第8話

 校内案内が終わった俺達は生徒会室に戻る。


「ただいま戻りました」


 内田先輩はドアを開けてそう声をかけ、俺は一礼してその後に続く。

 中に入ると姫小路先輩は満面の笑顔絵で、高遠先輩はクールに、水倉先輩は淑やかな笑みで、藤村先輩はぎこちなく迎えてくれた。

 何だか帰ってきたという気分になってほっとし、そんな自分に少し驚く。

 早くも里心みたいなものが生まれたのは意外だった。

 しかしながら、他にも見覚えがある人と見覚えがない人がいる。

 見覚えがあるのは、入学式の時、俺の質問に優しく答えてくれた綺麗な先輩だ。

 相変わらず素晴らしい美人で、こっちを見て上品に微笑みかけてくれる。

 鼻の下が伸びたりしないように細心の注意を払いながら、目礼を返しておく。

 生徒会メンバーの中にいても全く違和感がないのは、かなりすごいと思う。

 そう思ったものの、心は浮つくどころかキリキリと締めつけられるようだった。

 原因はその人の隣に見覚えのない、女サムライみたいな人が俺の事を非友好的な目で見ているからである。

 刺すようなと言えば言いすぎだけど、それには近い厳しい視線を向けてきているのだ。

 敵意まではいかないが、信用もされていない。

 そんな意思が伝わってきて、自然と俺の背筋は伸びてしまう。


「本気で男を入れるらしいな」


 見覚えのない先輩は睨むような態度を崩さず、姫小路先輩に話しかける。

 何となく室内が居心地悪い空気になっているは、この人が原因だろう。

 そう思わずにはいられない。


「ええ、お話した通りですよ、青葉さん」


 対する姫小路先輩は、あくまでも穏やかに答える。

 ただし、何度も俺に見せてくれた上品な微笑は、今は消えていた。

 それがよからぬ予感を覚えさせる。

 この人はいつも微笑んでいるようなイメージがあっただけになおさらだ。


「正直、私は君を信用していない。いや、男を信用していないと言った方が正しいだろうな」


 青葉と呼ばれた人は俺の側までやってきて、挑むような態度を示す。 

 俺より数センチほど低いだけだから、女性としてはけっこう長身なんだな。

 髪からかすかにいい匂いが伝わってくるが、それどころではない。

 半端ない力がこもった眼光を浴びせられるが、俺は負けじと見つめ返す。

 信用されないのは仕方ないと思うものの、やましい事は何一つしていないのだ。

 ここはひいてはいけないと思った。

 手を伸ばせば触れ合いそうな距離で、先輩と静かに睨みあう。


「まあまあ、青葉様。そのへんになさって下さい」


 空気が張り詰め始めた時、柔らかな声がそれを壊した。

 発したのは例の綺麗な先輩だったらしく、青葉という人のすぐ隣にやってくる。


「何もしていない方を疑うのはひどいと思いますよ?」


「しかしだな、季理子。こいつは男だぞ」


 理不尽極まりのない言い分だったが、少なくともこの人の中では正論らしい。

 ただ、季理子と呼ばれた人は穏やかにその主張を受け流す。


「それでは青葉様のお父様やお兄様も、信用できない外道なのでしょうか?」


「な、何を言うかっ。父上や兄上も立派なお方だっ」


 憤慨して叫ぶが、季理子さんは少しも怯まない。


「では、全ての殿方がそうではないという事ですよね?」


「うっ」


 逆に青葉さんの方がたじろいだ。

 さすがに自分の身内だけ例外だと主張をする気にはなれなかったらしい。

 まあ、男ってだけで信用できないって言うのは、つまるところこの場のメンバーの身内も信用できないって言っているのと同じだもんな。


「そ、そうだな。言いすぎた事は認める」


 青葉さんは目を伏せ、軽く咳払いをしながら言った。

 意外とあっさり自分の非を認めるんだな。


「だが、その男をすぐ信用するわけにはいかないという事は、変えるつもりはない」


 ぎろりときついまなざしを向けられる。


「いやまあ、別にいいんじゃないですかね」


 思わずそんな事を言ってしまう。


「お前、何だ。その言い方は。私を馬鹿にしているのかっ?」


 何故だか青葉さんが怒り始める。

 目と鼻の先ですごまれると余計に迫力を感じ、背中に嫌な汗が流れて思わず後ずさりしてしまう。

 だが、言い返さずにはいられなかった。


「そんな事はないですが、いきなり信用しろって言っても無理だとは思いますが」


 青葉さんの目を見据えながらはっきり言うと、目が丸くなる。

 そこに姫小路先輩が声をかけた。


「青葉さん。いい加減になさって下さい」


 すっと目を細め、いつになく厳しい口調になったのを見て、青葉さんは見るかに気圧される。

 そこに高遠先輩が言った。


「あなたの気持ちは理解できなくもないですが、この場合は完全な言いがかりですね」


 失礼ながら少し驚く。

 高遠先輩が俺の事を擁護してくれるとは思わなかったからだ。

 先輩にしてみれば俺を擁護したのではなく、単に姫小路先輩に味方しただけかもしれないが。


「青葉様らしくないですね」


 綺麗な人がそう言うが、非難よりも怪訝そうな色が濃い。

 その冷静な指摘に己の言動を再認識したのか、ややバツが悪そうな顔になる。


「今日のところはこれで失礼する。またな、翠子」


 俺とは目を合わせずそそくさと立ち去ってしまう。

 姫小路先輩を呼び捨てにしたって事は、あの人は三年なんだろうな。

 後は何故か男を目の仇にしているって事くらいか。


「全くあの人は……」


 高遠先輩が大きくため息をつく。

 今にも舌打ちしそうな勢いだったが、すぐに俺を見つめた。


「赤松さん。彼女の事は気にしなくていいですからね?」


 どうやら心配してくれているらしい。


「ありがとうございます」


 嬉しかったので素直に礼を言っておく。

 しかし、それで終われなかったのはやむを得ないと言わせてほしい。


「それで今の人は一体?」


 答えてくれたのは姫小路先輩だった。


「風紀委員長の正道寺青葉さんです。真面目で責任感が強い人なんですけど、赤松さんへの態度には困ったものだわ」


 右手を頬に当て、小さく嘆息する。


「殿方が苦手なのは分かりますが、十把一絡げにして忌避するのは少し問題ですね」


 高遠先輩は少々の不快感をあらわにした。

 俺はどう言えばいいのか分からず、沈黙を守る事にする。

 正道寺先輩の事をよく知らないのに、一緒になって悪く言うのは何か違うと思うのだ。

 そんな俺をどう思ったのか、季理子と呼ばれていた綺麗な人はにこやかに話しかけてきた。


「同調なさらないのですね」


「は、はあ?」


 先輩に対して失礼な反応だとは思うのだが、意図が掴めなかったのだから仕方ない。

 先輩達の非難に俺が同調しなかったからって何なんだろうか。


「正道寺先輩の事は何も知らないので、何も言いようがないのですが」


 そう言ったら何故か皆感心したような顔になった。

 気持ち悪いって言ったら言い過ぎだが、理解に苦しむ展開だ。


「立派な判断力をお持ちなのね」


 美人に感心されたり褒められるのは嬉しいものの、これはちょっと落ち着かない。


「姫小路会長の見る目はあったという事かしら」


 一番冷静で厳しそうな高遠先輩までそんな事を言い出す。

 これはもう、感性が俺とはずれているって事じゃないだろうか。

 そう思えば少しだけ落ち着いた気分になれる。

 姫小路先輩はと言うと、両手を叩いて皆の注目を集めた。


「はい、そこまでにしましょう。それより赤松さんに紹介しておくべき方もいますからね」


 そう言って季理子さんの方を見た。


「日本舞踊部の七条季理子さん。私とはお友達でもあるの」


「赤松さんよね? 七条季理子と申します。よろしくお願いします」


 何かの儀式のような優美さで、挨拶をされる。

 俺は慌てて居住まいを正し、返礼をした。


「赤松康弘です。こちらこそよろしくお願いします」


 本日何度目かのやりとりである。

 それにしても日本舞踊部の人がどうしてここにいるんだろうか。

 と思っていたら七条先は、先輩達に挨拶をして退出してしまった。

 爽やかな香りを残した気がする。

 おっと、危ない危ない。

 他の先輩達の目がある前で、あまり七条先輩にうっとりするような姿を見せられない。

 急いで気持ちを切り替えると、水倉先輩が不思議そうな顔で小首をかしげた。


「紫子さんほどではないですけれど、季理子さんに見とれてしまう殿方は多いのに……」


 それはよく分かる。

 俺だって一種の危機感でどうにか抑え込んだに過ぎないのだから。

 高遠先輩が何やら感心したように、小さくうなずきながら言った。


「赤松さんはしっかりした方のようですね。入学が認められたのもうなずけます」


「本当ですねぇ」


 水倉先輩も、そして藤村先輩までが似たような顔つきである。

 いくら何でも感覚がずれすぎてやいないか?

 ここまで来ると、何だか俺がこの人達を騙している悪党だとすら思えてくるんだが。

 今、ここでそう言ったところで、俺の評価が上がってしまいそうなので、あえて口にはしないけど。

 ところで紫子さんって誰なんだろう?

 口ぶりからすると七条先輩に引けを取らない美人なんだろうか……いや、美人の多さは今更だな。


「青葉さんの事ですが、赤松さんならば気にする必要はないと思います。彼女は悪い人ではないですし、すぐにご自分の非に気がつくでしょう」


 姫小路先輩はそう言ってくれる。

 フォローしてくれたのだろうが、ここでお礼を言うのも何か違う気がするので、黙って頭を下げた。


「赤松さん、明日からは業務を担当していただきますが、今日のところはあがっていただいて結構ですよ」


 姫小路先輩にそう言われたので俺は学校を後にする。

 下校する生徒の数はまばらだった。

 とそこに見覚えのある顔が視界に映る。

 風紀委員長の正道寺先輩、と数人の女子達だ。


「赤松、帰りか」


「はい」


 嫌な予感がしたものの、先輩に話しかけられたのに無視をするわけにもいかない。

 立ち止まって目礼をする。

 先輩はさておき、他の女子達は遠慮がちではあるがちらちらとこちらを見てくる。

 そこに敵意はないが、隔意めいたものは感じた。

 やっぱり警戒されているんだろうな。

 同級生とか生徒会の人達とか、七条さんみたいな人ばかりじゃないのは、むしろ俺としては納得できる。

 でも、それを言葉にしたら馬鹿にしているのかって怒られたんだよなあ。


「これから君の事を観察させてもらおう」


 正道寺先輩は俺の目を射抜くように見据えながら、そう宣言する。

 観察と書いて監視と読む、なんて思ったのは多分気のせいじゃないよな。

 他の人達も割と真面目そうな顔だし。

 まあ、女子しかいなかった場所に男が入ってきた反応としては、こちらの方が正しいだろう。

 他人事のように思えてしまうのは、生徒会の人達などの様子を見てきて、少し感覚がマヒしているのかもしれない。

 本来の自分の立場を忘れないよう、気をつけねばならないだろう。


「はい。信用していただけるのをお待ちしております」


 そう言って頭を下げる。

 これは俺の本音だったが、また嫌みだと解釈されないか心配だった。

 正道寺先輩は特に怒ったり騒いだりもせず、ただじっと俺の事を見つめる。

 そして呆れたようにため息をつく。

 な、何故?

 と思ったら口を開いた。


「どうやら君は、本気でそういう事を言える人間らしいな。しかし、相手の立場や解釈次第ではただの嫌みにしか聞こえん。その事には気をつけるがいい」


 これは本気で忠告してくれているんだろうか。

 少なくとも先輩自身はそう思ってしまう人間だと。


「まあ、場合によっては、この忠告が無駄になるかもしれないがな。ほら、君は転校してしまうかもしれないし」


 などと考えていたら、一転して鋭い視線を向けてくる。

 おまけに言葉でもナイフで抉っているかのような尖ったものだった。

 どう解釈しても脅かしの一種だ。

 ……この人がどういうキャラクターなのか、いまいち掴めないな。

 ただ、何を言っても嫌みに解釈されるかもしれないと思い、黙って頭を下げるだけにしておく。


「ひとまず今日のところは行ってよし」


 そう言われたのでもう一度頭を下げ、その場を立ち去る。

 校門をくぐったところでホッと一息をつく。

 嫌なプレッシャーだったな……でも、おかげで元お嬢様学校だという事を思い出せたと思う。

 もちろん、実は入念に調査されていたという事実を含めてだ。

 それにしても今日一日でたくさんの人と知り合ったよな。

 果たして全員の顔と名前を覚えきれるだろうか。

 クラスメートや生徒会のメンバーは覚えておかないとまずいよな。

 ……頑張ろう、俺。

 せっかく生徒会に入って、知り合った多くの人に好意を示してもらえたのだ。

 台無しにするわけにはいかない。

 そして正道寺先輩率いる風紀委員会の事もある。

 正直、どうすればいいのか分からないというのが現状だ。

 今のところ思いつくのは、せいぜいが疑わるような真似は慎むって事くらいしかない。

 信用を勝ち取る為には何をすればいいのか、さっぱり見当がつかなかった。

 痴漢を捕まえたり撃退したり、と考えてはみたが、普通の痴漢じゃ侵入すらできないだろうからなぁ。

 学校の外ではほぼ護衛達が周囲を固めているわけだから、俺の出る幕なんてないだろう。

 あの体格のいい護衛達をどうこうできるような奴がいるとして、そんなのを相手に俺ができる事はない。

 警察を呼ぶのが関の山だろう。

 ……やっぱり地道にこつこつとやっていくしかないのかな?

 幸い、同級生達はそれなりに俺の事を信用してくれているようだった。

 彼女達の事を裏切らないのが一番の近道かもしれない。 

 と言っても、具体的な案は浮かばないけど。

 頑張って仲良くなっていくしかないってところだろう。

 ところで、生徒会の庶務ってどんな事をするんだろうか。

 雑用に近いと先輩は言っていた気がするけど……単に俺へのフォローだけで入れてもらったなら申し訳ないから、仕事はしないとな。

 役に立てそうな事と言えば力仕事かな?

 元お嬢様学校でどの程度あるのか分からないが、男手がなくて困る事はなかったとしても、あって助かるという事はありえるはずだ。

 他に思いつく事は特にないな。

 千香の奴なら何か分かったりするだろうか?

 困った時の妹頼みと言うのも情けない話ではあるのだが、こういう事を相談できて女心というものが理解できる知り合いはあいつくらいしかいない。

 それにあいつなら生徒会の事にも詳しいだろうしな。

 いつかあいつの方が困っていた時、兄らしい事をしてやればいいだろう。

 そう自分自身に言い聞かせる。

 ……千香の奴、本気で英陵を受験する気なんだろうか。

 男子の俺にとってはそこまで厳しいハードルじゃなかったが、女子にとってはかなりの難関校のはずなんだが。

 でも、あいつは生徒会役員をやっているくらいだし、成績もいいのかもしれない。

 俺に対して成績を見せないし、親も俺と妹を比較するような事はないので詳しくは知らないんだが、少なくとも勉強の事で怒られた事はなかったはず。

 ……どうしよう、段々とあいつに劣等感みたいなのが湧きあがってきた。

 頭を何度も振り、嫌な気持ちを必死に追い出す。

 仲のいい妹相手に俺は一体何を考えているんだか。

 大きく息を吐き出す。

 嫌な奴、特に嫌な兄にはなりたくない。

 一歩一歩力を込め、汚い自分から逃げるように歩く。

 家に帰るまでに、そういった部分がなくなる事を祈って。

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