ⅩⅣ エルフの国
エルフがベオーク高原と呼ばれる地に国を築いたのは凡そ三千年前とされる。後に「魔法」の原型となる古代文字「ルーン文字」が生まれた頃。数が少なく群れる事のなかったエルフは多数の人間に追いたてられ、老いることのないその美貌から奴隷として狙われ、魔人(ファントム)や魔物(モンスター)にもその強大な魔力から餌と見なされた。
絶滅の危機に瀕したエルフ達は、安寧の地を求めてベオーク高原へと逃れ、この地に住まう精霊バーチの慈悲によって加護を得た。その後、他の種族との関係を断ったのは歴史書が示す通り。
清らかな白樺の木々で建てられた家が並び、巨大な樹木の先に生えた無数の葉が空を覆い、間から日の光が零れ落ちてくる。樹木にはこれまた白樺の木を素材とした円状の土台が広がり、螺旋状の階段で地上と繋がっていた。
国の中心には巨大な神樹が鎮座している。穏やかなそよ風に揺られるその様は、そこに住む人々にとっての心の拠り所となっている。
「……戻ってきちゃった」
エフィルミアはぽつりと呟いた。数日しか経っていないのに、もう何年も経ってしまったかのような不思議な感覚に襲われる。だが、感傷に浸っている暇は無かった。俄かに周囲が騒がしくなり、魔法の杖を持った兵が集まってきて、エフィルミア達を囲うように展開する。
「人間っ! どうやってここに入り込んだのだ!?」
エルフの兵は怒りよりも、戸惑いの方が大きいようで、明らかに浮足立っていた。ここから出ていく者はいても、侵入した者はここ数千年でただの一人もいなかったのだから、当然の反応だろう。
兵はエフィルミアとサリの二人を見て、更に狼狽した。
「エフィルミア様に――裏切者……? 一体、何が起きて――」
「し、司祭様に判断を仰げ!」
「氏族王様達にも報告を!!」
静けさから一転、これ程までの騒動は、エフィルミアも見た事が無かった。恐らく建国して数千年以来、初めての事だろう――と思ったが、サリの話では千年前に人間の使者はいたらしい。その時の事をエフィルミアは当然知らない。
そして、エルフは歴史も魔法で残す。記憶を魔力に置換して、ピラミッド状の特殊な結晶物質に保存する。高度な魔法を使える者にか扱えない代物で、エフィルミアは興味こそあれど、それを見る事は叶わなかった。
ヘレンはこの状況だというのに、欠伸している。なんと大物なんだろうとエフィルミアは憧憬の目を向けるが、単純に彼女が呑気なだけである。その隣でイズルは緊張の為か、感動の為か、微かに体が震えていた。その瞳には自分を拘束せんとする衛兵が映っていないみたいで、聳え立つ神樹に釘付けになっている。
「騒々しい、静かにしなさい」
先程の衛兵が呼んできたのだろう。群衆をかき分けるようにしてプラチナブロンドの髪のエルフの司祭が進み出てくる。白に金色の糸で刺繍の施されたローブ、身体と同じくらいの長さの杖には宝玉が木の実のようにぶら下がっている。
喧噪の最中、このエルフは落ち着き払い、気品の高さを保っている。その姿を見てエフィルミアはさりげなくヘレンの背中に隠れる。
「お客人方、失礼致しました。人間がここに足を踏み入れるのは千年以来。あの時が最初で最後だろうと思いましたが……申し遅れました。私はローリオンと申す者。この地の始まりの木、神樹様に仕える者」
「私はイズル・ウォンゴールと申します。こちらは私の友人のヘレン・ワーグナーです。生ける伝説――神秘を司るエルフ様にお会いできて光栄の至り」
(わぁー……あんなすらすらと言葉が出てくるなんてすごいなぁ)
エフィルミアはぽかーんと感心していた。紹介されたヘレンは静かに頭を下げた。寝息が聞こえるので、多分寝ているんだろう。きっと疲れているんだろうなぁとこれまたエフィルミアは何も考えずにヘレンの髪をそっと撫でる。
ローリオンは彼が今名乗った通り、この国の司祭であり、神樹に仕える者だ。そしてエフィルミアはこの男が一番の苦手だった。彼の言葉は気品があり、誰に対しても丁寧な口調だ。だが、彼は誰のどんな言葉よりも、古来からの掟を重視する。サリの追放を真っ先に主張したのも彼。
「私はある事をお伝えするべく、こちらに参りました。人間の身ではありますが、エルフの方々の暮らしを尊重して――」
「ここにおられるということは、そこの裏切者に――氏族王の許しなく出ていかれたエフィルミア様も含めて、神樹様に認められたということ」
イズルの言葉をローリオンは遮った。とりあえずサリが今すぐここで罪を問われることは無さそうだ。だが、その言葉にはローリオン自身の意志だとか、感情が入り込む余地が無く、いっそ不気味ですらある。そして、神樹――恐らくはバーチ爺さんのことだろう――の鶴の一声でこうまで態度を改めるのであれば、何故もっと早く介入してくれなかったのだろうとエフィルミアは心の中で憤った。
「ローリオン様」
イズルが次の言葉を考えている。それを見て取ったサリが恭しく尋ねる。腹の内ではきっと罵詈雑言の言葉が地獄の業火のように煮えたぎっているのだろうが、そんな感情はこれっぽちも見せない。
「貴方自身のお考えは? 今すぐにでも目の前の人間と私どもを捕らえたいのではなくて?」
「私の意志など介入する余地もないのだ、哀れな裏切者よ。神樹様は罪深き全ての者に寛容だ。真に救うべきを知っておられる」
掟に反した者、エルフでない者を、ローリオンは「罪」であると称する。そしてエルフの教えに迎合させることを「救い」であると――。
サリは表情一つ変えず、何も言わなかった。言うだけ時間の無駄だと思ったのだろう。
(後で沢山愚痴るんだろうなー……)
エフィルミアはサリの心中が手に取るように分かった。再びイズルが口を開く。
「先程の話の続きですが――我々はある脅威についての警告とエルフの方々と取引をしたくここに参りました。氏族王の方々に会わせて頂けるでしょうか?」
「勿論。今、その場を用意させて頂いております。ですが――どうか、口には気を付けて。言葉一つで災いをもたらすこともありますから」
ローリオンについてくるようにと言われ、イズル達は衛兵に周囲を囲まれながら神樹を目指して歩き出した。その様は拘束こそされていないが、引っ立てられてた罪人のようで、エルフの国の住民からは奇異の目を向けられていた。
「ヘレン、大丈夫か? 周りの目が気になるだろうけど、少しの辛抱だから――」
「んー……違う。ここに来る前に武器殆ど落として来ちゃったみたいでさー……」
居心地の悪そうにしていたヘレンを気遣って声を掛けたイズルだったが、返ってきた言葉に安堵する。この状況でも彼女は自分の調子を崩さない。斧は恐らく国の外にあること、森の精霊が守ってくれているだろうから、盗まれたりする心配もないだろうことを伝える。
「じゃあ、いいんだけど。ここで何かあったら……」
「その時は俺が守るから大丈夫だよ。偶には俺にもいい恰好させてほしいな」
イズルが冗談めかすように言って、戦槌を揺らす。武術を想起させる物はエルフにとってタブーだが、神材の
ペルゼィックと彼の一族の手で作られた魔法の戦槌、その名はイズル自らが占い、星々の導きによって「狂気は武器を授ける」という天啓を得て付けられた。
――『狂気』、俺に『心霊』が見える力があるからなんだろうな。
その経緯を知ったらエルフ達の反応も変わるかもしれない。こちらから何か言う必要は無いだろう。
(それよりも、エフィルミアやサリの方が心配だ)
二人はどちらもこの国の『掟』に照らし合わせれば、『罪』を犯した者となる。誰かを傷つけたわけでも、国を脅かす危機を引き起こしたわけでもない彼女らのどこが罪人なのかとも思うが、それはあくまでも人間の価値観だ。彼女らがエルフの国にいる以上、イズルに出来る事は限られる。サリの方は国を出ても一人で生きて行けそうだが、エフィルミアは……。
イズル一行とエルフ達は森その物が街となっている中央を歩いて行き、神樹に通じる道に案内される。進めば進む程に、道が鬱蒼とした草木に変わっていき、エルフ以外の動物の息遣いや鳥の囀りが聞こえてくる。
そして、イズルはこの場所に既視感を覚えた。
「……ここ、バーチ爺さんと会ったところに似ているな」
「それはそうだろう。あの――お方は神樹その物だからな。あの世界もここを模した物だろう」
イズルがぽつりとつぶやくと、サリは声を落としてはいたが、周囲に聞かれて面倒ごとになるのを避ける為か、敬っているかのような口調で教えてくれた。成程と思うと同時にバーチが作り出したあの空間の事、そしてこの国の仕組みの事に俄然と興味が湧いてくる。
(俺の悪い癖だな。これからの事に集中しないといけないのに)
道中、国の案内はおろか、雑談の一つすら一切せずに黙々と歩いていたローリオンが足を止める。
周囲は大きく開けた空間となっており、空を見上げるとドーム状に草木が覆っており、木洩れ日が大地とその傍に広がる群青色の湖にキラキラと降り注いでいた。神秘的な自然に包まれたそこでは、エルフ達が動物や植物と触れ合う姿が見えた。巨大な白樺の幹と張り出された枝木の上に作られた何層もの足場が彼らの住処となっている。
神秘さとごく日常的な暮らしが合わさったそのエキゾチックな光景にイズルとヘレンは心を奪われた。この国の掟はともかくとして、ここに住むエルフが外に出たがらない理由も分かる。
中央に鎮座し、天を突く神樹には根の部分が盛り上がっており、人一人分が通れるような穴になっていた。その奥の中央には床が円状の十人程が入れる小部屋がある。そこには誰もいないようだったが、ローリオンは「こちらです」と続ける。何かの罠かと思い、躊躇するイズルの背をサリが押す。
「心配しなくていいわ。氏族王は神樹の上にいるの」
「上? けどどうやって」
疑心暗鬼になりながらも、言われるがままに神樹の中へ、円状の床に全員が入ったのを確認すると、ローリオンは手を杖を一突き。目の前で白樺の木で作られた門が閉まり、突如として地面が浮き上がったかと思うと、小部屋が高速で上昇した。
ふわっとした浮遊感に隣にいるヘレン思わず「おぉ……飛んでる」と感嘆の声を漏らし、イズルも同じくらい驚いた。恐らく風を用いた魔法を応用して、床を浮かせているのだろうが、これだけの人数を安定して浮かせることができるエルフの技術には驚かされる。
「外にはこのような魔法は無いでしょうね?」
初めて、ローリオンが感情のこもったような声を出した。それは優越感。ともすればイズルに対する侮蔑とも取れる発言だったが、この男にも一応感情が存在することの方にイズルは驚いた。そして、特に相手の真意については考えずに賞賛する。
「えぇ、外では見た事が無いような――とても素晴らしい技術です」
少なくともアリエス王国だけ見ればこのような技術はまだ無い――というよりも、これ程の魔力を恒常的に使用できる方法が確立していない。
地に足がついていないかのような感覚にふらふらとしそうになった頃、ようやく足場が止まる門が開くと、王国で言うところの謁見の間に当たる部屋へと通された。太い枝が蕾のように覆うそこからは、湖を一望できるようになっていた。結界が張られているらしく、ヘレンが外に向けて手を伸ばそうとすると見えない壁に阻まれる。
「ようこそ、人の子らよ」
声は上からした。部屋を囲うようにして五つの塔が立っている。それは五大氏族王の玉座なのだろう。五人のエルフがイズル達を見下ろしていた。エフィルミアが声のした方を見て震える気配がした。ヘレンが気遣うように彼女に手を回しているのも。
エフィルミアの事はヘレンに任せておこう。イズルは自分自身の役割を果たすべく、膝を突いた。
「偉大なる五大氏族王の方々。受け入れて頂き光栄の至り、私めはアリエス王国、ヴォルゴール領が当主、イズル・ヴォルゴールと申します。」
囲うようにして氏族王の視線がイズルに注がれる。魔法に掛かったかのような重圧を覚えるが、イズルは真っ直ぐな瞳で彼を迎えた氏族王へと視線を返した。
「本日はエルフの国に迫る脅威について急ぎ知らせるべく――そして」
ここですっとイズルは一息入れる。これを果たしてエルフが受け入れてくれるのかどうか。これは部の悪い賭けだ。
「外の世界――我ら人間と取引をして頂きたく存じまして、参った次第でございます」
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