二章

1話

 俺が英陵高校に入って、早くも一週間が経過した。

 奇異の目で見られる事はなくなったりしないが、少なくともクラスメート達は、にこやかにあいさつをしてくれるようになっている。

 これだけでもかなりの進歩だと言えるだろう。

 生徒会においてはほぼ雑用をやっている。

 それと力仕事だな。

 力の弱い女子しかいないので、書類の山を運ぶだけでも重宝してもらえている。

 大した事でないのに感謝されて恐縮だが、存在価値を示す事には成功していると思ってもよさそうだ。

 正道寺先輩率いる風紀委員会、と言うより実質正道寺先輩一人は厳しい視線を向けてくるが、あまり気にならなくなった。

 厳しい目があるくらいの方が緊張感は出て、背筋を伸ばした行動を心がけるようになる、というメリットもある。

 正道寺先輩の目がある限り、俺は堕落しないだろうという、奇妙な信頼感にも似た感情さえ芽生え始めていた。

 我ながら、慣れるのが早いものだと思う。

 とは言え、まだまだ油断は禁物である。

 授業や学校行事はこれからが本番なのだから。

  来週には「新入生オリエンテーション合宿」が待っている。 

 それに関して班などを決めなくてはならない、と先生から通達があった。 今日のロングホームルームで決めるらしいが、果たして俺はどうなんだろう。

 正直、泊まる部屋に関してはそれほど心配していない。

 英陵ならきちんとした施設だろうし、一人だけ別のフロアにされる事を受け入れればよいだけだ。 

 問題は班行動の時である。

 皆、あいさつはしてくれるようにはなったが、会話が弾むという事もない。

 相羽、デジーレ、小早川達とちょくちょく話す程度なのである。

 まあ、単独行動が許されるはずもないから、どこかの班に強制的に組み込まれる事になるだろうが、それがどうなるのかというのが目下のところの不安材料なのだ。

 前述の時々話すメンバーがいる班なら、俺としてはありがたいんだが……。 

 そんな気持ちをよそに小笠原先生はいつも通りやってきて、ロングホームルームが始まった。

 先生はおおまかに予定を説明してからクールに言った。


「それではクラス委員は進行をお願いします」


 そう言うと腰を下ろし、黙ってしまう。

 え、クラス委員がやるの? 

 驚く俺をよそに小早川と木村が前に出てきて、仕切り始めた。

 考えてみれば、俺以外は中等部上がりだから、大体は顔見知りだったりするのか。

 つまり、手さぐり感もずっと薄いんじゃ……俺って結構考え足らずだったんだな。

 今更ながら反省する。 


「まず、班ですが、名前の順で四人一組を作ります」


 小早川の涼しげな声が耳朶を打つ。

 名前の順って……つまり俺から見れば、右三人ってわけか。

 相羽がいるのはラッキーだけど、他の二人とはあいさつしかした事がないな。

 大丈夫かなぁ。

 とりあえず相羽のように怖がられたりしないよう、気をつけないといけないな。

 ちらりと右を見ると、三人と目があった気がする。

 位置的に相羽以外と目が合うのはおかしいので、錯覚か何かだろう。

 そうしているともう一人の委員、木村がしおりを配っていく。


「ありがとう」


 俺が声をかけると少し驚いた顔をした後、にこりと微笑みかけてくれる。

 こいつも結構可愛いんだよな。

 何だかほとんどの女子の容姿を褒めている気がするけど、事実なんだから仕方ない。

 後ろにしおりを送りながらそう自己弁護してみる。

 さて、合宿はどこでやるんだろうか。

 中学時代の友人と情報交換をした限りでは、山にある旅館とかホテルとかだったりするらしいけど。

 しおりを開いて場所を確認した俺は、思わず硬直してしまった。

 は? 島?

 記載されている内容によると、学園が保有する島に行き、そこでやるらしい。

 何でも先代の理事長が、学生達の為にってある島を買ってそこに各種施設を建てたとか。

 学生達の為に島一つ買って施設を整備するとか、スケールがぶっ飛んでるな。

 これじゃただの旅行って言うか、むしろ修学旅行か何かじゃないか?

 俺が知っているオリエンテーションじゃない……。

 と思ったが、よく見たら島には山や川など自然が豊かであるらしい。

 多分、そういう島をわざわざ探したんだろうな。

 オリエンテーションをやる為だけに。

 島一つの維持費ってどれくらいかかるんだろうか?

 金持ちの発想にショックを受けていると、横から小声が飛んできた。


「赤松君、どうかしたの?」


 相羽が固まって動かなくなった俺を心配してくれたらしい。


「あ、いや。いきなり島だからちょっとびっくりして……」


 ちょっとなんてレベルじゃなかったけど、それは言わないでおこう。


「ああ、そっか」


 隣の席の少女は納得したという顔になる。


「ここからじゃ結構遠いもんね」


 いや、色々とずれている……指摘しようとしたところで、木村が困った顔をして俺の方を見ている事に気がついた。

 失敗したと思い、軽く頭を下げて口を閉ざす。


「しおりをご覧下さい」


 再び小早川が司会を再開する。

 その言葉に従い、もう一度しおりを見ていく。

 島には専用の空港があり、専用飛行機で行き、そこから施設までバスで約三十分だとか。

 ……もうどこからツッコミを入れていいのか、分からなくなってきたんだが。

 とりあえず、いちいち驚いていたら身がもたない事だけは理解できた。

 初日はホテルに荷物を置き、周辺地域を軽く散策し、夜は勉強とゲーム。

 二日目から本格的に始まるようだ。

 勉強はともかくゲームって……まあ、仲を深める為にはちょうどいいのか?


「スケジュールはご覧のとおりです。次に班ですが、名前の順で四人一組になってもらいます」


 要するに俺は相羽とその右隣二人と組むって事か。

 しかし、班行動する事ってあるのか?

 サイクリングやカヌー乗りとかもあるみたいだから、その時に分かれるのかな。

 後は勉強とかか。

 英語とか苦手だから、教えてもらえるとありがたいな。

 それより先に仲よくなるところからか。

 相羽以外とはあいさつくらいしかした事ないし、そもそも顔と名前が一致しない。

 えとおから始まる名前だったようには思うんだが。

 俺の心情を読めたはずもないが、次の小早川の発言はそう誤解しかねない事だった。


「では、各班に分かれ、班長を決めて下さい。後、各日程に関する打ち合わせもして下さい」


 あ、いや、もうちょっと詳しく指示をしてもらえると助かるんですけど。

 言いたくても言えるはずもない。

 小早川と木村は自分の席に戻ってしまう。

 俺は困って隣を見ると、既に立ち上がっていた相羽が優しい顔で手招きしていた。

 甘える事にしよう。

 俺は相羽の右隣に立ち、残り二人の少女と対面する。

 二人はあいまいな笑みを浮かべて、俺に小さく頭を下げた。


「赤松です、今回はよろしく」


 相羽の時の反省を活かし、声を抑えめにして名乗っておく。

 こうすれば礼儀正しい子達は必ず名乗りを返してくると踏んだからだ。


「恵那島です。よろしくお願いします」


「大崎です。よろしくお願いしますね、赤松様」


 恵那島と名乗った子はおかっぱ頭でのんびりした感じの子、大崎と名乗ったのはやや背が高くキツネのような印象の瞳が特徴の子である。

 どちらも可愛いのはもう言うまでもないかもしれない。

 むしろ姫小路先輩や七条先輩を見ていなければ、充分可愛いと思っただろう。

 あの二人を基準にしてしまうからこそ、イマイチなどと感じるのかも。

 ……どちらにしても二人に対して失礼だな、自重しよう。


「ええと、赤松君はやりたいゲームとかあるかな?」


 相羽が話を振ってくる。

 ゲームなぁ……据え置き機や携帯機の名前を挙げたらボケとして通じるだろうか。

 お嬢様達ならもしかしたら名前は知っていても、実物は見た事がないかもしれない。


「トランプとかUNOとかでいいんじゃないか?」


 無難そうな事を言ってみた。

 トランプまで知らないというなら、俺の手には負えそうにもない。

 そう思ったが、三人とも小さくうなずいてくれる。


「それが一番でしょうね」


 恵那島が代表するように答えた。

 これでこの話は終わりだと思ったのだが、そうではなかった。


「では、誰が持ってきますか?」


 大崎がそんな事を言う。

 誰でもいいじゃないか、とは三人の顔を見た後では言えなかった。

 何か理由でもあるんだろうか?


「誰が何を持ってくるかとか、意味はあるの?」


 仕方なしに訊いてみる。

 三人は意味ありげに顔を見合わせ、恵那島が代表して答えてくれた。


「ええ。持てる量には限りがありますから。重いものは避けているのです」


「俺ならある程度は持てるけど?」


 あまりにもデカいものや重いものを持たされるのは困るが、トランプとかカードゲームとか、そういったものを持つくらいで遠慮されても困る。

 せっかくの男なんだし、ある程度は頼ってくれた方がいい。

 そう思ったのは俺だけで、彼女達は違う意見のようだ。


「お気持ちはありがたいのですが、男子は赤松さんお一人ですし。あまり私達だけ恩恵にあずかるわけにはいきませんよ」


 大崎が渋面を作って言葉を発する。

 なるほど、俺へのだけではなく、他の同級生への遠慮があるわけか。

 確かに一人しかいないのじゃ、不公平感は出るかもしれないけど、それは織り込み済みで入学許可が出ているはずなんだがなあ。

 いざ、実際にそれを体感して我慢しろってのは無理って事なのかな。

 同級生の感情に配慮したいという事なら、俺が反対するのはおかしいというか、やらない方がよさそうだ。


「そういうものなんだ。疎くてごめん」


 潔く謝るとすぐに許してもらえた。

 次は移動中の座席決めである。


「一応ローテーションと言うか、全員隣り合わせになるようにした方がいいと思うのですけど」


 大崎の提案には賛成だったが、他の二人はどうだろうと様子をうかがう。

 相羽も恵那島も賛成のようだったので、俺も賛成に回る。

 他に決めなければいけないとすれば、夜の勉強のスケジュールだった。

 全員で合同授業をやるわけではなく、自習による勉強会になるらしい。

 それぞれ得手不得手の科目を教えあう事で理解と交流を深めよう、という狙いがあるそうだ。

 その説明が終わった後、三人が同時に俺を見たのでとりあえず打ち明ける。


「俺が苦手なのは英語かな。数学や国語なら教えられるかな」


「私が苦手なのは暗記科目かなぁ。覚えやすいコツがあれば教えてほしい」


 相羽が少し情けない顔をしながら自己申告をした。

 恵那島は数学が苦手だとおっとり告げ、大崎は得意科目がないと恥ずかしそうに言う。


「得意科目に偏りがないのは何よりだな」


 俺がおどけて言うと、三人とも口元を綻ばせてうなずいてくれた。

 全員の得意科目と苦手科目が被っていたりしたら、きっと途方に暮れたに違いない。

 さすがにその場合は、何らかの救済措置が取られたとは思うけども。


「他にも決める事はあるかな?」


 せっかくだし、何でもいいから話しかけておこうってノリで言ってみる。


「うーん、後あるとしたら、キャンプなどの際に誰がどれを行うかの確認でしょうか」


 俺の狙いにノってくれたのか、大崎が答えて恵那島が小首をかしげた。


「赤松さんはお料理とかできますか?」


「うん、まあ、一応。簡単なものならね」


 両親が共働きなので、俺も妹もそこそこはできるのである。

 控えめに言ったつもりだったが、三人は露骨なまでに目を輝かせた。


「まあ、そうなんですか」


「素敵ですね」


「赤松君、すごい」


 恵那島、大崎、相羽の順である。

 お嬢様達だから自分で何かを作った経験がなくても少しも不思議じゃないんだろうけど、ここまで大げさな反応をされるとさすがに引く。

 それに念の為に釘も刺しておこう。


「本当に簡単なものしかできないよ? 野菜を適当に切っていためたり、うどんを炊いたり」


 千香曰く「自炊? まあ、一応は自炊か」というようなレベルに過ぎないのだ。

 ちなみにあいつの方はきちんとできる。

 さすがは女の子だと言ったら、女性差別になるのだろうか。

 少なくともこの三人はやった事なさそうだしな。


「それでも凄いよ。私達、基本フォークとナイフとお箸しか持った事はないし」


 相羽が言うと恵那島がつけ足した。


「お皿やお椀ならば持った事がありますけれど」


 それ、大して変わらないよ。

 女の子にはっきり言うのは遠慮したが、内心ではツッコミを入れてしまった。

 しかし、何も言わないというわけにもいかない。


「そういった子達の為のイベントみたいなものなのかな?」


「だと思います」


 俺が口にした疑問には肯定が返ってくる。


「恐らく今までまともに料理した事がある子ってほとんどいないし……」


 相羽が言い訳じみた事を口にした。

 もっとも、俺としてはそうだろうなとしか思うしかない。

 例外は料理部の子くらいじゃないだろうか?

 ただ、学校側だってそれくらいは分かっているはずだから、そんな難しい料理を作らせるような事はないだろう。

 俺は励ます事にする。


「火加減を間違えたり、食べられないものを入れたりしない限り、食べられるものはできるから大丈夫だって」


 あまり上手いとは言えなかったが、三人はやや表情を和らげてくれた。


「そうだよね、そう言ってもらえるとちょっとは気が楽になるかな」


 相羽が言うと恵那島が続く。


「包丁を使った事がないもので、とても見苦しい事になると思いますけど……」


 上目づかいで俺の方を見つめる。

 何だか媚びるような妖しさがあるのは、きっと自意識過剰だろう。


「俺も似たようなもんだよ。そんな器用さがないんで」


 そう苦笑を返す。

 これは別にフォローでも謙遜でもない。

 出すたびに妹にため息をつかれるくらいだから確実だ。

 三人は俺の答えにちょっとは安心したらしい。

 自分達が足を引っ張るのではとでも考えていたのだろう。

 気持ちはとてもよく分かる。

 俺だって自分のせいで周囲に迷惑をかけたくないもんな。


「注意事項ってそんなものなのかな?」


 俺が確認すると大崎が慎重に言った。


「他にもありますけど、今のうちに確認した方がいいのは、これくらいではないでしょうか」


 意外と大した事ないんだな。

 ロングホームルームでわざわざやるからには、結構決める事があるんじゃないかと思っていたんだが。

 そう考えた瞬間、恵那島があっと声を上げた。


「そう言えば、班長を決めていませんでした」


「そう言えばそうだったな……」


 すっかり忘れていた。

 三人ともバツが悪そうな顔をしたが、俺だって同罪なのだから責められない。

 何か忘れていると思ったんだよなぁ。

 軽く天を仰ぎ、それからちらりと周囲に目をやる。

 どの班も静かに、和やかに話し合いが行われているようだ。

 少なくとも決めるべき事を決めて談笑している、という風には見えない。

 やっぱり簡単には決まるものじゃないんだろうか。


「それで誰がやる?」 


 俺の問いに三人はお互いの顔を見合わせる。

 手を挙げる奴はいなかった。

 俺だって同じような気持ちだから、とやかく言えないけど。

 しかし、どうやって決めるんだろうな。


「赤松君は止めておいた方がいいよね?」


 相羽が確認してきたのでうなずく。


「まずここに慣れたいし……できれば止めてくれると嬉しいかな」


 慣れる為に率先して仕事を引き受けるという手もありなんだろうけど、今は生徒会だけで手一杯だったりするからな。

 再び気まずい沈黙が落ちる。

 とその時、大崎が恐る恐るといった様子で手を挙げた。


「あの、もしよければ私がやりましょうか?」


「いいけど……いいの?」


 相羽の疑問は皆の本音を代弁していたと思う。

 大崎はこくりとうなずいて、何故か俺の方を見た。


「あの、困った事とかあれば相談してもよろしいですか?」


「え、うん。構わないけど」


 困った事って何だろうか。

 俺に訊くって事は、生徒会絡みの事か?

 そう考えてしまう。

 相羽と恵那島がしまったといった顔をしたように見えたが、多分気のせいだな。 

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