Ⅵ 気持ちのいい目覚めと決意
早朝、ヘレンは久々に気持ちよく目覚めることができた。魔王タナトスの呪いの影響で、常に睡眠が足りない状態なのだが、ある程度寝た後だと比較的すっきり目が覚める。常に眠そうな目をしているので、傍から見たら違いは分からないのだが。
「……よく寝た」
それもその筈、ヘレンは貴族が就寝するような木製のベッド、羊毛を使った緩衝材の上、ご丁寧に毛布まで掛けられていた。夜、熊肉を食べた辺りから記憶がない。
「ヘレン様、目が覚めましたか?」と部屋に入ってきた侍女が声を掛けた。
「うん、よく寝れた……気持ちのいい朝だねー、おはよー」
「もう昼ですけどね」
その後、昨日と同じ広間で、遅い朝食というより昼食までご馳走になる。パンに、昨日の熊肉を使ったポトフスープ、果樹園で獲れたリンゴのサラダ。
「朝ご飯までご馳走になってもうひわへはい」
「ちゃんと口の中無くなってから話そうね」
面目なくなっている割りに遠慮なく食べるヘレンに、イズルは苦笑する。そういえばと、ヘレンはここに来た時には気にも留めなかったのだが、ここにはイズル以外の家族はいないのだろうかと疑問に思って見回す。
「ウォンゴール家でのボクはね、十四番目の子でさ。側室の子でね、この家唯一の男子なんだ」と、イズルが話してくれた。父はかつて魔王との戦いの中で負傷した為、イズルに家督を譲り、多くの母と共に隠居しているのだという。
「そっか、大変、なんだね……」と思わず言っては見たものの、その大変さはあまりにぼんやりとしていてイメージしづらいものだった。貴族様の生活等彼女には想像もつかない。
「うん、それはもう……」
が、イズルは思わず俯いて、重苦しい溜息を吐いていたので、それくらい家を継ぐというのは『大変』なのだろう。「よしよし」と、イズルの頭を撫でるヘレン。「それ、他の貴族とか身分高い人相手する時には絶対しちゃダメだからね。下手したら不敬罪とかに問われれるから」と、変な気づかいをされた。
これでも勇者一行と旅をする中で、多くの「やんごとなき高貴なる方々」を見てきた。汚らわしいとか難癖付けられて、勇者ジェイソンがぶちぎれて大騒動になったこともあったなと、ヘレンの頭にぼんやり過去の思い出が浮かぶ。
イズル・ウォンゴールは過去のどの貴族とも違う。不思議な男だ。
「あぁ、そうだ……報酬の話なんだけど、気持ち上乗せしといたから」と、硬貨の詰まった小袋を渡された。中を見ると「気持ち」というには上乗せが多い額に、ヘレンは一瞬迷う。
「あ……こんなに貰えるとは」
「お金そんなに必要無いとかだったら、余計だったかな?」
勿論そんなことはない。レムノスの森の在住だが、生活必需品の多くは街まで行って買うし、狩猟につかう道具や武具の入手、手入れもある。
「貰えるのであれば……頂いていくねじゃなかった、頂いていきます」とヘレンは小さくなりながら、小袋を握りしめる。
「かしこまらなくていいってば。また来たければ遊びにきたっていいし。偶に来る姉達にきっと気に入られるだろう。あ、でも、もう樽の中で寝るのは勘弁してね」
本当にこの人は貴族なのだろうかと、心配になるくらいに優しい。
見送られる中、もそもそと何度もお礼を言ってから、ヘレンは屋敷を後にしようとした。
「あ、そうだ、ヘレン……君ってもしかして――」と言いかけて、イズルは止める。
「ん?」とヘレンは怪訝そうに彼の顔を覗き込むと、慌ててイズルは「いや、なんでもないんだ」と告げた。変な人だなと、ヘレンは思ったが嫌な気はしなかった。
「それじゃ」と、ヘレンは最後には素っ気ない挨拶で別れた。また依頼があれば受けようと、思うくらいにはいい人だった。……いや、いい人過ぎる。
しばらくレムノスの森に近い街へと続く長い長い道を歩いていたヘレンだったが、ふと足を止めた。どうにもこのままだと、夢見心地が悪くなりそうな予感がしたのだ。
「……ついでだし、気になってた事、調べておくかー」
この土地に来て依頼を受けてる最中、微かに魔人ファントムの気配がした。奴らは常に、人類の安寧を脅かす。この穏やかな土地が、あの優しい貴族が、次に来た時には無くなっていたなんてことになったら、嫌だなと、ヘレンは思い、街への道とは真逆の道を行く。
そして、昨晩、熊を倒した山へと再び足を踏み入れた。
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