3
英輔さんはSLだとか、昔走っていたという列車の模型を色々と見せてくれたけど、正直頭に入って来ない。
緊張でそれどころではないのだ。
後、俺が好きなのは特急列車である。
寝台特急のブルートレイン、カシオペア、サンライズ、トワイライトエクスプレスなどだが、在来線のもなかなか趣があると思う。
周囲に理解者がいなくて困っていたのだが、残念ながら英輔さんもその一人らしい。
「まあ仕方ないか」
英輔さんは実に物分かりがいいところを見せてくれた。
この態度を見せられると、「趣味が同じだから」というのはあくまでも口実で、俺と一対一で会話するのが本来の目的だったんじゃないか、
と勘繰りたくなる。
当たっていたところで事態が好転するわけではないから、精いっぱいの対応をしていくしかないだろう。
英輔さんに好きな電車を訊かれたので正直に答えていく。
「ほう、特急か。トワイライトエクスプレスやカシオペアなどなら、ミーハーかと思うところだが……」
どうしてその二つだとミーハー扱いされるのかよく分からない。
そうい考え方の人なんだろうか?
でも、それなりに評価されたみたいだからそれでよしとしよう。
それからいくつか知識を交換し合う。
さすがに英輔さんは大人だけあって豊富だった。
時々俺を観察しているかのような目を向けてきたけど、気づかないふりに徹する。
その後、簡単な話をしているとノックの音が聞こえてきて、執事の人が昼食をどうするのか訊いてきた。
「せっかくだ。食べていきなさい」
英輔さんは穏やかな提案をしてきたが、これは命令に近いと思う。
深読みしすぎかもしれないけど、違っていた場合が怖いので承知する。
「分かりました。ありがとうございます」
そう返事をすると、英輔さんは執事に言う。
「二人分を頼む」
これは俺に向けるものとは違い、威厳を感じさせるものがあった。
凄い人、そして怖い人なんだろうなと思う。
一体どうして俺なんかを……訊いたところで教えてもらえるんだろうか?
どうすればヒントだけでももらえるだろうか。
必死に考えた俺は結局、ある問いをすることにした。
「あの、英輔さん。不躾な質問だとは思うんですけど」
生唾を飲み込む音が聞こえないことを祈りながら、姫小路先輩の親父さんを見つめる。
「うん? 改まって何だい?」
穏やかな言葉を口に出しながらも、その目は鋭く光った。
やっぱり止めようかと思ったものの、結局口を動かす。
「英陵高校ってどうして共学化に向けて動いているんでしょうか? とても経営に問題があるとは思えません」
もしそうならば、学校にあれだけ贅沢な調度品が置かれているはずがない。
そもそもお嬢様たちの入学金や授業料、寄付金をアップすれば一瞬で解決できてしまう気がする。
「ふむ」
英輔さんは一瞬表情を消す。
怒り出すかと内心身構えていたが、そんなことはなく短く息を吐き出した。
「なるほど。それが君の疑問かな?」
「はい」
こっそり観察するかぎりでは、怒りを抑えているわけではなく、生徒の質問に答えようとする先生のような顔だと思う。
もちろん、高校生のガキの目をごまかすくらい、目の前にいる人にとっては造作もないだろうけど。
「そうか。そのへんの感覚が違うのだね」
英輔さんはごちるようにつぶやいた後、じっと俺の目を見つめて語る。
「いいかい、赤松君。危険とは予知して未然に防ぐものなのだ」
「……経営に余裕があるうちにやってみたということですか?」
そう問いかけてみると、彼はゆっくりとうなずく。
「そうだよ。危なくなってからでは遅いからね。余裕がない時に慌てて対策を講じて、それで事態が好転すればいいが、しなかったらどうなる?」
どうなるって言われても。
「経営破たんですか?」
他に何も思いつかない。
英輔さんは肯定してくれた。
「そうだね。そこまでいかなくとも、より事態は切迫してくるわけだ。まず、男子生徒を入学させたらどんな変化が校内で起こるのか、とても予想しきるものではない。そもそも共学化だけが、経営改善策とも言い切れないだろう。だから一つ、やってみたのだよ」
何がだからなのか、正直よく分からない。
だが、危険が迫ってから慌てても遅いっていうのは理解できた。
それだけなのか? という疑問は残るものの、ひとまずは満足できる。
恐らくはこれ以上の答えを引き出すのは無理だろう。
そう思っていると英輔さんは肩を竦めた。
「どうせやるならば、翠子が在籍している時の方がやりやすかったのでね」
もし卒業してからだったら、「自分の子供は男と暮らさないようにしたのか」と批判されただろうと言う。
本当に英輔さん相手にそんな事を言う人がいるのかはさておき、不満を持たれるのはよくないんだろうな。
「大変なんですね」
思わずそう漏らすと、
「意外かい?」
と聞き返されてしまう。
今更ごまかすのは無理だと思い、黙ってうなずく。
英輔さんはそんな俺に怒りを見せなかった。
「ははは、どんな地位にいようとも、その地位なりの苦労はあるものさ」
朗らかに笑い飛ばしたのである。
虎の尾を踏んだわけじゃなくてよかったよかった。
もっとも、静かに怒っている可能性も否定できないが。
「君は君で大変じゃないかい?」
英輔さんは不意に笑いを引っ込めて、そう問いかけてくる。
あくまでも穏やかで柔らかな態度だったが、その瞳は俺の心を見透かそうとしているかのようだ。
「えっと……」
どう答えれば正解なんだろう。
苦労していないと言えば無難なのかもしれないが、俺がこの人の立場なら絶対に信じない。
周囲には女の子、それもいいところのお嬢様ばかりで男が自分だけ、という構図が大変だというのは誰でも想像できるはずだ。
それなのにも関わらずわざわざ訊いてくるなんて、どういう意図なんだろうか?
うかつなことは言えないが、あんまり考える時間もない。
仕方なく、言葉を選びながら本当のことを言った。
「男子が自分一人っていうのは正直つらいですし、大変なことも多いです。でも、皆が親切にしてくれるので何とかやれていると思います」
「ふむ」
どういう意味のふむなのか判断するのが難しいが、それ以上何も言ってくれない。
沈黙が不気味だった為、俺は必死に続きを考えて言葉に出す。
「どうして俺だけが入学できたのか分かりませんが、今後男子を本格的に受け入れてもよいと皆が思えるように気をつけています」
これはその気になれば簡単に分かることだし、言ってしまってもいい。
そう判断したのだが、英輔さんにとってはいいことだったらしく少しだけ眼光が優しくなった。
「うむ。残念ながら、今のところ男子を増やすつもりはない」
それだけにこの言葉にはぎょっとしてしまう。
「えっ……」
反射的に声が出てしまったものの、続きが出てこない。
と言うよりも舌が凍りついてしまって、動かせなかった。
一体どうしてなんだろう?
いや、訊いたところで教えてもらえるんだろうか?
何の為にこのタイミングで告げたんだろう?
疑問が頭の中をぐるぐると駆けめぐる。
そんな俺に英輔さんはゆっくりと諭すように告げる。
「君は理解しているようだが、男子生徒ならば誰でもよいというわけではない」
それは分かっているつもりだ。
だから「失格」とみなされないよう、必死になってきたのだから。
「そして君以外に合格と言える生徒はいない。少なくとも希望者の中ではね」
えっ? どういうことだ?
俺と同学年の生徒たちにはいなかったのだろう、というのは俺しかいない時点で理解できる。
しかし、来年以降は分からないんじゃないか?
それとも実は来年の希望者を既に集めていたとか?
目を白黒している俺に英輔さんはゆっくりと言う。
「赤松君、実のところ私は君のことを評価しているんだ。君はいらぬ誤解を招くことがないよう、注意深く立ち回っているよね」
どうして知っているとは言わない。
この人はその気になれば、それくらい簡単に調べられるのだろう。
「常に相手のことを考え、周囲の反応を想像し、それでも軋轢を生まずに過ごすというのは並大抵ではない」
いや、いやいやいや。
買いかぶりもいいところだと思います。
「高等部の子たちも君にいい影響を受けているようだ、と報告が、幾度となくきている」
誤解だよ、俺何もしていないよ!
叫びたいところだったけど、何も言えなかった。
今の様子だと謙遜くらいにしか思われそうにもないからな。
まさかと思っていたけど、先生たちもそんな風に思っていたとは。
……考えてみれば、先生たちも英陵女子の卒業生が中心なんだから、男慣れしていないんだよな。
今になって気づくなんて、俺の大馬鹿野郎!
「ずいぶんと動揺しているね。自分の評価がそんなに意外だったかい?」
そんな質問がきてギクリとする。
だが、もう遅いし、そもそもこれほどの人の目をごまかし続けるなんて無理だろう。
はっきりと本心を打ち明けることにした。
……正直、ここまで評価されているなら、悪いようにはならないだろうという打算もあるが。
「は、はい。僕は精いっぱい日々を送っているだけで、とてもそんな」
「うん、無自覚というのが素晴らしいね」
ところが返ってきたのは賞賛だった。
あれっ? どうしてそうなるっ?
誰か助けて?
何が何だか分からなくなってきたところに、英輔さんの言葉がふりかかる。
「さっきも言っただろう? 危険は予知して未然に防ぐものだと。君はきちんとやれているじゃないか」
えっ? ああ、そういうことだったのかっ?
まさかそんな風につながるとは思わなかったよ。
愕然としてしまうが、目の前の男性は満足げにうなずいていた。
「君はそういう点で見どころがあると言える。だが、他の子たちはそうはいかなかったようだ」
どうしよう、これって喜んでいいんだろうか。
何やらとてつもない誤解が進行している気がしてならないんだが……しかし、解いてしまうと逆に危険かもしれないしな。
このまま突っ走るしかないのか?
「はあ、何だかとても買いかぶられているようで、怖いですね」
そう力なく笑う。
買いかぶりだとは一度くらい言っておいた方がいいと判断したのだ。
そうすれば、少なくとも褒められて舞い上がっていたと馬鹿にされることもないだろう。
「君は今のままでいいということさ。まあ、誰かとの婚姻するなら、もっと精進してほしいがね」
突然とんでもないことを言われて、思わず吹き出しそうになった。
婚姻ってあの婚姻か!?
一体、何を言い出すんだ、この人は!
……なんて思っても言えないのが、俺の立場である。
必死に飲み込むしかなかった。
「そ、そんな予定はありませんよ」
声が震えないように全力を尽くしつつ、そう主張する。
俺がお嬢様たちと結婚とか恐ろしいにもほどがあった。
「それは残念だ」
英輔さんはちっとも残念そうには見えない表情で、肩をすくめて見せる。
処分する口実が見つからなくて残念、という副音声が聞こえたのは気のせいだろうか?
そんな考えが頭をかすめ、背中に氷を入れられたようなゾッと冷たい感覚に襲われる。
……気にしすぎだといいんだけど、相手が相手だから決して油断してはいけない。
何となく会話が途切れてしまう。
こういう場合、どうすればいいんだろうな。
上流階級相手に出す話のネタなんて何も持っていないし、鉄道に関してはさっき終わったばかりだし……。
英陵だとこういう時は誰かが何かを言い出すので、黙って聞いていればよかった。
女の子はおしゃべり好きだというのは、たとえお嬢様でも例外ではないのである。
しかし、この場でそんなことはとても期待できない。
そう思っていたら、ドアがノックされる。
「どうした?」
俺と話している時とは違い、厳しさがはっきりと混ざった声。
それに返ってきたのは困惑や動揺に分類できそうなものだった。
「はっ。たった今、翠子お嬢様がお帰りになられまして、その……」
何やら言い訳しているかのような調子に疑問を持つ。
どうして姫小路先輩が帰ってきただけでこの反応なんだ?
と思ったら、何と英輔さんも「しまった」という顔をする。
こっちの方はほんの一瞬で消えた為、俺は一応気づかなかったフリをしておく。
そこに畳みかけるように、
「お父様。よろしいですか?」
と明らかに先輩の声が聞こえてくる。
英輔さんは仕方ないと言わんばかりにため息をつき、入室許可を出す。
「失礼いたします」
先輩が入ってくると暗闇を太陽が照らすのに匹敵するほど、華やかさが増したように感じられるのは俺だけなんだろうか。
白い清楚なワンピース姿も似合っていて、とても美しい。
親父さんの手前見とれるわけにもいかず、吸い寄せられそうになる視線を必死で外す。
「あら、赤松さん。いらっしゃい」
それなのに先輩は俺に挨拶をしてくる。
いや、家人としてはごく当たり前のことだし、咎める方が間違っているんだけど。
仕方なく挨拶を返すと、素晴らしい笑顔を返されて言葉に詰まる。
ただ、先輩はその後、英輔さんの方を睨むような勢いで見た。
とても珍しい姿に思わずびっくりする。
「お父様? どういうことでしょうか?」
先輩の冷ややかな声は、初めて聞いた気がした。
娘の問いかけにその父親はごまかすように咳払いをして、席から立ち上がる。
「説明は別の部屋でしよう」
何だか逃げ腰になっているような……もしやと思っていたけど、実は俺を今日家に呼んだのは先輩には内緒だったんだろうか?
先輩は家に帰ってきて俺が来ていることを知り、英輔さんに対して怒っている?
まさかという言葉で頭がいっぱいなものの、それだと姫小路親子の態度に説明がつく。
「赤松君。申し訳ないが、今から親子で話し合いをしなければならなくなった。この部屋で私のコレクションをじっくり堪能していてくれないか」
気のせいじゃなかったら、英輔さんの言葉は縋り付くような感じだ。
嘘だろと言いたいところだが、もしこの人が娘には滅法弱いタイプなら、ありえないことではない。
元より姫小路親子の会話に入れるはずがないので、無言で首を縦に振っておいた。
「ごめんなさいね、赤松さん。この埋め合わせはいずれまた」
姫小路先輩は見る者が同情せざるを得ないほど、悲しそうな顔で謝罪する。
「気にしていません」
そう言って励ます。
実のところもう帰りたくなってきているんだけど、言えないんだよなあ。
昼飯は一緒にって流れだったし。
姫小路親子が去った後、俺は部屋の模型を眺める。
好きなものは少ないけど、これはこれで味わいがあった。
昔のものを見ていると歴史を感じられていいんだよなあ。
友達や妹には変な顔をされるけどさ。
ただ、先輩の反応がどうにも気がかりで没頭できなかった。
元々こんなどでかい屋敷で一人にされて、平気でいられるほど神経太くないんだよなぁ。
こういう時だけ、北川の図太さが一割でもあればと思ってしまう。
そうため息をついていると、ノックがされて一人の女性が入ってきた。
姫小路先輩によく似ていて、より成熟された美貌の持ち主は確か……名前が出てこないけど、先輩のお母さんだな。
「いらっしゃい。夫と娘が迷惑をかけてしまって本当にごめんなさい」
驚いたことにその女性は俺に対して深々と頭を下げる。
「め、滅相もないです!」
必死で頭をあげてもらおうと努力しなければならない。
姫小路家に嫁ぐくらいだから、元から相当な人のはずだ。
そんな人が庶民のガキに頭を下げてくるなんて、想定外もいいところである。
「本当に気にしてませんから!」
懸命に言い募ると、お母さんはようやく頭をあげてくれた。
先輩と姉妹と言っても信じてしまいそうな若々しい美貌である。
「そう言っていただけるとありがたいですね。本当にあの二人と来たら、お客様を放り出すなんて何を考えているのかしら」
頬に手をついて色っぽい溜息をつく。
俺みたいな庶民は客にカウントされていない可能性……いや、英輔さんはともかく先輩がそれはないか。
恐らくよっぽどの事情があったんだろうと思う。
それが分かれば苦労はしないし、詮索するわけにもいかないのだが。
「何かあったのでしょう。少なくとも先輩は普段、そんなことをする人ではないですし」
ひとまず先輩の方はフォローしておこう。
英輔さんの方は……する方が不自然かもしれないから止めておく。
「あらあら」
何故かお母さんは微笑ましそうな表情に変わる。
あれ、笑われるようなところなんて何かあったっけ?
首をひねると困ったような顔をされてしまう。
「うーん、肝心なところで……」
小声で何か言われたけど、よく分からない。
しかし、訊いてはいけない気もするしな。
どうしようかと迷っていると、英輔さんと先輩が戻ってきた。
「お母様。どうもありがとうございました」
先輩が丁寧にお礼を言っている。
この人が俺の相手を頼んでくれたんだな。
一人にしておいてくれる方がありがたかったんだけど、そういうわけにはいかないんだろうなあ。
「それでは場を移してお茶などいかがかしら?」
お母さんがそう提案してきたが、実質拒否不可能の命令だろう。
分かっていてもあえて嬉しそうにうなずくと、先輩も嬉しそうな顔をしてくれた。
社交辞令みたいなものかもしれないけど、ちょっと嬉しい。
「既に用意を命じてありますから、参りましょう」
先輩はそんなことを言う。
この手際の良さには、やっぱり人を動かすことに慣れているお嬢様なんだなと思わされる。
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