ⅩⅦ エルフの決闘
「決闘、ですか」
イズルがあまり気乗りのしない様子でスールディルの言葉を繰り返した。
決闘――人間の世界では、剣や魔法で本人が戦う決闘、捕らえた獣や竜(ドラゴン)に戦いを代替わりさせるものもある。そして、多くの場合、本人同士の個人的な事情だけでは済まない。
故にその響きは聞く手によって印象も異なる。
例えば、ヘレンは決闘と聞いて幼い頃の苦い記憶が蘇った。父親に、レムノスの森から離れた下町に連れ出され、そこで拳同士の決闘を見た。
どっちに賭けるかと戯れ程度に問われ、ヘレンが指さした方が勝利した。まぐれだろうと思われたが、次もその次もその次の次も当てたので、父親アーサーは「八百長」を疑われ、大騒動になり、ヘレンも大変な目に遭った。母にとうとう愛想を尽かされたのもこの時だ。
イズルにとって決闘とは、頭痛の種だ。野郎共が週末に酒場に集まっての無礼講のパーティー。決まって起きる喧嘩からの決闘が起きる流れ。死傷者が出るというので、決闘禁止の御触れが王国から出されたと思ったら、バレないように裏でやり始める始末。
兵を動かしてそれを取り締まり、法の元に裁くまでを見届けるのも貴族であるイズルの仕事だ。馬鹿共が大人しくしてさえくれればしなくていい事であり、イズルにとって「決闘」とは唾棄すべき好意である。
だが、エルフ達にとっての決闘は、二人の負の印象とは真逆の行為らしい。スールディルは意外そうな顔で顔を傾けた。
「あれ? 人間である君らなら喜んで同意してくれると思ったんだけどなぁ」
「あ、いえ……どのようなお考えか、聞いてもよろしいでしょうか」
イズルが慌ててそう言うのを見て、ヘレンは「きっとイズルも『決闘』で大変な目に遭ったんだろうなぁ」等と勝手に同情している。
ぐいぐいと袖を引っ張られヘレンが振り返ると、今までずっと黙っていたエフィルミアが小声で助けを求めてくる。
「へ、ヘレンちゃん、私まだ心の準備が……不安で消えちゃいそうなんだけどぉ……!」
「うーん……なんかでも決闘やる流れになっちゃいそー……だから今のうちに覚悟しといて」
そんなぁと嘆くエフィルミアの頭を撫でつつ、ヘレンはスールディルの次の言葉を待つ。
「ぼくらはね、ある者の価値だったり信念を試す時に決闘を行うんだ。互いに勝利の条件を出して、それを達成した方の勝ち。敗者は勝利した側の価値を相手は認め、願いを一つ叶えてやらねばならない。……ま、とはいえ勝てばなんでもかんでも叶うわけじゃない。願いに見合う決闘を行わなければね」
スールディルの言葉は甘く、こちらをそそのかすような響きがある。さながら食虫植物のようだ。イズルは慎重だった。スールディルや他の氏族王の反応を待っている。
「てことでどうだい? エフィルミアちゃんと他の誰かが決闘して、その魔光鉱石(マナ・オーア)……それを使ったエフィルミアちゃんお手製のガントレットの有用性を認めてもらうってのは」
「スールディル様? 他の氏族王の断りなく、そのような勝手な事を進めて貰っては困りますわ」
アレゼルは気品に溢れながらも、はっきりと諫言を呈する。スールディルは「すみませんね、決闘の事となると逸ってしまって」と悪びれてるようにはとても見えない態度で謝る。
「決闘を行うか否か、それを決めるのは我らではない。我らは挑まれる側だからだ」
ティリオン――エフィルミアの父は、そう言ってその場を鎮めた。そして、未だヘレンの背後に隠れる彼の娘をその冷たい目で射貫いた。エフィルミアはぎゅっと目を瞑り、より一層ヘレンの袖を掴む。
「挑むかどうかは我が娘、エフィルミアが決める。尤も、今の状態では我らは受けるに値しないと――」
「やりますっ!!」
ティリオンの言葉を両断する勢いでエフィルミアは飛び出た。そのあまりの切り替えの早さにヘレンやイズルは勿論、スールディルやアレゼル、それにティリオンですら虚を突かれた。エフィルミアはそれに気づかないまま、びしっと直角に右手を伸ばし、決闘を申し出る。
「私、やります、父様! 生まれて初めて魔法を使えるようになったのに、エルフの誰にもそれを見せないまま終わるなんてしたくない!」
勢いのまま飛び出したエフィルミアだったが、ティリオンは依然として表情が変わる様子は無い。じっと静かに目を閉じている。
誰もが黙り込んでしまったのを見て、エフィルミアは口を噤んだ。その目には恐れがある。そんな彼女の背をそっとヘレンは押す。
「エフィ、自信を持つことを恐れないで――諦めたら何も出来ないから……私がそうだったから」
魔王(タナトス)から『眠りの呪い』を受けてから、ヘレンは一度は戦うことを辞めた。それは故郷であるレムノスの森を焼き払った魔王軍への身を焦がすような怒りもある。
だが、一緒に旅をしたジェイソン、キルケ―、メディア……勇者一行と旅をし、訪れた国で、そこに生きる人々を見てきた。自分が出来ることを少しでも諦めたくなくて、彼女は自身を鍛え、眠りの呪いで意識を手放してかつ本能で戦うという凡そ常人には出来ない戦い方を会得した。
イズルと出会い、再び戦いに身を投じた彼女はもう二度と戦うことを諦めるつもりはない。
パンパンと軽薄な拍手が響く。
「やはり君は素晴らしい! 一瞬の命の中でもがきあがくその姿こそ人間の美徳だよねぇ!」
ヘレンを見るスールディルの瞳はギラギラと輝いて見えた。どうにもさっきからこの男からの視線が熱い気がして、ヘレンは(どっかで会った事あったけ?)と首を傾げる。だが、彼の暴走はそこで止まらない。
「決めた、決めたよ、ヘレン・ワーグナー! 君も決闘の場に上がりたまえ!!」
「スールディル様、いい加減に……」
アレゼルがいよいよ頭を抱え、助けを求めるように夫のティリオンへと視線を向ける。だが、彼からの返答は意外なものだった。
「構わない。今回の一件はスールディルに一任している。お前がそうするべきと言うなら、そこの小娘を一緒の場に出して構わない。武器は外に置いてきているのであろう? 泉を使えばここに持ってこれるだろう」
「陛下……ですがそれは」とアレゼルは困惑している。無理もない。人間が用いる武術を、ティリオンは――否、エルフは穢れた術として嫌悪している。エルフ同士の決闘にヘレンを参加させるという、スールディルの突拍子も無い思いつきを黙認するばかりか、イズルが配慮して置いてきた武器を、取り寄せて使ってもいいと言うのはどんな風の吹き回しなのだろうか?
「感謝しますよ、『沈黙』の陛下。さて、ヘレン。君の相手は勿論この僕さ。勿論受けてくれるよねぇ? もしも僕に勝てたら、僕は全面的に君達を支持する。エルフの国とアリエス王国が何かしらの繋がりを持てるよう最大限の便宜を図ってあげよう。勿論、全面的な交流等望めるわけもないが……、小さく細い繋がりだとしても無いよりはいいだろう?」
突然の申し出にヘレンは困惑していた。この国の中で誰かと戦うことなど想定していなかったし、この氏族王の言葉を鵜呑みにしていいのかとすら思う。助けを求めるようにイズルの方に視線を向けると、その隣にいたサリが彼の肩に手を置いた。
「やらせてみな。さっき言ったろ? 勇者一行の行いのおかげで、人間に感謝しているやつも中にはいるって……」
「……国の外で話し合った時は、ヘレンが寝てたから言いそびれたけど、多分その勇者一行にはヘレンもいた筈だ。違うかい、ヘレン」
「えっと……ジェイソン達と一緒に、この辺りにいた魔人(ファントム)と戦った覚えはあるけど――エルフには一人も会わなかったよ?」
ヘレンがそう言うと、イズルは納得したように「やはりか」と頷いた。あの時は確かに魔人以外の者と会うことは無かった。気配すらしなかったとヘレンは思っている。だが、もしかすると――。
「ヘレンがいたその日、その行動は多分エルフの人達に見られていた――違いますか、スールディル陛下?」
「ご名答だよ、イズルくん。尤も、ヘレンちゃんのことをちゃんと見ていたのは僕くらいなものだけどね。他の氏族王達は覚えてない人すらいるんじゃないか? ねー、ティリオン様?」
「……私は『監視者』だ。勇者一行の行いは全て見た」
スールディルが茶化すもティリオンには一切のブレを感じられない。人間に対する態度に変わりはない。無機質かつ冷たく、こうして話していられるのが不思議なくらいだ。
(本当は何考えてるんだろ)
ヘレンには彼が悪人のようには見えなかった。だが、実の娘であるエフィルミアに対して行ったことは、許せるものではない。部外者であり、外交交渉で来ているヘレンに口出しは出来ないが、そうでなければ無言の圧で詰めていたところだ。
「いいよ、決闘受ける。私が勝ったらー……イズルに後は任せるね」
外交の事はヘレンには分からない。イズルの「あぁ、任せてくれ」という言葉が頼もしい。
「決まりだねぇ。で……エフィルミアちゃんの方のお相手は誰が適任かなぁ?」
スールディルがちらっとエフィルミアの方を見る。彼女はもう覚悟を決めているようだった。ティリオンにその覚悟が伝わったかどうか、ヘレンには分かりようがない。だが、彼は静かに決闘相手の名を告げる。
「相手はレンウェに任せる」
エフィルミアの瞳が見開かれる。
「兄様……」
ぽつりと呟かれた言葉に、ヘレンの表情は険しくなる。いつもの緩さからは考えられないような顔だった。
スールディルの案内の元、一行は神樹の外に出る。彼はヘレンを『エルフの泉』と呼ばれる場所へ案内した。
視界一杯に広がる群青色は泉というよりも湖のようだ。によれば、ここの水源は水を司る氏族王ネミルネスの魔力により活性化しており、この森全体の生命線にもなっているのだという。
泉に近づけと言われ、訳が分からないままヘレンはとことこと、近寄ると突如として泉がゴポゴポと泡を立て始める。
続いてザパーン! と水しぶき。現れたのは……。
「へんたいだ……」
頭が異様に長い半裸の爺さんだった。その肌は人間やエルフというよりも木に近い質感で、濡れた髪が木屑のように頭にへばり付いていた。
イズルが後ろで「バーチ爺さん……!?」と驚いている。
……誰それ?とヘレンが胡乱げな表情になる。
バーチ爺さんは両手に斧を握っていた。好々爺とした笑顔で、ヘレンに尋ねる。
「おぬしの斧はこちらの金の斧かの? それとも銀の斧?」
ヘレンは正直者だ。
「そんな役に立ちそうにない鈍(なまくら)じゃないよ」
「んぅ……」
「おっきな魔物でも真っ二つにできるやつ……数えきれないくらい斬ってきたからちょっと血生臭いけど、最高の武器」
そこまで聞いてとらんと、バーチ爺さんは辟易した様子になるが、イズルを見るや元気になり、手を振った。
「……ヘレンにも見えてる? どういうことですか」
「イズル・ヴォルゴールよ、半日ぶりじゃの。ここは我が家。我が家で主の姿があるのは当たり前のことじゃよ」
彼はこの森の妖精で、エルフ達からは神として崇められている存在であるらしい。そんなことよりも、ヘレンは自分の武器が心配で仕方が無かった。
「私の大斧(ハルバード)、戦斧(サマリー)……早く出して」
「まぁ落ち着くんじゃい。おぬし、決闘をするんじゃろ? 決闘場はこの下じゃ、ついて参れ」
バーチはそう言うや否や泉へと沈んでいく。後からティリオン達エルフが続く。まるでそこに道が続いているかのように水の中へと歩いて沈んでいく。その光景にヘレンとイズルが困惑しているとエフィルミアが思いっきり二人の背中を押した。
バランスを崩した二人は泉の中へと落ちた。
「何するんだ、エフィルミア――息が……」
「おー……これも水のしぞくおー様の力?」
抗議しようとしてイズルは水の中で息が出来る事に驚き、ヘレンはこの環境に即座に適応していた。泉の底には魔法による物か、光源が見えた。木の実や草木で作られた幾つものランタンの中で光が煌めいてる。
そして、その奥に沈むように小さな闘技場(コロシアム)の建物があった。石造りで観客席が円状に広がっているのが見える。そこにティリオンを始めとした氏族王が席についている他に多くのエルフがこの決闘を見届けようと集まっていた。
エルフの中でも人間を見るのは初めてな者も多いようで、戸惑いであったり、好奇な眼で見られる。
――だが。
「人間がっ。俺達はお前らから受けた仕打ちを忘れてねぇ!!」
氏族王以外にも建国の時から生きている者もいるらしく、そうした者達はヘレン達に罵倒を浴びせた。ヘレンは沈痛な面持ちで彼らの言葉を受け止める。「やめやめ!」とスールディルが雑に彼らを制止する。
決闘場には既にスールディルが立っていた。そして隣にもう一人のエルフ。その目の前にはヘレンの斧が三つ突き立っている。ヘレンとエフィルミア、イズルの三人が決闘場に降り立つ。
「最初に僕とヘレンちゃんで戦おうか。一番盛り上がるであろう兄妹対決はその後ということで、いいかな? エフィルミアちゃん」
「確認しますが、ヘレンが勝ったらスールディル様のご協力を得られる。エフィルミアがそちらのお兄様に勝てたら、魔光鉱石(マナ・オーア)を用いた道具と……エフィルミアの力を認めてくださるということでよろしいですか?」
イズルの言葉に「うんうん、僕はそれで構わない」とスールディルは頷いてみせた。
「ここは聖地にして神の御前での決闘場。だから二言は無いよ。とはいえ、戦いの勝利条件はそれ相応に高くさせて貰うよ」
スールディルが片手を上げると、隣にいるエルフ――橙色の髪に緑色の輝きを湛えた瞳の男だ――は「ついてこい」とイズルとエフィルミアに告げ、観客席へと向かう。あれが恐らくエフィルミアの兄レンウェなのだろう。エフィルミアはぎゅっと拳を握り兄の背後を見てから決意を新たにする。
「行きましょう、イズルさん。ここはヘレンちゃんに任せて」
「……わかった。気を付けるんだよ、ヘレン」
レンウェに続いてイズルとエフィルミアが出ていくと、決闘場を結界が覆った。水の中にいるような浮遊感が無くなり、地上にいるのと変わらない感覚が戻ってくる。イズルが外にいるエルフ達にひどい目に遭わされないかと不安になるが、三人がティリオンや他の氏族王のすぐ近くの席に座るのを見てホッと胸をなでおろす。
少なくとも氏族王の目の前でエルフの住民たちが何かをやらかすことはないだろう。
「さて、ファンファーレが聞こえたら勝負開始の合図だが、その前に勝利条件を伝えとこう」
ヘレンは闘技場に刺さっている三本の斧を順番に抜いた。背中のベルトに繋がったケースに戦斧(サマリー)を戻して大斧(ハルバード)を構える。
「最初に謝っておかないといけないことがあるんだけどさ。僕は痛いのが嫌だし、仮にも氏族王なんで万が一があったらいけないんだよね。だから」
と、背後を指さす。観客席には緑色のチュニックとタイツに茶色のブーツ、銀髪のエルフが座っているのが見えた。
「ここにいるのは魔法で作りだした僕と瓜二つの分身――あぁ、心配はいらない。本物と何一つ変わらない強さだし、肉体にはちゃんと傷を付けられる」
その言葉にヘレンは静かに息を呑む。氏族王の強さがどれ程かは知らない。だが、自分と全く同じ強さの分身を生み出せるとは。ここの泉に掛けられた魔法といい、人口の少ないエルフが何故今まで滅ぼされることなく、生き残れたのか。その底の知れない恐ろしさの一端を知った気がした。
「だから、君は存分に力を振るっていいんだよ、ヘレン・ワーグナー?」
スールディルが指を鳴らすと、彼の手に身長と同じ程の長く、反った杖が握られる。白い紙が幾つも連なった装飾を括り付けたまるで長弓のような杖だ。
「いいの? そんな余裕ぶっこいてると真っ二つになっちゃうかもだけど……」
ヘレンの言葉にスールディルの瞳は爛々と輝き、弓を引き絞るような手の動きで杖を構える。
「君の勝利条件はこの僕を『殺す』事、そして僕の勝利条件は君が『諦める』事」
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