Ⅶ 寝坊助娘またの名をヘレン・ワーグナー

勇者一行と旅に出るよりも前、ヘレン・ワーグナーは何に付けても眠る事が好きだった。そう、呪い――ヘレンが魔王タナトスから受けたのは永遠の眠りの呪いだ。仲間の大僧正キルケ―と魔女メディアの必死の解呪をもってしても完全に解けることは無かった――を受ける前からの彼女の悪癖だった。




 見方によれば、呪いを受けた後よりも酷かったかもしれない。レムノスの森にいた頃の彼女は、寝る事以外にはあまり関心も無く、感情を表に出すこともなかった。




 日差しのよく当たる岩を見つけては枕代わりにして寝る。香りのいい木があれば、登って巣穴に陣取り、フクロウを呆れさせ、夏は川の浅瀬に身を任せ……滝から落ちかけて、木に掴まって絶体絶命になったこともある。




 特に滝から落ちかけた時は流石のヘレンも死ぬのでは?とぼんやり思った。




「……おいおい、何してんだーヘレン」




「あー……、おとーさん」




 滝から生えてた木を片手で掴んでいると、ヘレンの父アーサーが助けに来た。彼もまたヘレンに負けず劣らずというか、ヘレンのずぼらさの全ての遺伝元と思われる性格をしていた。




「ほら、掴まれ」と降りてきたのはロープ。




「これはきゅーしにいっしょー……」




 ぽけーっと目の前で揺れるロープを見つめるヘレン。この期に及んでも眠気が抜けていない。ふと何の考えも無く枝を手放してしがみつき――




「おぉおおいおいおいおい、馬鹿!!」


 


 かつて聞いたことない程に焦った父の怒鳴り声が耳に響いた。ずるずると娘の重みに引っ張られ崖からずり落ちて、宙で留まる。親子そろってぷらんぷらんと崖からロープで吊られる。アーサーが事前に自分の体と大木をロープで繋いで命綱にしていたおかげだ。そこからどうにかアーサーが必死に(生涯で唯一にして最大の)登って、娘も引き上げた。




 危うく父娘共に心中するところだった。






 というわけで、当然の帰結として、たっぷりこってりお説教を喰らうに至る。ちょこんと草地に座らされたヘレンを前に、アーサーは彼なりに父親らしさを追求した結果、腕を組んだ。傍目から見ると中々に威圧的だが、当の本人がそれを感じてる様子が無い。




「俺が言うのもなんなんだがよー……」




「うん」




「お前、もうちょっとしっかりしろー?」




 説教下手くそかと、出て行った母――ミランダが見たらツッコミを入れていただろう。ヘレンの母は父のあまりのだらしなさに愛想を尽かして家を出て行ってしまったのだ。娘の事は心配なのか時々帰ってきてはヘレンを愛でて、出ていくを繰り返している。その為、ヘレンとしてはあまり悲しいとか寂しい感情は湧かなかった。当の父親が全く悲壮感を見せていなかったのもある。




「川の上で寝たらどうなるかなんて、そこらの猿ですらわかるこったろ」




「すごく気持ちよかったものでつい?」




  いやー、うっかりうっかりと言った様子で気の抜けるような表情を浮かべ、父は「うっかりで済むか、せめてもっと申し訳ありません風を出せ」となんかズレた説教。




「……全くよぉ、お前さんがしっかり育たんとミランダに合わせる顔が無いだろうが」




「おー……まさかそんなことかんがえてるとは」と若干、父親としての株が本当に、極々少々上がるものの、




「お前が自立できないと、お、れ、が、あいつに半殺しにされてしまうからな!」




 上がった株はその一言で地を突き抜けて底まで落ちた。別れるときに二人が一体どんな会話をしたのか、ヘレンは知らない。娘の成長を心配していたのであれば、一緒に連れていけばいいものだが。それをしなかった理由をまだまだ子どものヘレンには察することができない。




「まぁ、なんだ、ともかくだ、寝ること以外に関心をというか、所かまわず寝床にするのは止めろぉい、それと、そうだな、これはさっきのこととは関係ねぇけど、もっと人との関わりってーの? 気にすんだぞ、この前、長の前で堂々と寝た時とか生きた心地がしな――」




「すぴー」




 ヘレン・ワーグナーは――……二分以上話が続くと寝てしまう。




「親が真剣に話してる時に寝るとはいい度胸だなぁ、ヘレン!」




――そんな彼女が変わったのは、いつからなのか。




 ファントムの軍勢に故郷を焼かれ、支配された時からだろうか。或いは、勇者ジェイソンに故郷を救われ、共に旅に出た時からだろう。勇者達と旅をするようになってから、相変わらず寝る事は好きだったし、変なとこで寝ては色んな人に怒られたのだが。それでも、寝る事以外に――森の外の世界に目を向け、心動かされるようになった。




 父が言う「人との関わりってーの」がなんたるか、少しだけ分かった気がした。だが、その小さな理解も旅を終えてしばらくしてからは忘れてしまっていた。イズルとの出会いが再び、彼女に人との関わりを思い出させてくれた。




 だからこうして、らしくもなく、彼女はイズル・ウォンゴールの所有する山に再び足を踏み入れていた。熊が寝床にしていたであろう洞窟へともう一度足を踏み入れてみる。肌がぴりつくのを感じて、ヘレンはここが既に昨晩訪れた時の『寝床』と変わっていることに気づく。




 甘ったるい匂いが鼻孔を突く。ふと足元に目をやれば、細くて長い幾つもの足が影のように蠢くのが見えた。それはまっすぐヘレンの足元まで迫る。




 「わー、くもだ……」


 


 のっそりと腰から手斧を抜き、さっと叩きつける。




 それが所謂生き物としての蜘蛛ではなく、術で作られた物であることをヘレンは看破していた。叩ききられた蜘蛛は体液ではなく、黒い煙を上げて体が崩れ去る。




「ありゃあ、流石だなー、勘はまだまだ鋭いんだねー」




  気配を察するよりも前に耳元で囁かれる。ヘレンはそれに答えることなく、眠そうな瞳で、振り返る。声の主は宙から逆さで浮いているように見えた。




 蜘蛛の体に、人間の女体の魔人ファントム――絡新婦。




「こんにちは、食材ちゃん――いや、こう呼んだ方がいいかなぁ?」




 絡新婦は人間の口に涎をたっぷりと溜め、開いた六つの目は全て、獲物ヘレンへと注がれている。




「勇者の『元』お仲間さん?」

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