ⅩⅧ 人間の決意とエルフの試練

 風の氏族王の示した条件に対し、ヘレンは顔をしかめる。周囲から見たら氏族王の圧倒的な力に対し、ヘレンが怯んでいるように見えるだろう。だが、彼女は相手が如何に圧倒的な力を持っていようと怯むような戦士ウォーリアではない。


 彼女が躊躇う理由はそこにはない。


「あぁ、そうそう」


 スールディルはまるで雑談でもするように指を立てる。


「僕が勝利した場合の御褒美だけどさ」


 すっとヘレンに向けて手が伸ばされる。その目は欲しい物を前にした子どものようだ。


「君の身体に掛けられたその『呪い』、僕に詳しく調べさせて欲しい――どうだい? あ、止めたければ今でもこの決闘中止してもいいよ」


「それはできない」


 用意された逃げ道に対し、ヘレンは即決する。エルフの氏族王の方から提案された決闘、人間とエルフの繋がりを作るまたとないチャンス。イズルの為は勿論あるが、人類が魔王タナトスに対抗できる手段をみすみす逃すわけにはいかない。


――それに前にキルケ―が言ってた。


『位の高いエルフは提案を蹴られることを何より嫌うのです。それに一度した契約、口約束――どんな小さな物でも、反故にされることも。だからエルフと話す際はお気を付けて』


 かつて一緒に旅をした仲間の言葉を思い出す。受けると言った以上はそれを取りやめることは出来ない。仮にスールディルが許しても周囲のエルフからの印象は悪くなるだろう。


「そっか、そっか。じゃあ頑張って俺を殺してみせてね」


 スールディル、その分身はにこやかに語り、杖を構える。光の弦が張られ、風を纏った矢が三本放たれる。額目掛けて飛んできたそれを大斧ハルバードの一振りで全て弾く。


 既に二の矢は放たれていた。頭上から降り注ぐ矢の雨。常人の射手ではあり得ない技術。正確無比な弓術と、自由度の高い攻撃を可能とする魔法の組み合わせはヘレンの想像以上に厄介だった。


 振りぬいたハルバートを両手で掴み、身体を軸にした横回転、最大限まで高められた遠心力によって刃が無数の矢を弾き返す。




 そのまま振りぬいた大斧を片手で背中に戻し、空いた手で戦斧サマリーを抜いて直接スールディルへと一気に近づく。


 狙うは杖。横薙ぎに振るわれた戦斧が杖に突き立てられる。だが折れない。


「そうだよねぇ、君ならこっちを狙うと思った」


「降参してくれると嬉しいんだけどー……」


「駄目だよ? 勝利条件は君が俺を『殺す』ことなんだから」


 エルフは約束を反故にすることを嫌う。お茶らけているように見えたスールディルも例外ではないようだ。ヘレンは諦めずもう一本の戦斧を反対側から杖に叩き付ける。


 左右からの斬撃によって杖が真っ二つになる。スールディルはすかさず、ヘレンの脇腹に蹴りを入れて距離を取る。両断された杖は、急速に成長して、元に戻る。それが分身だからなのか、元の杖の特性なのかは分からないが、武器破壊はあまり意味がないようだ。


「ズルはさせない、妥協も許さない。君は僕を殺すしかないんだ」


 ヘレンの周囲一帯に魔法陣が出現する。放たれた矢が歪んで消えたかと思うと、上下左右から矢が襲い来る。


 ヘレンは身体を逸らして攻撃の合間を抜け、時間差で飛んでくる矢を二本の戦斧を交差させるように回転させて弾き、投げ飛ばして防ぐ。


 スールディルの矢は風の魔法により速度も殺傷力も段違いだ。鎌鼬と化したそれに掠って腕や頬が、血飛沫を上げる。スールディルはこっちを殺す気で戦っているように思えた。


 エルフの決闘がどういうものかヘレンは知らないが、もしもスールディルが本当にこちらを殺すつもりなら、降参するか相手を『殺す』しかない。


――目の前にいるのは分身……だけど。


 周囲にいる大勢のエルフ達の目。ヘレンがスールディルを殺せば彼らがどう思うか。


『人間がっ。俺達はお前らから受けた仕打ちを忘れてねぇ!!」』


 ついさっき投げかけられた言葉が蘇り、ヘレンに攻撃を躊躇わせる。こんな時、傍にイズルがいればと思わず弱気になる。観客からの声は魔法で遮られているのか、一切聞こえない。


 続いて矢が放たれた瞬間、ヘレンは決断する。飛んでくる矢の流れを断ち、押し寄せる風に対しては戦斧を投げつける。高速回転しつつ、弧を描いて戦斧は風の魔法を切り裂いた。


 ほんの一瞬、全ての攻撃が相殺された刹那、再度大斧ハルバードを振りぬいてスールディルの杖を粉々に破壊する。


「ハハっ、何度も同じ手を喰らう程――」


 笑って下がろうとするスールディルの動きはヘレンにとっては緩慢だった。振るわれた大斧ハルバードがその動きを追随し、


――首を両断する寸前で止まった。


「これで――あなたは死んだ」 


「いやぁ、参ったね――君は僕を舐めてるのかな?」


 水底から巻き起こった竜巻がヘレンを押し上げ、閉じ込めた。身を捩ろうとすると身体が空中で一回転し、思うように動けない。


 杖は既に復活しているのだろう、スールディルからの風の矢による猛攻が再びヘレンを襲う。竜巻を止めるべく、ヘレンは身体を軸に大斧を両腕で振り回した。


 矢が足を掠め、髪を纏めて一房切り飛ばすのを意にも留めない。徐々に速度の上がったそれは竜巻の回転をも上回り、相殺した。だがヘレンにとってもこれはかなり負担が大きい。殆ど倒れるように、水底へと着地する。と、同時に、


――こんな時に。


 凄まじい眠気が彼女を襲う。目の前で再びスールディルが杖を構えている。攻撃が来る。相手はヘレンが倒れそうなのを気にもとめず、トドメを刺しにくるだろう。


(……この人はなんでそんなに『殺す』ことに拘ってるんだろ)


 ヘレンは夢を見た。


 随分昔のようにさえ感じる勇者一行と旅をしていた時の記憶だ。白樺の木が立ち並ぶ森の中で、魔物モンスターと遭遇した時のことだった。


 相手は狼型の魔物と周囲に毒をまき散らす植物型の魔物であり、剣と斧を武器とするジェイソンとヘレンの二人にとっては相性が最悪の相手――の筈だったのだが。



「毒が怖くて魔物をぶっ殺せるかってんだぁ!!」


「そうだそうだー」


 二人は毒の濃い霧の中を元気に跳ね回っていた。いや、正確には彼らも毒を受けている。だがその毒は即座に彼らの命を奪うことは無かった。ならば毒が回る前に魔物を全部倒せばいい。――あまりにいかれた発想だ。


「あらあら……二人とも元気ねぇ」


「はぁ……馬鹿はジェイソン一人で十分なのですが」


 魔女のメディアがどこかズレた感想を述べ、僧正キルケ―はぶつくさ愚痴りながらも二人に回った毒を魔法で抽出していく。戦闘中のそれも尋常ならぬ速さで動く二人に追随できる魔法を放てるのは、世界広しと言えども彼くらいなものだろう。


 その魔物は巨大な白樺の木に寄生して森全体を覆っており、至る所に生えた巨大な蕾からは魔狼マーナガルムが産み落とされていく。だが、生まれてくる速度よりもジェイソンとヘレンの殲滅速度の方が上だ。


 外敵を阻む為に辺りに撒かれたガス――毒の結界とでも言おうか。だが、それは意味を為さない。魔物に同情すら覚える光景だが、この二人が容赦することはない。


「こいつでしまいだっ!」


「どけどけー」


 周囲から迫る魔物の根が、高速回転して迫る戦斧によって引き裂かれた。立ちはだかる魔狼の群れは障害にすらならない。大斧ハルバードが放つ斬撃が肉体を骨ごと抉り取る。


 聖剣の一閃。魔樹へと達したジェイソンによる一撃。刃がバターのように冒された樹木を切り裂いた。傷口から光が噴き出し、そこを起点として樹木の内側から光が膨らんでいく。


「じゃあな、もう二度と生まれるんじゃねぇ」


 光が弾け、魔物は消滅した。


 戦いが終わるとヘレンはその場にぶっ倒れていた。あの魔物の毒に思っていた以上に体力を奪われていたらしい。ジェイソンは肩で息をしているも、ピンピンとしている。


「ヘレンちゃん、もっと自分の身体は労わらないと」


 メディアが汗を拭ってくれる。彼女は二人が戦っている際、魔物が外に出ないよう周囲に結界を張ってくれていた。おかげで一匹も逃すことは無かった。


「そうですよ、あのバケモンの真似事とかしなくていいですから。私の負担が増えるだけなんで」


 キルケ―の物腰は柔らかだが、さっきの魔物以上に毒のある言葉だ。「誰がバケモンだ」とジェイソンが騒いでいるのをメディアが宥めているのをヘレンがぽけーっと眺めていると、キルケ―はやれやれと溜息を吐きながら、杖をヘレンへと向ける。光がヘレンの体に注がれ、毒が浄化されていく。



「あんな戦い方続けていたら、そのうち取り返しの付かないことになりますよ。その時はもう面倒見切れませんからね」


「……ごめんね。あの魔物がこの森を穢すのを見ていて、我慢できなくなっちゃって」


 ヘレンの故郷であるレムノスの森も、魔人ファントムと魔物モンスターによって蹂躙された。戦う理由などそれだけで十分だ。


「ここの住人が聞いていたら感嘆していたかもしれないな――或いは憤慨するかな?」


「どういうことー……?」


「ベオーク高原にはエルフが隠れ住まうという伝説があるんですよ。エルフはかつて人間との戦争で住む場所を追われ、この森へと逃げ込んだ。彼らはここに住まう精霊の王と契約を結び、幻術の結界の張られた森の奥深くに国を作ったのだそうです。まぁ、本当かどうかは分かりませんがね」


  全くの空想の話の可能性もある。だが、ヘレンの顔は曇った。エルフにとっての人間は、ヘレンにとっての魔族と同義なのかもしれない。そんなヘレンの頭をキルケ―がそっと撫でる。


「私はエルフに会ったのは数える程ですが、人間のことを見下してはいても、人間のことを憎んでいる者はいませんでしたよ。それに、我々はこの森を魔物から守ったのですから、胸を張っていいと思いますよ」


「うん、でもね、エルフの人達がそれを見てるわけじゃないし……もしもエルフの人に会ったらね、人間は敵じゃないよって教えてあげるんだ――」


 夢はそこで途切れた。


 目が覚めると戦いは続いていた。自分の息が上がっているのを、どこか他人事のように感じる。周囲の水底が抉れている。どうやら無意識の内にスールディルの攻撃を捌いていたらしい。いつもであれば薄っすらと記憶が残っているのだが、今日は特に深く眠っていたらしい。


「目を瞑っていてもできる――なんて、本当にできる子がいるなんて思わなかったな。ますます気になってきたよ」


「あなた……、知ってたんだね」


「おっ?」


 ヘレンの言葉にスールディルは驚きの声を漏らす。この茶番を終わらせるべく、ヘレンは跳躍する。無数に発生した竜巻が迫る。殆ど身体を一回転させつつ、右腕で大斧ハルバードを振るいつつ、左腕に握った2本の戦斧サマリーを左右に投擲する。


 前方から迫る竜巻を衝撃波が吹き飛ばし、回転しながら飛翔する2つの刃が左右から迫りくる竜巻を切り裂いた。


 攻撃が魔法を相殺する瞬間を逃さずに走り続け、スールディルの元に達し、その杖を狙う。が、攻撃する瞬間にスールディルの姿は揺らいで、霞のように消えてしまった。


「猪突猛進、あの時と何一つ変わらないねぇ」


 背後からの声に、ヘレンは身体は向けず、無造作に大斧を振るう。スールディルの気配が揺らいで再び遠ざかる。今度は右、意識を向けると、再び消える。死角に常に移動しようとしてくる。


 スールディルは風と同化している。その姿が現れるのは一瞬。


 力業ではじり貧と感じて搦め手に来たのだろう。仕掛けてこないことをいいことに、ヘレンは大斧を背に戻して駆ける。ベルトに巻き付けていた鎖を取りだす。水底に落ちている戦斧サマリーを2本拾い上げると、手慣れた速さで柄尻に鎖を繋げる。



 鎖で繋がれた2本の戦斧、一方の手で鎖の側を、もう一方の手で戦斧の片割を握る。


 鎖を上に向って振り回すと戦斧サマリーは瞬時に刃の竜巻と化した。


 気配が再び後ろから来た瞬間、鎖は風の氏族王を捉えた。逃げる間もなく、エルフの身体に巻き付き、縛り上げる。



「驚いた、あの時は見なかった技だ」


「……狩りでは結構使うよ。逃げるのが上手い獲物相手に」


 拘束されたスールディルは杖を取り落している。如何に強力な魔法使いと言えど、杖が無ければ本来の力を発揮できない。魔法使いにとっての魔力は、射手にとっての矢であり、杖は弓のようなものなのだ。


「それで? こっからどうするー?」


 スールディルは本体ではないからか、余裕の表情だ。おかしなことをと言わんばかりに、ヘレンは首を傾げた。


「もう勝負付いてるけど……」


「僕はねぇ、ヘレンちゃん。『殺せ』って言ってるんだよ。それが勝利条件だからね」


 完全に武装を解除し、拘束した状態で尚、彼を『殺して』はいない。このままではヘレンの勝ちにはならないと、本気でスールディルは言っているらしい。


「あぁ、言っておくけど僕達エルフは君達とは時間に対する考えも違うからねぇ。一か月くらいは優に待ってくれるよ」


 冗談なのか本気なのかは分からないが、観客席にいるエルフの氏族王達をちらっと見ると微動だにしていない。イズルは何か抗議したげな苦い顔が浮かんでおり、エフィルミアは両手で顔を抑え、指の間から恐る恐るこちらを見ている。



「じゃあ、仕方ないね」


「お、やっとその気に――」


「降参する」


 ヘレンはあっさり武器を手放し、両手を上げた。スールディルは笑みを顔に張り付けたまま固まる。鎖が緩み、いつでも抜け出せる状態なのだが、彼は動かなかった。


「本気かい? イズル君の努力を君は不意にすることになるんだけど」


「私はエルフを、たとえそれが分身でも傷つけるような真似はしない。あなたはその事を知っていてこんな意地悪をしている。違う?」


 スールディルは押し黙る。そして「参ったねぇ、こりゃ」と肩をすくめる。


「意地悪とは人聞きが悪いな。君の決意がどれだけ本気なのか試してみたかっただけだって」


 観客席を守る為の結界が消えると、途端に観客のざわめきが耳に届いた。エフィルミアが我慢出来ずに立ち上がって、こちらに飛んでくる。イズルがそれに続く。


「へ、ヘレンちゃん負けちゃったの? 身体は大丈夫? 決闘の途中で突然意識が無くなったから、何が起きたのかと」


「戦ってる途中でも眠くなることあってさー……まぁ、大丈夫だよ」


 あわあわとするエフィルミアの前で、ヘレンは頬を指で掻きながらなんでもないことのように言う。イズルは「あんまり無茶するんじゃない」と、身体の傷を確かめている。


 身代わりが風と共に消え、本物のスールディルが観客席から降り立った。油断なく構えるヘレンに対して、スールディルは「あー、もう決闘は終わりだから」と、両手を上げる。


「決闘は君が降参して僕の勝ち……って言っただけじゃ多分エルフの皆さんは納得しないだろうね」


 観客席にいるエルフ達は皆戸惑い、ざわめいている。人間であるヘレンに対し畏怖の念すら抱いている視線を感じた。すると、スールディルは一冊の本を取り出した。


 それは先ほど見た書庫にあった本と同じく、中にページは無く、光り輝く結晶が輝いていた。結晶から放たれた光が人の形を象る。


 夢で見た時と同じ光景、懐かしい仲間の姿。


『もしもエルフの人に会ったらね、人間は敵じゃないよって教えてあげるんだ』


 ヘレンの言葉だ。改めて聞くと少し恥ずかしくて眼を逸らす彼女をエフィルミアが抱きしめる。



「十分伝わったよ、ヘレンちゃん!」

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寝坊助姫、異世界から来たりし魔王を討伐しに行く   @shunshunfives

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