ⅩⅩⅡ 眠れる獅子の尾を踏む者

 騎士団長ア・シュラは他の騎士と文字通り格が違った。槍術の達人にして、体の動きが人間離れしており、繰り出される刃や拳、蹴り、ヘレンの動きの全てに一分の遅れも無く付いてくる。


 しかもそれだけではない。彼の装着している漆黒の鎧――その背後から薄く透明感のある真っ白な光が広がり、マントを形成するやいなや、ア・シュラの体は無造作に空中へと飛び上がった。重力をまるで感じさせない動きで、ヘレンの背後を取り、必殺の雷槍(サンダーランス)を繰り出す。並みの者であれば後ろを取られたことにすら気づかなかっただろう。ヘレンは騎士団長の気配を捉え続けて、攻撃の瞬間に合わせて振り返り、大斧(ハルバード)を地面に叩き付けた。衝撃波が雷にぶつかり相殺される。


 一撃をいなした余韻を感じる間もなく、槍の穂先が鞭のようにしなってヘレンの頭を打とうとしたので、大斧の柄を回転させて弾き飛ばす。回転する刃と柄がぶつかっては引き、互いに決定打を与えない。


 決定打の一撃を加えるべくヘレンが大きく振り下すと、柄を斜めに構えてア・シュラはそれを受け流した。その瞬間、ヘレンは腰から手斧を抜いて、胴体に叩き付ける。


「抜け目がないな、ヘレン・ワーグナー――だが、己の得意技が自分だけの物と思わない事だ」


 だが、その一撃をア・シュラも同じように腰から抜いた剣で受け止める。片や右手に槍、左手に剣、片や右手に大斧、左手に手斧。一見して取り回しの悪い組み合わせだが、二人は己の手足のように、苦も無く振るう。


 ヘレンはどうにか隙を見つけようとしたが、リーチを活かした攻撃も、懐に飛び込む攻撃も防がれる。不意を突くように繰り出した足技にすら対応してくる。迫る刃を全て受け流し、放たれた回し蹴りを脚で受け止めながら、ア・シュラは歪んだ賞賛に満ちた瞳をヘレンに向けた。


「素晴らしい、ますます気に入ったぞヘレン。やはりお前は俺の女になれっ!」


 拒絶するように後ろに下がったヘレンは大斧を地面に突き立てると、おもむろに上着を脱ぎ始めた。そのあまりに自然過ぎる動きにア・シュラは反応できず、森の木々から漏れる光に照らされる柔肌を目にして、狼狽えた。


「ぬぁああっ!?、なぁ、何をしている!?」


「え……血だらけだ気持ち悪いし、動きづらいから脱いだだけだけど……」


 魔狼(マーナガルム)との戦いで浴びた返り血で上着は真っ赤に汚れていた。イズルの館に戻ったらまた洗濯して貰わないと等とヘレンは呑気なことを思った。


「なんとはしたない……女ならもっと慎みを持って――」


「うるさいなぁ」


 唐突に早口に、なんなら赤面すらしているア・シュラに対するヘレンの口ぶりは冷たい。この男はさっきから何故こんなに積極的に自分を“不快にさせようとしてくるのか”が理解できなかった。


「私、誰の物でもないし……」


 ア・シュラの目の下がぴくりと動き、瞬時にヘレンの鼻先へと槍を突きつけた。


「俺ならば、お前の強さを理解し、引き出すことができる。あんな軟弱者よりもな――」


 瞬間、鎧が砕ける。ヘレンの攻撃にア・シュラは反応が遅れた。両者の力量に大きく差が開いたわけではない。一方は言葉に酔いしれ、一方は言葉に激高した。その違いがこの結果を生み出した。


「軟弱者ってー、イズルのこと?」


「事実を言ったまでだが……何を怒っている?」


 ヘレンが他人に対してここまで怒ることは滅多にない。ここまで彼女を不快にさせ、怒りを湧き起こさせたのはある意味で才能かもしれない。眠っていた獅子の尾を踏み続けていたことにア・シュラはこの期に及んで気づかない。


 強者は弱者を支配する。そんな価値観の元、ア・シュラは強くなり続けた。対してヘレンは弱者を護れるようになるために強くなり続けた。そんな二人の考えが交じり合う筈がなかった。


「別に……、ただ」とヘレンは最早考えるのも面倒になったという顔で、大斧を構え、はっきりと告げた。


「心底キミの事、嫌いになったってだけー……」


 ア・シュラは少なからず動揺したようで、目を見開いた。


(言いすぎちゃったかなー……)


 と、一瞬ヘレンは罪悪感を抱いたが、「いや、そうでもないか」と思い直す。この際なので、嫌いな理由全部ぶつけてやろうと言葉を畳みかける。


「自分より弱い人をなんとも思ってない奴なんて好きになれないー……」


 大雑把に振るわれた刃をア・シュラは槍で受け止めたが、ぎこちない。


「仲間巻き込んで攻撃するとか最低ー。可哀想」


 倒れつつもまだ意識のあった近衛騎士団の騎士ロランを始めとして部下たちは、ヘレンの言葉に心が動きそうになっていた。平時の訓練の時からア・シュラは大変厳しかった。倒れた者に対する労いも慰めも一切なかった。それは兵の訓練における厳しさとして当然の物として彼らは受け入れてはいたのだが。


「俺より弱い奴を何故気遣う必要がある?」


 ア・シュラが信じているのは強さのみ。兵への訓練も自分の強さを確固たるものとする為の物であり、上下関係を叩きこむ為の物に過ぎない。


「そういうとこー……自分さえ強ければいいなんて人、好きになれないから」


 狼狽を隠すように、繰り出された雷槍の一撃を、大斧の刃で受け止める。刃が雷を受け流していた。だが、ア・シュラはまだあきらめていない。


「こいつらは弱い。そして、弱い物は吠える事しか出来ない。自分が如何に苦しい経験をしたか――痛みを知っているか等というくだらない物差しでしか他人を測れないのだ――君程の者を相手にしながら、何の痛みも知らないと本気で思い込んでいるのがその証拠だっ」


 自分だけは違うのだと――ア・シュラは豪語する。

 きっと、おそらく、この男もこれだけの強さを得るにあたって、彼にしか分からない多くの事があったのだろう。だが、それは――。


「この人達の痛みはこの人達にしか分からないものだよ……」


 彼らのヘレンに対する見方は確かに偏っている。だが、だからといって、彼らの痛みが虚構であることにはならない。それらをくだらないと斬り捨てるア・シュラに、ヘレンは負けるつもりは無かった。


「くだらなくなんかない」


 ア・シュラの剣が手斧を弾き落とす。ヘレンは大斧を素早く回転させ、地面に突き立て、手を放した。大きく繰り出された雷槍により大斧が後ろに吹き飛ぶが、それには目もくれず背中から抜いた二対の戦斧(サマリー)が瞬く間に、伸びきった槍を叩き折り、その勢いのまま頭上へ振り下される。


 鈍い金属音と共に、兜が真っ二つに割れた。


「完敗だ――さすがは俺の惚れた女だ」


 脳天寸前で止められた戦斧を前にして、近衛騎士団団長、ア・シュラ・シュバリエは降伏するにいたる。彼の好意は決して変わることは無かったが、


「強かったけどー……やっぱりキラい」


 最後の最後までそれがヘレンに伝わることはない。戦意喪失した騎士団団長に振り返ることもなく、ヘレンはイズルの元へと駆け戻っていくのだった。

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