞いて小早川とデジーレがスプーンを取る。

 ああ、一言言われるまでは待つのがマナーだったりするのかな。

 食べ方に関しては小早川頼みだったからよかったものの、そうじゃなかったら危なかったかもしれない。


「いただきます」


 俺と小早川はハモる。

 デジーレは外国語で早口に祈りを捧げた。

 そして三人は食べ始める。

 食事中は喋らない、食器の音を立てないというのがマナーだ。

 前者はともかく後者はかなり苦労する。

 全く音を立てないというのは不可能に決まっているが、それでも上品な音を、というのが暗黙の了解のようだ。

 上品な音って何だよって思ったものの、郷に入っては郷に従え、を実践するしかない。

 小早川の真似をしながら少しずつ食べていく。

 そこまではいいのだが、何故か桔梗院が俺の方を興味ありげに見ている。

 その視線に悪意があれば、上流階級のテーブルマナーに四苦八苦する庶民を見て面白いのか、と勘ぐるだろう。 

 だが、彼女の視線には純粋な好奇心が宿っていた。

 単に庶民の男の食事光景が珍しいだけなのかもしれない。

 そりゃ、お嬢様達の周囲にいる男なんて、いずれも上流階級ばかりだろうからな。

 ……そう言えば上流階級の男達って英陵を受験しなかったんだろうか?

 家が金持ちなら男の待遇は魅力的ではなかったかもしれないが、お金持ちの綺麗なお嬢様達が多数いるこの境遇は魅力的なんじゃないだろうか?

 それを考えれば、合格者が俺だけってのはどうも変だな。

 普通に考えれば男達の親は、皆共学化に反対だったとか?

 いや、それだったら共学化された方がおかしい気はするな。

 ……考えても分かりそうにもないから、黙って食べるか。


「あら、百合子?」


 とその時、桔梗院に声をかけた人がいた。

 本日は千客万来か。

 俺はそう思っただけだったが、周囲からは大きなざわめきが起こった。

 そして小早川とデジーレが硬直してしまっている。

 マナーを自然と厳守するお嬢様達にしては、非常に珍しい。

 一体何事だろうかと思って視線を向けると、そこには凄い美人がいた。

 残念ながら俺の語彙力では他に言い表せない。

 せいぜい、姫小路先輩や七条先輩すら凌駕していそうな、それほどの美貌の持ち主と言うのでせいいっぱいである。

 それとどことなく、桔梗院に似ている気がした。


「お姉様」


 俺の受けた印象の理由は、桔梗院がそう呼びかけた事で氷解する。

 姉妹なら似ていてもそんなにおかしくはないだろう。

 桔梗院の姉は妹に対して、怪訝そうな顔を向けていた。

 その周囲には取り巻きと言えそうな少女達が数名いたが、彼女達は姉妹に遠慮してか何も言わない。


「いつもの皆さんと顔ぶれが違うわね。……あら?」


 美人は声まで美人ですか、と言いたくなるような美声である。

 姉の方の視線が俺へと向けられた。

 ここで知らん顔したら先輩に対して無礼だろうな。

 目を合わせて目礼をする。


「こちらの方がいつもあなたが話している赤松さんかしら?」


「お、お姉様!」


 先輩の方には他意はなかったようだが、桔梗院の方は顔を真っ赤にして慌てていた。

 だが、姉の方は妹の事を全く意に介しなかった。


「初めまして、この子の姉の桔梗院紫子です。妹がお世話になりました」


 優雅で上品で天使のような微笑が向けられる。

 漫画だったら一面に花が咲き乱れそうな、そんな凄まじい破壊力があった。

 姫小路先輩によって免疫が作られていなかったら、とっさに体が動いたか怪しいな。

 とりあえず食器を置いて立ち上がり、深々と頭を下げる。


「初めまして、赤松康弘です。よろしくお願いします」


「どうぞ、おかけになって下さいね。お食事中のところをお邪魔して、申し訳ないですから」


 許可を得たので着席をした。

 というか、この人が姫小路先輩と人気を二分しているっていう「紫子さん」だったのか。

 道理で凄い美人なわけだ。


「赤松さん。よろしければ後でお話していただけませんか?」


 桔梗院の……ややこしいから、心の中でだけ紫子さんと呼ぼう。

 紫子さんはそんな事を言い出して俺は驚く。


「お、お姉様?」


 妹の百合子さんの方も同様のようだ。

 しかし、俺に拒否権ってあるのかな。

 姫小路先輩並みに人気ある人の誘いだからなぁ。


「分かりました。食事の後でよければ喜んで」


 俺がそう答えると、紫子さんは満足げに微笑み、「お邪魔しました」と柔らかく言って立ち去った。

 いや、いつどこで待ち合わせなのか、分からないんですが。

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