11話

午前のプログラムが終了し、五組チームがトップ。 


 二位は一組、三位が七組、四位が五組、それから八組。


 実のところ二位以下は大きな差はない。


 一位にしても、昼からの結果次第では巻き返せそうな範囲だった。


 もっとも、俺は各競技ごとの得点配分を知らないので、間違っているかもしれないが。


 いずれにせよ、一度祭りは中断して休憩に入る。


 皆はいつもの仲よしグループに分かれているが、いつもとは違う点は一つあった。


 それは誰も俺を誘ってこない、ということ。


 チラチラと遠慮がちな視線を向けられているから、誘いたくないと思われているわけではなさそうだが。


 家族水入らずの団らんを邪魔したくはない、と気を使われているんだろうか。


 英陵の女の子たちならば、誰もがそれくらいの気遣いはできると思うし。




「じゃあ行ってくるね」




「行ってらっしゃい」




 俺が声をかけると、どこか名残惜しそうな顔で送り出してくれた。


 いやまさか、そんなことはあるまい。


 食堂か購買なんだったら、会う可能性はあるしな。


 観客席に近づいていくと、両親と妹がやってきた。




「お兄ちゃん、やっほー」




 白シャツと濃紺の丈が膝まであるスカートをはいた千香は、嬉しそうに声をあげて元気よく手を振る。


 朗らかと言うか、物怖じしないと言うか。


 どこか居心地が悪そうな両親とは対照的だった。




「おう。よく見つけたな」




 そう声をかけてみると、妹はくすくすと笑う。




「他は皆女子ばかりなんだもん、すぐに見つけられるって」




「それもそうか」




 二人で笑い合っていると、白いシャツにグレーのスラックスといういでたちの親父が話しかけてくる。




「お前らは大物だよな……」




 どこか表情には生気がない。


 瞳が放つ光も弱々しかった。


 朝は元気だったのにどうしたんだろう?


 英陵の空気に飲み込まれてしまったのだろうか?


 隣にいるお袋も頬に当ててため息をつき、親父に同調する。




「本当にね。あなたたちは似た者兄妹だわ」




 そう言ったお袋は、白いシャツに黒いパンツという格好だ。


 どう考えても子供の体育祭を見に来る姿じゃないと言いたいところだけど、観客席にいる保護者の皆さんは大体似たような恰好である。


 男性はジャケット&パンツかスーツの人だし、女性もスーツか、ワンピースか、中には着物姿の人までいた。


 むしろこれくらいの格好だからこそ浮かなかったのである。




「まあ、英陵だしって思えるようになれば、気は楽になるよ」




 俺は自分の中で最強の呪文を二人に伝えた。


 簡単に言えば諦めて思考を止めろということなんだけど、二人の顔はひきつったままである。


 こういうのは大人の方が色々な差を分かってしまうんだろうか。




「それができれば苦労はしないんだよ」




 親父は深々と息を吐き出した。




「何かあったのかい?」




 疑問に思ってたずねる。


 俺と千香を神経が太いなんて言っているけど、俺たちはこの両親の子供に過ぎない。


 つまり、両親こそが神経が太い代表みたいなものだ。


 その二人がここまで精神的ダメージを受けたとなると、勘ぐりたくなってしまう。


 優しくて親切な女子たちの親だから、性格も似たような人たちばかりだと思っていたんだが。


 俺の疑問は親父によって否定される。




「いいや、単に赤松さんですかって訊かれただけさ」




「不躾な視線を浴びせられるわけでもなく、分からないことは教えていただけて、とてもありがたかったけどね」




 お袋も英陵の保護者たちに対して、好意的な意見を言う。


 それなのにも関わらず、顔色が優れないのはどういったことだろうか。




「たぶんだけど、お兄ちゃんが入学初日に感じていたようなことを感じているんじゃない?」




 ああ、なるほど。


 それで納得できたものの、そう指摘してきた千香はそんなことはなさそうに思える。


 こいつ、我が家で一番の大物なんじゃないだろうか。




「ともかく移動しよう。食堂も購買も混む危険があるし」




 俺はそう提案する。


 皆が利用するかは分からないけど、普段食堂や購買を利用している子の何割かは今日も使うだろう。


 そうだとすれば行列は覚悟しなければならない。


 実のところ、俺たち家族にはチラホラ視線が投げかけられている。


 興味深げであっても不躾ではないものの主は、保護者世代だろう。


 そのそばにいる女子が何か説明している。


 あれが唯一の男子だとでも言っているんだろう。


 ……ヒーロー様と呼ばれているだなんて、誰も言っていないと信じたい。


 お願いします。


 誰かに祈るような気分になりながら、家族を再度促す。


 この場で愚痴っていても仕方ないと思ったか、それとも周囲からの視線があることに気づいたのか、両親は移動に賛成する。


 俺が歩き出すと千香がすぐ隣、その後を両親がついてくるという構図になった。


 女子たちがそれぞれの家族と話をしている側を通り抜ける。


 たまにと言うよりは割と、話を中断してこちらに目が向くのだけど、目礼をするだけで声をかけてくる人はいない。


 先輩も同級生もだ。


 家族との団らんの時間は邪魔してはいけない、という暗黙の了解でもあるんだろうか。


 俺は先導して校舎へ案内する。


 中はあまり混んではいない。


 昼休み休憩が百二十分、すなわち二時間あるせいかもしれない。


 元々のんびりとした校風だし、あくせくするタイプの人も珍しいのだ。


 と、中にあまり生徒がいない理由を家族に説明する。




「さすがお嬢様学校と言うべきだな。俺の高校時代、昼休みはいつも戦場だったのに」




 親父が嘆息するとお袋も「全くよね」と同調した。




「私のところはお弁当だったけど、場所のとりあいは珍しくなかったわよ」




 目的の料理の奪い合いや場所取り合戦もない平和な場所。


 それが英陵というところだった。


 生まれて以来、競争というものをしたことがない純粋培養の箱入りお嬢様たちばかりを集めたらこうなりますよ、と言われたら納得するしかない。




「食堂と購買とどっちがいい?」




 俺は皆、と言うよりは両親に訊いてみた。




「父さんは購買かなぁ。食堂で豪華な食事っていうのは、気が滅入りそうだ」




「母さんは逆に食堂ね。二度と食べる機会がないようなものを味わってみたいわ」




 見事に意見が分かれる。


 普段は似た者同士なんだけど、ゴージャスなものに対するスタンスの違いと言えそうだ。


 一対一になったので妹の方を見てみると、




「食堂に一票。どうせ無料だったら、高いものを頼んだ方がお得じゃない」




 とあっけらかんと答える。


 俺はどちらでもよかったので、食堂に決まった。




「女って……強いな」




 親父が達観したのか諦観したのか分かりにくい表情で、ぽつりとつぶやく。


 それは否定しないけど、女の園で言葉にするのは止めた方が無難だと思われるよ。


 聞き耳を立てているような人なんて、どこにもいないだろうけどさ。


 俺はそっと親父の横に立ち、慰めるようにぽんと肩を叩いた。


 男同士、言葉のいらない会話を行う。




「何をしているの? 早く行こうよ?」




 そんな俺たちを千香が、無邪気な様子で呼びかけてくる。




「うん」




 ここは英陵なので大きな声で返事はできない。


 このことは妹にも注意しておいた方がよさそうだな。


 今回、非があるのは俺の方なんだけど、それとマナーは関係ないのだ。


 そっと指摘すると千香は目を丸くした後、神妙な顔つきになってうなずく。


 相変わらず、生意気なようで素直な奴である。


 食堂に行ってみると、六組ほどの家族が既に着席していた。


 彼らはちらっとだけこちらを見て、すぐに視線をそらしてしまう。




「へえ、ここが食堂なんだぁ……」




 そのような視線を知ってか知らずか、千香が感嘆の声を漏らす。




「どこの高級レストランだ、これ」




 親父は俺と似たような感想で、お袋はただただため息をつくばかり。


 カルチャーショックを受けるのは、庶民の宿命みたいなものだよな。


 そう開き直っているし、先に来ている人たちは声が聞こえていただろうに、別にいやらしい顔をしなかったのですっかり平気になってしまっている。




「あいている席に座れば、メニューを持ってきてもらえるはずだから」




 俺はそう言って家族を促す。




「お兄ちゃん頼みだね」




 千香がどこか嬉しそうだったのは、気のせいだろう。


 単に英陵の食堂でご飯を食べられるのが楽しみなだけなんだろうし。


 親父とお袋は恐る恐るといった態で着席する。


 ほとんど待たされることがなく、ウェイトレスのお姉さんが四人分の水を持ってきてくれた。


 実はこれもミネラルウォーターで、コップ一杯千円の設定にしないと赤字になってしまうレベルの逸品らしいんだよな。


 俺がそれを知ったのはほんの偶然なんだけど。


 リストがにこやかに差し出されたものの、誰も読めない。


 こういう時にどうすればいいのか、学習済みである。 




「本日のおすすめコースとそれにあった飲みものを四人分、お願いします」




 店側にぶん投げればいいのだ。




「かしこまりました。それでしたら和風コースと季節のドリンクが本日一番のおススメとなっておりますが、いかがでしょうか?」




「じゃあそれで」




 親父がそう言って、ウェイトレスさんが引き下がる。


 内心俺は「よりによって、高いコースだ」と叫びたくなったが。


 正直なところ、和食よりフランス料理とかの方が値段は高い印象はあったんだけど、そんなことはないとここでの食生活で教えられたのだ。


 ウェイトレスさんが下がると三人はほぼ同時に、水に手を伸ばす。


 そして目を丸くした。




「美味しいね、これ」




「ただの水じゃないな」




 いつもの水道水と違うことは分かるが、具体的にどういうものなのかはさっぱり分からない。


 さすが家族だけのことはあり、全く同じような反応である。


 俺はこっそりと中身とその値段について教えた。


 もし、千香が合格すれば、いずれ知ることになる。


 こいつが知れば当然お袋、それから親父にも伝わるだろう。


 むせこんだのは親父、素早く背中をさすったのがお袋、目を白黒させたのが妹になる。


 まあ、コップ一杯の水が千円とか言われたら、普通はこうだよなぁ。


 今まで孤立無援だったところに、頼りになる味方が出現したのを目撃したような気分だった。




「さすがは英陵って言いたいけど、何か変じゃない? 共学化したのって生徒数減少からはじまる経営難を見越してとか、そういうことじゃないの?」




 千香はおかしな点に気づき、指摘する。




「俺も最初はそう思っていたんだけど、どうも違うっぽいんだよな。どう見ても金には困っていないし」




 言葉を切って両親の顔をかわるがわる見た。


 俺たち子供じゃ分からないことでも、親なら何か分かるんじゃないかと期待したのである。


 親父はコップを手に置き、真面目な顔になった。




「そうだな。所詮は庶民だから金持ちの考えることなんて分からん。父さんの想像とはかけ離れている可能性の方が高いが、それでもかまわんか?」




「いいよ、何でも」




「そうだよ」




 俺と妹は矢継ぎ早にそう答える。


 別に正解を求めているわけではない。


 納得できる答えがあるのかどうか、それが大事だった。




「父さんが思いついたのは、実験じゃないかということだな」




「実験? 男を入学させる?」




 意外感は正直あまりない。


 俺自身、理由は不明だけど男子を入学させる実験ではないかとは思っていたのである。




「そうだな。本格的に共学するつもりがあるのかどうか、そこまでは分からん。でも、外部からの受験者を受け入れても大丈夫かどうか、試しておきたくなったんじゃないか?」




「うん? どういうこと?」




 もったいをつけられているような、煙に巻かれているような気がして眉にしわを作った。




「ここで言うのは止めておいた方がいい気はするな」




 親父は腕組みをしながら、意味ありげな視線を送ってくる。


 言われてみれば確かにそうだ。


 聞き耳を立てているような人はいないだろうけど、それでも避けた方がいいかな。




「じゃあ家に帰ったら聞かせて」




 そう言っておいた。




「そうしましょう。ところで和風コースってどんなものなのかしら?」




 黙って聞いていたお袋は一つ手を叩いてまとめ、それからいきなり話題を変える。


 乗っかった方がいいに決まっているけど、一つだけ問題があった。




「いや、まだ食べたことがないものだから、分からない」




 答えは俺も知らないという点である。


 この場にデジーレか小早川でもいれば訊けたんだけど、いくら何でも今日ばかりは無理な望みだろう。




「あら、そうなの」




「え、もしかして、今日初めて出たの?」




 千香の奴、なかなか鋭いな。


 初めて出たどころか、存在を知ったのがさっきなんだよ。


 そう説明をすると、家族たちはうなるばかりだった。




「入学して半年くらいになっているのに、まだお前が知らないメニューが出てくるのか」




 親父が感心したと言うよりは呆れたように言う。


 全く同感だけど、俺はもしかしたら体育祭限定メニューなのではないか、と思い当たった。


 それだったら説明はつくんだよな。


 そうでなくとも、普段は出し惜しみされるメニューである可能性はあると思う。


 俺はそこでちらりと近くのテーブルを見てみる。


 既に座っていた人たちのところへ、料理が運ばれてきたからだ。


 残念ながら彼らが頼んだのは全く別のものだったらしい。


 あれはたぶんだけどスペイン料理だな。


 名前は分からなくても、どの国の料理なのかは何となく見当がつくようになってしまった。


 身もふたもないことを言うなら、俺たちの参考にはならない。 


 あまり見ていても失礼にしかならない為、ばれる前にそっと視線を外す。


 何となくだけど、会話が止まる。


 そこで俺は千香に話題を振ってみた。




「どうだ? 英陵を受けてみたくなったか?」




 この問いに妹は気まずそうな顔になる。




「受けてみたいという気持ちはあるけど、何だかスケールが大きすぎ」




 利発で神経が図太いこいつも、やはり庶民の生まれに過ぎなかったらしい。


 俺が何とかやれているくらいだから、千香なら大過なく卒業までいけると思うんだけどな。


 ただ、男と女じゃハードルが違う気もする。


 唯一の男は比較対象もいないので、真面目でお行儀よくしていれば何とかなるんだが、女じゃ同じようにはいかない可能性は否定できなかった。


 英陵の子たちに限ってそんなことはないと信じたいけど、本当のところは分からないしなあ。


 妹の人生なんだし、妹が自分の意志で決めるのが一番だろう。


 こいつの学力なら、英陵以外でも入学金授業料完全免除の特待枠を勝ちとれるだろうからな。


 後悔だけはしてほしくないけど。


 親父も真面目な顔で千香に語りかける。




「お前の人生はお前のものだから、お前が好きなようにしていい。ただ、将来何になりたいか、決めているか?」




「そうだね。翻訳家か税理士か、どっちかになれたらいいかなとは思っているかな」




 それは初耳だった。


 ちらりと表情を見た限りだと、親父とお袋も例外ではないだろう。


 ただ、親父はゆっくりとうなずいてから口を開く。




「それだったら英陵に入って、お嬢様たちと知り合いになっておくというのも手だな。ここの生徒たちは、その手の職業にとって上客になれる子が多いだろう」




 上客になれそうな子については多いって言うより、全員がそうだと言った方が適切だろうけど、今は訂正しなくてもいいや。




「そっか、そういう考え方もあるんだね」




 千香は親父の助言を真摯に受け止めていた。


 知り合いだからと言って仕事を回してくれるほど、優しい子たちばかりなのか、俺には疑問ではある。


 そりゃいい子たち揃いだろうが、あくまでも個人と個人のつき合いだからじゃないのか。


 そういう気がするんだ。


 全くのゼロから営業するよりは、まだ楽なのは確かだろうけど。


 念の為言っておいた方がいいだろうと思って、皆に言ってみた。




「それはそうだ」




 親父は肯定してから神妙な顔で続ける。




「でも、実力があれば仕事は勝ちとれるというわけじゃないからな。いい仕事をする実力と、仕事を勝ちとる営業力は分けて考えておいた方がいいぞ」




 そう言われてしまうと返す言葉がない。


 俺は所詮、アルバイトしかしたことがない身なんだし。




「そうだね。覚えておくね」




 妹も引き締まった表情でそう言った。


 将来を真面目に考えるなら、英陵は確かに悪くないんだよな。


 勉学の環境は整っているし、食事にしろ美術品にしろ本物ばかり。


 コネ作りだけを目当てにするだけならどう転ぶか分からないけど、本当にいいものに触れる機会を得るという点に関しては国内最強クラスだろう。


 おっと、千香の心配をしている場合じゃない。


 俺の方がずっと不安だ。


 さて、どうすればいいのか。


 英陵の子の誰かと結婚すれば生涯安泰な気がするけど、シャレではすまなかった時が恐ろしすぎて声には出せないな。


 そう考えたところで、料理が運ばれてきた。

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