ⅩⅥ 事実は伝説より奇なり

 待機していたローリオンの案内の元、ヘレン達は再度、浮遊する床へと案内される。氏族王の内、エフィルミアの父でもあるティリオンと『風と睦会う者』スールディルの二人が一緒に乗り込んだ。


 ティリオンは娘であるエフィルミアに対して一言も無い。エフィルミアはエフィルミアで、ティリオンを恐れているようでヘレンの腕にしがみついている。


(ほんとに親子なのかな……)


 自分の父親の事を思い出し、二人のあんまりな関係にヘレンは血縁すら疑ってしまう。この閉鎖された空間でそれを尋ねたら、とてつもなく気まずい事になるだろうからと、何も言わないでいるが。


 また下に降りるのかー等とヘレンが思っていると、床は唐突に横に揺れる。神樹の幹に沿って曲線を描くように移動する。


 神樹そのものが巨大な建造物のようであり、他の部屋に繋がるであろう分岐点が幾つも通り過ぎていく。揺れが心地よく、かくりと寝そうになったところで、ごく自然な所作でイズルに頬を引っ張られる。


「着いたみたいだ」


「ねへへひゃいはらははひへ」


 涙目でイズルに弁明すると、ぱちんと伸びきった頬が元に戻る。イズル自身は表情一つ変えず、何も無かったかのように案内人のローリオンの後に続いて部屋へと入る。


「だだだ、大丈夫? 痛くない?」


「アハハ、面白いねぇキミ達」


 エフィルミアはあわあわとヘレンの頬を労わり、スールディルはげらげらと笑っている。その後ろのティリオンは当然のように無表情で、一同を置いて進み、イズルの横に並ぶ。


「この先に人間を通すのは二度目になる」


「千年前の勇者ですね? それ程までに慕われていたとは」


 イズルが相槌を打つと、そうだとティリオンはそれは否定しなかった。だが、先程の話を考えれば、この先に分かるであろうエルフと人間の関わりは決していい結果に終わることはないのだろう。


 白樺の木の床、エルフの暮らしが描かれた壁画は魔法で作られたのか、絵の中の人物は動いていた。まるでその中で生活しているかのようだ。


 ぽけーっとそれを眺めているうちに、部屋へ通されると、林のように整然と並んだ棚に出迎えられ、ヘレンは軽い感動で目が覚めた。


 どの棚も簡素な装飾の施された本や巻物が収まっている。左右には螺旋階段が備えられており、その上には更に本棚が続く。どの方向を見ても本、本、本……まるで周囲一帯を本に囲まれているかのような感覚だった。


「驚いた、これ程の本……王立の書庫か、学院図書館くらいでしか見た事がない」


「これはほんの一部だよ、イズル殿。我々エルフは、古来からありとあらゆる方法で記録を残してきたからね。勿論、魔法を用いた『保存』が全書に施されて――……申し訳ありません、ティリオン様」 


 イズルがヘレンの比ではない感動で書物を見回すのに対して、ローリオンが得意げに解説しようとするも、ティリオンに無言の眼差しを向けられて、口を慎む。


 ヘレンも長く生きて偏屈になった人間を何人か見てきたことがあるが、千年単位で生きていると想像もつかないくらいの伝説的な頭の固さになるのかもしれない等と想像を巡らせた。


 ふと、この部屋に潜む気配に気が付いて、ヘレンがさっと振り向くと、エメラルド色の瞳が目の前にあった。


「なっ――」


「勘の鋭い子、姿をくらまして、足音一つさえ立てなかったと言うのに」


 身構えるヘレンに対して、遅れて振り向いたイズルがその肩に手を置いた。


 さらさらとした桃色の髪に、薄く白い肌、夜空のような黒に星の輝きを持ったドレス、その手には実のなった木のような杖が握られている。


 エルフの女性――ヘレンはそれが一目でエフィルミアの母であると悟った。


「驚かせて申し訳ありません、私はアレゼル・アグラディア。どうかアレゼルと」 


 春風に踊るように、アレゼルは優雅に手を振る。柔和な瞳はこちらに一切危害を加えるつもりが無いような安心感がある――ように見えるが、心のどこかで警戒が解けない。何よりヘレンの背後にいるエフィルミアがより一層震えている。


「本当に――鋭い子。けど、どうか怯えずに」


 アレゼルの瞳が細められる。と、それまで沈黙を貫いていたサリが間に入った。


「エフィルミアの記憶を弄った奴の言うことなんか聞けるとお思いで?」


「ティリオン様の命こそが私の全てですので。それにあれはそもそも貴女がー、あのような穢れた術を――と、このような無駄な話をしている場合ではありませんでしたね」


 サリの指摘をアレゼルは意にも介していないようだった。その瞳はヘレンの背後にいるエフィルミアへと注がれている。表情は優しいが、無言で、何を考えているのかさっぱり分からなかった。やがてアレゼルは視線を逸らすと、本題に入った。


「ティリオン様、ここに来られたということは、勇者オルフェウスとエウリュディケの悲劇をご覧に?」


「そうだ」


 ティリオンが短く答える。彼女が杖を一突きすると、杖になった実のような装飾が揺れた。一冊の本が棚から音もなく抜けて、空中で開く。


中にページは無かった。そのかわり、無色透明の水晶が浮かんでいる。


 じっと見つめていると、水晶の中に色が付き、風景が浮かび、人物が現れる。まるで見えない筆で物語を描かれているかのようだ。


 一人は人間の青年、古代のローブとマントに身を包んだ青い髪の青年。そしてもう一人は銀髪のエルフの女、一枚の布と皮で出来た簡素なベルトを身体に巻き付けて服としていた。ベルトには装飾の施された金色のメダルが付いている。


神樹の前で違いの手を合わせていた。アレゼルがそっとその男に触れる。


「この男はオルフェウス、魔王カオスに立ち向かいし、当時の勇者、そして『星の子』」


「星が降りた時に現れるという異世界の英雄ですね……?」


 異世界の英雄――その話をヘレンは何度も聞いたことがある。あまりいい印象はない。彼女が知っている異世界から来た者というのは今のところ現魔王であるタナトスと、魔人(ファントム)のロキだからだ。


「そして、この見麗しいエルフこそ、我が姉、エウリュディケさ。旅に出る前は風の氏族王を担っていた」


 スールディルが大袈裟に両手を広げ銀髪の女エルフへと手を差し伸べる。軽薄な声音と仕草に反して彼の瞳には憧憬の色が浮かんでいた。


 人間とエルフの姿が光となって水晶の外へと大きく映し出される。しかも姿だけではなく、声も聞こえてくる。


『本当に良いのかい?』


 男――オルフェウスが戸惑うように話しかけると、エルフの女――エウリュディケがしっかりとした意志の強さでもって言葉を返す。


『勿論、貴方はこのエルフの国、いいえ、森を魔王から救った恩人だもの。それにあなたがいた世界では、種族の差を超えた友愛だってあったと言っていたじゃない』


『あれは……嘘じゃないけど、初めて会った君達を説得する為の方便でもあった。俺の元居た世界でも人種の差を乗り越えるのは――並大抵のことじゃないんだ。価値観だとか生まれ育った環境だとかが違うんだから、当然さ。それに負の歴史だって』


 オルフェウスの顔に憂いの影が掛かる。それを照らすのはエウリュディケの笑顔だった。オルフェウスの額を軽く小突きながら、彼女は自信満々に言う。


『そう思うなら、私達エルフが最も信用できる人間になるわね、貴方は。行きましょう、魔王カオスを倒す為の旅に』


 二人の光がパッと消え、再び別の場面へと移る。棺と周囲を何人ものエルフが囲んでいた。その棺の中にいるのはエウリュディケ――その胸には刃が刺さった痕があった。


 眠るように瞳を閉じた彼女の身体に少年のエルフがしがみついている。銀髪に白いローブのエルフだ。


「これは……スールディル殿?」


 イズルの疑問に、スールディルは静かに「あぁ、そうだよ」と答える。先程の飄々さは消えていた。姉であるエウリュディケが死んで、成長してから氏族王になったのだろう。


 エウリュディケの死。この間に一体何が起きたのか。エルフ達は何か隠しているのだろうか。そんな疑問を察したようにアレゼルが話す。


「二人の旅立ちから、エウリュディケの死までの間を我らは何があったのかを正確には知りません。彼女の遺体は何者かの転移魔法で国の外――ベオーク高原に送られてきた……エルフの国の居場所を知る人間はオルフェウスただ一人ですので、彼以外には考えられないのですけど」


「それか、オルフェウスが仲間の誰かに頼んだとか――」


 イズルが顎に手を当てて推測を口にすると、「いいえ、彼でしょう」とアレゼルがにべもなく言う。


「転移魔法は転移先に魔法陣があることが必須。エウリュディケが運ばれてきた魔法陣はオルフェウスと初めて出会った場所にありました。他の人間ではあり得ない」


 ベオーク高原は今でも深い森の中だが、先人の手である程度道が作られている。だが、千年前ともなれば、今以上に開拓されておらず、自然豊かで――危険な迷いの森だったことだろう。


 仮にオルフェウスから話を聞いていたとしても、正確に場所を見つけられるとは思えない。


「オルフェウスはその後、姿を現すことは無かった」


 口数の少なかったティリオンが静かに右手で光に触れる。


「人間の伝説によれば、彼は死んだとも、魔に堕ちたとも言われている。が、そんなことはいい。彼は我らの期待を裏切った。人間に期待したエウリュディケを死なせたばかりか……その遺体を魔法陣で送り付け、自身は言葉も無く姿をくらました。誰に殺されたのか? それを説明することすらしないのは後ろめたい事実があるのではないか? だが、これだけは真実だ――エルフはまたしても汚らわしき……武術で殺された」


 ティリオンの表情は変わらない。だが、彼の言葉には僅かながら感情が籠っているように思えた。ふとヘレンはある違和感に気づいた。


「……エウリュディケさんはそもそもなんで人間に期待したの?」


 エルフは、人間を憎んでいる。人間に迫害された事をその身で覚えている。


――もしも自分だったら許せる自信が無いと、ヘレンは密かに思った。こんなことを口にすればイズルやエフィルミアにどう思われることか。


「それはねぇ、ヘレンちゃん。姉はここにいる氏族王達よりも若くて、人間に迫害された歴史を知らないってのが一つ。千年ちょいの僕よりかちょっと上のー」


 スールディルが指で年を数えようとして諦める。


「えー、うん、姉も千年ちょいのこの国の氏族王としては若輩者だったのさ、ヘレンちゃん」


 気安く名前を呼ばれたことに対して、イズルの眉が僅かに上がったがヘレンは気が付かなかった。


「もう一つ。かの勇者オルフェウスは、ベオーク高原における人間同士の戦争を止めたんだ。三か国もの将軍達を説得してね。もしも彼が止めなければ、森は焼き払われただろうし、それを許せないエルフ達は打って出ただろう」


 その話は聞いた事がある。ヘレンがかつての仲間である僧正キルケ―から聞いた伝説に似た話だ。伝説ではエルフの魔法によって三人の将軍が神隠しにあい、戦争が止まったことになっている。だが。


「……神隠しに遭ったのは勇者の方だったんだー」


「伝説というのは得てして正確に伝わらないものだね」 


 ヘレンとエルフの国の伝説について話したイズルは相槌を打ち、それから、ティリオンへと向き直る。


「理解しました。人間と――エルフの間にある溝の深さを。私の申し出を受け入れ難い事も――ですが、ご一考をお願いしたい」


 イズルの言葉は変わらず誠実そのものだ。そのおかげか、氏族王達は見下すような態度を崩しはしなかったが、追い返すこともしない。ヘレンからするとなんともじれったいような感覚だ。


「貴君は神樹様の導きによってここに来たのだ。ここで何事も起きなかったことにもできるが、それは導きに対する冒涜――だが、そこからどうするかは我らの自由である」


 ティリオンは断じた。だが、イズルは食い下がらない。ヘレンはその顔をじっと見つめる。


(イズル――ずっとエウリュディケの方を見てる)


 何を考えているのかは分からないが、その食い入るような視線は見覚えがあるものだった。イズルはティリオンの言葉を恐れる事無く、一つの提案をする。


「氏族王……ティリオン様、オルフェウスとエウリュディケに何が起きたのか――その真実を解き明かしてみせたら、再び人間を信頼してくれるでしょうか?」


 ティリオンの顔に驚きと戸惑いの表情が浮かんだ。恐らくここに来て初めてであり、背後に立つエフィルミアが小さく「えっ」と驚きの声を上げる。


 ティリオンは再び沈黙する中、スールディルが「バーチ爺さん、とんでもない奴を送り付けてきたな」と、けらけら笑う。そして何かを思い出したように手を叩く。


「あのさ、エルフ国に魔光鉱石(マナ・オーア)を売りつけたいんだろ? エフィルミアちゃんが作ったっていうガントレットの性能をまずは試して見るべきだと思うんだよね」


 唐突に話題に出されてエフィルミアが「ひゃい!?」っと小さく跳ねる。そんな彼女の肩をサリが掴んで引っ張りだす。


「スールディル様、それは」とアレゼルが静かに窘めるも、彼の調子は荒れ狂う風のように止まらない。


「とっておきの方法があるんだ――僕達エルフがどちらの魔法が強いかを競わせる単純かつ刺激的で絶対的な方法が」


 スールディルの目が妖しく光る。


「決闘だよ」

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