Ⅺ エクリプス
ソル王子率いる王国軍はたった一日にして三百人程の死傷者を出していた。士気の高さに反して、統率力が無く、それぞれの騎士団が自らの功績に固執し敵の巣窟に戦線を伸ばした結果だ。今まで彼らの殆どが大規模な戦闘を経験してこなかったというのもある。それまではせいぜい決闘の延長線上のお遊びのような戦か、群れからはぐれたモンスターを狩った程度の物。
地獄のような戦いを経験して王子直属の騎士団や過去にモンスターやファントムとの戦いを経験したことがある部隊以外はすっかり厭戦気分となっていた。
失態を演じたのは現場の貴族達。だが、大きな流れで見た場合、この戦の責任者は誰になるのか。このタイミングでの王の来訪は彼にとっては最悪の状況だろう――とイズル・ヴォルゴールは考察していたのだが……。
アリエス国国王レイ陛下は白馬と共に到着した。かつては『獅子王』と呼ばれ、自らが先頭に立って魔王軍と戦ったこともある。王子直属の近衛騎士団や魔道部隊はその時に戦った者達に鍛えられており、他とは一線を画す戦力となっている。
「王子はどこか」と、何重にも纏わりついてくる貴族や兵を押しのけ、国王は王子を探していた。
(下手をしたらこの戦も中途半端に終わるかな)とイズルは考えを巡らす。ヘレンには悪いことをした。この戦で、彼女が見失いかけていた道を示す事が出来ればと思ったのだが、彼女に見せたのは貴族の汚い策謀だけ。力ある者が彼らの目には便利な武器くらいにしか映ってないという事実。
それをヘレンが気づいて理解しているかは別として。
「なんか騒がしいねー……」
寝惚けた声が近くのテントの中から聞こえてきた。やはり彼女は気づきも理解もしていなさそうだった。続けて「そのまま出るな!服を着ろ!」と中でエメリナ他数人の魔女の声を聞き、イズルはこめかみを抑えた。
王がソル王子のいる方のテントの中へと入っていくのが見えた。しばらくもしないうちにテントからは近衛騎士団の面々が出ていく。あの中はリュミエール王家の者しかいない。今回の戦の失態を責められているのか、はたまた、撤退を諭されているのか。
王がこの戦に消極的であるという噂はイズルも聞いていた。だからこそ、その王が幾何もしない内にテントから出てきた時には目を軽く見開いた。だが、王が放った言葉は更に彼を驚愕させることになる。
「聞け!! 我が王国の勇敢なる戦士達よ!」
『獅子王』の名に負けぬ威風堂々とした振る舞い。張りがあり、腹の底に響くような大声に、その場にいた皆が王を見た。
「貴公らの働きにより、我が王国の威光はかつてない程に輝いている! 昨日の戦いで恐怖に慄き、体が竦んだ者もいるだろう」
両手を広げる王の目は一人一人の兵に向けられていた。その働きを労い、労わるように、視線を広げていく。
「だが、今一度立ち上がるのだ! 奴らを放り捨て置けば、いずれ王国を滅ぼしに来る! 私に続け!! 我らがアリエスの地を穢した魔の者達を決して許してはならない!」
塞ぎこんでいた誰かが頭を上げた、座り込んでいた誰かは立ち上がり、誰もが武器を手に取る。
「我が王国は一丸となって戦い、聖地アストレアを取り戻しにいかねばならぬのだっ!!」
王の眼光は焔が宿ったが如く、燃え盛り滾る闘気に当てられ、それまで士気の下がっていた筈の兵達は一斉に雄たけびを上げた。イズルも最初こそ驚いたものの、体の中から何かが吹き上がるかのように、闘志が湧いてきて、自然と拳を突き上げていた。
斜に構えて物事を見ていた魔道部隊隊長のエメリナでさえも歓声を上げている。
「おい、ヘレン! 寝てる場合じゃないぞ!!」
彼女はすぐ隣で立ったまま寝ていたヘレンの肩を思いっきり揺さぶる。
「ほぇ、もうご飯のじか」
「ホラホラお前は強いんだから! 先頭で戦って手柄バンバン立ててこい!」
――そう、こちらにはヘレンもいる。
ヘレンが気怠そうに周囲を見回し、イズルの方に目を向ける。その瞳に自分の姿を見て、一瞬我に返った。体の内側から湧き上がる熱意に冷や水を掛けられたように、心臓が震える。
――今、一体どんな顔をしていた?
「これはこれは、ヴォルゴール殿、それにヘレン嬢も」
どちらから話をする間もなかった。近づいてきたのは近衛騎士団の団長、ア・シュラ・シュバリエだ。その後ろに彼が率いる騎士団の面々もいた。
肩口で切り揃えられた銀髪、その細い瞳には鋭い眼光を携え、鍛えられた体を白銀の鎧で包んでいる。刃の広く金色と蒼の装飾の施された短槍を得物として携えている。
「誰だっけ……」
「ふ、冗談が上手いな君は。そこがまたいい」
(多分ホントに忘れてる)
薄く掛けられた笑みに対して、ヘレンは無表情だった。だが、そんな彼女にア・シュラは告げる。
「ヘレン・ワーグナー、君の先日の武功を鑑み、近衛騎士団へ迎え入れたい」
その言葉にイズルは稲妻に打たれたように現実に引き戻された。いつもであれば、すぐさまその申し入れを拒否していたところだが、何故か口が開かない。
「んー、でも私イズルの所で戦ってるしなぁ……」
「問題ない。今日よりソル王子は、騎士団の再編成を試みられておられる。統率の取れ、迅速に行動できる王国軍として、ね。その中でも……」とヘレンの肩にさりげなく手をのせ、ア・シュラはヘレンの顔を覗き込む。
「優秀な者は近衛騎士団として迎え入れよとのお達しだ。君は選ばれたのだよ」
「んー」とヘレンはそれでも渋る。迫るア・シュラに目を合わせず、イズルに助けを求めるような視線を送った。そんな彼女の姿を見て大体を察して騎士団長は意地の悪く肩を竦める。
「ほう、王子よりも彼への忠誠が上回るか……大した物だ。だが、イズル殿はそれで良いのかね?」
「……どういう意味でしょう?」
どうにか答えるも、口が重い。ここに来て何かがおかしいことをイズルは理解したが、抗うことができない。騎士団長はそんな彼の状況を理解しているのかしていないのか、更に畳みかける。
「彼女程の強さを持つ者を、後方の魔道部隊の護衛で腐らせておいていいと本気で思ってるのかな?」
その言葉は、イズル自身がつい先ほども自問した事だ。勇者の一団から離れた彼女が再び、戦う目的を探す――その手助けになればと連れてきた。しかし、現実はどうだろう。最前線は遠く、味方の尻拭いをさせる羽目になった。
「心配しなくてもいい。戦が終われば、君の元に返すと約束しよう――彼女が望めば、ね」
ヘレンに何かされるかもしれない――殺意に近いどす黒い感情が渦巻くも、それすら薄まっていく。心を炉とするならば、その中の火をかき回されているかのような感覚。
「……ヘレンは俺の家来じゃない。何をするにしても彼女が決める」
どうにか口にできたのはそんな言葉。
――恐らく、この男の言葉に直接反抗はできない。だから判断をヘレンに任せた。だが、ヘレンもイズルと同じような状況にあったらア・シュラの言葉を拒絶は出来ない。一か八かの賭けだった。
そして、ヘレンは――、
「じゃ、いいよー……。行ってあげる」
あっさり承諾してしまった。
銀髪の中の影で浮かんだ騎士団長の笑みが深くなる。そんな彼の手を軽く払いのけてヘレンは固まったイズルの元までととと、と駆け寄り耳打ちする。
「居眠りしないでちゃんとやることやってくるからー……心配しないでね」
(違う、そんなことはいい)
「では、こちらに。これより我々は攻勢に出、この森からモンスター共を一掃する」
行くな、行けば戻ってこれなくなるという言葉は口から出る前に消えていた。ヘレンは背を向け、近衛騎士団の中に埋もれる。それをただただイズルは立ったまま見送ることしかできなかった。
「ありゃあ、次に会った時は騎士団長の手籠めにされてるかな?」
隣にいつの間にか立っていたエメリナをイズルは睨みつけた。最後の自制心で掴み掛かるのだけは押さえたが、それまでに見た事ないような殺意に満ちた目を見てエメリナは後ずさりする。そこでイズルは彼女がいつもの斜に構えた魔女に戻っていることに気づく。
「よせよせ、冗談だってもぅ――その様子じゃ王子の魔法は完全に効かなかった? 否、解けたと見ていいか」
「何のことだ、君は何か知ってるのか?」
問い詰められてエメリナは「んー、ホントは私が知ってたら不味いんだけどもねぇ」と、視線を逸らしたのだが、こうなった以上イズルは引かない。そして、エメリナは昨日の一件でそれを知った。
「ま、味方は多い方がいいもんねぇ――改めて自己紹介と行こうか」
魔女の手の中で杖が回る。枝のような長さだったそれは自身の身長と同じ位の長さになり、くるりと曲がって渦を描き、その中心に宝珠が実るように現れた。瞬間、周りの音が一切無くなる。人払いそして、内側から外側への音を遮断する為の結界。
「私はエメリナ・ベルリーニ、魔道部隊の隊長にして――国王陛下の密命を受けた……ただの魔女さ」
「陛下の……?」
イズルが反芻すると、エメリナはとんがり帽子の鍔を握り、頷く。
「そうだよ、でもここでは絶対にそれをバラすんじゃないぞ。バレたら王子に殺される」
エメリナは時折出鱈目な事も言う女だが、その話しぶりは冗談には聞こえなかった。イズルの頭の中では混乱が渦巻いていた。
「単刀直入に伝えておこう――王子は国王の命を狙っている」
「馬鹿な……なんでそんなことを」
咄嗟に否定したが、エメリナは「なんでか? そいつは想像するしかねぇな」と答えた上で、
「けど、王子は王族が管理していた魔導書を持ち出してる。そいつの名は――エクリプス――光を蝕み、心を支配する禁断の闇魔法」
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