ⅩⅢ 風と共に往く
エルフの国と交渉するべく、イズルとエフィルミア、サリの三人は策を練る。ヘレンは完全に蚊帳の外だったが、静かに三人の話に耳を傾けながら――寝た。
こうやって人間とエルフが顔を合わせて何か一つの事の為に行動するなど、滅多にないことだ。エルフの国に関する事となれば、歴史上初でもあろう。
そう、歴史書にのるような事をしようとしているのだ。後の研究家はイズルのこれからの行動をどう判断するだろうか。稀代の愚人となるか、それとも偉人となるか。ふとそんな馬鹿馬鹿しい考えを、イズルは頭を振って払う。そもそも、エルフがまともに会ってくれるかも一か八かなのだ。
イズルは二人に自分がアリエス王国の貴族であり、魔王軍に対抗する為の資金を得るべく、ジェミニ評議共和国へと向かっている事、周辺国で協力してもらえる国があるなら可能な限り、味方に付けたいことを話した。
「魔王軍ね……エルフは基本外の世界には不干渉を貫いているけど、魔族はエルフにとっても百害あって一利なしな相手で、その脅威が迫っていることを突けば、話くらい聞くかもしれない」
「きっと聞いてくれるよ! 氏族王達も、魔人(ファントム)や魔物(モンスター)には長年悩まされてきたと話してたし」
サリとエフィルミアの言葉にイズルは一筋の希望の光が差したような気がした。
「エルフが人間の使者を受け入れたことは?」
「ここ千年は……無い。だが、一年か二年程のついこの前、勇者一行がこの辺りにまで進出してきた魔王軍を撃退してくれた事があってな。エルフは介入こそしなかったが、人間に対して、感謝の念を抱いている者もいる。……あの時の事を氏族王達が恩と感じていれば、話くらいは聞くかもしれない」
イズルは「そうなのか?」とヘレンを見るも、当の本人であろうヘレンは眠っていて真偽は分からない。「とはいえ」と、サリは続ける。
「とはいえ、エルフがそもそもこの地に追いやられたのは人間そして、人間の扱う武術が要因であることもまた事実。そこで呑気に寝てる娘の武器は持ち込めそうにないね」
サリは目を細めてヘレンの寝顔をまじまじと見つめながら言う。この重要な会話の中で寝ている彼女に対し怒るようなこともなく、冷静かつ目には見えない何かに目を向けている。エルフは魔法を極めた種族だ。ヘレンの呪いについて、人間よりもよく理解しているかもしれない。そんな期待が仄かにイズルの中で生まれる。
「彼女は魔王との戦いで呪いを掛けられてしまって――、本来なら永遠に眠りから覚めない体になっていたところなんだけど……勇者の仲間達の手で突然眠くなってしまう程度に収まっているんだ」
「その仲間というのも人間……か? だとすれば神話級に片足を突っ込んでいるような者だろう。これは魂そのものに深く刻み付けられた呪いで……本来なら人間の領域で解除できるような魔法じゃないだろう」
サリの言葉にイズルは空恐ろしくもあり、「やはり」とも思う。ヘレン自身があまりそのことを深刻に考えていないのもあって忘れがちだが、一歩間違えば彼女は永遠に眠りから覚めず、イズルに会うこともなかっただろう。
「この呪い、氏族王達は興味を持つかもしれない。この娘は連れて行った方がいいだろう」
「……氏族王達の交渉材料になるんだとしても、ヘレンをそういう好奇の目に晒したくはないな」
イズルの断固とした口調に、サリは「落ち着け」と静かに宥める。このダークエルフの事はあの空間の中で腹を割って話したから、それが本心ではないのだろうことは分かるし、現実主義な考え方は嫌いではない。だが――。
「あくまでも彼らの関心を引くきっかけで、本題を引き出す為の話の切り口とするのさ。この娘に危害を加えるような真似はさせないとも」
サリの諭すような言葉を聞いて、イズルは一抹の不安を抱きつつも頷いた。呪いを解くようなことをしてくれるのであれば、手放しで喜べる。だが、イズル自身も神聖術の魔法の研鑽を積んでいる――修行の身でもあるからこそわかる。
魔法使いというのは、魔法的な現象をそのままの状態に保存する為、人や物に掛かった呪いを敢えて解かずに、研究する事がよくある。無論、本人に生死の危険が迫っていなかったり、物であればそれが直ちに危害を加えるとかではなかったりする場合に限って、だが。
エルフが人間と同じ感覚を持っているとは限らない。或いはエルフが、人間の魔法の耐性を見誤って、ヘレンに未知の魔法を試す可能性だって捨てきれない。ここにいるサリやエフィルミアと違って、人間を見下しているような種族であれば、ヘレンの身を案じてくれる保証なんてない。
「だ、大丈夫だよ!」
それまで黙って話を聞いていたエフィルミアが拳を握って、イズルに力強い言葉を掛け、ヘレンをまるで可憐な姫に対するような眼を向ける。
「何があろうと私が護ってみせる! そ、その、たとえそれで私が追放されるようなことになっても――」
「そんな最悪な事態にならないよう、俺も頑張るよ」
もしもエルフ国とアリエス王国との国交が開けば、魔王軍への対抗勢力として心強い味方となるかもしれない。だが、その関係性は対等であるべきだろう。どちらかが不当に高くては、いざ魔王軍と戦うという時に、背中を預けることはできないからだ。
あくまでも理想の形を目指したいところだ。
「と、ところで、イズルさんは、エルフ王国にはどうやって入るつもり?」
「イズルでいいよ。その、サリかエフィルミアのどちらかと一緒なら入れるかと思ったんだけど……」
よくよく考えると、サリは追放された罪人という扱いだし、エフィルミアは国に許可なく出てきている。仮に二人の力を借りて入れても、まともに相手にされない可能性が高い。
「ならば、儂の出番じゃな」
不意に耳元で囁くような声が聞こえて、イズルは驚きの余り、仰け反った。長い頭に樹木のように長い体、綿のようにふわふわとした髭を蓄えた老人――森の精霊だ。その姿はイズルにだけでなく、エフィルミアにも見えるらしく、突然現れた珍妙な存在に、口をあんぐり開けている。
「え、だ、誰!? ど、どこから――」
「こいつはその昔、今の氏族王共と契約を結んだ森のクソじ――精霊、バーチ爺さんだよ」
クソ爺と言いかけて訂正するサリ。直前にバーチが言いかけた事が引っかかったのだろう。不承不承といった感じで、バーチに尋ねる。
「なんだ、いつから聞いていたんだ? あんたがその不可思議な力で全て丸く収めてくれるのかい?」
「儂が全てを解決することも、できるやもしれん――が、それはエルフにとって真の決断とはならん。嵐の日に巣立ちを決意した鳥が、風で飛んだように錯覚するようなもの。風が止めば鳥は地上に落ちるだろう」
バーチの言い回しは、抽象的かつ分かりづらい。だが、少なくともこうして姿を現したということは、力にはなってくれるつもりはあるのだろう。ヘレンに彼の姿は見えるのだろうか?と、イズルは気持ちよさそうに眠っている寝坊助娘にちらっと視線を向ける。精霊が見えることはヘレンには言ってあるので、仮に起きていたとしても不審がられることは無さそうだが。
「つまり、一から全部は助けないけど、後押しくらいはしてくれるってことかい?」
サリが問い返すと「まぁ、そういうことじゃ」と髭を撫でながらバーチは答える。それから、おもむろにバーチは大地に手を当て、そのまま緩慢な動きで我が子を愛するように撫で始めた。すると、辺り一面が仄かに輝き始める。
「エルフの国に行くのであれば、森と風を味方にすることだ。エルフは風に抱かれ、森と共に生きる。彼らの生き様を、信仰を敬い尊べば、受け入れられることだろう」
木の葉が揺れ、温かい風が弧を描いてイズル達を包み込んだ。ぱちりとヘレンが目を覚ました。この不可思議な現象を目の当たりにして、迷うことなくイズルの方に視線を向ける。
「イズル? 何が」
どうにか説明しようと口を開こうとしたが、この状況を的確かつ簡素に説明できる言葉が思いつかなかった。ようやく起きたヘレンにエフィルミアが抱きつく。
「これからエルフの国に帰るんだよ!」
「そっか……じゃあ、エフィルミアが魔法使えるってこと、証明できるねー」
ヘレンは呑気にそんなことを言っているが、イズルはこれから何が起きるのかを考えるので頭が一杯で、声を掛ける余裕も無かった。サリがイズルの肩にそっと手を置いた。
「バーチが私達をエルフの国に送ろうとしている。外交交渉の為の洒落た挨拶でも考えておくことね」
辺り一面を木の葉が覆いつくし、バーチの姿は見えなくなった。真っ白な光に包まれる中、森に住んでいるであろう様々な精霊の気配をイズルは感じ取った。
風が通り過ぎ、木の葉が散ると、一行の姿は消え去り、後には大地に突き立つ斧が三本だけ残されていた。
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