Ⅻ 星を蝕む魔法

 騎士団長に連れられ、ヘレン・ワーグナーは、近衛騎士団の陣地に到着していた。程なくして進軍が命じられる。


――忙しい……それになんか。


 周囲の異様な雰囲気をその白い肌にピリピリと感じて、ヘレンは不快に眉を潜めた。野性的な勘がヘレンに危険を知らせている。けれど、これもイズルの為だと思い、その警告を意識の底に追いやった。


 エメリナに叩き起こされ、手柄を立てろだのなんだの言われたあの時。その場にいたイズルが見せたあの顔が何故か頭を離れない。


 ヘレンへの期待だけだなく――何か、今までに見せた事の無いような邪な感情が籠っていたように見えた。


(でも、イズルは恩人だし……)


 魔王タナトスに呪いを掛けられて以降、見失いかけていた自分の道を指し示してくれ、何かあればすぐに助けてくれたイズル。その期待に応え、彼の望みを叶えるのは悪い事じゃない……筈。


 どこか心の奥に引っ掛かる物を感じていると、銀髪の騎士団長――ア・シュラ・シュバリエが白馬に乗って近づいてきた。全身黒の甲冑、紅いマントを背中に靡かせ、傍らに面を覆う兜を抱え、背中に短槍を背負っている。


「乗りたまえ、ヘレン・ワーグナー。君の戦いぶりを間近で見させてくれ」


 手を伸ばされるも、ヘレンは応えずに周囲を見回していた。そこにいる筈の姿を求めたのだが、どこにも見当たらず、一人落胆する。


「聖女(アストレア)殿なら、ソル王子と共にいるよ。我々の出陣のちに後方より来て星の魔法により、敵を一掃する手はずになっているが……」


 ア・シュラの説明に「……そっかー」と淡白に答える。ア・シュラの自分に対する圧が凄くヘレンは少し辟易していた。痺れを切らしてか、ヘレンの腕を掴むと――背負っている武器も含めると相当な重量なのだが――持ち上げると、自分の後ろへ座らせた。


 騎馬隊そしてその周辺に歩兵隊が集まり、陣地を後にし森の中へと進軍する。


「だが、星の魔法の出番等ないかもしれないな。君と私がいれば森にいる魔物程度、一匹残らず掃討することも可能だろう」


果てにあるアストレア村の集落の解放の為には、まず森に巣食うモンスターの掃討が必須である――と先日イズルに聞かされたヘレンは、


(アストレア……コレットの名前と同じだー)


 と、神妙な想いで何か考えているようで全く中身のないことを考えていた。そういえば、最初に会った時は自分の話ばかりでコレットの話は全然聞いていなかったなー等とも思い、一層彼女に会えなかった事が残念になった……。


「そして、だ。この戦いが終わったら、正式に騎士団への入団も考えてはくれまいか――のぁっ!?」


 一人で勝手に喋ってるア・シュラの背にヘレンがもたれかかる。柔らかな体の感触は武具と鎧越しでは分からないが、ふわふわとした髪から漂ってくる香りが鼻孔をくすぐり、危うく騎士団長は落馬しかける。

 

 「戦場の血はお肌の天敵だかんな!」と昨晩、エメリナが付けてくれた香水、それにアロマの魔法のおかげだった。ついでに服に付いた血もイズルが浄化の魔法で綺麗さっぱり消し去ってくれており、戦場にいるとは思えない程彼女は清潔そのものだった。


 王子にその力を見込まれて騎士団に入る前から戦場で血に塗れるを良しとしたア・シュラにとっては、少々、否、些か刺激が強すぎ、理性を保つのに苦労する。


 勿論、部下もいる手前そんな醜態は顔には微塵も出さないのだが。


「おいおい……、こいつ寝てらぁ。寝ながら馬に跨るとか器用過ぎるだろ」


 と、漏らしたのはア・シュラの部下の一人、近衛騎士のロラン・ヴィオレ。団長のすぐ後ろに馬を付け、だらしなくもたれかかるヘレンに苦言を呈した。


「緊張感のねぇ奴だな、こんなお荷物をなんだって押し付けられ……いだっ!?」


 刈り上げた頭に装着した兜越しに殴られ、ロランは馬上で悶絶する。殴ったのは散々悪態を吐かれたヘレン……では勿論無く、ア・シュラだった。


「言葉が過ぎるぞ、ロラン。騎士たるもの、いついかなる時も、礼を尊び、己を律するものだ」


――その礼も律もへったくれも無い娘を騎士団に迎え入れようとしてるのはどこの誰なんだか……。と、ロランは心の中でごちる。涼しい顔をしているが、ア・シュラがヘレンに惚れているのはロランの知る所である。


 武芸一筋で、女遊び一つしたことの無いような男で、異性への免疫が一切無い、それがア・シュラという男の一面だった。おまけに自分の強さを買ってくれたソル王子に対しては国王以上の忠誠を誓っている。


 尤も、王子への忠誠に関しては事情は違えど、どの騎士もア・シュラと同じものなのだが。


 その絶対の忠誠は今や近衛騎士団だけのものでなく、他の騎士団は勿論の事、徴収された末端の兵にすら広がっている。


 ソル王子の求心力と統率力の賜物……というにはかなり語弊があるだろう。


 エクリプス――王家の秘宝にして秘術そして禁断の魔法を記した魔導書。使用者が発した言葉は、人々の心を闇で侵蝕し、意のままに操ることができ、その支配は支配された側の言葉を通じても広がって行ってしまう。


 これだけ聞けば望むものを全て手に出来る無敵の魔法に思えるが、この魔導書には制約や弱点が多く存在する。


 まず、魔導書による心の支配は人間にしか通じない。その支配にも個人差があり、耐性がある者には数度に渡って掛ける必要がある。また、あまりに滅茶苦茶な命令を発すると、対象が心を支配されたことを自覚する場合もあり、その場合、時間が掛かるが自然に解呪されてしまう。


 そして、この魔法は使用者が実際に言葉を発し、対象がそれを聞くことで効果を発する。その為、対象に『意識が無い場合』にこの魔法を使ってもまるで意味が無い。気を失っているか、眠っている相手では効果が無いというわけだ。


 尤も、王子が話している最中に居眠りしている不敬な愚か者がいる筈もないのだが。


 これらのデメリットを最小限にすべく、ソル王子は貴族達と直接、話を交わし、目に掛かった兵に対しては自らが赴いて言葉を掛けた。


 『エクリプス』の発動は、才の高い魔法使いか聖職者でなければ認知すら出来ない。だが逆を言えば認知は可能というわけだ。その為、万が一を考え魔道部隊に対して直接使うことだけは避けた。隊長のエメリナ・ベルリーニがあっさりと堕ちた為、その心配も今後する必要は無さそうだが。


 これらの詳細を知っているのは近衛騎士団の一部だけだ。


――団長が惚れたこの女も、心を支配されてるからここに来たに過ぎない。


 そんな女をどうにか口説こうとする我らが団長に対して、ロランは一抹の虚しさを感じる。戦いが終わったら女がア・シュラに好意を寄せるよう『エクリプス』の力でどうにかならないか王子へ具申してみようかと、ロランが思ったその時だった。


 ヘレンがゆらりと馬上に立ち上がった。兵隊が俄かに騒ぎ出す。


 魔物(モンスター)が木々の間を駆け抜け、こちらに向ってきている。狼型のマーナガルムが大地を駆け、巨人のキュクロープスが揺らし、その足元で小鬼(ゴブリン)が雑兵として進軍してくる。その他名も無き魔物が多数向かってきていた。


 馬の腰を蹴っての跳躍、ヘレンの体が魔物目掛けてすっ飛んでいく。体に回転を掛けつつ大斧(ハルバード)を構える。風を纏った刃が大気を切り裂きながら巨人(キュクロープス)の分厚い首を落とす。地面に着地すると同時に衝撃波が足場にいた魔狼(マーナガルム)や小鬼(ゴブリン)を吹き飛ばした。おびただしい量の魔物が壁となって迫る。大斧が弧を描く度に巨大な刃が有象無象を丸ごと抉り、すり潰し、魔物の体を両断した。


 巨人が振りおろした棍棒を回り込んで避け、それを伝って腕へ、跳躍からの縦回転、脳天を叩き斬る。巨体が倒れる前に、戦斧(サマリー)を抜いて、頭下にいる魔物へ投擲して潰す。


――すげぇ……。


 一連の流れるような動きに、近衛騎士団の面々は言葉を失い立ち止まっていた。ただ一人を除いては。


 短槍――銘をサンダーランスという――が、稲妻を纏ってキュクロープスの体を貫いた。雷が体内を巡り、心臓を穿ち、一瞬にして体を焦がし尽くす。


「何をしている? その命を懸けて戦え!! 我らの太陽を取り戻す為に!」


 騎士団長ア・シュラ・シュバリエが馬上で槍を掲げた。


「ソル王子の為にっ!」

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