5話
北川達と遊んだ日の晩、デジーレからまた皆で会おうという旨の連絡が届いた。
ちょうどいい機会だと思って承諾しておく。
あいつらを招待できるのかどうかはさておき、文化祭がどういうものなのかは確認しておきたかったからだ。
俺が思い描く文化祭と言えば、各クラスや部活で出し物をして、親しい人間と校内を巡回するのだが、果たして英陵でもそれをやるのだろうか。
いや、これまで俺が知っている行事と大差ないものばかりだったから、基本的には似たような流れなんじゃないかとは思っている。
だが、英陵ならではの「何か」がないとも考えられなかった。
日程を調整してメールを終える。
お嬢様相手に夜中に何度も連絡をとったらまずいだろうと思ったのだ。
そもそも、そういう習慣があるのかどうかさえ怪しい相手だしな。
ほどなくしてその日はやってきた。
一度学校に行ってそこで待っているお迎えの車に乗り込む、というのは最早俺の中では恒例行事である。
今更言っても詮無き事ではあるものの、街中や店で待ち合わせをするって発想がないんだよなぁ。
この期に及んで俺から言い出す訳にもいかないけど。
今日向かうのは小早川の家だった。
俺の家に招待する、という選択肢は最初からない。
いいところのお嬢様達が恋人でも婚約者でもない男の家に出入りするというのは、外聞がよろしくないだろうという理由だが、他にも我が家を見せる勇気がないという点もあった。
別にうちの両親の事を卑下する気はないけど、さすがに比較対象が悪すぎると思う。
誰とは言わないが、我が家が犬小屋か何かとしか思えんくらい広い家に住んでいる子もいそうだし。
小早川の家に到着すると、見覚えのある執事さんが出迎えてくれる。
俺みたいな奴にも恭しい態度を取り続ける、ナイスミドルとでも表現すべき人だ。
……内心、俺がこの家に呼ばれている事をどう思っているんだろうという疑問はある。
こうして家に呼ばれているし、礼儀正しい態度を保っているところをみると反対ではないのかな。
案内されたのは談話室のような部屋だった。
小早川の部屋に行った事は一度もないわけだが、これは当然なんだろうな。
きっと「お嬢様の部屋に入れるのは家族と使用人だけ」というルールでもあるに違いない。
中に入ると小早川、デジーレ、相羽が座って待っていた。
もう毎度お馴染みと言ってもよい面子である。
互いに笑顔であいさつをかわした。
こうやってみるとかなり打ち解けた関係になれた事を実感する。
入学した頃じゃとても考えられなかったくらいに。
さて、頑張って今日も女の子達を褒めよう。
英陵の女の子達の間では、どうも招待者を最初に褒めるという暗黙の了解じみたものがあるらしい。
当然俺が知っているはずもなく、さりげなく誘導されたものだが、今なら大丈夫だ。
まず、小早川を視界に捉える。
今日の彼女は白一色のワンピースだった。
きりっとした容貌と清楚なワンピースは見事にマッチしていて、絵のモデルさながらに魅力的である。
次はデジーレだ。
赤いキャミソールにジーンズ、肩には水色のストールのようなものを巻いている。
体のラインが見える大胆かつラフな格好だけど、とても様になっているように見えるのは本人の美貌の賜物か、それとも着こなしセンスだろうか。
最後は相羽だ。
ピンク色のTシャツに茶色いズボンとこれまたお嬢様らしからぬ格好だが、小動物的可愛らしさはある。
もちろん実際に言葉にする時には、ちゃんと言葉を選ばなければならない。
三人を一通り褒めると、デジーレがどこか満足げに微笑んだ。
「だいぶ慣れましたね。すっかり板についてきています」
俺の褒めトークがか。
最初の頃はガチガチだったんだろうな。
「おかげさまで。皆の愛で育てられました」
おどけながら言うとお嬢様達は「あらあら」と口元を手で隠しながら、上品に笑う。
同じ中学の女子がやったら違和感ありそうな仕草でも、この子達がやれば実に様になっていた。
俺がすすめられた位置に座ると、ノックがされてメイドさん達がお茶を運んできてくれる。
相変わらずタイムリーで、監視でもされているんじゃないかと勘繰りたくなるほどだ。
入ってきたメイドさんの顔には見覚えがあるな。
まあいくら金持ちの家だからと言って、メイドや執事が何十人もいるわけじゃないって事なんだろうけど。
メイドさん達が下がると紅茶で喉を潤しながら、簡単な近況報告をしあう事になった。
やはりと言うか、お嬢様がたは海外に旅行に行っていたらしい。
デジーレは実家に帰った後、避暑を兼ねて北欧に。
小早川とデジーレもヨーロッパに行っていたそうだ。
ヨーロッパは日本よりも涼しくて、夏は過ごしやすいってどこかで聞いたような覚えがあるんだが、本当の事なんだろうか。
「南の方はそうでもないわよ。日本の都市と同じくらいの気温の場所もあるし。湿度は日本よりマシだけどね」
小早川がそう指摘してくる。
そういうものなのか。
「ひとくくりにして言えないというのはありますね」
そう継ぎ足すように言ったのはデジーレだった。
「日本だって北海道と沖縄ではだいぶ違うでしょう? 同じ日本には違いないのに」
まことにごもっともな話である。
極端な気がしたものの、例は極端なくらいな方が分かりやすいしな。
俺の方はと言うと、そんなシャレた事はしていない。
宿題を片付けたのと北川らと一緒に海に行ったくらいだ。
さて、どこまで話すべきか。
迷ったものの、大筋は話してしまう事にした。
北川達に脅迫めいた事を言ったが、別に嘘をついた覚えはない。
その気になれば俺が友達と過ごした一日を正確に把握する事だって不可能じゃないはずだ。
説明を終えると、何となく部屋の温度が下がっている心地になる。
別にエアコンが効きすぎているせいじゃないし、俺の錯覚というわけでもないだろうな。
……気のせいだったら嬉しいんだが、女の子達の表情がやや硬くなっているのは幻でもあるまい。
まあ、男の口から女の子をナンパしに行ったと聞いて、愉快な気持ちになる女の子は珍しいだろうな。
そういう事に疎そうなお嬢様揃いだからなおさらだ。
覚悟して喋ったものの、気まずい事に違いはない。
三人組の中で最初に口を開いたのはデジーレであった。
「ヤス……ヤスはそういった事に興味があるのですか?」
どこか悲しそうな、それでいて拗ねたような表情にドキリとする。
これはどう解釈したらいいんだろう。
身近な男が他の女にコナかける行為は面白くない?
いや、そういう事をしないと思っていた男が実はそういう事をするような奴だと知り、幻滅してしまったか?
ありえるとしたら後者だろうな。
だが、これは黙っていてもいずればれたかもしれないんだ。
今のうちに自分から喋っていれば、最悪の結果だけは免れるはず。
そう言い聞かせて、何とか立ち向かう気持ちになれた。
「いや、友達のつき合いみたいなものだよ」
デジーレの青い目をじっと見据える。
ここで挙動不審になっては信用を損ねると思う。
やましい事など何もしていないと毅然とした態度で、目を合せていると向こうから外してきた。
「そ、そうですか」
頬が赤くなったのは照れたのかな?
まあ男と見つめ合うような形になったんだから、免疫のないお嬢様にはきつかったか。
そう考えながらもここぞとばかりにたたみかける。
「信じてくれるかい?」
「ええ。これまでのヤスの言動を考えれば、充分信用できると思います。二人はいかが?」
頬を赤くしたままのデジーレが問いかけると、残り二名は何故か面白くなさそうな顔をしながら賛成してくれた。
「そうね。赤松君は信用できると思うわ」
「うん」
言うまでもないかもしれないが、発言は小早川・相羽の順である。
これまでから信用してくれたって事は、物を言うのは日頃の行いという事だろう。
何とか無罪を勝ち取れてよかった。
北川よ、やはりお前の前に立ちはだかるハードルは相当な高さになると思うぞ。
近況報告会が終わって話題は二学期の事へと移る。
せっかくの機会だから訊いておこうか。
「体育祭もだけど……文化祭もあるんだよな?」
俺の問いかけに皆はうなずいた。
そして代表するように小早川が説明してくれる。
「ええ。時期的には体育祭の後ね」
おお、そうなのか。
「それに山岳祭もありますよ?」
デジーレの指摘にそう言えばそうだったとうなずく。
「順番的には体育会、山岳祭、文化祭、ダンスパーティーかしらね」
おいおい、いくら何でもイベント多くないか?
もう少し別の学期に割り振ってくれてもいいだろうに。
俺が内心呆れるとそれを読んだのか、小早川が意味ありげな笑みを浮かべた。
「二学期にこれだけ行事が詰め込まれるのは一年の時だけよ。二年以上になれば多少ゆとりは生まれるわ」
「と言っても修学旅行などが入ってくるので、結局あまり変わらないと思いますけどね」
デジーレが小早川の言葉を台無しにするかのような発言をする。
もっとも、当の本人が苦笑しているので、自分の言葉に無理があったという自覚を持っているのかもしれない。
「えっとね。一年の一学期は皆と親睦を深めるのが目的だから、あまり行事はないの。仲よくなった頃を見計らって行事を入れるんだって」
それまでほとんど喋らなかった相羽が説明してくれる。
なるほどとうなずきかけたが、少し引っかかった。
ここって中等部から進学した生徒がほとんどじゃなかったっけ?
今更仲よくなる期間を設ける必要があるのか?
俺の問いかけにデジーレが微笑みながら答えてくれた。
「ええ。やはり初等部、中等部だけでは同じクラスになる機会がなかった方もいますからね。そのあたりの事は考慮されているのですよ」
そういうものなのかね。
俺が通っていた小学校や中学校の場合、「だからこそ行事を入れて、そこで仲よくなれ」とやりそうなもんなんだが。
まあ、公立の小中学校と金持ちのお嬢様しかいない私立校を一緒にする時点で間違っているか。
それに俺としてはありがたいのも事実だ。
一年一学期の段階で山岳祭とか色々入れられても、困惑の方が勝っただろう。
……後、今更訊けないんだが、山岳祭って中学なんかでやっていた日帰り遠足みたいな認識でいいのかな?
本格的な登山ができそうな体力を持っていそうな子、少なくとも俺と接する機会があった子の中じゃ一人もいないぞ。
うん、学校側がお嬢様を危険な目に遭わせるわけないよな。
特にデジーレに何かあったら、比喩抜きで外交問題に発展しそうだし。
「その方が俺としてもありがたかったかな」
「だいぶ打ち解けたものね」
しみじみとつぶやくと、小早川が相槌を打ってくれる。
「皆のおかげでな。どうもありがとう」
いい機会だから礼を言っておこう。
こういうのってタイミングを掴めないとできないしな。
俺が頭を下げると、お嬢様達はどこかハニカミながら受け取ってくれた。
うん、三人ともいい女だよな。
言葉にしたら誤解を招きかねないから、心の中でだけ評価しておくけど。
そして、いい加減話を戻して本来の目的を達成しよう。
「話を戻すけど、文化祭ってどんな事をやるんだい?」
俺の言葉に三人は一瞬詰まる。
……うん? 何か変な事を言ったか?
「よその文化祭はどうか分からないですけれど、我が校でやる場合は主に芸術品の鑑賞ですね」
デジーレが説明してくれたが、俺は内容を掴み損ねた。
いや、言葉の意味は理解出来たんだけど、英陵で「芸術品の鑑賞」をするって何かスケールがデカい話になりそうな予感が?
「そうねぇ」
小早川が頬に手を当てて遠くに目をやり、言葉を選びながら説明を継いだ。
「簡単に言えば演劇を鑑賞したり、美術品を閲覧したり、陶芸品を見たりと言った感じかしら?」
「うん、何となくだけどそこまでは分かるかな?」
普通ならば自分達でその美術品などを作る事になるんだろうけど、ここは英陵なんだ。
二人の説明には、英陵ならではの何かが欠けている気がする。
黙っていた相羽がここで口を開く。
「保護者の方や理事長、卒業した先輩達から貸し出されるものを観るんだよ」
「ふーん」
反射的に返事をしたが、その後で考える。
皆の保護者や卒業生って当たり前だが金持ちばかりだろう。
そんな人達からいちいち借りるのか?
俺の疑問に答えたのはデジーレだった。
「ルノワールとかゴッホとかモネとか葛飾北斎、雪舟といった感じですね」
……おい、俺でも聞いた事があるような名前ばかりだぞ。
「有名な陶芸や彫刻の場合もあるから、楽しみよね」
小早川がそうつけ加えるが、立ちくらみが今にも起きそうな気分になる。
そうそう集められるようなものじゃないと思うものばかりなんだが……まあ、そういう家庭の子女ばかりってのが英陵なのか。
俺はもしかしてまだまだ侮っていたんだろうか?
頭痛に襲われている気分になりながら、気になった事を聞いてみた。
「俺達は何かやらないの?」
この問いには皆がきょとんとする。
うん、何か変な事を言ったか?
「するって何をでしょう?」
デジーレが小首をかしげると、小早川も考え込む仕草を見せる。
「他校では何をするかって事よね。集団ダンスは体育祭だし、社交ダンスはダンスパーティーだし……」
ダンスから離れろよと言うのは無茶なんだろうか。
相羽も可愛らしくうんうん唸っているが、何も思いつかないようだ。
ああ、よく分かった。
喫茶店を出したり展示をやったりって事はないんだな。
それはいい加減気づいていたけど、まさか誰もこういう発想すらできないとまでは思わなかったよ。
つくづく別物なんだな。
訊くだけ訊いてその後放置し続けるわけにもいかないので、答えを教えておこう。
「お店や展示物を出したりするんだよ」
焼きそば屋、タコ焼き屋、喫茶店、お化け屋敷といった店、郷土史だったり創作小説だったり、絵だったり、工作だったり、演劇をしたりな。
俺の説明を聞いた三人のお嬢様はまたしても怪訝そうな顔になる。
「お店ならば専門店に行けばよいのでは……それに歴史ならば授業で習いますし、その気になれば自分で調べられるような……」
デジーレが遠慮がちに疑問を口にすると小早川も同調した。
「そうよね。自分達でやってみる事に意義があるのかもしれないけど、世界から集まった芸術を鑑賞する方がタメになる気はするわね。オペラやマジックショーやサーカスなら、本職のものを見に行ったりあるいは家に呼べばいいのだし」
やはり俺に対する気遣いのようなものが感じられるが、内容はとんでもない。
マジシャンはまだしも、オペラやサーカスの一団を家に呼ぶって何だよ。
ああいう人達って呼べば来てくれるものなのか?
……デジーレ達に招かれたら断れないってだけなのかも。
深く考えるのはよそう。
「とりあえず、当日に向けて準備はいらないってのは分かったよ。皆はともかく、俺はそういう伝手を持ってないしね」
自虐に聞こえないよう注意をしながら言った。
これはあくまでも前ふりみたいなもので、本命は次の質問だからいちいちフォローされても困るからな。
「それより訊きたいんだけど、当日って家族や友達を招待できるのかい?」
この問いに小早川は困った顔をした。
「ご家族は問題ないわよ。でも友達は無理じゃないかしら」
「物が物ですからね」
デジーレも珍しく曖昧な表情でつぶやく。
言いたい事は理解できた。
そりゃ世界的に著名な美術品の類が集まるんだから、身元がしっかりしている人しか入れないよな。
家族ならともかく友人となるとかなり範囲は広くなるし。
「了解。訊いてみただけだから」
気にしなくていいと言っておいた。
帰ったら北川にダメだったとメールしておこうか。
あいつの事だから騒ぐだろうけど、傷つけただけで賠償金額が億を越えそうな物が並んでいるぞ、とでも言えば黙るだろう。
脅しじゃなくてむしろ過小申告なふしすらあるところが、英陵が英陵たるゆえんだ。
話を終えた俺達は再びダンスの練習を始める。
女の子達の体の匂いと恐らく化粧品や香水の匂いが鼻に届いてドキリとした。
柔らかくて甘いんだよなぁ、この子達の香りって。
千香の奴もそうかもしれんが、実の妹相手にそんな風に見た事はないからなぁ。
さてと、俺の為に時間を作ってくれているお嬢様がたに報いる為にも、上達しないとな。
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