Ⅴ 質の高い睡眠は、質の良い食事から
仕留めた熊は、ヘレンの手で――その腕力を改めて見せつけられ、イズル一行は唖然とさせられた――屋敷まで運ばれ、解体された。毛皮を剥ぎ、手足の関節を外し、腹部を開いて内臓を引きずり出し、血をしっかりと抜く。一連の作業はあまりに生々しく、イズルも途中まで見守っていたが、流石に気分が悪くなってきて、部屋へと戻った。
「終わったよー」と言うヘレンは全身血まみれだった。色々と居たたまれなくなったイズルは、侍女に命じてヘレンを浴場へ連れて行かせた。調理場に用意された熊肉はシェフに任せた。「鹿やトナカイならともかく、熊の肉なんて調理したことないですよ!!」と苦言を呈されたが。過去に猟師が残していた熊の調理に関するメモを渡してどうにかしといてくれと頼んだ。
「さぁさ、ヘレン様、こちらへ」
「引っ張らないでよー……」
しばらくして、侍女に連れられてきたヘレン。彼女はドレスに着替えさせられていた。髪の色に合わせてか、淡い緑色のワンピース状のパーティドレスだ。どうにも落ち着かないのか、ヘレンは無表情ながら見るからによそよそしい。
「うん、よく似合ってるよ」
「……そーゆうことは、奥さんとかにでも言ってあげなよー」
はーっとヘレンは小さく溜息をついて、じとっとイズルを見た。尤も、イズルからすると年下の妹を見ているような微笑ましい気持ちで告げたに過ぎないのだが。それから、シェフに任せた熊肉だったが、イズルの心配を他所に、見た目はとりあえず立派なステーキに仕上がった。
「……肉の臭みを消すのに、そこそこ香辛料を使ってしまいましたが、よろしいですね?」
調理に使われる香辛料、それはとても高価でそれこそ貴族でもなければ、手に入らない代物だった。
「おー、香辛料……貴族っぽいー」
「これでも貴族なんだって……一応」
とはいえディナーに女性を招いてのジビエ料理。そのチグハグさが可笑しい。尤も、熊の肉を食べようと言い出したのはヘレンなのだが。滋養に富み、これだけ大きければ保存食にもなるとまで言われたら領主であるイズルとしてもただ捨て置いて森の肥やしにするのは惜しいと思ってしまった。
実際にどんな肉が出るかと思えば、見た目だけ見れば普通の肉と変わりは無いように見えた。
いざ食事とその前に、ヘレンは両手を合わせ、頂く命に対しての感謝を述べた。
「昔からこれしないと、父さんがめちゃくちゃ怒るんだ‥‥…」
「いいお父さんなんだな」
ヘレンが不満顔になるのを見て、イズルは穏やかに笑った。肉は一般的に家畜として食べられている豚や羊、牛等と比べて硬く嚙み切りにくいが旨味がある、独特な風味があった。領内でふるまったらどうなるだろうか。賛否両論ありそうな味わいだった。
それをヘレンは慣れているのか、あっという間に平らげてしまった。食事の直前、レムノスの森出身という言葉を思い出し、ナイフとフォークの使い方を知っているだろうかと若干失礼な心配をしたが、思ったよりも上品にナイフとフォークを使って尚且つ、素早い動作で皿の上の熊肉を完食した。
「こういうとこではお行儀よくしないとってメディアがー……あ、メディアはともだちの魔女で……」
「へぇ、いい友達を持ってるんだな……」
メディア? とふとその名前に聞き覚えがあったイズルは眉を寄せた。彼女自身には言わなかったが、実はヘレン・ワーグナーの名も聞き覚えがあった。これは偶然だろうか。
「イズル様、もしやこの方」と何かに気づいた執事に耳打ちされ、イズルはがたっと立ち上がった。
「ま、待って、ヘレン……君は」
「すぴー」
勇者一行の、という続きの言葉はヘレンの寝息によって遮られる。
「……もう食べられないよ」
お腹がいっぱいになったかつての英雄は、夢の中へと旅立っていた。
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