はいそっ

相野仁

第一章

第1話

 風が爽やかに吹き抜けて、道行く人の髪や衣服を揺らす。

 周囲の住宅の庭に植えられた木々は、色とりどりの花を咲かせている。

 花見の季節だとお袋なら言うだろうし、親父ならビールが美味い季節だと言うだろう。

 俺ならさしずめ新しい出会いの季節だ、と言おうか。

 今日は高校の入学式なのだから。

 ゆるやかな坂をのぼっていくと、段々景色に変化が訪れる。

 一番の違いは、前を歩く人影の種類だろう。

 スーツ姿のサラリーマンなどは姿を消し、紺のハイソックスとスカート、白いブレザーといういでたちの女子高校生達が見られるようになる。

 とは言え、その数は多くない。

 向かっている高校の事は当然と言えるだろう。

 私立英陵学園は、明治に設立された女子高だ。

 金持ちと美少女が多い名門お嬢様学校として有名である。

 そんな学校に俺は今日から通うのだ。

 決して早い時間帯でないのに人影がないのは、多くの生徒達が車通学だからだろう。

 身代金目的の誘拐が決して他人事ではない家庭の子がほとんどらしい。

 前を歩いている女の子達は、皆がすぐ横に護衛らしき人物がいる。

 どれも長身で肩幅が広く、全身から威圧感を放っていた。

 不審者が接近したら、一瞬で取り押さえてしまいそうだ。

 さて、俺は女子高に通うと言ったが、別に犯罪に手を染めたりしたわけではない。

 名門女子高も少子化には勝てず、今年から共学になるのだ。

 元女子高と言うのが正確だろう。

 それだけだったら俺は受験しなかったに違いない。

 美少女が多いという点には正直心惹かれるものがあるが、住む世界が違いすぎるお嬢様達と同じ学び舎で、というのはピンと来ない。

 価値観の合わない相手と集団生活を送るのは疲れるだけなんじゃないだろうか?

 そんな斜に構えたような思いがある。

 それなのにも関わらず受験したのは、男子生徒は入学金免除、諸経費も公立高校より安いと聞いたからだ。

 親父はリストラされ再就職先はできたものの、給料は下がった。

 はっきりと口に出して言われたわけじゃないけど、お袋はパートに出るようになった。

 幸いな事に二人の仲は良いままで、居場所がないと感じる事はない。

 先ほどからちらちらと視線を感じる。

 女子生徒達がこちらを見ているのだ。

 不快にはならない程度のさりげなさであるあたり、やはり上流家庭の子達だなと思う。

 護衛達は俺を見ても何の反応も示さない。

 英陵学園に男子が入学した事を知っているし、男子の制服も把握しているからだろう。

 でなかったら俺はあっという間に病院送りにされてしまいそうだ。

 やがて目的地が見えてくる。

 校門は車が何台も通過できそうな長さだけど、それは納得できる。

 今も高級車と思しき車が何台も入っていっているからだ。

 車通学の生徒の多さを考えれば、当然と言うべきだろう。

 男子だって車通学の奴がいるかもしれないし。

 門のところに鋭い眼光のガードマンが、何人も立っていて通行者を確認している。

 これだけでも普通の高校とは一線を画しているように見えた。

 俺が門をくぐっても、ガードマン達は何も言わない。

 当たり前のはずだが、多少は緊張してしまった。

 情けなさを追い払いつつ、まっすぐ前を見る。

 白い四階建ての校舎が目に飛び込んできた。

 見るからに豪奢というわけではなかったが、これから三年間過ごすのだと思えば感慨深い。

 周囲から深く息を吐き出す音がちらほら聞こえてくる。

 お嬢様達と言えど感動するのか、と思って横目で確認したら、単に息切れしただけのようだった。

 護衛達からハンカチやタオルで顔を拭いてもらっている。

 女子の体力じゃきつかったんだろうか?

 そう思いながら俺は足を動かす。

 女子の様子をじろじろ見ている、と思われたくない。

 変な誤解をされてもたまらないしな。

 ……しかし、何と言うか女子の数が多すぎやしないだろうか。

 今年から共学になったんだから、女子の方が多いのは分かる。

 二、三年は編入者が来ない限りは女子だけだろうし。

 でも、今日は入学式だから、一年生が大半で、二、三年生は手伝いの人しかいないはず。

 それなのに、何故か女子しかいないんだが……。

 男子生徒は早く来たのか、それともまだ来てないのか、どちらかなのかな。

 いくら何でも、俺しか男がいないって事は……さすがにないよな。

 不合格だったとは言え、英陵を志望していた男子は何人もいたし、他の中学の奴も同様だろう。

 俺しか合格できなかったなんて、あるはずもない。

 学校側は男子生徒を欲しているんだろうし、受験生だって公立より安い学費は魅力的だったはずだ。

 だから単に目につかないだけなんだ。

 そう自分に言い聞かせながら歩いているが、相変わらず女子しかいないので少しずつ自信がなくなってくる。

 とりあえず、自分のクラスに行ってみよう。

 てっきりクラス表が掲示板にでも張り出されるのだと思っていたら、入学式の通知と一緒にクラスに関する知らせが入っていた。

 一年七組だからラッキーセブンだと信じたい。

 クラス全員に該当するものなのか、この際は考慮したくない。

 玄関は黄色い腕章をつけた先輩らしき人達が複数いた。

 「案内役」と腕章には書いてあるから、この人達に訊けばいいんだな。

 現に何人かが質問をしている。

 俺は黙って列の後ろに並ぶとやはり視線を感じた。

 そんなに男が珍しいんだろうか。

 ガードマンや護衛達だって男だろうに。

 ……十代の男は今のところ俺しかいないけど。

 やがて順番が来て俺の番になった。


「次の方。あら?」


 鈴が鳴るような美声で声をかけてくれた先輩は、男の俺を見て目を丸くする。

 小さく白い手を口元に当てたのは、かなり本気で驚いた証拠なんだろうか。

 やっぱり珍しいのかな。


「一年七組なんですけど。下駄箱はどこで、どうやって教室まで行けばいいでしょうか?」


 年上とは言え女の子が相手という事で、なるべく優しい声を出すように心がけた。

 その甲斐あってか、にこやかに微笑みながら答えてくれる。


「そうですね。玄関から入って、右から三つめの下駄箱です。出席番号はご存じ?」


 小首をかしげると長い黒髪がさらさらと流れた。

 上品で感じのいい人だな。


「あ、はい」


 さらっとご存じとか言われてしまった俺は、断片的な返事しかできなかった。


「ならばすぐにお分かりになると思います。クラスは下駄箱を出てまっすぐ行き、一番奥になります。トイレと階段の先になりますから、目印にして下さいね」


「分かりやすくて丁寧なご説明、どうもありがとうございます」


 思わずそう言い、頭を下げる。

 先輩は軽く目をみはったけど、すぐに微笑んでくれた。


「いいえ、どういたしまして。よい学園生活を過ごされるよう、祈っていますね」


 真心があふれていて、到底ただの礼儀だとは思えない。

 本気で祈っていてくれるなんて素晴らしい人だ。

 あ、そう言えば……


「あのすみません」


「はい、何でしょう?」


 立ち去りかけたのに戻ってくるなんて事をしたにも関わらず、先輩は優しく微笑みかけてくれた。


「先に教室に入った方がいいのでしょうか?」


「ええ。荷物を置いてから入学式に出る事をお勧めいたします」


 なるほど、ここではそういうものなんだな。

 残念な事に知りたい情報は得てしまったので、今度こそ別れなくてはならない。

 そんな風に後ろ髪をひかれるような思いを抱いたほど、強烈な印象を抱いた人だった。

 下駄箱に向かいながら、名前が分からない事が残念に感じた。

 順番待ちをしている子達がいたし、さすがに名前を聞くわけにはいかなかった。

 こういう時にああいう係をやっているのだから、生徒会か委員会に所属している人なんだろうか。

 性格の良さと育ちの良さがにじみ出ているような人だったから、案外有志のボランティアかもしれない……。

 そんな事を考えながら足を動かす。

 廊下は取り立てて変わらない。

 名門お嬢様学校と言えど、校舎は普通のものっぽいな。

 と思ったら窓ガラスに警報装置らしきものがついているし、監視カメラみたいなものがあるのに気がついた。

 少なくともセキュリティは段違いらしい。

 それにしても何だか、かすかに甘くていい匂いが漂っている。

 見渡す限りで花とかないんだけど、一体これは何の香りなんだろうか?

 元女子高だけに、香水を惜しみなくふりまいているとか……ちょっと想像できない。

 そうは見えないだけで、実は高級な香木とかを材料に使っていたり、なんて事も……。

 おっと、七組はここだな。

 俺は後ろのドアを開けて中に入ると、既に来ていた女子達が一斉にこちらを向く。

 彼女達は一瞬固まり、それから「ああ、そう言えば」と言いたそうな顔になった。

 ここが共学化したのを忘れていたのかな?

 俺自身、ちょっと自信をなくしかけていたから、文句は言えないけど。


「おはよう」


 なるべく爽やかな笑顔を心がけて、明るく挨拶する。


「お、おはようございます」


 ぎこちない上にバラバラで声も小さかったけど、それでも全員が返してくれた。

 皆いい子達のようでホッとする。

 金持ちのお嬢様だからって性格がいいとは限らない。

 少なくともフィクションではそうだったし心配もしていたんだが、今のところそんな子はいないようだ。

 少しずつ打ち解けいけば、何とかなるだろう。 

 そう考え安心し、自分の席を探す。

 赤松だから前の方だろうなと思ったが、案の定一番だった。

 鞄を置いて腰を下ろし、隣の子に話しかけてみる。


「俺、赤松って言うんだ。今年一年よろしくな」


「は、はい。よろしくお願いします」


 隣の子は一瞬びくりと体を震わせ、おっかなびっくりといった感じで返事をした。

 あれ、何だか怖がられていないか……?

 いきなり声をかけたりしたからだろうか。

 不躾にならないように女の子を観察する。

 とても小柄で、身長は140センチ前後だろうか。

 髪は当然のごとく黒だけど、ツインテールにしている。

 美人じゃなくて小動物的可愛らしさとでも言うような、そんな魅力を感じる子だ。

 だがしかし、その子は名乗る事もなく、俺を見てびくびくしている。

 少なくとも俺はそう感じるし、ちょっとショックだな。

 一体この子に何かしただろうか?

 もう一度観察してみるが、全く身に覚えのない子だ。

 こんな可愛い子なら、一度見れば忘れないはずなんだけどなあ。

 さっき親切で分かりやすい説明をしてくれた先輩みたいにさ。

 あ、もしかして、男が苦手だったりするんだろうか?

 基本、ここに通う子はお嬢様のはずだし、年頃の男を見るのは初めてとか……。

 無理ある考えかもしれないけど、それならこの子の反応やクラスメート達の雰囲気が説明できるんだよな。

 腫れ物に触るような、遠巻きに見ているような、そんな感じなのがさ。


「あ、あの〜……」


 せめて名前くらいは教えてほしいと思って声をかけると、その子はビクッと大きく体を震わせる。

 ……俺ってそんなに怖いのかなぁ?

 そう思い、続きを口にするのをためらうと、


「ちょっと、そこのあなた!」


 割って入ってくる声が聞こえた。

 そちらに視線を向けると、そこには華やかな女の子が立っていた。

 金色の髪は隣の子と同じくツインテールで、何故かゴムもお揃い。

 白い肌と碧眼が印象的な相当な美少女である。

 明らかに国外産の女の子は、こちらを威嚇するような顔つきで言葉を発した。


「リナが怯えているじゃありませんか。一体、何をしましたの?」


 外見とは裏腹に流暢な日本語で思いっきり不審者扱いされ、正直イラッときた。

 だが、リナというらしい子が俺に怯えているのは事実である。

 元女子高であり、女子がほとんどだという現状を考えれば、誤解はなるべく早く解いた方がいい。


「別に何にも。隣の席になったからあいさつしただけだよ」


 これは他の女の子達も見ているはずだから、堂々と言っておく。

 やましい事はないと女の子の目をまっすぐに見つめ返す。

 女の子はちょっと怯んだようだったが、すぐに視線をそらした。

 と言っても単にリナって子に移しただけである。


「リナ、本当なのですか?」


 心持ちさっきより大きめの声だった。

 嘘なら嘘だと言えと励ましているつもりなんだろうか。


「う、うん。いきなり声をかけられて、私びっくりしちゃって」


 幸いな事に小動物的な子は、誤解を解くのに協力してくれた。


「何だ、そうだったの」


 金髪の子は露骨に安堵した顔になり、優しい目をする。

 慈愛にあふれていて、そんな顔もできるのかと俺が驚いていると目があった。


「どうやら誤解をしていたみたいね。心よりお詫び申し上げますわ」


 スカートの裾を摘まんで一礼すると言う、芝居がかっているにもほどがある仕草だったが、つっこむ気が失せるくらい様になっていた。

 中学時代の同級生が真似したら滑稽なんだろうけど、この子みたいに全身から優雅オーラがあふれている子がやると、もの凄く絵になるんだな。

 俺は一つ賢くなった気がした。


「いや、知り合いが怯えている姿を見たら早合点するよな? 気持ちは理解できるから、気にしないよ」


 これはいい子ぶったわけじゃなくて本心である。

 イラッとした事もあったけど、友達を見る優しい表情を見たら、一気に消えてしまった。

 これからも似たような事はあるかもしれないし、いちいち気にしていたら身が持たないだろう、という想いもある。

 そんな俺の返事をどう解釈したのか、金髪の子は目を丸くした後、微笑んでくれた。


「あら、とてもさっぱりした性格の方なのね。わたくしはデジーレ・バズゼールと申します。今年一年、よろしくお願いいたします」


「う、うん……」


 とびっきり綺麗な笑顔を直視してしまい、思わずどもってしまう。

 やばい、多分今頬が真っ赤になっているに違いない。

 クソ、美少女の不意打ち笑顔なんて反則技じゃないか。

 俺は頭をふって必死にデジーレと名乗った子の破壊力を追い出す。


「俺は赤松康弘。一年間よろしくな」


 頑張って笑顔を作る。


「アカマツ・ヤスヒロですね」


 デジーレは言いにくそうに俺の名を反芻しながら、そっと右手を差し出してきた。

 あっと、海外では友好の証が握手なんだっけ?

 そう考えながらこっちも右手を出す。

 同世代の女の子の手に触れたのは、何気に初めてかもしれない。

 幼稚園とかの頃はノーカウントとするなら。

 小さくてほっそりしていて、ひんやりとしていた。

 女の子の体は冷えやすいって本当なんだろうか。

 そんな疑問を持ちながら手を離す。

 正直、名残惜しいけど、いつまでも握っているわけにはいかないもんな。 

 そうして俺はちらりとリナって子の方を見る。

 できれば自己紹介してほしい……そんな気持ちが通じたのか、デジーレが言った。


「ほら、あなたも自己紹介なさいな。失礼ですよ」


 名乗られたら名乗り返さないといけないと思っているのか知らないが、この場合は好都合である。


「う、うん。相羽里奈です。よろしくね、赤松さん」


 え……あいば? 俺の右隣なのに?

 それにさんづけ?

 疑問に思ったが、よろしくと言われて反応しないわけにはいかない。


「おう、よろしく」


 おどおどとあいさつする相羽に爽やかに返すと、またビクッと体を震わされた。

 これってもしかして……?


「もしかして、声がでかくてうるさいかな?」


 そうだとするとこれは俺が悪いな。

 大きな声を出されるのが苦手な女の子の一人や二人、いたっておかしくはないんだろうから。

 相羽は小さくうなずき、申し訳なさそうな顔をした。


「ご、ごめんね。どうしても苦手で……」


「いや、いいんだ。こっちこそ、今まで気づかなくてごめん」


 意識して声を低め、頭を下げる。


「う、ううん。私が悪いの! 赤松君は悪くないよ!」


 相羽の慌てたような声が聞こえた。

 声が大きくなる。


「リナ、落ち着いて。皆が驚いていますわ」


 デジーレの指摘通り、クラスメート達は何事かとこちらを見ていた。

 さてどう説明したものか……俺が困っていると、金髪が視界で揺れる。


「ちょっとした勘違いでしたの。もう何でもありませんわ」


 推測ではあるが、例の破壊力抜群の笑顔を振りまいたのだろう。

 何人かの女の子が頬を赤らめて視線を逸らしたから。

 同性にも有効とか、もう反則じゃないかな。


「ありがとう」


 デジーレに礼を言った際、相羽と声が重なる。

 それに驚いて互いに顔を見合わせ、ついで吹き出す。

 相羽は笑ったらかなり可愛いんだなあ。

 ついつい見とれてしまう。

 その視線に気がついたのか、頬を染めてうつむいてしまった。

 そしてそれはデジーレが目敏く拾う。


「あら、アカマツ。変な目でリナを見ないで下さる?」


 警戒心半分、からかい半分といった表情だったので焦らずにすんだ。


「いや、相羽は笑うとかなり可愛いなあと思っただけで、変な気持ちはないよ」


「ふえっ?」


 俺がそう口にしたら、何故か相羽は変な声を出してのけぞる。

 そして耳まで真っ赤になった。


「か、かか可愛いだなんて、お、お世辞言わないでよ」


 明らかに動揺している。

 今まで褒められた事はないんだろうか?

 かなり可愛い部類に入ると思うんだが。

 お嬢様なら、むしろ褒められ慣れてそうだったんだけど、所詮はイメージに過ぎなかったのか。

 俺がそう考えていたら、何故かデジーレが両手を腰に当てて睨んできた。


「あら、アカマツ。ずいぶんと口が上手なのですね?」


 どこか不機嫌そうである。

 一体どうしたのだろう。

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