ⅩⅩⅢ 王は啓示を、貴族は夢を見る

 ヘレン・ワーグナーの戦いぶりを見届ける余裕はエメリナには無かった。彼女が騎士団の多数の手練れを相手してる間に、魔道部隊の全員でソル王子ただ一人を無力化する。実に合理的かつ今取れるベストな選択だった。


――ソル王子が一人で魔道部隊を相手して余る程の実力の持ち主であるという点にだけ目を瞑れば、だ。


 ソル王子の装備する純白の甲冑。その背には無数の剣状の突起が翼のように生えている。それが分離し、エメリナ達魔道部隊を囲うように展開、魔法陣を空中に形成して黄金の光を放つ。


 魔法には大別して二つの種類がある。


 エメリナ達が使うは風・大地・炎・水の四大精霊(エレメンタル)の力を得る事で使える魔法だ。エレメント魔法というのが正しい名称だが、単に魔法とだけ呼ばれることの方が多い。一般的に魔法と呼ばれて想像される物だ。


 魔法使いは杖や魔力の込められた道具を使うことで、自然の至るところに存在する精霊の力を引き出す。その引き出せる量は魔法使いによって違い、これを魔力と称している。魔力の高さに応じて放たれる魔法の精度も強さも高くなっていく。

 エメリナ自身は炎を操る魔法を最も得意としていた。


 そして星天の神霊から力を得る神聖術。エレメント魔法との違いはなんといっても習得の難易度だろう。魔法を使える才は当然のことながら、自然にありふれている精霊から力を得るのと違い、天の更に先にある世界の神霊と繋がるのは生半可な修練で習得できるものではない。


 だが、その恩恵は、エレメント魔法の比ではなく、大陸各地に点在する神聖術の頂きに至った者は様々な奇跡を現実の物としてきた。


 不治の病を癒し、死者の魂と交信し、異世界から勇者の召喚し、山をも覆う程の結界で魔人から国を守護した。


 これを扱う者は幼い頃から一心不乱に天への祈りと魔法の鍛錬を積んできた者達であり、その殆どが聖職者や修道女だ。


 一部の例外――コレット・アストレアのように星天から直接選ばれ、啓示を受けた聖人を除いては。


 そして、ソル・リュミエールは更に例外である。王子は幼い頃に啓示を受けた『神童』であり、その内容は「王としてこの地を平和に導く事」


 以降、彼は神聖術の修練、同時に剣術の指南も受けたが、ソル王子はそのどちらにおいても国内で右に出る者がいない程の域に達した。


 そして、彼は星の乙女たるコレット・アストレアから「星のお告げ」を受けた。その内容はソルとアストレアしか知らない。だが、彼が魔王軍と戦うことを決めたのは、――アストレア村を取り戻すことを決めたのは、その時からではないかと、エメリナは考えを巡らせる。


 剣が放つ光を受けて、魔道部隊の魔法使いが次々に倒れていく。光は身体に触れると波打って全体に広がり、喰らった者は問答無用で意識を失う。


 防御魔法を張るも、それは硝子のように粉々にされてしまい、気休め程度にしかならなかった。しかもソル自身が両手に持った剣を手に接近戦を仕掛けてくる。


 剣士が魔法を使うのは、剣ではカバーできない中距離攻撃を行う為、魔法使いが武術を学ぶのは、接近された際に身を護り距離を取る為。あくまでも短所を補う為の物だ。


 だが、ソルにおいてはその常識は通用しない。剣においても魔法においても、一切の隙が無い。短時間でエメリナと数名を残して魔道部隊は無力化されてしまった。


「あぁ……早く戻ってこーい、ヘレン」


 杖から噴き出した炎が鳥の形を形成し、ソルへと襲い掛かるも、浮遊する剣が四方八方から切り刻む。接近は難しいとみて炎鳥を大地に突っ込ませ、辺り一面を火の海にする。


「児戯だな」


 波打つ火の中から風でも払うかのように、ソルが歩いてくる。あまり時間稼ぎにはなら無さそうだ。残り僅かな魔法使いが風の魔法で炎を煽るも、浮遊する剣から放たれた光に一蹴される。


 こちらには倒れ伏してるレイ国王とイズルを護る魔法使い2名しかいない。


「んぁっ――何が起きた」


 倒れていたイズルが意識を取り戻し緩慢な動きで起き上がる。もっと早く起きてくれればと、エメリナは思ったが、文句を言っている場合ではない。


「おはよう、イズル様、寝起きのとこ悪いけど悪いニュース。事態は最悪だよ」


 ハッとイズルが辺りを見回して状況を確認する。混乱するのも無理はない。まさかあんな無茶苦茶な方法でヘレンが落ちてくるとはエメリナですら予想だにしなかった。ここのところはずっと予想だにしないことが起きる。


「……いいニュースは?」


「ヘレンが戻ってきてくれた。後、多分聖女(アストレア)様は味方だ」


 確実な事は分からない。だが、魔道部隊隊長の目に狂いはない。あの温かい星の光はコレットの物だった。イズルは状況を確認すると「そうか」と顎に手を当てる。


 ソルはもうすぐそこに迫っていた。


「俺が相手する。エメリナ援護を頼むよ――チャンスを逃すなよ」



 イズルは自分が相手をすると啖呵を切ったものの、全く自信は無かった。


(だが、やるしかない)


 自身の一部のように馴染んだ戦槌を大地に突き立てる。その頭は聖杯を思わせるような形状、それを満たすは血のように赤色の宝石(ルビー)だった。

 

 周囲に倒れている魔道部隊の存在を感じる。


 ――生まれつきイズルは魂と、生命力を視覚的に感じ取る能力があった。


 以前、ヘレンに対して身体の事を理解していないと治癒魔法は扱えないと教えたことがある。だがそれはあくまでも基礎的な事であり、ヘレンにも理解できるようにした説明に過ぎない。


より正確な話をするのであれば、生命力の源、霊魂への直感的な理解が無ければ、神聖術の治癒魔法の神髄にはたどりつけない。


 傷をただ治すのではなく、生命を癒す。イズルはそれが『糸』のように見えていた。人それぞれから天に向かって伸びる無数の『糸』は太さも様々。幸運の繋がりもあれば、凶運の繋がりもある。


 傷ついた者は安寧の『糸』が切れ、奈落の『糸』に絡めとられている。


 戦槌に流れ込んだ星天に住まう神霊の力が大地に沁み込み、根のように広がって魔法使い達と繋がる。


 イズルが魔力を込めると、良い繋がりが結び直され、悪い流れは断ち切られた。そうして傷は塞がり、体に溜まった負の気が浄化されていく。


「大した力だ。そうだろうとは思ったが、君は素晴らしい才能を秘めているね」


 ソルが二振りの剣を手に徐々に歩み寄ってくる。まだ治癒は終わっていない。大勢の人間を癒しきるには相応の時間が必要だった。


「平伏せよ」


(声を聞いてはならない)


 エクリプスの魔法を警戒し、耳を咄嗟に塞ぐ。が、ソルは「無駄だ」と告げる。


「演説では効果が薄かったようだが……この私が直接声を掛けて、防げる者はいない。たとえこの魔法の効果を知る者であってもだ」


 イズルはその場で膝を突いた。ソルは満足げにその横を抜け、エメリナへと向かい、左右の剣を向ける。


「お前達魔道部隊はエクリプスの魔法への耐性があるのだったか? だがそれとて限界があろう。抵抗する意志も残らない程に痛めつけられるか、今この場で私に従うか選ばせてやる」


「生憎だな、私はアンタじゃなく、国王に恩義があるクチでね」


 エメリナの覚悟に対してソルは冷ややかな怒りを抱きつつ、剣を振り上げ――背後から迫る気配に即座に振り向き、頭に振り下される戦槌を受け止めた。


「ちっ、そんな簡単には行かないか」


「貴様、何故――」


 イズル・ウォンゴールが自らの意志で立ち、あまつさえソルに逆らってきた。エクリプスの魔法は「操られている」という自覚が生まれた者は耐性が出来る。禁忌の魔法とされたのはその危険性だけでなく、その効果のシビアさもあった。一度耐性が出来てしまうと、この魔法は意味を為さなくなる。


 だが、ソルはエクリプスの魔法を密かに研究し、その弱点を克服した。この魔法を認知した者に対しても効くようにより魔法を強化した。それに抗える手段となると、ソルと同等か、それ以上の神聖術の使い手による加護を受けていることになるが――、


「まさか」


 多くの魔法使いの例に漏れず、ソルもまた、生まれつきの才として魔法の流れが見えた。イズルの周囲に漂う温かな星の光は見間違えようが無い。沸騰するような怒りが腹の底から湧き上がり、ソルは激高した。


「何故、貴様がコレットの加護を受けているっ!?」


 実を言うと何故自分がコレットの加護を受けられているのか、イズルは分からなかった。言葉が掛けられた瞬間、確かにエクリプスの魔法が掛かった。


 だが、内側から湧き上がる聲。


――イズル。


 その声はコレット・アストレアの物ではなかった。


「ソル殿下――!」


 二つの剣から繰り出される連撃を、戦槌と防御魔法の合わせ技で凌ぎつつ、イズルは語り掛ける。金属と魔法の障壁がぶつかり凄まじい音と衝撃に負けないよう大声で。


「貴様なら理解すると思ったのだがな。私が理想とする王の姿――誇り高き国が河山帯礪(かざんたいれい)と栄える様を!」


 ソル王子もまた声を張り上げていた。初めて出会った時からは想像もつかないような姿だった。心の奥底の炉にしまわれた感情の熱が臨界を超えて溢れ出ているかのようだ。


「あなたの言う理想とは、臣下を洗脳し、兵の命を無駄にしなければ、達成できないのか!」


 戦槌で薙ぎ払うと、ソルは後退、入れ替わりに浮遊する剣から光が放たれる。防御の魔法、更にエメリナの放つ炎が相殺しようとし、新たな爆発を巻き起こす。


 吹き飛びながら、イズルもまた反撃の魔法を放つ。〈星なる涙〉無数の小さな光が宙に浮かび、流星のように周囲に浮遊する剣へと向かう。


「それもやむなしだとも、イズル・ウォンゴール!!」


 浮遊する剣が真向から飛び交い、光弾を切り裂く。小手先の技でどうにかなる相手では無いのは承知の上。接近戦では勝ち目は無い。そして神聖術においては、こちらに発動させるだけの隙と余裕を、ソルは与えないように苛烈に攻めてくる。


「我が父も、貴族共も、皆愚かだ。口では王家繁栄、国の為、と宣いつつ、魔王軍に聖地を侵され、焼かれようと、ただの一兵すら立ち上がらなかったのだ!」


 苦悶すら伺えるような声音が、魂に訴えかけてくる。王子の言葉は、辺境とはいえ領地を治める貴族たるイズルにとって決して無視できるものではなかった。


「私は生まれながらの王、国を護る責務があるのだ――貴様とてそれは同じだろうが!」


 生まれながらの――家の血。お前は領主となるのだと、イズルは幼少から教えられ、それを疑いもせずに育ってきた。領地を、領民を護る為に、学び、修練を積み、今の地位を譲り受けた。


「私は星天より啓示を受けた。――民を護り、魔を払いて、王としてこの地に平和を導け、と」


 信心深いソルはその啓示を忠実に守ろうとしたのだろう。だが、意志の統一は容易ではない。多種多様な考えを持つ人間はそれ程単純に纏まる物ではないのだということを知り、王子は一つになるなで待つのをやめた。


「そして、アストレアに――コレットに誓ったのだ。聖地を……彼女の故郷を取り戻すまで戦いを止めぬと」


 宙を舞う剣が直接斬りかかり、イズルの肩に真っ赤な線が走り、飛沫が上がる。すぐさま回復魔法で傷を癒すが、その隙を突いてソルが一気に接近する。


「彼女は私に唯一心を許し、星の乙女として彼女が受けた星のお告げを私にだけ教え伝えた」


 ソル王子が受けた「この地に平和を導け」とはまた別の啓示、通称「星のお告げ」。これを知るのはコレットとソルのただ二人のみと言われている。コレットもまた、ソル以外の王族や貴族を信じ切れなかったのだろう。実際、彼女が聖女として力を振るうまでは、ソル以外の王族達は彼女の事を信じなかったとも聞く。


「彼女は私にとって生きる希望だったのだ――それを貴様はっ!」


 二対の剣に弾かれて戦槌が宙を舞う。だが、イズルは諦めなかった。


 ソルは一つ勘違いをしている。聖女(アストレア)の心を変えたのは、イズルではない。若草のような色の髪の少女を頭に浮かべて、イズルは心の中で感嘆の溜息を洩らした。


 ――全く、すごいやつだよ、君は。


「俺じゃないですよ、殿下――星の乙女(アストレア)……いや、コレットの心を開いたのは」

 

 その視線が剣を振りかざすソルの背後に向けられる。あれだけいた近衛騎士団は一人残らず倒れ伏していた。ソルは振り向くこともなく、だが背筋に感じた気配に動揺して、瞳孔が揺らいだ。

 

 風が舞い、星の光に包まれながら、彼女は跳んできた。大斧(ハルバード)を振り回し、ソルの立っていた空間を薙ぎ払う。


 ソルは先ほどまでの優雅さをかなぐり捨てた荒々しい動きで、それを紙一重で避けた。流れる雲のようなふわふわとした髪が揺らぎ、安らぐような香りがイズルに届く。


 くるっとヘレンは振り向いて、イズルの手を取った。


「……やぁ、ヘレン」


「ごめんイズル――助けに来るの遅くなっちゃった」


 謝ることなどない。むしろこちらから謝りたいくらいだった。だが、それは後だ。ソル王子の暴挙を鎮め、戦いを終わらせるまでは取っておくべきだろう。


「行くよ、ヘレン」


「うん」


 イズルの胸にあるのは一つの願い――夢とでも言おうか。



(――皆が望む平穏な世界を)


 運命的な出会いが無ければ、馬鹿馬鹿しいとすら思っただろう夢だ。だが、その馬鹿みたいな夢もヘレンが隣にいるだけで、実現してしまいそうな気がしている。



「そうまでして、私をコケにしたいか――愚か者共がっ」


 怒りに震える暴君を前に、ヘレンは大斧(ハルバード)を構え、イズルは落ちてきた――まるでそこに落ちるのが分かっていたかのように――神才の戦槌――フロルの涓滴を手に取り、祈りを込める。


 最後の戦いが幕を開ける。

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