3話
結局、第一回の練習場所は相羽の家で決まった。
他のメンバーが同意した為である。
その割にはどこか冷淡と言うか、よそよそしい態度だった気がするんだが。
さすがに相羽の家で練習するのが面白くない、なんて事はないはずだ。
デジーレと相羽の関係は、親友と言ってもいいくらいだしな。
そもそも、面倒見がいいデジーレが何かと相羽の事を気にかけているような感じなのだ。
もし仮に俺の気のせいなんかじゃなかったとしても、どうこうする余裕なんてない。
何しろ今から相羽の家に向かうのだから。
そう、本日は日曜日。
相羽の家にお邪魔して、ワルツの練習をする日なのである。
俺の服装に関しては母と妹の二人に見立ててもらった。
「大丈夫? 変なところはないか?」
金持ちのお嬢様達相手に私服を見せるという事もあり、柄にもなく緊張しているのだろう。
「大丈夫よ」
我が家のファッション担当達は太鼓判を押してくれる。
珍しく母もこの時間帯に家にいたのだ。
「ただし、庶民的なセンスでの話だからね。上流階級基準での美的感覚ではどうなのか、さすがに予想もできないわ」
おまけに不吉で不安になるような事を言ってくれる。
しかも正論であるので言い返す事もできない。
せめてもの抵抗として、不安そうな視線を送るくらいだ。
もっとも、それくらいで悪びれるような母でもないのだが。
「あんたにそのへん期待はしていないでしょ。よほどの馬鹿じゃない限りはね」
はっきりと言ってくれるな。
ただしこれも正論だ。
実の息子に向かって言う事か、とは思うけど。
「こっちは庶民だって分かった上なんだから、気にしすぎじゃないかな?」
妹の方もあっけらかんとしていた。
へタレがうじうじして悪かったな、という気がもたげてくる。
十年以上のつき合いだから、俺を転がす事くらいわけないのかもしれないが。
いずれにせよ、漠然と抱いていた不安と緊張が、どうでもよくなってきているように感じた。
「それより道は分かるの?」
母がある意味もっともな事を訊いてくるが、問題はない。
「学校まで行ったら迎えが来るんだってさ」
電車やバスを使って行こうと思ったら、丁寧に断られた。
申し訳ないので迎えに行くと言われたのである。
初めは家まで来るという申し出だったんだが、俺が断ったのだ。
何故ならうちの近所は皆庶民であり、高そうな車が来たらおば様達の話のネタにされてしまう。
俺が英陵に通っている時点である程度はされているんだろうが、避けられるものは避けた方が利巧というものだ。
話し合いをした結果、学校で待ち合わせをするという事で妥協したのである。
これらのやりとりをした時、「相羽だってお嬢様じゃないか」と思ったのが素直なところだ。
すっかり失念していたが、彼女だって漏れなく高級車で送迎されているはずである。
まあ、実際に車を乗り降りしているところを見た事はないので、もしかすると数少ない「徒歩通学組」かもしれないが、それなら迎えの車を寄越したりはしないだろう。
相羽本人、そうでなくても迎えの人間が来たらすむ問題だ。
「迎えが来るって何か本格的ね……」
今更緊張が伝わったのかと思ったけど、顔を見た限りじゃ違うな。
感心しているようだ。
「押し倒したりしちゃダメよ」
「しないよっ!」
母さんの言葉に返事を投げつけ、俺は家を出る。
そうでないといつまで経っても出発できそうになかったからだ。
普段あまり家にいない分を埋めようという姿勢は嫌いじゃないんだけど、いちいち弄ってくるのが厄介である。
何も今日みたいな日にやらなくてもいいのにと思う。
今日じゃなかったらいいのか、と訊かれたら「ノー」と答えるだろうけど。
外に出ると暗い空とじめっとした生暖かい空気が迎える。
何とも言いがたい気候だった。
梅雨だからと言えばそれまでなんだけど、だからと言ってすっぱり割り切って受け入れる事ができるか、という事は別問題だろう。
せいぜいが梅雨という季節が好きな人くらいじゃないだろうか。
そんな人、まだ見た事ないが。
ビニール傘を片手に歩き出す。
待ち合わせ時間にはまだ余裕があるけど、早めにつくに越した事はないだろう。
相羽は普段の登校時間は早い方だし、打ち上げの時だって割と早かった。
女を待たせるな、男が待つべきっていうのは母さんの教えである。
少なくとも人を待たせるよりは自分で待った方が気楽なのは確かだ。
校門前に着くとまだ誰もいなかった。
少しだけホッとする。
相羽本人が来ていたなら謝ればすんだだろうけど、もし家の人が来ていたなら、気まずい程度ですまなかった気がするしな。
さほど待つ事もなく一台の車が目の前に止まる。
英陵では見慣れた外国車ではなくて国産車だったが、やはり高そうなものだった。
ドアから一人の壮年の男性が降りてきて、俺に一礼する。
「赤松康弘様でいらっしゃいますか?」
年上の人にここまで恭しい態度を取られる事に慣れていない俺は面食らう。
だが、相羽の家の使いの人だと見当をつけ、反応をした。
「はい、赤松です。本日はよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる。
相手が誰であれ、目上には礼儀正しく接するべきだ。
「どうぞ、お乗り下さい」
招かれたので車の後部座席に乗り込む。
名乗ってくれなかったのは、どういう理由からだろうか。
使用人は名乗ったりはしないのかな?
座席はふかふかで座り心地がよく、家のものとは大違いだ。
こんなところでも差があるものなんだな。
……あまりジロジロ見回すのは止めておこう。
俺が庶民だという事くらい、百も承知だと思うけど、だからと言ってしていい事と悪い事がある。
もっと言えば恥ずかしい事があるのだ。
あまりみっともない真似をして、相羽の家族に伝わったりしたら目も当てられない。
ただ、そうなるとやる事がないな。
当然と言えば当然なんだが、運転手さんとの間に会話は生まれない。
どう話しかけていいのか、そもそも運転中に話しかけていいのかも分からないのだ。
うちの両親なら平気で話しかけるんだが、金持ちの家お抱えの人の場合はどうなんだろうか。
そう思っている間にも車は流れるように走っていく。
加速したり減速したり、道を曲がったりカーブを走ったりしているのに、平地をまっすぐ走っているのと同じ感覚のままだ。
比べるだけ失礼かもしれないが、父さんや母さんだととてもこうはいかないだろう。
金持ちの専属ドライバーってやっぱり凄い人なんだなぁ。
感心しているうちに車は住宅街へと入っていく。
デカい家ばかりが並んでいて、今までの景色とはどこか雰囲気が違っている。
これが高級住宅街ってやつなのか?
どこがとは上手く言えないんだけど、何かが違う。
ぼんやりと感想を抱いていると、やがて車はある家に入る。
こういうとあるいは奇妙に思う人がいるかもしれないが、嘘は言っていない。
車は一度も止まらなかったのだ。
門に近づくと自動的に扉が開いたのである。
自動式の扉なんて代物がある家なんて生まれて初めて見たな。
そういうもの自体はスーパーやコンビニに行けばいくらでも存在しているんだが。
相羽の家は洋式建築で、赤いレンガ造りの屋根と白い鉄筋コンクリートが印象的だ。
俺にはそう見えるってだけで、実は違う材料で造られているのかもしれないけど。
黒い土の庭も呆れるほど広い。
屋根がある駐車スペースらしき区域があるんだが、それが庭全体の二、三割程度でしかないのだ。
軽く十台は止められそうなんだけどな。
俺が車から降りると、どこからともなく現れた執事らしき人が荷物を持ってくれる。
念の為に持たされた、お嬢様がたへの土産だ。
こういう場合、荷物を持ってもらうのが礼儀だと聞いた事があったので抵抗はしないでおく。
執事さんの無言の先導に続いて家、というよりは屋敷の中に入る事にした。
まず、扉からして高級感が溢れていてなおかつ頑丈そうである。
少なくとも体当たりで壊せる気はしない。
プロレスラーが十人くらいいれば、あるいは何とかなるのかもしれないが。
中に入って目に飛び込んできたのは、広い廊下と高そうな赤い絨毯である。
いや、赤と言うよりは深紅と言った方が正しいのか?
他にも高級そうな花瓶には立派な花が活けられていて、ここまで芳香が届く。
はっきり言って、この時点で逃げ出したくなっている。
ここで逃げたりしたら、後でよりきつい思いをすると分かっているからこそ、何とか踏みとどまれるのだ。
「皆はもう揃っているんですか?」
先に止まっていた高級車数台が引っかかり、執事さんに尋ねてみる。
「ええ」
渋い声で淡々と返された。
やっぱり俺が一番最後だったのか。
これでも十分前にはついた事になるんだけどなぁ。
女の子、それもお嬢様達を待たせてしまった言い訳はどうすればいいんだろうか。
……素直に謝るのが一番だな。
今まで過ごした英陵の日々を思い返せば、下手な言い訳をするよりは、男らしく謝ってしまった方がいい気がする。
案内されたのは広い部屋だった。
これは応接間なのかな……?
「失礼いたします。赤松様がおみえになりました」
恭しい態度で中にいる人達に声がかけられる。
すると相羽がにこやかに出迎えてくれた。
「北川さん、ご苦労様。赤松君、いらっしゃい」
北川と呼ばれた男性は一礼をして荷物を置き、俺に向かって一礼をして下がる。
部屋の中には百合子さんとデジーレもいて、俺に笑いかけてくれた。
黒いソファーと高級そうな木の机、更には白いカップが置かれている。
一足先にお茶をしていたらしい。
俺はとりあえず置かれた鞄から中身を取り出し、相羽に手渡す。
「これ、つまらないものだけどお土産」
「わあ、ありがとう」
相羽は無邪気な顔で喜んでくれたが、俺としては緊張でいっぱいいっぱいである。
選んでくれたのが紫子さんだったりするので、恐らくは大丈夫だと思うけども。
「開けてみていい?」
「いいよ。お菓子だし」
むしろお茶をしている今のうちに開けて食べるべきだろうし。
そう思ったのだが、デジーレに咎められてしまう。
「あら、ヤス。こういう場合、先に言ってしまうのはダメなのですよ。レディから楽しみを奪うのはいけません」
一体、誰がレディなのか?
母や妹、中学時代の同級生なら言えても、今目の前にいる女の子達には冗談でも言えない。
相羽は茶色い上着にピンクのワンピース、デジーレは白い上着に水色のスカート、
三人の私服は新鮮だったが、いずれも上品でオシャレな感じで決まっている。
女の子の服の種類なんて俺には分からないんだよ。
スカートやズボンくらいは分かるけど。
正直に言えば、制服姿の時よりも格段にお嬢様らしく見える。
学校の制服も決して悪いものじゃないはずだが、それよりいいものが普段着なんてさすがと言うしかないよな。
俺の白いシャツに黒いズボンというシンプルな恰好がみずほらしく思えていた。
一応、覚悟はしていたつもりだけどね。
「わあ……」
お菓子を見た相羽が感嘆の声をあげる。
デジーレと百合子さんはそんな事はしなかったが、どこか嬉しそうだった。
紫子さんおススメの店のプリンだったんだけど、見事に的中したらしい。
さすが紫子さん。
既にお礼は言ってあったものの、改めて心の中で感謝の言葉を捧げておく。
すると百合子さんがそっと近寄ってきて、小声で話しかけてくる。
「これってお姉様の紹介ですよね?」
図星だった。
しかし、すぐに認めるわけにもいかない。
黙って目をそらしておく。
そんな俺を見て何を思ったのか、百合子さんはくすりと笑った。
「だってここのお店、お姉様のお気に入りなんですもの」
紫子さん……一瞬恨みかけて思いとどまる。
少し考えてみれば、別に百合子さんは証拠を突きつけてきたわけじゃない。
紫子さんが贔屓にしている店の商品を買ってきたから、紫子さんの存在を疑っているだけだ。
「おや、そうだったんですか」
少しだけ冷静になれたので、すっとぼける事にする。
驚いたそぶりを見せて、じっと百合子さんの目を見つめた。
なるべく端正な顔は見ないように、目だけをひたすら見続ける。
「ひ、卑怯ですわ」
男に免疫がない百合子さんは、たちまち頬を赤らめて白旗を掲げた。
か細く声はささやかな抗議だったのだろう。
何とか勝ててよかった。
百合子さんみたいな美少女がすぐ側にいるという事にはなかなか慣れないからな。
正確に言えば慣れたつもりでいたのだが、私服姿が新鮮かつ魅力的だった為、免疫機能が破壊されてしまったという事になる。
この子達みたいな美少女がギャップ攻撃を繰り出してくるのは反則だろう。
「あれ、二人ともどうしたの?」
相羽が俺達に気づいたのか、きょとんとしている。
デジーレは何やら意味ありげな表情だったけど、何も言葉にはしなかった。
想像はついても確証はない、みたいな感じだよな。
「何でもありません。お礼を申し上げただけです」
百合子さんは一転して澄ました顔になり、女子達のところへと戻る。
こういう顔をできるんだな。
むしろ今の表情こそが、お嬢様としての顔なのか?
……それだと俺に対して見せているのは何なのかという問題になるな。
友達に向ける顔だと思う事にしよう。
それがいいよな、うん。
周囲の目が怖い、桔梗院家怖いなんて事にならない為にも。
「さっそく頂こうかな」
相羽はそう言うと机の上に置いてある鈴を鳴らす。
間髪入れずドアが開き、一人のメイドさんが部屋に入ってきた。
黒いメイド服に白いカチューシャとエプロン、どこからどう見てもメイドさんである。
二十代前半に見える端正な顔立ちをした女性は、恭しい態度で相羽に話しかけていた。
俺は表情を維持するのに神経を集中しつつ、露骨にならないようにメイドさんを見ている。
本物のメイドさんなんて初めて見たからなあ。
執事や専属ドライバーがいる時点で想像しておくべきだったけど。
メイドさんは一礼して下がる。
お茶を持ってくるのだろう。
あれ、そう言えば俺のお茶はまだ出てこない……?
と思っていたら再びドアが開き、今度は執事が入ってくる。
しかも見覚えがない顔だった。
白髪頭の執事さんは俺と皆の前にお茶を置いていく。
さっき相羽が指示を出していたと思うけど、あれはお菓子に合うものを持ってこいという意味でいいのか?
聞き耳を立てていたわけじゃないから、よく分からないな。
俺があれこれ思い浮かべていると、三人が意味ありげにこちらに見ている事に気づく。
うん、何だろう?
と思ったけど、妹に「女の子の服を褒めた方がいい」とレクチャーされていた事を思い出した。
改めて三人に向き直る。
妹がテストの答案を親に見せる時に近い表情のような気がした。
つまり、期待しているわけである。
俺に気が利いた事を言えるのかは別にして、これはスルーできないな。
「三人ともよく似合っていると思うよ。相羽は可愛らしい感じだし、百合子さんは清楚な感じ、デジーレは上品な感じが決まっている」
俺の言葉を聞いた相羽と百合子さんは、互いの顔を見合わせて恥ずかしそうにもじもじする。
これはこれで可愛いな。
デジーレはと言うと、鼻を軽く鳴らしただけである。
「初めてにしては上出来ですね」
そして逆に俺の言葉を批評してきた。
まあ、貴族令嬢なんだし、男に褒められ慣れているんだろうなぁ。
頬が若干赤いせいで強がっているようにも感じたけど、それは言わないでおこう。
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