2話
実力テストは慌しいうちに終わった。
五十点くらいならとれたと思うけど、それじゃクラス最下位の危険が大なんだよなぁ。
そんな簡単なレベルじゃないのに、皆は何で点数を取れるんだろう。
お嬢様学校なんて競争がなくてのんびりしている、というのがただの偏見だとは既に思い知っているが、正直釈然としない。
いやまあ、勉学もお嬢様のたしなみのうち、という風潮っぽいんだけどね。
それにどの家もいい教師を探し出し、子供の専属教師として雇用するだけの金と力はあるわけだし……。
終わった事を考えるのはよそう。
今から生徒会の時間なんだ。
二学期は行事が多い分、生徒会は忙しくなるはず。
俺もこれまで以上に頑張らないといけないだろう。
気合を入れていこう。
生徒会室に行くと俺が一番だったので、少しほっとした。
別に下の者が先に来いっていう暗黙のルールなんてないんだが、先輩達が先に来ているとやっぱりちょっと気まずいからな。
誰かが手入れしていたのか、室内には埃や汚れがほとんどない。
これならば簡単な清掃ですぐ綺麗にできるな。
まずは高いところからやろうか。
先輩達に教わった手順通りにやっていく。
しかし、これだけ綺麗って事は先輩達は皆、掃除もできるって事になるよな。
生徒会室は基本的に顧問の先生か生徒しか立ち入らないんだし。
ここの人達は、本当に俺の中のイメージが通じない。
もちろんいい意味でだ。
そりゃ何でもできる人がいるってのはおかしくないんだけど、一人じゃ何もできない人とか、ワガママで高圧的な人とか誰もいないのはさすがになあ。
英陵の校風や教育方針だからなのか、そういう人じゃないとそもそも受け付けないのか。
いずれにせよ、うかうかしていると俺が頼りになる場面なんてほとんどない。
せいぜいが力仕事くらいのものだ。
いくら何でもそれはまずいと思う。
役に立たない、存在感がないと判断されたら来年以降の男子入学にも響くだろう。
……ヒーロー様だなんて大それた呼称がこれだけ広まっているんだから、今のところは及第点だと思いたいんだが。
しかし、面と向かって訊くわけにはいかないよなあ。
そもそも女の子達だって何も知らなくて、俺に質問されても困るかもしれない。
学校経営の判断をしているのは、あくまでも理事会とかだろうし。
あ、そう言えば親が理事をやっている子も誰かいたんだっけ?
そう考えた時、ドアが開いて内田先輩と水倉先輩が入ってきた。
「よかった、赤松君だけだった」
内田先輩が露骨にほっとする。
「そうだね。翠子様より早く来れてよかったわ」
水倉先輩も安堵の息を吐いた。
俺が先に来ているのは平気なんですね、と自虐してみようかと思ったものの、水倉先輩はともかく内田先輩には通用しないから止めておこう。
それにしても内田先輩でも、三年生より後だったら気まずいもんなんだなぁ。
まあ、気持ちは分からない事もない。
姫小路先輩の優しくて上品な笑顔や、高遠先輩の理知的なクールなまなざしに出迎えられると、俺だって落ち着かないよ。
別にどちらの先輩も自分より遅い事をとがめたりはしないんだが、だからこそ余計に心理的圧力がかかると言うか。
怒られたり注意されたりした方がずっと楽って事はあるよな。
二人の先輩は言うだけ言うと鞄を置いて、掃除を手伝ってくれる。
黙ってすぐ行動に移してくれるところが素敵だと思う。
言葉にすると二人とも真っ赤になって、俺がナンパしたみたいになってしまいそうだから言えないんだけど。
さっきのはっきりとした言葉は、それだけ気を許してくれている事の裏返しだろうし、喜ぶべきであっても怒るべきじゃないんだよね。
内田先輩はまだしも、水倉先輩って後輩にもけっこう遠慮しちゃう性格だからな。
それが段々なくなってきたというのは、実に嬉しい。
こうして文字にしてみると、女の子の距離が縮まった事を喜ぶジゴロみたいで嫌だな。
……掃除、頑張ろう。
ほどなくして藤村先輩も到着して、三人が先に掃除をやっているシーンを見てアワアワし始めたのは微笑ましかったが、これも言葉にはできない。
考えてみれば地雷は多いんだよな、英陵って。
北川は絶対に足を踏み入れちゃいけない気がするわ。
掃除が終わったタイミングを見計らったかのように、三年生達が姿を見せる。
狙っていたわけじゃないだろうけど、ゆっくりと来てくれたというのはあるかもしれない。
気づいても指摘しないのが暗黙の了解である。
女性相手だから、デリカシーと言ってもいいのかな。
お茶を淹れる段階で水倉先輩が立った時、姫小路先輩が制した。
「今日はわたくしが淹れます。赤松さんと一緒にね」
これには俺も驚いたが、高遠先輩を除く全員も同様である。
思わず絶句してしまった俺達に向かい、姫小路先輩は微笑みながら言った。
「わたくしもまどかさんも今学期で引退となりますから……」
寂しそうで儚さが宿った顔に、俺達はさっきとは違う意味で言葉が出てこない。
そうだった……三年生は二学期で生徒会を引退するんだ。
そして二年生が跡を引き継ぐ。
当たり前の事なんだけど、今まで考えた事もなかった。
いや、無意識のうちに考えないようにしていたのかもしれない。
「姫小路先輩と高遠先輩がいなくなるなら、寂しくなりますね」
やば、思わず言葉が口から出ていた。
二人の三年生は恥ずかしそうに、それでいてどこか嬉しそうに頬を赤らめる。
やってしまったという思いが胸を去来するが、誰も何も言わなかった。
二年生達もこの空気に当てられたのか、それとも同じ気持ちだからかなのか、もじもじとしている。
こういう場面だと茶化してくる確率が高い、内田先輩も黙ってうつむいている。
「まあ、会えなくなるわけじゃないですから」
どこか甘くて切ない空気を払拭するかのように、姫小路先輩がそんな事を言う。
「え? 引退しても会いに来て下さるんですか?」
そういうのってありなのか。
びっくりして脊髄反射で訊き返す。
ところが、返事はすぐに来ない。
変に思うと先輩の方を見ると、端正な顔も耳も真っ赤になっていて、心なしか目も潤んでいた。
あれ、俺、何かそんな凄い事を言ったっけ?
助けを求めて周囲を見回したけど、他の先輩達も口に手を当てて、頬を朱に染めて目を合わせようとしてくれない。
……どうやら巨大な地雷を踏み抜いたらしい、という事は分かった。
さて、どうしよう。
ここからどうすればいいんだ?
必死に頭を働かせるものの、打開策は一向に浮かんでこない。
先輩達を傷つけてもいいのなら、方法はないわけでもないが、ここの面子を傷つけるのはちょっと。
我が身が可愛いというのは否定しないけど、優しく親切に面倒を見てくれた人達なんだから、できるだけそういった事は避けたいんだ。
一番穏当なのは言い直す事かな。
やっとそう思いつき、言葉にしてみる。
「あ、すみません。引退した人が遊びに来るというのは、問題ないのでしょうか?」
恐る恐る訂正すると、先輩達も何とか気を取り直したように咳払いをした。
「え、ええ。問題はないはずよ。ねえ?」
高遠先輩がそう話しかけると、残りメンバーが一斉にうなずく。
何だろう、先輩達どこか残念そうな顔をしているような?
……という考えは恥ずかしい自惚れだな。
たぶん、勘違いしていた事に気づいて、バツが悪いんだろう。
お嬢様達だからあまり表情に出さないような教育も受けているんだ。
きっとそうさ、そのはずさ。
自分でもよく理解できない事を自身に言い聞かせて、気持ちを落ち着かせる。
ぎくしゃくした感じはぬぐえなかったけど、それでも俺達はひとまず通常業務に戻った。
三年生が引退したら、生徒会メンバーはどうなるんだろう。
素直に考えるなら、副会長の水倉先輩が跡を継いで、内田先輩か藤村先輩が副会長になるんだよな。
それでも一人は止めてしまうのか?
そして新しく一年生を採用する……今の代のメンツを思えばこういう風になるんだと思う。
その場合、俺はどうなるんだ?
元々特別枠といった要素で入ったわけだが……その割には男子の為の意見ってあんまり求められなかった気はするな。
どちらかと言えば庶民視点の話が多かった気がする。
一般入学枠を増やしていくつもりなんだろうか?
英陵は高等部編入試験は難しいけど、毎年百人以上もの東大合格者を出してる有名私立にはとても及ばない。
だからこそ、俺が入れたはずだが……まあ、英陵に入りたいって女子は結構いたように思う。
合格偏差値を引き上げる代わりに奨学金や特待生度を作りさえすれば、きっと希望者は多いだろう。
何せ大企業のオーナーとか創業者一族のお嬢様がごろごろいて、お友達になるチャンスがあるんだ。
人脈構築の場としては、ここより上のところなんてあるはずがない。
慶陽や慶陽女子でやっと互角くらいじゃないかな?
男だって逆玉の輿狙いの男、政略結婚の足掛かり的な狙いで希望する奴は出てきそうだ。
俺しか入学が許されなかったのは、そういう理由もあったんじゃないだろうか。
俺なら明らかにつり合いがとれないし、お嬢様だって恋愛対象にはしないだろうという事で。
お嬢様達とつり合いが取れる家の御曹司、それもイケメンだと普通に男女関係に発展してしまいかねないし。
それを学校側が嫌ったのだと考えればしっくりくる……気はする。
うんまあ、気持ちは分からない事もない。
正直なところ、俺もちょっとイラッとしたし。
恋人でも家族でもないのに、俺がそんな事を思うのは筋違いもいいところなんだけどな。
……仕事頑張ろう。
生徒会の当面の仕事は体育会の企画だ。
基本的に学校側はプログラムを作成するものの、運営や進行は生徒達に任せるという方針である。
生徒達の自主性を育むという名目だった。
普通の学校なら単に自分達が楽したいだけじゃないのかって勘ぐりたくなるが、英陵の場合は的外れだと思う。
先生達もいいところの家の出身と言うかぶっちゃけ英陵の卒業生が多かったりするし、学校側がそういう風にしないと自分では何もやらない子は多そうだからな。
それでも学校の方針には素直に従う子ばかりなんだよなぁ。
おっと、話がだいぶそれた。
せっかくだしプログラムを確認しておこう。
以前、ちらっと聞いていた通り、そんなに俺が驚くような競技は……ないけど、よく分からん競技があるな。
学年別クラス対抗リレー、障害物競争、ムカデ競争、大縄跳び、玉入れ、綱引き、二人三脚、借り物競争なんかは分かる。
後、全校生による百花繚乱とやらが全体でのダンスなんだろう。
そこまではいいんだけど、三年の「さらばまどいよ」とかが分からん。
字面から察するに、最終学年の集大成な何かか?
小声で内田先輩にたずねてみたら、「当日のお楽しみ」とウィンクをされた。
訊くだけ野暮って事らしい。
それはそうと、この流れだから他に質問しなきゃいけない事があるな。
「あの、百花繚乱っていう全体ダンス、どうなんでしょう? 俺も踊るんですか?」
かつてクラスメート達に訊いた時は困惑だけだったが、姫小路先輩はよどみなく答えた。
「あなたも踊ってもらいます。名前こそ変わっていませんが、男女一緒に踊れるものに変更されています」
「そうでしたか」
それは何よりである。
「もっとも、赤松君が参加できる競技は恐らくそれだけか、得点がつかない全員参加種目のみとなります。一クラスだけ男子が参戦できるとなると、不公平ですからね」
高遠先輩が説明してくれるが、これは予期していた事だから落胆はない。
体育の授業だって同じような状況だしな。
ただ、さすがに女性だからこそ踊れるようなダンスを踊らなきゃいけない、そんな状況だけは勘弁してほしかったんだよな。
名前が変更されないのは、男女共学化を快く思わない勢力への配慮なんだろうか。
そんな事を考えていると、内田先輩がにやにやしながら俺の脇腹を肘でつついてくる。
「どんな気持ち? 女の子の中で一人踊るなんて?」
「智子さん?」
決して大きな声ではなかったし、荒々しかったわけでもない。
ただ穏やかな姫小路先輩のこの一言で、俺をからかう気満々だった内田先輩は首をすくめて無条件降伏した。
うーん、姫小路先輩がいなくなったら、内田先輩の手綱を握る人がいなくなるんだよな。
失礼ながら水倉先輩や藤村先輩じゃちょっと。
と思ったら内田先輩が軽く睨んでくる。
「あ、何か今、あたしに対して失礼な事を考えなかった?」
なんて言ってきた。
女の勘恐るべし。
恵まれた生活をしているお嬢様だからと言って、このへんが鈍いわけではないようだ。
どう言い逃れをしようかと悩んだ一瞬で、近くから助け舟が出される。
「智子さんが赤松さんをからかおうとしたのが原因でしょう。反省しなさい」
クールで切れ味鋭いこの口調は高遠先輩だ。
「はい」
有無を言わせぬ迫力に内田先輩はやはりあっさり撃沈してしまう。
うーん、頼りになります、三年生の先輩がた。
この人達が卒業してしまうのは本当に残念だ。
水倉先輩がくすくす笑いながら、内田先輩に向かって言う。
「赤松君に構ってもらうと見せかけて、先輩がたに叱ってもらおうとしているんじゃない?」
「なっ……」
図星を突かれたのか、内田先輩は声を詰まらせて頬に朱に染める。
これには俺はもちろん、三年生達も意外だった。
一言で表すならまさに「その発想はなかった」である。
姫小路先輩も高遠先輩も、内田先輩の事をまじまじと見ていた。
視線が集中した先輩はおろおろしながら、
「そう言えば、赤松君。夏休みに色んな女の子の家に遊びに行ったらしいわね」
などととんでもない事を言い出す。
何一つ間違った事は言っていないけど、その言い回しなら誤解を招きかねないよ。
思わず言葉にして抗議しようと思ったが、既に時は遅し。
「あら」
「まあ」
他の先輩達は一斉に、感嘆を表現するような言葉を短くつぶやく。
何やら凄く嫌な予感がして、先輩がたの表情をそっとうかがう。
すると高遠先輩が、内田先輩を瞬殺する時のような怜悧な表情で言った。
「詳しく話をうかがいましょう」
罪人に申し開きはないか確認する、裁判官のような顔と口調な気がするのは俺の思い違いだろうか。
助け舟を期待して姫小路先輩を見ると、いつになく強い視線が返ってくる。
「赤松さん?」
「は、はい」
内田先輩も決して逆らわない静かなド迫力が、今俺に襲い掛かってきた。
反射的に背筋を伸ばす。
三年生の二人がこれじゃ、助け舟は全く期待できない。
どうしてこうなった?
いや、疾しい事は何もない。
堂々と主張すればいい。
先輩達は理不尽な人達ではないから、話せば分かってくれるはずだ。
「えっと、実はですね」
洗いざらいぶちまける。
勉強を教えてもらったり、ダンスの練習につきあってもらったり、その代わりに泳ぎを教えたりといった事を。
「だから何も後ろ暗い事はありません」
力を込めて言い切り、先輩達の目を順に見つめていく。
まずは姫小路先輩が標的だ。
じっと見つめると頬を染めて目をそらす。
「そ、そうでしたか」
次に高遠先輩を狙う。
やはり数秒見つめ続けると、負けを認めてくれた。
よし、この二人が陥落したなら後は何とかなる。
二年生トリオも分かってくれた。
ひとまず一件落着と言ってよいだろう。
先輩達が全員真っ赤になったのは、自分の勘違いが恥ずかしくなかったからだな。
そうに決まっているよ、たぶん。
それからしばらくの時間が経過し、場の空気が落ち着いた頃、不意に姫小路先輩が言った。
「わたくしも泳ぎは苦手なのですけれども、赤松さんに教えていただけるのかしら?」
冗談と判断するにはその顔つきはあまりにも真剣だったので、俺はうなずいておく事にする。
「ええ。僕でよければ、やらせていただきます」
「あらまあ」
何故かは分からないけど、先輩は実に嬉しそうな顔で微笑んだ。
苦手な水泳を克服したいと思っていたものの、そんな機会がなかったという事かな?
それにしても姫小路先輩の水着姿か……一体どんな絶景なんだろう?
想像するだけで思わず頬が緩みかけたが、高遠先輩の視線が冷たくて鋭いものになっている事に気づく。
やばい、鼻の下が伸びていたか?
咳払いをして、平静を装う。
そんな俺に向かって高遠先輩は言った。
「私も参加します」
「えっ?」
驚いたのは俺ばかりでなく、姫小路先輩もだ。
「参加します」
高遠先輩は機械的にもう一度繰り返す。
姫小路先輩がぎこちない動作ながらも認めたので、もう一人参加が決まった。
「ところでいつやるんですか? 夏はもう終わりましたが」
「我が家では一年中入れますから、いつでも平気ですよ」
姫小路先輩が優しく教えてくれる。
ああ、何となくそんな気はしていたんだ。
きっと全天候型プールなんだろう。
そっとため息をつく。
「ただ、なるべく九月中の方がいいでしょうね」
高遠先輩が横からそう言い、生徒会長もうなずいた。
「ええ。体育会が終わってから忙しくなりますし」
「そういうものなのですか?」
確認してみると先輩達は同時に首を縦に振る。
「ええ。文化祭はほら、美術品や芸術品をご厚意で貸与されるでしょう?」
ああ、そうか、そりゃ保管場所とかに気を使うよな。
英陵に貸し出されるくらいだから、俺でも名前を聞いた事があるレベルの作品が来そうだ。
それに十月が体育会、十一月が文化祭、十二月がダンスパーティーってスケジュールのはずである。
一年生は山岳祭も入ってくるし、生徒会選挙もあるから確かに日程は厳しい。
「それじゃあ今度の日曜とかいかがですか?」
誘ってみたら姫小路先輩は実に嬉しそうな顔で微笑み、賛成してくれた。
いつまで経っても一向に慣れない、破壊力満点の美しさである。
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