Ⅰ これは追放ではない。苦渋の決断である

 魔王タナトスとの邂逅から三日、ヘレン・ワーグナーは宿でようやく目を覚ました。ずっと付き添っていた魔女のメディアは彼女の目覚めに気づくと同時に抱きついて「もう、ずっと目を覚まさないのかと思った」とその黄金の瞳から涙を流した。長い髪がヘレンの顔に触れてくすぐる。




「あ、メディア……おはよー」と、ヘレンは気の抜けるような声を出した。メディアは女神の生まれ変わりとも呼ばれる程の魔法の才能を持った少女であり、誰にでも優しいのだが、特にヘレンの事は特別可愛がっていた。




 魔王との死闘後の第一声がそれかと、傍にいた僧正キルケ―が呆れながらも、安堵の表情を浮かべた。まだ若いが仲間内では最年長の男で、メディアとは遠縁の親戚関係に当たる。銀色の髪と端正な顔立ち、装飾らしい装飾は無いが皴1つ無い真っ白なローブを着こなし、様々な魔法を淡々と作業のようにこなす。その所作から冷たい印象を持たれるし、実際皮肉屋な一面もあるが、細やかな気づかいのできる男だ。




「はっ……魔王、タナトス……あれ? ジェイソンが倒したの?」




「そうだったらどれ程良かったことでしょうか」とキルケ―は重苦しく溜息を吐いた。そこでようやく、ぼんやりとだがヘレンは何が起きたのかを思い出していた。確か、ジェイソンの動きに合わせて奴の首を斬ろうとして……。




「……ごめん、私のせいで負けたんだね」




 ヘレンは俯いた。慰めるようにメディアが手を握り、キルケ―は「己惚れないでくださいね」と、毒を吐くようにして――暗に「あなたのせいじゃない」と伝えてくる。




「誰が相手してようと、奴には勝てなかったでしょう――そう、彼奴にとっては我々との戦いは児戯に等しい戦いだったのですよ」




 勝負にならないとはこの事。これ程までの圧倒的な差。それはこれまで幾たびの死線を潜り抜けて強くなり、多くの人間の想いを背負ってきた彼らにとっては受け入れがたいものだった。これまでの勝利、伴った犠牲、芽生えた希望。その全てが粉々に打ち砕かれた。 




 だが、彼らは勇者一行だ。打ち砕かれた次の瞬間には立ち上がっていた。




「たとえそれが真実であろうと、俺達は奴を倒さなければ」




 部屋に入ってきたジェイソンは意志の籠った言葉でキルケ―とメディアに語り掛ける。その宣言の中に自分はいない。ヘレンは無意識のうちに自分が仲間から外されていることを察した。魔王タナトスから受けた呪いはそれ程の物だったのだと、その恐ろしさをじわじわと実感する。




 ジェイソンはその荒々しい顔に、似つかわしくない気づかいの表情を浮かべた。




「あの野郎がメッセージを残していきやがったんだ。お前の呪いについて」




「……魔王はなんて言ったの?」




 魔王タナトス曰く、ヘレンに掛けたのは。永遠に解けることのない生きたまま眠り続ける呪いである。実際数日、ヘレンは目覚める事が無かった。




「キルケ―とメディアはここ数日不眠不休で解呪を試みてくれたんだよ」とジェイソンが教えてくれた。「お前はその間ぐっすりだったがな」とキルケ―が笑えない冗談を飛ばして、メディアにしばかれる。




「その努力の甲斐あって、お前は目覚めたわけだが――完全に解けたわけではない。恐らく今は魔王が去ったからその影響が薄まってるのだろう」




「つまり、また魔王と戦おうとしたら」




――問答無用で眠ってしまう。




 それが何を意味するか分からない程、ヘレンは寝惚けていない。五体満足、これ以上ないほどに意識が冴え渡っていた時でさえ歯が立たなかった相手だ。眠りの呪いを身に受けた状態であれば万に一つの勝利もあり得ないだろう。




「だから、聞いてくれヘレン」とジェイソンの言葉が虚ろになった意識の中で響く。




「俺達とお前はここで別れるべきだと思う――魔王は俺達が必ず倒すから」




 再度、急激に襲ってきた眠気の中、ヘレンは「夢だったら良かったのに」と思いながら眠りにつくのだった。






――その魔王タナトスとの戦いから一か月後。




「……もう食べられない」




 ヘレン・ワーグナーは故郷であるレムノスの森に戻っていた。元々彼女は、父のアーサーと共に狩猟で食いつないでいた。多くは鹿や猪、兎等の獣。時として勇者一行と共に旅をしてた頃の経験を活かして、街を襲うファントムやモンスターの討伐依頼をこなす傭兵稼業も行っていた。




 今日はレムノスの森近く、アリエスの国の末端にある地方貴族から熊(魔物ではない獣の方)の討伐を受けていた。地方とはいえ貴族は貴族。それなりの報酬が見込めた。




 が、そこで彼女はとてつもない失態を犯していた。依頼人の貴族の屋敷に行ったまではいい。到着と同時にとてつもない眠気に襲われたヘレンは、屋敷にふらふらと迷い込み、誰にも気づかれることなく、食糧庫にあった丁度空になっていた酒樽の中に身を潜め――、




「すぴー」




 眠ってしまったのだった。

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