4話

「球技大会?」


 生徒会の業務がひと区切りし、お茶が淹れられたタイミングを見計らって切り出したのである。

 今回淹れてくれたのは藤村先輩だ。

 基本、二年生がいる場合、三年生が淹れる事はほぼない。

 そういう点で上下関係のけじめがはっきりしていると言えるだろう。

 気を抜くとうっかり見逃してしまいそうな、穏やかな印象なんだが。


「ええ。僕の場合はどうすればいいのかなって」


 答えてくれたのは姫小路先輩だった。


「そうですね。赤松さんは生徒会役員として行動してもらう事になります。当日は、我々が実行本部を設立して行いますから。学校をあげての行事ですので」


「え、そうなんですか」


 これには驚く。

 中学時代も似たような行事はあったが、その時は各学年ごとにバラバラにやっていた。

 学校をあげた一大行事で、生徒会が仕切るなんてものは、せいぜい運動会と文化祭だけだった気がする。


「そうですよ」


 高遠先輩が会話に加わる。


「赤松君には審判をやってもらったり力仕事をやってもらったりする事になるかと思います。そのつもりでいて下さいね」


「分かりました」


 仕事内容が決まっているなら、心の準備もしやすい。

 女の子達の中に一人だけ混じるわけにもいかないしな。

 うん? そこまで考えた時、ふと疑問が湧いた。


「先輩がたは参加しないのですか?」


 生徒会役員の参戦は不可能、みたいなルールでもあるんだろうか。

 俺の質問には、水倉先輩が答えてくれる。


「いいえ、きちんと参加しますよ。ですから、当日は当番制になります」


 実行委員や審判は生徒会役員と体育委員会で構成されるそうだ。

 だから最低限の人員を確保できるよう、各スケジュールを調整していくのも仕事なのだとか。


「学校側は何もしないんですか?」


「私達はそれだけ信用されているという事でしょうね」


 姫小路先輩は穏やかに微笑みながら答えた。

 信用されていると言えば聞こえはいいけど、実際のところただの放置プレイなんじゃ……。

 そうは思ったものの、口には出せなかった。

 先輩達が納得しているのであれば、俺が言う事じゃないだろうし。

 そもそも、誰もがどこかのお嬢様、と言っても過言じゃないのが英陵なんだ。

 学校側にしても、下手な事はできないのかもしれない。

 生徒相手にそこまで遠慮するのか? という疑問はあるんだけど。

 いずれにせよ、俺には理解しがたい感覚なんだろうし、大人しくしておこう。


「今後、球技大会についての打ちあわせも入ってくるでしょう」


 そう言った高遠先輩の目が、「お前も参加しろ」と言いたそうだった。

 もちろん、断る理由があるはずもない。

 ただ、訊いておきたい事はある。


「球技大会が一大行事であるなら、更衣とかどうするんでしょう? もっと言うなら、僕が着替える場所はありますか?」


 一番の悩みどころと言うか、不安要素はそこだ。

 体育の授業では教室で一人で着替えていて、女子達が更衣室を使っている。

 だが、全校をあげての大会となると、更衣室だけでは容量が足りないはずだ。

 普通に考えれば、各教室を使う事になるだろう。

 その時、俺はどうすればいいのだろうか?

 そんな疑問を持ったのだ。

 当然だと思っていたのだけど、先輩達の反応は一様に怪訝そうな顔になるというものだった。


「着替えはいりませんよ。体操服での登下校が認められていますから」


 高遠先輩がそう答えを教えてくれた。


「えっ? そうなんですか?」


 初耳である。

 中学の時、そんな事が認められたのは運動会の時だけだった。

 球技大会は認められていなかったので、面倒に思いながらもいちいち着替えたのである。


「ええ。我が校ではそうなっていますよ」


 姫小路先輩もそう優しく教えてくれた。

 そうだったのか……じゃあ俺は無用の心配をしていたわけだな。

 少しほっとする。


「中学時代は違っていたのですか?」


 藤村先輩が興味ありげに、それでいて恐る恐るといった感じで質問をしてきた。


「はい。中学の時はいちいち着替えなきゃいけなかったんですよ。そもそも、学校あげての行事じゃなくて、各学年が勝手にやれってスタンスでしたし」


「あら」


「まあ」


 先輩達は目を丸くしたり、口に手を当てたりして驚きをあらわにした。

 そりゃこの学校から見たら異様な事かもしれないよな。


「それだと逆に大変ではないのかしら? どんな風だったのです?」


 藤村先輩が更に問いを重ねてくる。

 第一印象からすればかなり意外だったのだが、この先輩はかなり好奇心が強い。

 俺の事をどこか怖がっているようでおどおどしているようでいて、自分の知らない事に関してはどんどん質問をぶつけてくるのだ。

 そのせいで、かなり仲良くなったし、今では普通に接されている。

 他の先輩達も全く同意見だったらしく、藤村先輩を咎めたりする事なく、視線を俺の方に向けてきていた。


「えーっと、生徒会役員とか体育委員とかじゃなくて、実行委員をやった事もないので全部を把握しているわけじゃないんですが」


 先に断っておいてから説明する。


「競技の出場希望者を決めた後、先生達のくじ引きで対戦相手を決めていたようです。二、三回勝てば優勝だったんじゃないかなぁ」


 俺がいたクラスは、最高で一勝だったから、詳しくは分からない。

 優勝決定戦とは縁遠かったのである。


「先生がたの主導で決めていたという事ですか?」


 高遠先輩の言葉にうなずく。

 微妙に違う気はするものの、大体あっているはずだった。


「そういうシステムの学校、本当にあるんだねぇ」


 内田先輩が感心したと言うより、事実を確認したと言わんばかりの言葉を口にする。

 他の先輩達とは違ってカルチャーショックめいた衝撃を受けた、という反応ではない。

 それが気になったので訊いてみる事にした。


「内田先輩は何かご存じだったのですか?」


「うん、まあね。私、弟がいるんだけど、そいつが通っている学校が赤松君の中学によく似た感じのところなのよ」


「なるほど」


 兄弟がいたんなら、ある程度の情報は入ってくるか。

 あれ? でも内田先輩の弟なんだよな?

 気になったので訊いてしまおう。


「でもあれ? 内田先輩の弟さんなんですよね? いい学校に通っているか、それこそ英陵に入ろうとは思わないんでしょうか?」


 俺の質問に対して先輩は「ああ」と手を振る。


「確かに世間で言うお坊ちゃま学校に通ってはいるけれど、何と言うか各行事に対して不熱心なところみたいなのよ。弟はそこが不満らしいわ」


 なるほどな。

 上流家庭の子が通う学校皆が英陵みたいなところだとは限らないわけか。

 それはそうだよな。

 学校ごとに校風なんかは違ってくるだろうし。

 あくまでもここが色々と例外って可能性はあり得る。

 むしろ納得できてしまう。


「後、あいつは今中学三年生なのよ。赤松君の一つ下ね」


 ああ、それじゃそもそも受験資格はないよな。

 英陵が共学化されたのはあくまでも高等部のみで、中等部以下と大学はまだ男子禁制のままのはずだから。


「へえ、それじゃ、今度受験するんですか?」


 半分は興味本位で、半分は話の流れに従って尋ねてみる。

 先輩はあやふやなと言うよりは複雑な顔をした。


「あいつはそのつもりみたいだけど……正直、あいつじゃ無理じゃないかなぁ?」


 理由はよく分からないが、先輩は弟の事をあまり信用していないらしい。

 内田先輩の弟なら、学力も家柄も申し分ないと思ったのだが、そんな単純な事ではないんだろうか。

 いずれにせよ、あまりつっこんだ事を訊くのはどうかとも思う。

 親しき仲にも礼儀ありって言うしな。

 そう考えて引き下がろうとしたんだけど、先輩の方が食いついてきた。


「何々? うちの弟の事、気になったりする?」


 ニマニマとした笑みを浮かべながら、肘で俺の脇腹をつつく。

 全くもってお嬢様らしからぬ人だ。

 とは言えこれがこの人のキャラクターである事に違いない。

 内心でため息をつきつつ、答えを返す。


「ええ。さすがに男子が僕一人っていうのは肩身が狭いですからね。男子が増えるのには歓迎ですよ」


「まあ、ちょくちょく私達の顔色をうかがっているもんね」


 内田先輩はさもありなんと肯定する。

 バレバレだったのか。

 女子が視線に敏感って言うのは事実なのかな。

 同調してもらえたのはありがたかったんだけど、ちょっと傷ついた。  


「配慮や遠慮ができない人より、断然素敵だと思うよ」


 水倉先輩が俺のフォローに回ってくれた。

 内田先輩は「まあね」と舌を出して矛を収める。

 元より本気で俺をからかう気はなかったのだろう。

 俺をからかうのは止める宣言したし、ここは他の先輩達もいる。

 特に水倉先輩は内田先輩の制止役として存在感を見せていて、女神様と言ってもいいくらいありがたい存在だ。

 実際に一度だけうっかり口に出してしまった事はあったけど、それを聞いた本人は真っ赤になってオロオロしていた。

 そこまではまあご愛嬌ですむんだろうが、一緒にいた他の先輩達に一斉に睨まれてしまったのである。


「この女殺し」


 内田先輩は朗らかさを消してジト目で見つめてきたし、


「赤松さん? 誤解を招かないように気をつけて下さいね?」


 姫小路先輩は真顔で諭してきた。


「お、男って狼なのね……」


 それに藤村先輩は何だか怯えていたし、高遠先輩は視線という名の絶対零度のナイフを投げつけてきた。

 本当に寿命が縮む思いをさせられたのだ。

 回想、終わり。


「できれば二年生にも欲しいんですけど」


 望み薄だろうなと思いながらも言ってみる。

 案の定、先輩達は曖昧な笑みを浮かべた。


「それは難しいでしょうね」


 姫小路先輩が優しく答えてくれる。


「我が校への編入試験は、各部の入学試験より更に難しいはずですから」


 そういうものなのだろうか。

 俺の疑問は顔に出ていたのか、高遠先輩が言った。


「定員は既に確保できているわけですから。その上で入れるなら、既存の者より優秀だと認められる必要はあるのでしょう。我が校では転校や退学はほぼないですしね」


 そりゃ国内屈指のお嬢様学校なんだからと思ったけど、実は全く例外がないわけじゃないらしい。

 海外に留学する人もいるし、ごく稀に会社が破たんしたりして借金が発生し、通学できなくなってしまう子も過去にはいたとか。


「そういったケースでも、編入者が来るのは稀みたいですけどね」


 藤村先輩がおずおずという。

 「英陵」というブランドを守る一環なのではないか、というのが先輩達の予想だった。

 いや、それなら色々とおかしいところがあるんだけど……。


「ぶっちゃけ、共学化する必要なんてあったんでしょうか? まず経費削減なり、寄付を募るなりするところから始めればよかったんじゃ?」


 迷ったけど率直に疑問をぶつけてみた。

 これくらいで修復不可能な仲になってしまうような事にはならない。

 そう信じられるくらいの関係は構築できたと思っていたからだ。

 先輩達は互いの顔を見合わせる。

 あれ? この反応は予想外だぞ……。

 微笑で受け流されたり、同調されたりっていうのは想定していたんだが。

 五人の美少女はうなずきあい、姫小路先輩が代表して口を開いた。


「実のところその点は謎なのですよ。私達は入学してくる赤松さんのフォローを頼まれただけなので」


 高遠先輩も続く。


「学校経営を決めるのは理事側であり、我々生徒が関わるべきではないという事なのでしょうね」


 ただ、この人にしては珍しく歯切れが悪い。

 腑に落ちないものを抱えているのだろう。


「まー、いずれにせよ、赤松君は正式に承認された英陵の学生なんだし、気にしなくていいよー」


 内田先輩が明るい顔を作り、能天気な笑い声をたてながら俺の肩をばしばし叩く。


「全くですね」


 他の先輩達も笑顔で同意した。

 本当にありがたい話である。


「さて、そろそろ業務を再開しましょう」


 姫小路先輩の音頭で俺達は仕事に戻った。

 意外な事だけど、この中で一番仕事ができるのは内田先輩だったりする。

 そしてその次が姫小路先輩と高遠先輩だ。

 あくまでも俺の判断だと断らせてもらうが。

 学力の話になった際に判明した事なんだけど、内田先輩は二年生の中ではトップらしい。

 同学年の水倉先輩と藤村先輩が二十位以内をキープしているそうだ。

 そして二人の三年生はと言うと、高遠先輩が学年トップで、姫小路先輩が十位前後だとか。

 高遠先輩が才女なのはイメージ通りだったけど、姫小路先輩は思ったよりできるといった感じだな。

 こんな言い方をしたら怒られてしまうんだろうが。

 姫小路先輩は稀代の美女と言っても誇張じゃないレベルの美貌の持ち主で、穏やかで優しくて包容力がある女性といった印象が強い。

 真面目な人だから勉強ができてもおかしくはないんだけど、秀才といったタイプには見えないのだ。

 単に俺に人を見る目がないだけかもしれない。

 余談になるが、俺の学力はそこまでじゃないと思う。

 入学できたからには平均点を取るくらいは可能だろうとは、まあ少し願望が混ざっているとみてくれていい。


「朱莉さん、赤松さん。申し訳ないのだけれど、この書類を職員室まで持って行っていただけないかしら?」


 不意に姫小路先輩からそんな指令が飛び、俺達はうなずいて立ち上がった。

 生徒会長の指示に異を唱えたり逆らったりするような人間は、この中には一人もいないのである。

 こういう場合、内田先輩なら「男女が二人きりだね」と茶化してきたりしかねないと思うのだが、一度もそういった事を言われた事はない。

 姫小路先輩の指示に従っているのにそんな事は言えないのか、それとも業務中は真面目なのか。

 どちらとも判断できないのが、内田先輩のキャラクターだな。

 指定された書類は段ボールに入っている。

 俺が丸ごと抱えると、水倉先輩が三割ほど持ってくれた。

 最初は半分半分でと先輩は言ってくれたものの、俺は「男だから多めに持つ」と主張したのである。 

 結局、姫小路先輩の判断で俺が「約七割」という事で決まった。

 男だから重いものを持つべき、と思い込んでいるわけではない。

 どちらかと言えば存在理由欲しさである。

 重いものを持てるので、この学校にいる事を認めて下さいという……少なくとも、そういった気持ちが全くないと言えば嘘になるだろう。

 先輩達や同級生達に知られたら、きっと顔をしかめられるんだろうなとは思うのだが。

 扉は藤村先輩が開けてくれる。

 特筆すべき事じゃないかもしれないけど、この無言の一体感と言うか連携は心地が良い。

 英陵高校の凄さと言うのは、学校設備の充実ぶりやお嬢様達の多さじゃなく、こうしたさりげなさに現れているんじゃないかと思う。

 ……本当に俺、よく合格できたよな。

 ひょっとすると完全な庶民だから、なんて事もありえるんだろうか。

 俺はこの学校の中では完全に異分子である。

 だからこそ、肩身の狭い思いとまではいかなくても、微妙に居心地が悪い気分を味わう時があるのだ。 

 でも、それこそが学校側、理事側の狙いでは?

 全くの異分子を入れた事による化学反応的なものを期待しているんじゃないか?

 ……ないかな。

 いくら何でも自意識過剰すぎると思う。

 それなら、もっと周囲にいい影響を及ぼせそうな、非凡な奴を選べばよかったのだ。

 どうして俺しか合格させなかったのか、理由になっていない。

 単に俺以外が不適格者だった、という展開の方がまだありえそうだ。


「赤松さん、もう学校には慣れたかしら?」


 不意に水倉先輩が沈黙を破った。


「はい、だいぶ。皆よくしてくれますし」


 これは本当の事である。

 警戒心がないわけじゃないだろうが、それでも最低限レベルでしかなさそうな子達が多いせいだ。

 もっとも、そのおかげでこれだけ早くなじめたのだから、文句を言えば天罰が下るだろう。


「それはよかったです」


 このタイミングでわざわざ言い出したのは、きっと会話のきっかけが欲しかったからだ。

 何気ない雑談をだらだらできるほどの仲にはなれていないのである。


「気にかけていただいてありがとうございます」


「どういたしまして」


 こんなやりとりもわざとらしさがなくなっただけ、マシというものだろう。


「私達の務めでもあるから」


 水倉先輩はそう言った。

 真面目な人だから自分の役目に忠実なんだろうし、俺に遠慮するなという意味合いも込めているのだろう。

 ただ、俺は何となくからかってみたくなった。

 もっとこの人と仲良くなりたかったからだ。


「務めだから、だけですか? 先輩自身は何とも思ってくれていないなら、残念ですね」


「え? そ、それはどういう意味なのよ?」


 水倉先輩は動揺し、頬が赤くなる。


「先輩によく思われたいんです。生徒会の先輩全員に」


 初めは更に真っ赤になったものの、つけ加えた一言で俺の意図を読んだらしい。

 拗ねるような一瞥を向けてきた。


「まあ、私の事をからかったのね」


「先輩と仲良くなりたいのは本心ですよ」


「なっ……そ、その手には乗らないから」


 先輩は体と声を震わせる。

 可愛いなぁ。

 ちなみに本当に本心なので、撤回はしない。

 それで先輩は察したのだろう。

 少し距離を取られてしまった。


「本気ですよ」


「し、知らない」


 水倉先輩はそう言って「ツーン」とした態度を取る。

 それが可愛い。

 先輩に対してあまり言ったら失礼かもしれないけど。

 今更かもしれないが、周囲に人目がないからこそのやりとりだ。

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