8話

 中庭に出ると、既に何組かが腰を下ろして昼食を摂っている姿が見られた。

 さりげに誰も一人ぼっちがいないというところが、英陵の凄さではないかと密かに思っている。

 まだ入学して一カ月も経ってはいないけど、一人でいる子は誘うのがマナーみたいな文化が根付いているようだっだからこそ、俺自身も誰にも相手にされない、といった事とは無縁だったのだろう。

 いいところのお嬢様しかいないからこそ、成立するんじゃないだろうか。

 もっとも、相羽のように周囲に劣等感を抱いている子がいるのもまた事実なんだが……。

 暗くなりそうな気分を一掃する。

 女の子達は何気に鋭敏だ。

 俺が変な事を考え始めるとすぐに気づき、心配してくれるだろう。

 すなわち、うかつな真似はできないという緊張感があるのだった。

 それが重荷に感じないのは、ここの居心地が悪くないからだと思う。

 女の子達がいずれも魅力的で、俺が健全な男だという理由も多少はある事は否定しない。


「どこにする?」


 俺はシートを抱えて尋ねる。

 女の子達にシートを持たせるわけにはいかないし、希望を無視する事もできないのだ。


「そうですね。あそこならばどうでしょう? 直射日光を避けられていいと思います」


 慣れた感じでデジーレが意見を述べ、すぐにそれが採用される。

 これがこのグループのスタンダードのようだった。

 他のグループはどうなのか知らないので、これが正常なのかどうか判断はつかない。

 ちょうどうまい具合にシートを敷けそうなスペースがある。

 もしかしたらデジーレはその点も考慮していたのかもしれないんだけど。

 俺はシートを敷くと、芝居がかった一礼をしてみせた。


「それではお嬢様がた、こちらにどうぞ」


 本物のお嬢様達は嬉しそうに、あるいは照れくさそうに微笑みながら順に腰を下ろす。

 全部で五人の少女が座った後、俺もあいていた場所に滑り込んだ。


「いただきます」


 皆で同時に唱和する。

 遠くからちらりとこちらを見た人がいた気がするけど、気づかなかったフリをする事にした。

 俺はまずサンドウィッチから手をつける。

 バラエティサンドパックは、カツとタマゴのサンド、チーズとベーコンのサンド、トマトとレタスのサンドなど何種類ものサンドウィッチが入っているのだ。

 トマトとレタスは新鮮で美味しいし、パン自体の味もいい。

 皆も自分が注文した品を口につけ、舌鼓を打っている。

 どことなく頬が緩んで見えるのは、やはり味の力だろう。

 一食数千円なんてイカれた値段に見合っているのは確かである。

 少なくとも、安い俺の舌じゃただただ圧倒されるだけだ。

 オリエンテーションでもそうだったが、英陵の女子は食事中にお喋りをしたりしない。

 黙々と食べる子達ばかりである。

 それでも、美少女達と肩を並べて食べるご飯というのは、より美味しく感じてしまう。

 皆も似たような感覚なんだろうか。

 美少女ではなく友達という単語が入るんだろうけど。 

 次にコーヒーを一口含む。

 俺の安い舌とつたない表現力じゃ、美味しいとしか言い表せない。

 コーヒーってこんなにいい香りがする美味しい飲み物なのかとは思う。

 やっぱり材料と淹れる人の腕次第なのかな。

 考えると少し切なくなってしまう。 

 次はカツサンドを食べよう。

 衣はサクサクしてるし中からは肉汁が溢れ出してジューシーだ。

 更にタマゴはふわふわしていて、ほんのりと甘い気がする。

 それなのに二つの味は見事に調和がとれていて、美味さが何割もアップしていた。

 カツとタマゴって合わないと思っていた、俺が間違っていたと思い知らされる。

 所詮は庶民の発想と味覚って事なんだろうか。

 チーズとベーコンのサンドも凄い。

 何と言うか舌の上で蕩けていくような、そんな食感なのだ。

 こんな表現をしなきゃいけないなんて、てっきりフィクションの中だけだと思っていたよ。

 またコーヒーを飲み、ついでデザートパンに手を伸ばす。

 デザートパンというものがどういうものなのか、実はよく分からない。

 菓子パンの一種って事でいいんだろうか?

 まあ、お嬢様学校の昼食に出されるくらいだから、ちゃんとしたものなんだろうけど。

 今更そのあたりについて疑う余地はない。

 名前の通りヴァニラの味がする。

 それでいてべたべたしていないなくて、ふわふわもちもちしていた。

 ……何を言っているのか、自分でもよく分からなくなってくるな。

 ボリュームたっぷりの食事を食べ終えると、他の子達もほぼ同様で飲み物を飲んでいた。

 このグループでは主にコーヒー派と紅茶派に分かれているらしい。

 他にも飲み物はあるのに、どちらかを好む子が多いからだ。

 もしかすると、購買には置いていない飲み物が一番好き、という可能性もある。

 牛乳やオレンジジュース、麦茶は置いてあるんだが、コーラやスポーツ飲料なんかはないからな。

 コーラに限らず炭酸系は全部置いていないようだ。

 何らかの基準があるのかもしれない。


「ふぅ、美味しかった」


 俺はわざと声に出す。

 食べ終わった事を知らせる為であり、話のきっかけになる事を期待したのだ。


「赤松さんはコーヒーがお好きなんですか?」


 うまい具合に一人の女子が話しかけて来てくれる。


「うん。それだけに購買でこんなコーヒーが売っているなんて、感動だよ」


 やや大げさに言ったものの、嘘はついていない。


「そうなんですの。私も好きなんですよ」


 話しかけてきてくれた子は、嬉しそうに微笑む。

 単に自分と同じ嗜好の人間を見つけたのが嬉しいだけだろう。

 容姿がいい女の子が微笑むだけで、うっかり勘違いしそうになるのが年頃の男の悲しさなのだ。

 ……ひょっとしたら俺だけかもしれないけど。

 今までモテた事なんてなかったし。


「わたくしは紅茶の方が好みですわね」


 そう言ったのはデジーレだった。

 それと同時に二人が賛成する。

 彼女達はデジーレと同様、紅茶を注文していたので予想ができた。

 これで答えていないのは相羽一人になる。

 だが、予想はできる。

 彼女が頼んだのはコーヒーだからだ。

 別に実家が実家だからではなく、彼女自身がコーヒーの方が好きなのだろう。

 言わないのは先ほどまでの流れで、何となくだが分かる。

 それだけに問いただす気にはなれない。

 ただ、デジーレは別だったようで、相羽に向かって言葉を放った。


「リナ、あなたはどうですの?」


「え……」


 相羽は友人の問いかけに目を丸くする。

 まさかこのタイミングで振られるとは思っていなかったらしい。

 皆の視線が集中し、たじろいだ様子を見せる。


「おい」


 さすがにこの空気で言わせるのは可哀想だと思い、デジーレをたしなめようとした。

 だが、当の貴族令嬢は青い目を鋭く向けてきて俺の事を牽制する。 

 何だ? 今の意味ありげな視線は?

 何か狙いがあるんだろうか?

 相羽の事をこの面子の前でつるし上げてやろうという、暗い感情は感じなかったのでいったん口を閉ざして様子を見守る事にする。


「私はコーヒーだけど……」


 小さな声でもごもごとつぶやく。

 彼女にしてみれば羞恥プレイでしかないのだろう。

 どこか泣き出しそうなようにも見える。

 だが、デジーレは罪悪感を覚えるどころか、イラ立ちを募らせたようだった。


「どうして自分の好きなものをはっきりと言えないのですか」


 睨むように相羽に視線を送る。

 彼女にしてみれば、はっきりとした物言いができない性格が理解できないのだろうか。


「大体大衆向けの店が何だと言うのです。世の中に大衆向けの店がどれだけあると思っているのです。あなたの態度はそれらの店、全てへの侮辱ですよ」


 朗々たる声ではっきりと非難する。

 相羽は頬を赤らめ、うつむいてしまう。


「そんなつもりじゃ……ごめんなさい」


 これ以上はまずいな。


「ストップ!」


 俺はほぼ叫んでいた。

 デジーレは止めるなとでも言いたそうな表情で、こちらを見てくる。

 いや、ほとんど睨まれている。

 周囲の女子も俺に非友好的な視線を向けてきていた。

 ここまで好意のかけらもないまなざしに晒されるのは、もしかすると入学した時以来かもしれない。


「どうしたんだよ、デジーレ。急にそんな事を言い出して」


「急にではありませんわ、ヤス。もっとも、あなたにはそうとしか感じられなかったのでしょうね」


 デジーレは一瞬だけ睨んできたものの、すぐに表情を和らげた。

 どうやら俺がさっぱり事態を飲み込めていない事に気づいてくれたらしい。


「ああ、悪いけど説明してもらえないか」


 金髪の白人美少女が穏やかな顔になった事により、周囲からの圧力も消えた。

 デジーレ、マジでリーダーなんだな。

 そして女の集団において、リーダーを敵に回す事の恐ろしさが実感できた。

 英陵の子達だったから、好意が消えた目で見られる程度ですんだと考えた方がいいだろう。


「リナはわたくしと知り合った時から小さな事でうじうじしているのです」


 デジーレの実家は貴族だし、他の子達も旧名家のお嬢様だったり、大手メーカーのご令嬢だったりする。

 そんな中、唯一庶民向けの会社を経営しているのが相羽の実家だというわけだ。


「……そういう家の子って相羽だけだったりするのか?」


 疑問が湧いてきたのでつい口に出してしまう。

 それならまだ理解もできた。

 俺だって周囲がお嬢様ばかりで、劣等感とも場違い感ともつかない感情を抱いているのだから。


「いいえ。他にもいますわ」


 デジーレは不快がる事なく答えてくれた。


「……おや?」


 俺がそんな声を出してしまったのは責めないでほしい。

 劣等感って、周囲が自分より優れているからこそ抱くものなんじゃないだろうか。

 少なくとも同程度の存在がいるなら、うじうじ悩まなくてもよさそうなものなんだが……。


「だからそんなに卑下するなとわたくし達は申しているのですわ」


 デジーレが語気を強めると、周囲の子達はいっせいにうなずく。

 なるほど、俺が止めようとしたら、無言の圧力がかかった理由がおぼろげながら分かった。

 これは相羽が悪い……いや、悪いと言ったらおかしいな。

 非があるって言うのも変だし、どう言うのが適切なんだろう?

 まあいいか。

 とりあえず今は相羽の方だ。


「そもそも、職に貴賎はないのですから……」


「ごめん、ちょっと待ってくれないかな」


 熱弁をふるおうとしていた貴族令嬢に待ったをかける。

 咎めるような視線が注がれたが、それに負けずに強い意志を込めて見回すと、女の子達は怯んだ様子を見せた。

 男に睨まれるような形になったんだから当然か。

 中にはちょっと頬を染めた子もいたけど、これは例外と見るべきだろう。

 唯一の例外はデジーレで、彼女だけはどちらでもなくじっと俺の目を見つめ返してきた。

 やがて小さくうなずいて許可をくれる。

 俺は相羽に向き直った。


「相羽はさ、ウィングコーヒーの店舗に行った事はあるかい?」


 問いかけには困惑が返ってきた。


「え……ないけど」


 なら突破口はありそうだな。

 上手くいくとは限らないけど、やってみる価値はあると思う。


「それじゃ、今度一緒に行ってみないか?」


「え……?」


 相羽はポカーンと間が抜けた顔をする。

 少なくとも英陵生達の中では初めて見た。

 他の子も少しざわめく。

 あ、聞きようによっては、デートの申し込みにも聞こえるな。

 やばいやばい。


「一度見てみたらいいと思うんだ。相羽の家がどういう経営をやっているのか」


「名案ですわ」


 デジーレはすかさず賛成してくれた。

 両手を打ち、周囲を見回す。


「せっかくだから皆さんで行ってみませんか?」


「賛成ですわ」


「名案ですね」


 女の子達は次々に賛成の言葉を口にする。

 賛成してくれるのはありがたいんだが、君達がそういう店に行くのは構わないのかな?

 許可とか大丈夫なんだろうか。


「でも、下校途中に寄るのは校則違反なんだろう? 俺は休みの日にでも行こうと思っていたんだけど」


 この子達、休日に行くのはもっとまずいようなイメージなんだよなぁ。

 俺のそういう想像は、あっさり砕け散る事になる。


「大丈夫ですよ、許可は下りると思います」


 デジーレが言うと他の皆もうなずく。


「私はどうかわかりませんが、皆さんと一緒ならば反対される事はないと思います」


 他の子もそんな事を言う。

 うん? よく分からないが、俺が思っているほど、家のルールは厳しくないんだろうか。


「相羽もそれでいいかい?」


 水を向けてみると、相羽は観念したようにうなずいた。

 そりゃ中には人に後ろ指をさされるような職業だってあるかもしれないけど、ウィングコーヒーは全然そんな事がない。

 少なくとも俺が知っている店舗は立派なものだった。

 その事を相羽も知ってほしいし、そうすれば少しは意識も変わるんじゃないだろうか。

 さて、一件落着とまでいかなかったものの、一つの区切りとなった事は確かだ。

 しかし、さっきまでがさっきまでだけに、なかなか次に振る話題が思いつかない。

 これは俺に限った事ではなかったらしく、奇妙な沈黙が舞い降りる。

 そこに救いの手が差し伸べられるには、さほど時間はかからなかった。

 どういう偶然か、内田先輩が通りがかったのである。


「あら、赤松君。やっほー」


 先輩はお嬢様らしからぬあいさつをして、右手をさっとあげた。

 一緒に何人かいるのは友達だろう。


「先輩、こんにちは」


 俺は座ったままあいさつを返す。

 以前似たような事があった時、こういう場合は座ったままでも構わないと言われたのだ。

 もっとも、姫小路先輩が通りがかったりした場合は、立たない生徒はいないらしいが。

 先輩が目配せをすると、友達は先に行ってしまう。

 その際、俺に目礼してきたので、俺の方も返しておく。

 先輩の友達とは何度かすれ違っているせいか、好奇心を含んだ目を向けてくる人はもういない。


「何かご用でしょうか?」


 俺が話しかけると、内田先輩は両手に腰を当てて「めっ」と言ってきた。

 俺は三歳児かよ。


「こらこら、女の子の言葉を先回りしないの」


「すみません」


 同級生達の前であまり先輩に強弁するのも何かと思い、素直に謝っておく。

 先輩は満足げにうなずいていた。

 意外と扱いやすい人で何よりである。


「それで? 何の話をしていたのかな?」


 お茶目に質問をしてきた。

 これはこれでいい機会かもしれない。


「先輩、普通のカフェとか、休みの日に行くのは問題ありませんか?」


「え? カフェ?」


 俺の問いかけに意表を突かれたのか、先輩は目を丸くする。


「カフェって、お茶とかをするあのカフェ?」


「はい」


 どうやらとっさに出てこなかったらしい。

 このあたり、お嬢様なんだよな。

 こういうところがないと、お嬢様だと実感できないとすら思う。

 俺達庶民の場合、とっさに出てこない奴なんて果たして何人いるんだろうか。


「別にいいんじゃない? 誰かと行くの?」


 先輩はあっけらかんと認めてくれた。


「ええ、相羽と」


「えっ」


 相羽の名前を出した瞬間、先輩は目を丸くして叫ぶ。

 遠くにいた人達が何事かとこちらを見ているが、今対処している暇はない。


「で、デートはダメよ?」


 何故か先輩は焦りまくっている。

 おまけにデートなんて勘違いもしているのか。

 いや、デートだと勘違いしたから焦っているのか?


「いえ、ここにいるメンバーで行こうかという話なんです」


 冷静になってもらおうと勘違いを訂正する。


「な、何だ、そうだったの」


 先輩は何故か、どこかホッとしたような顔になった。


「そういう事ならば、別に構わないと思うわ。ただし、私も同行します」


「えっ」


 俺は驚いたし、これは他のメンバーもだろう。

 一体どうしてそういう話になるのか。

 ところが、先輩は俺達の驚きを違う意味に解釈したらしく、ジト目で見てきた。


「あら? 私が一緒だったら、何かまずい事でもあるのかしら?」


「いいえ」


 俺は慌てて否定し、皆も追従する。

 突然の申し出に驚いただけで、別にやましい事はないんだから当たり前だろう。


「それじゃあ決まりね」


 先輩はやや強引に参加を決定した。


「具体的な日程を決めたら、赤松君が私に教えて」


 そしてそう言って去っていく。

 何だろう、嵐みたいな人だなぁ。

 生徒会だと抑えられるメンバーが揃っているんだけど、上級生がいない場合は圧倒的だ。

 やや呆然としながら先輩の後姿を見送る。

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