9話

 放課後、昼食を一緒に摂ったメンバーで集まった。

 誰かが音頭を取る事なくても自然とデジーレのところへ、である。

 幸運な事に、清掃当番の人間はいなかったのだ。

 誰もが困惑と不安が入り混ざったような顔をしている。

 内田先輩のあの発言は、皆の心にそれだけの影響を与えたのだろう。

 全くもって人騒がせな人だ。

 本人はまた別の考えなんだろうけど。


「どうしましょう?」


 全員がデジーレを見ていた。

 こういう時、知恵を出すのもリーダーの役目なんだろうか。

 いつも凛々しくて落ち着いた態度を崩さないデジーレも、さすがに先輩が相手だからか他の子達と似たような様子だった。

 そんな姿も新鮮で可愛いな、と言ったらこんな時に不謹慎だと吊るし上げを食らうだろう。

 だから黙って見守る事にする。


「そうね……」


 デジーレは憂いを帯びた頬に手を当ててしばし考え込み、やがて俺に目を向けた。


「ヤスはどう思いますか?」


 ここで俺に振るのか。

 全く無視されるよりは嬉しいけど、期待を裏切ってはいけないと思うと、唇が渇いてくるな。

 俺は少ない脳みそを必死に働かせる。

 うんうん唸りながら考えているうちに、ふとアイデアが浮かんだ。

 名案とは言えないだろうけど、そこまで酷いものでもないように思える。

 皆の意見を聞いてみよう。


「そうだな。球技大会の打ち上げをやる時に、というのはどうだろう? それなら、内田先輩の存在もある程度は小さくできるんじゃないか?」


 つまりクラスメート達全員に参加してもらおう、というのだ。

 それなら、内田先輩も埋没してしまうんじゃないだろうか。

 あの人はそれくらいで怖気づくような人でもないだろうけど、たった一人で無茶もできないだろう。


「それは悪くはないですけれど……」


 デジーレは言いよどむ。

 歯切れが悪くなるのも無理はない。

 同級生全員の承諾を得ない事には始まらないからだ。

 ……やっぱりちょっと無茶だったかな。

 そういう事に興味ない子だっているだろうし、そんな子に無理強いするわけにもいかないし。

 まずは小早川や木村に相談して、やれそうかどうか確認してみるのがいいかなぁ。


「とりあえず、小早川に相談してみるか? あいつなら何かいい知恵を出してくれるかも」


「そうですわね。クラス全体となると、委員長や副委員長の協力があった方がよいでしょう」


 デジーレがすぐに賛成してくれた。

 それを見て、他のメンバーも同意してくれる。


「じゃあタイミングを見て二人に相談しようか」


「あら、私に何かご用?」


 実に都合がいいタイミングで小早川が教室に入ってきた。

 そして清掃班が彼女と同じ三人も。

 俺達は一瞬顔を見合わせたものの、すぐにデジーレが事情を説明する。


「なるほどね。まず訊きたいのだけれど、打ち上げってなあに?


 小早川のこの発言で俺は目が点になった。

 打ち上げを知らない……?

 いくらお嬢様だからって、まさかそんな……。

 にわかには信じられない思いだったが、言った本人は大真面目だ。


「そういう事ならば、協力しましょう」


 小早川は即座にそう言ってくれた。

 美少女に向かって男らしい、なんて評したら失礼かな。

 面倒見がいい姉御肌、と言うべきだろうか。


「早速、私から呼びかけてみるわね」


 トントン拍子に事が運びそうなので、俺はかえって不安になった。

 小早川の助力を得られるのは心強いけど、そんなに簡単にいくものなんだろうか。

 そうは思ったものの、まさか口にするわけにもいかない。

 今日のところはひとまず解散となった。

 小早川から主だった人間に連絡が行ってからが本番となるのだろう。

 他のメンバーも、交流があるクラスメートにそれとなく言ってみるという。

 こうなってくると俺が役に立てない。

 同級生達で交流がある人間は、ここでほぼ全部だからだ。

 後は百合子さんくらいのものだろうか。

 クラスで打ち上げをやろうという企画に巻き込むわけにはいかない。

 何もする事がなさそうだと申し訳なく思っていると、不意に小早川と目があった。


「赤松君にはお店の事を色々と聞きたいんだけど、構わないかしら?」


「あ、うん。いいよ」


 そりゃそうだよな。

 この中で、と言うよりは英陵生の中でウィングコーヒーの店に入った事があるのは、俺くらいしかいないだろうし。

 どこにあるのかとかどんな店なのかとか、俺が説明するしかない。


「当日、エスコートをお願いしますね」


 デジーレがどこか悪戯っぽく微笑みながら言った。

 エスコートは確かに男の役目かもしれないけど……。 


「いや、人数が……」


 クラスの女子全員一人で、というのは物理的に無理だ。

 思わず情けない顔をしてしまうと、一斉に笑い声が起こった。

 ゲラゲラといったものではなく、クスクスといった上品な声である。


「もちろん冗談ですわ」


 デジーレは口元を手で隠しながら、鈴が鳴るような笑い声を立てていた。


「だよねー」


 俺も笑って頭をかく。

 お嬢様達だって冗談は言い合えるのである。

 こういう関係はよいものだ。

 ひとしきり笑った後、デジーレは顔を真面目なものへと変えて言う。


「でも、今後の為に学んでおいた方がいいとは思いますわ。二学期にはダンスパーティーなどがありますからね」


「うん、話は聞いているよ……」


 二学期は体育祭、文化祭、音楽祭、ダンスパーティーと行事が多いと。

 考えたら今から憂鬱になりそうなので、なるべく忘れるようにしておいたんだが。

 俺の心情を見抜いたのだろう。

 お嬢様達は同情的と言うか、気遣わしげな表情を浮かべた。


「今から少しずつでも学んでいきますか?」


 一人がそう言ってくれる。

 ありがたい事だし、できればやりたいんだが、そういうわけにもいかない。


「生徒会業務の事があるからね。皆に合わせる事ってできないと思う」


 少なくとも平日は無理だ。

 だからと言って休日に付き合ってもらうというのは心苦しい。

 何か手を考えなきゃいけないよな。


「そうですか」


 何だか残念そうだ。

 別に俺と過ごせなかったからじゃないだろう。

 きっと示した好意が受け入れられなくて悲しいんだな。

 それも嫌らしい意味ではなくて、親切にする事ができないって感じの類のものだ。

 中学時代の同級生が知ったらそんな奴いるのかって言いそうだけど、英陵の女子達はそんな子が多いんだよな。

 普通とは違う意味で油断できないと言うか。

 俺に対して非好意的だった正道寺先輩ですら、困っていた時には親切にしてくれたし。

 困っている人に親切にしないのは恥とでも考えているんじゃないだろうか。

 それも無意識レベル、でだ。

 世の中、こんな人間ばかりなら世界は平和なんだろうなって思うのは、買いかぶりすぎているのかな。


「大切なお仕事をなさっているのですから、仕方ありませんね」


 デジーレがその場をとりなすように言う。

 何だかうちの親父とおふくろの会話みたいになんだけど、これは俺の気のせいだよな。

 少なくともデジーレにそんな意図があったとは思えんし。


「お仕事、頑張って下さいね」


 他の子も次々にそういう事を言ってくれる。

 何だかいつの間にやら、俺を励ます会へと変わっていた。

 素直でいい子達揃いだからだろうな。


「うん、ありがとう」


 ここは素直に受け取っておこう。

 そろそろ時間もやばくなってきているしな。


「じゃあ、そろそろ行かないとまずいから」


 話の切り上げを告げる。

 流れ的に言いやすかった。

 本当はもうちょっとこのメンバーと仲良くなりたいんだけど、生徒会業務をおろそかにするわけにもいかない。


「あら、大変。もうそんな時間なんですね」


 皆は時計を見て慌て出す。

 この中には今日、時間に追われる子はいないはずだが、だからこそ俺へ罪悪感を持ったのかも。


「翠子様がたをお待たせしたら悪いわね」


 小早川がそう言う。

 最初に名が挙がる時点で何と言うか、姫小路先輩ってそういう人なんだな。

 同意を示す同級生達を見てそう感じる。


「事情を話せば許してくれると思うよ。たぶん」


 姫小路先輩は大らかな人だしな。

 俺の言葉を聞いたメンバーは、何故だか不安そうな顔になった。


「翠子様はともかく、まどか様はそのあたり厳しいのでは……」


 誰かが不安げにぽつりと漏らす。

 小早川もデジーレも何も言わなかった。

 おやおや、高遠先輩と姫小路先輩にすごい差があるな。 

 あの人、決して理不尽な事は言わないんだけど。


「大丈夫だと思うよ。高遠先輩って沈着冷静で厳格って印象が強いけど、優しくて面倒見がいいから」


 少なくとも俺が知っている高遠先輩はそういう人だ。


「まあ」


 なのにどういうわけか、そんな声が聞こえてくる。

 いちいち確認するまでもない。

 同級生達は程度の差があれ、皆驚いたらしい。

 別に先輩の事を擁護したつもりはなく、事実を言ったつもりなんだけどな。


「ずいぶんと親しくなったみたいですね」


 デジーレが何やら冷たい感じで言った。

 さっきまでの穏やかさ、あるいはからかうような調子とは明らかに違っている。

 何でまたそんな態度を取られるんだろうか。

 厳しいと思っていた先輩の別の一面を、新参者にすぎない俺が知っているのが悔しいとか?

 それとも自分の不明を恥じているとか?

 貴族令嬢はそういうところがあるっぽいからな。

 責任感が強くて自分に厳しいって感じだ。


「まあ、よくしてもらっているよ。だから甘えていられないとも思う」


 彼女の碧眼を見つめながら切り返す。

 何だかデジーレをなだめるような形になってしまったが、半分以上は自分以上に言い聞かせるつもりで言った。

 そう、俺はとても甘やかされている。

 学校、先生、そして先輩達や同級生達に。

 それにあぐらをかいていたらいけないと思っている。

 じゃあどうするんだって訊かれても、何も答えられないのが悔しいんだけど。


「そ、そうですの……」


 デジーレが少したじろいだ様子を見せる。

 彼女にしては珍しいと思ったけど、自分の非は迅速に認めるタイプだからおかしくはないか。

 こういうところが好ましいんだし。


「とりあえず、今日のところは解散しましょう。いくら許してもらえるからって、先輩がたをいたずらに待たせるのは非礼よ」


 小早川の言葉で一同は鞄を取りに行った。

 全く、ごく自然にリーダーシップを発揮できる子だよな。

 デジーレのようなグループのリーダータイプがいてもそれが変わらないっていうのは立派だと思う。

 まあ、デジーレも自分以外の誰かが仕切る事を嫌がるような、そんな小さな人間じゃないんだけど。

 どことなく小早川の事を立てているんじゃないかって気もするし。

 そこまではいかなくとも、学級委員長の決定には従うというスタンスを貫いていると言うか。

 何にせよ付き合いにくい種類の人間じゃなくて嬉しい。

 そんな事を考えながらお嬢様達と別れる。

 下駄箱と生徒会の建物がある方向は別々だから仕方ないよな。


「ごきげんよう」


 笑顔で手を振りながらである。

 聞くところによると、これは親しい人間同士でのみ行われるという。

 そうでない場合は会釈をするのだとか。

 どう違うのかよく分からんな。

 会釈をする方が礼儀的には正しいのか?

 それとも英陵ならではの考え方によるものなんだろうか。

 このあたりに関しては、まだまだつっこんで訊けないんだよなぁ。

 入学して一ヶ月も経っていないと思えば順調ではあるだろう。

 あまり急ぐ事もないかなという気もある。

 せいては事を仕損じる、なんて言葉もあるからな。

 相手は俺の常識や価値観が一切通用しないような、生粋のお嬢様達だ。

 まずは色々な部分をすりあわせていく、というつもりがいいのだろう。


「ごきげんよう」


 声をかけられて驚いて見ると、見覚えのある顔があった。

 名前は出てこなかったけど、確か八組の子だ。

 百合子さんと一緒にいた気がする。

 あいさつを交わして別れた。

 少しずつではあるが、クラスメート以外にもあいさつをしてくれる人は増えているのだ。

 そう思えば「進んでいる」という実感が湧いてくる。

 足取りは少しだけ軽いが、決して走ったりはしない。

 廊下を走ってはいけない、という校則は実はなかったりするのだが、実のところ「いちいち言うまでもない」という認識のようだ。


「え。廊下を走る子なんているの?」


 これを言ったのは相羽である。

 「小説の中じゃたまに出てくるけど」なんて驚き方をしていた。

 比較的庶民派のあいつがそう感じた時点で、他の人達の反応は想像できてしまう。

 もしかすると廊下を走っただけで停学、あるいは退学かもしれない。

 普通の学校ならまずそんな事はないだろうが、ここは英陵なのだ。

 まして俺は、特別待遇で入学を認められた唯一の男子生徒である。

 罰則に関しても普通じゃない、と思っておいた方がよいだろう。

 ……もっとも、早歩きまでは禁じられていないので、何とか叱られない程度に急ぐ。

 館に入ると既に五つの靴があった。

 やっぱり俺が最後だったか。

 靴を脱いでスリッパを履き、短く息を吸ってから扉を開けた。


「遅くなってすみません」


 一番に謝罪をしながら入る。

 先に来ていた先輩達はお茶タイムだった。

 室内に満ちた芳しい香りが鼻を刺激する。


「珍しいですね」


 姫小路先輩が穏和な顔でそう言った。

 やはりこの人はこれくらいじゃ怒らないよな。

 この人が怒らないなら、関門は多分一つ。


「赤松君、一応事情を説明してもらいましょうか。普段は早いあなたが遅れたのには、相応の理由があるでしょうから」


 高遠先輩の言である。

 おお、この人も予想通り頭ごなしに怒ったりはしない人だった。

 いつもはできるだけ最初に来れるように頑張っているせいかな。

 少なくとも、遅刻の常習だったらもっと厳しい反応が待っていたはずだから。

 とは言え、ここでぐずぐずしていると、一気に評価が暴落しかねない。

 俺はこれまでの事を説明する。


「ああ、お昼休みに言っていた事ね」


 そんな反応をしたのは、当たり前だが内田先輩だ。

 彼女にしてみれば合点がいったといったところなのだろう。

 その発言のせいで、他の先輩達の視線が内田先輩のところへ集中する。


「お昼休みに赤松君達にばったり会ったのですよ。そこで校則として問題はないかと訊かれまして」


 視線で姫小路先輩、高遠先輩に問いかける。

 水倉先輩も副会長ではあるけど、実質上この二人がトップなのだ。

 正確に言えば、姫小路先輩さえうなずいてくれたら何とかなるけど、できれば二人に賛成してほしいな。


「その前に一つ、うちあげとはなんでしょう?」


 姫小路先輩がそんな事を言った。

 高遠先輩も首肯する。


「そうですね。相羽さんのお家が経営するお店で何かをしたいというのは理解しましたが」


 二人ともデジーレと同じで、打ち上げとは何の事なのか分からないらしい。

 すると水倉先輩と藤村先輩もおずおずと手を挙げた。


「ごめん、智子、赤松君。私もよく分からないわ」


「打ち上げ花火の事じゃ……ないんですね、ごめんなさい」


 藤村先輩は打ち上げ花火の事を持ち出したが、俺達の顔を見てすぐに違うと気づいたようである。

 すぐに撤回してしまった。

 既に免疫ができていたので説明をよどみなく行う。


「あら、そういう催しがあるのね」


 姫小路先輩は興味津々といった顔つきになる。

 これは嬉しい誤算だ。

 反対されなかったら何とかなると思っていたのに。


「我が校では実践された事はないはずですが……互いに慰労するというのはよい案ですね」


 高遠先輩も好意的っぽい。

 この二人がこの反応なのは、とても心強いぞ。


「僕達のクラスで実施するのは、認めていただけるでしょうか」


 期待感がなるべくこもらないように、先輩達に質問する。


「構わないと思います。それに成功すれば、もしかしたら相羽さんの劣等感も何とかなるかもしれません」


 高遠先輩はそう発言してから姫小路先輩の方を見た。


「会長、それでよろしいですか?」


「ええ。赤松君のクラスが上手くいったならば、他のクラスで取り入れてもいいわけですし。よき前例を作れるよう、励んで下さいね」


「はい」


 女神のような微笑を向けられ、俺は反射的に元気に返事をする。

 そしてとんでもない事を言われたような気がした。

 あれ? もしかして英陵初のイベントを俺が実行するの?

 背中に冷たいものが流れた。

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