17話
今日からは応援合戦の練習が始まる。
練習許可は先生がとってくれたらしい。
と言っても、どのクラスも始めるのである程度はお互い様なんだそうだが。
竹と楽曲は小笠原先生が言ったように、頼んだ翌日に届けられたのだ。
せいぜい四十人分程度とは言え、その日のうちに仕上げるなんてどんな強行スケジュールだったんだろう。
誰もその点に思いを馳せているようには見えなくて、正直ドン引きだ。
してもらって当然という認識を抱いているからじゃないのか、と思ってしまうのである。
もっとも俺だって頼んだ相手の事は何も知らない。
もしかするとそういう事を実現できるだけの生産体制を持っているのかもしれない。
それだと誹謗中傷の類になってしまうのかな……。
考えても結論は出そうにないから、ひとまず後回しにする事にした。
楽譜……でいいのかな?
とりあえず用意された紙を先生と体育委員の二人が手分けして配る。
思ったよりは大変そうじゃないなというのが見た限りの感想だが、俺の音楽の成績を思い起こせば、そんなにアテになる感覚じゃないな。
自虐的になりながら小笠原先生がラジカセを用意するのを待つ。
何でも手本代わりにCDを用意してくれたのだとか。
やっぱり一日で用意できたっておかしくない?
ループになりそうだから、ここでやめておこう。
「実際にやってみましょう」
体育委員が仕切り始める。
まずは始めの一節からだそうだ。
合図にあわせて叩くが、微妙にばらけている。
そりゃいきなり息ぴったりなんて事にはならないよな。
だから練習をするんだし。
演奏する部分を区切って練習をしてみるが、なかなか上手くいかない。
何でだろうな。
こういう事は音楽の先生とかの方が教えられるものだとは思うけど。
「今日はこれまでにしましょう」
先生がそう声をかけて、練習は終了する。
時計をちらっと見てみると四時半だった。
部活や委員会があるからだろうな。
あくまでもそちらより優先するものではない、という扱いらしい。
程度の差はあれ、誰もが息が乱れている。
休憩なしでずっと練習していたんだから、当たり前だろう。
本音を言うと俺だっていい加減休みがほしくなっていたところだ。
こうしてみると皆根性あるんだな。
誰も文句を言わないどころか、嫌な顔を一つしないんだから。
お嬢様ってひ弱とか軟弱なイメージだったけど、ここの女子達には当てはまらないかもしれない。
俺もうかうかしていられないな。
練習の為にずらしていた机と椅子を元の位置に戻して解散となった。
自主練習をと先生は言ったけど、言われるまでもないって顔をしている子達ばかりなのが印象的だ。
家で真面目に練習しておかないと、あっという間に置いていかれるかも。
「ヤスは疲れていないようですね?」
デジーレが鞄を手に話しかけてきた。
そういうお嬢様は、うっすら汗ばんでいて頬も上気している。
不謹慎ながら色気がにじみ出ていると言えた。
俺も健全な男子なんだからそのへんは許してほしい。
「さすが男子って感じね」
背後から小早川が合いの手を入れる。
いや、実は余裕は全くない。
見栄をはるべきか、それとも本当のところを打ち明けるべきか。
一瞬迷ったけど、結局本当の事を言う事にした。
見栄をはったのがいつばれるか分からないし、そうなった時の影響が怖い。
「強がっているだけで、実のところほとんど余裕はないよ。これ以上練習したらダウンするかも」
「……そんな風には少しも見えませんけど?」
デジーレは青い瞳を不思議そうに細める。
「割とポーカーフェイスって言われるんだ。あ、ポーカーフェイスって意味分かる?」
別に嘘をついているつもりはない。
「ええ。分かりますわ。感情を表情に出さないという意味でしょう」
うん、たぶん、そんな感じ。
日常で何気なく使っている言葉だから、本来の意味を改めて聞かれても反応に困る。
俺のあいまいな態度がどう映ったのか、小早川が口を挟んだ。
「赤松君はこの後生徒会でしょう?」
これは助け舟と判断するべきだろうな。
「うん、それじゃまた明日」
二人に手を振って分かれる。
最初は恥ずかしかったんだけど、今じゃ自然と出るなぁ。
可愛い女の子達と笑顔で手を振り合うなんて、中学時代じゃ想像すらしなかった事だ。
そんな事をしみじみと思いつつ廊下に出ると、女子達の洪水がそこにあった。
皆、四時半で終わってそこから一斉に解散だったのか。
接触しないように注意をしながら泳いでいく。
入学してそこそこ経ったし、百合子さんの件もあったから、少なくても同学年の子達にはむやみに痴漢扱いされたりはしないと思うがな。
俺の事を珍獣を見るような目で見てくる子はいなくなっているし。
それでもエチケットやマナー上の問題になる事には違いない。
甘い匂いがただよう空間を抜けると、うってかわって爽やかな風が迎えてくれる。
そろそろ衣替えの時期が近づいているはずだけど、まだまだ春の色合いが抜けていない。
まあ、今からじめじめされても鬱陶しいだけなんだけど。
職員室に鍵を取りに行こう。
もしかすると先輩達に先を越されているかもしれないが、こういうところを疎かにするわけにはいかないからな。
職員室に入ると内田先輩とばったり出くわした。
「あら、赤松君もこれから?」
「はい。奇遇ですね」
確率的には充分すぎるほどありえる事なので、とても奇遇とは言えない。
だからと言って他に適切な表現も思い浮かばなかった。
内田先輩は道を俺に譲ってくれる。
バッティングした場合は下級生がやるのが役目だ。
同学年の時はたぶん、話し合いだろう。
水倉先輩、内田先輩、藤村先輩の間でどういう話し合いが行われるのか、想像もできないけど。
鍵を受け取ると先輩と肩を並べて歩き出す。
「それで? 練習はどんな感じだった?」
そう話しかけられる。
生徒会役員なら、全員が各クラスがどういう事をするのか把握しているのだ。
「ええ。何と言うか微妙に呼吸が合わないって感じでしたね」
俺は慎重に言葉を選ぶ。
クラスの事をこき下ろすような言い方はできないし、かと言って調子のいい事を言うわけにもいかない。
同じ内容でも言い方次第でいくらでも受け取り方が変わるのが厄介なところだ。
人間関係なんて元々そんなものなんだろうけど、中学時代まではあまり意識をしてこなかったよなあ。
何とか上手くやれているのは、恐らくだが目こぼしをされているのだろう。
「まあ始めはそんなものよね」
内田先輩は淡々と告げる。
「私のクラスでも似たようなものだったし」
さらりと言われた事実に少し驚く。
「え? そうなんですか? 二、三年生はそのあたりは大丈夫じゃないのかって思っていたんですが」
これは特に根拠はない。
どちらかと言うと俺の提案が足かせになってしまったんじゃないかという不安の表れだった。
「何でまたそんな事を?」
内田先輩の表情にも口調にも呆れの成分は感じられない。
純粋に疑問に思ったようだ。
さて、こんな風に訊かれたらどう返していいのか困るな。
いい返しが浮かばない。
「いえ、根拠はなかったんですが、そこは経験の差と言うか」
仕方なく思ったままをそのまま伝える。
内田先輩はくすくす笑った。
「いやね。ずっと同じクラスで同じ事をやるならともかく、そうじゃないんだから経験なんかでどうにかできるものじゃないわよ」
まことにごもっともな答えである。
「すみません、そうですよね」
頭をかいて恥じ入るほかになかった。
ただ、このまま終わらせるのも何なのでちょっと尋ねてみよう。
「同じ事を二度やるっていうのは禁止なんでしょうか?」
「別に禁止というわけじゃないわね」
内田先輩は間を置きながら答える。
言葉を選びながら口を動かしているといった感じだ。
「ただ、去年どこかのクラスがやった事と全く同じ事を繰り返すのは恥ずかしいっていう、そういう風潮があるのは確かかしら」
へえ、よく分からないけど過去の模倣はプライドが許さないって感じなんだろうか。
それとももう少し穏当に羞恥心があるのかな?
……どちらも大して変わらない気がするけど、この際は置いておこう。
「そういうものなんですか」
お嬢様達の美意識はイマイチよく分からないが、とりあえず俺が余計な提案をしてしまったという事はなかったようだ。
そう安心していると視線を感じる。
内田先輩がこちらを見ていたのだ。
「もしかして君のクラスのもの、君の提案だったの?」
相変わらず勘が鋭いと言うか明敏と言うか。
「どうして分かったんでしょう」
とても隠しきれる相手じゃないと思い、俺は素直にそう訊いていた。
するとはっきりと呆れた表情をされてしまう。
「今までの流れとさっきの表情で、どうして気づかないと思ったの」
ため息までつかれてしまう始末だった。
「僕ってそんなに分かりやすいですか?」
「うん」
即答される。
やばい、少しへこみそうだ。
そんな俺を見て先輩は軽く笑い声を立てる。
「普段はそうでもないけどね。心配事があったりする場合は分かりやすいかな」
解説をされてしまった。
どこか俺の事をからかっているような響きすらある。
悔しいのでちょっと切り返してみよう。
「よく見ていますね。そんなに僕の事を観察しているんですか?」
「なっ」
先輩は目を見開いて絶句する。
そして耳たぶまで真っ赤になってしまう。
この手の言い回しが不得手だと知っていたけど、まさかここまで効果があるとは。
「そ、そんな事があるわけないじゃない。じ、自意識過剰すぎよ」
声が震えまくっている。
動揺しているのは明白だったけど、あえてそれは指摘しない。
「そうですか。目をかけて頂いているのではと思ったのですが、僕は自意識過剰だったんですね」
更にからかってみる。
しかし、内田先輩はやや平静さを取り戻してこちらを睨んできた。
「君、私の事をからかったわね?」
どうやらあっけなく気づいてしまったらしい。
これだから頭の回転が速い人は厄介なのだ。
もっとも、ずっとからかえる相手じゃない事は分かり切っていたので、これくらいで止めておこう。
「はい。いつもからかわれる仕返しをしたくなったので」
この人、俺の事をからかうのを止めると言っていた割にはちょくちょく弄ってくるからな。
角が立たない範囲内でやり返しておきたい。
ある程度までなら水に流してくれる人だというのもあるけど。
たとえば高遠先輩が相手だったなら、絶対にできない事だ。
「ふふん。覚えていなさいよ」
更に睨んでくるけど怖さはない。
別に本気で復讐を企んでいるわけじゃないんだろう。
「都合が悪いのですぐ忘れる事にします」
友達同士の、軽口の応酬みたいなつもりで言った。
「この」
内田先輩は笑いながら肘で俺の脇腹をつついてくる。
痛くはないどころかくすぐったいくらいだ。
「止めて下さいよ」
そう抗議しても止めてはくれない。
何度もつつかれる。
お返しとばかりに俺も肘で先輩の脇腹をつつき返す。
「きゃ」
可愛らしい悲鳴が聞こえた。
「セクハラよ」
そんな事を言うが、目は笑っている。
「先にやってきたの先輩じゃないですか」
だから俺もこんな事を言えた。
何となく言葉が途切れ見つめあう形になる。
そして同時に吹き出す。
そこに咳払いの声が聞こえてきた。
二人仲よく振り向くと、そこには水倉先輩がいた。
彼女にしては珍しく厳しい顔つきで。
「皆の目があるところで堂々と、その、イチャイチャするなんて…」
そう糾弾される。
と表現するのが正しいんだろうけど、後半声が震えていたから迫力も威厳もなかった。
頬が紅潮していたからきっと羞恥によるものだろう。
怒りのあまりという割には、様子がだいぶ違うしな。
きっと「イチャイチャ」という言葉を使うのに抵抗があったんだろう。
可愛いなと思いながらも、反論はしておくべきだと考えたので口を開く。
「イチャイチャはしていなかったと思いますが……」
相手が先輩なので言葉使いには気をつけないといけない。
そしてあまり強く否定すると、恐らく内田先輩が拗ねるという事も考慮する必要がある。
全くもって厄介だ。
こんな時に限って抑止力たる高遠先輩はいないしな。
「まあ単に仲よくしていただけだしね」
内田先輩がそう言う。
おやっと思って視線を走らせると、水倉先輩の方を見てニヤニヤしていた。
なるほど、ターゲットが俺じゃなかっただけなのか。
「な、な」
水倉先輩は真に受けたのか、動揺している。
単に「仲よくしていた」だけなら、何の問題もないはずだけど、どうも変なフィルターがかかっているようだ。
たぶん内田先輩の事だから、そのへんは百も承知なんだろうが。
「あ、あなた達ね」
水倉先輩は内田先輩に目をやる。
俺の方に来なかったのは、主導権を握っているのは内田先輩だと思っているからか。
それとも同学年の方が言いやすかっただけかな?
顔を真っ赤にした生徒会の副会長を内田先輩は適当にあしらっている。
あまり人通りがない場所だからいいものの、そうじゃなかったら問題になるんじゃないだろうか。
そろそろ止めた方がいいよな。
ぐずぐずしていると三年生達が来てしまうし。
「何をしているのですか」
と思ったけど、既に手遅れだったか。
冷ややかな声に俺達三人はびくりと体を震わせる。
言うまでもなく高遠先輩がやってきたのだ。
「あ、えーと、その……」
内田先輩は明らかに気まずそうな顔をしている。
一方で水倉先輩は強力な援軍がやってきたとばかりに言った。
「智子さんと赤松君が人目もはばからず、イチャイチャしていたのです」
よほど勢い込んだのか、つっかえもせず一気に言ってしまう。
しかし少し待ってもらいたい。
それだと風紀的な問題行為をやっていた事になるんじゃないか?
「へえ」
高遠先輩が発する声の温度が、一段と下がったのは気のせいじゃないと思う。
「詳細は生徒会館の中で聞きましょうか」
言い逃れは許さない空気が放たれている。
警察に逮捕されて連行される犯罪者のような気分で、俺は足を動かし始めた。
かくなる上は、本当の事を全部話して水倉先輩の主張がオーバーだったと言うしかない。
信じてもらえるかは微妙だが、嘘をつくよりはずっとマシだろう。
鍵を開けて中に入り、鞄を置くとさっそく尋問が始まった。
実際はただの質問なんだけど、俺にしてみればそうは思えなかったのである。
内田先輩ですら神妙な態度になっているくらいだからな。
「それで何があったのかしら?」
まず水倉先輩が言い、ついで内田先輩が説明する。
そして最後に俺が言いわけをする事になった。
「内田先輩に肘で脇腹をつつかれたのでつつき返した事は事実です」
この点は事実なので認めるほかない。
後は高遠先輩の判断に委ねるしかないだろう。
「事情は分かりました」
高遠先輩の言葉に俺は生唾を飲み込む。
大事には至らないと思ってはいるものの、絶対じゃない。
場合によっては停学とかもありえるのかも……今更そんな事に思い当たり、重圧を感じてしまう。
内田先輩からやってきた事だから大丈夫だと思っていたんだが、「二人がやって」初めて問題になる事だってあるよな。
何でその事に気がつかなかったんだろう。
少し前の自分の愚かしさを呪いたくなる。
「朱莉さんは少し大げさだと言えますね」
高遠先輩の裁定が下った。
「は、はい。申し訳ありませんでした」
水倉先輩は特に反論せず、頭を下げる。
申し訳ないけど俺としてはホッとしたというのが本音だ。
きちんと冷静に判断してもらえてよかったな。
などと思っていたら、クールな視線がこちらに向けられた。
「赤松君と智子さんもやりすぎと言えます。仲がいいのは好ましいですが、周囲の目にどう映るか、という点について配慮が必要ですね」
「は、はい。申し訳ありません」
内田先輩は神妙な顔で間髪入れず謝る。
俺もそれに倣って頭を下げた。
「それではこれで終わりとします」
ふう、注意だけで済んだか。
寛大な処分と言えるだろう。
こんな事くらいで……と言えるような学校じゃないんだと改めて肝に銘じておこう。
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