ⅩⅩⅥ 全ては泡沫の夢の中で
「うんうん! 素晴らしい! 感動した!!」
心にも無いような軽薄な賞賛が森に響き渡った。
道化師ロキの周りを魔狼が何匹も駆ける。人間同士の戦いが終わったこの瞬間を狙い、魔物の軍勢を召喚、投入していく。
この地に満ちた人間の負の気は、魔族に力を与えてくれるご馳走。人間同士の抗争を敢えて野放しにし、介入しなかったのはこれが理由だ。
「とはいえ、あんまりサボってると僕も魔王に怒られちゃうからねぇ……そうだなぁ、危険な奴の2、3人の首は持って帰りたいところだね」
ロキの傍らではフェンリルが身体を擦り付けていた。
「ソル王子は魔族に迎え入れずともよろしかったので?」
「あいつは見込み違いだったねぇ。“前の世界”では滅んだ国の王子だったとからしいけど……その記憶は無いみたいだし」
異世界で命を落とした者の転生、
異世界の崩壊に伴って発生する転移。
この世界では流星と共にそんな者達が流れ着くことがある。ロキにはその流れが見える。何を隠そう、ロキは原初の転生者にして初めて魔族に堕ちた人間なのだ。生憎と人の上に立つだけの力量も熱量も持ち合わせていない為、魔王にはならずこうして陰での暗躍を続けているわけだが、魔族の中でも相当な老齢になる。
かの王子が生まれた時は星の降る夜だった。その秘めたる神聖なる力と前世の記憶から、ロキは大いに期待した。
魔族への転向の可能性を。
アストレア村を襲わせたのも、その為だった。誤算があったのは、あの星の乙女の生まれ変わりの存在。彼女はこの地の人間ながら、星天からの加護と啓示を受けた。
絶望の中に一筋の光を見出し、王子が完全に闇に染まることは無かった。
今回ですらそうだ。戦いの中で闇に染まるのをロキは舌なめずりさえしながら待った。だが、結果はどうだろう。
(あの小娘のせいだな)
と、ロキは緑の髪と瞳の少女の顔を思い浮かべた。ヘレンの存在はこの世界の運命に不可解な変化を生じさせたのだと、ロキは睨んでいる。
異世界からの転生者でも転移者でもない。星天の加護を受けたわけでもない、何者でもない人間が、だ。
ただこの世界に住んでいたというだけの人間が、生意気にも異世界からの侵蝕を拒むか。
――実に興味深い。
「お父様、スコールとハティも狩りに参加したがってますわ」
フェンリルがすり寄りながら囁く。ロキはその提案を一考する。そして出した答えは却下。
「駄目だね。こいつらの蘇生と成長にどれだけ時間掛かったことか」
かつてレムノスの森で金狼(スコール)と銀狼(ハティ)は浄化された。ロキは戦いの後、即座に復活魔法(リザレクション)を用いて二体を蘇生した。回収した魂を用いた復活――だが、それは元の姿そのままというわけにはいかない。
同じ素体に同じ魂を置換した蘇生を幾度も行ってきた。魔物、魔人、人間、その他様々な種族を用いて。
いずれも、生前と同じ姿、同じ能力を持ちながら、生前の記憶は一切無かった。
蘇生というよりは、生まれ変わり。
転生者は稀にではあるが、前世の記憶を持って生まれてくる者もいる。蘇生と転生では何故、記憶の保持に違いが生まれるのか? ロキはそれを知りたくて多くの『実験』を繰り返してきたが、その謎は未だ明らかにはならない。
記憶が無いということはそれまで築いてきた経験も無くなってしまう。生まれついての能力は後天的な訓練によって開花する。金狼(スコール)と銀狼(ハティ)も例外なく、一から育成しなくてはならなかった。
彼にとって大切な所有物(コレクション)である二体の狼をこんなところで失うわけにはいかなかった。
「だから、僕が直接行くよ」
魔狼が迫ってくる。だというのにヘレンの視界は霞んでいた。度重なる連戦で体力を使い果たしてしまっていた。イズルの神聖術は傷を癒してくれ、体の負担も消してくれるが、それでも限度はある。蓄積した疲労により手足が、丸太のように重い。
やっと戦いが終わり、コレットも他の皆も前を向いて歩けそうなその時だというのに。彼らはその全てを奪い去り、屍を残していく。
どうにか気力で起きようとするも、瞼が重く閉じていく。暗闇の中、思い出の中で悲鳴が木霊する。かつての惨劇が鮮明に思い出される。
かつては何もできなかった。無力な一人の少女だった。だが、今は違う。
夢の中でヘレンは手斧を取る。
「ヘレン」
思い出の中でそこに存在しない筈の声が自分の名を呼ぶ。それも一人ではない。多くの声がヘレンの力となり、体の底から勇気が湧いてくる。
邪悪な気配をヘレンは斬った。手足が動き、手斧を振るう度に敵を屠る。
そして見つけた。
一際大きく歪んだ存在を。
見つけると同時に迷うことなく手斧を投擲した。父に初めて貰い、初めてその手で獣を仕留めた思い出の得物を。
惨劇(トラウマ)と共に彼女は手放した。生きる為に。
ヘレンの意識はそこで途絶えた。
ヘレンが虚空に向けて手斧を投げると同時に、完全に意識を失う。イズルは駆け出していた。魔狼(マーナガルム)達に襲われてすぐ、ヘレンは眠りながらも皆を護って獅子奮迅の戦いを見せた。彼女を死なせるくらいなら自分が盾になる。
襲い来る魔狼に覚悟を決めたその時、稲妻が敵を貫いた。
「情けないぞ、イズル・ヴォルゴールっ!」
イズルとヘレンの命を救ったのは近衛騎士団団長、ア・シュラ・シュバリエ。甲冑はあちらこちらが破損し、一目でヘレンに敗れたと分かるが、彼女に対する好意は変わっていないようだった。
(この男の難解な愛に感謝する時がくるとは思わなかったな)
他の近衛騎士団もそれぞれ満身創痍ながら、ソルを護るべく魔狼へと向かっていく。
コレットは一瞬、彼らを警戒したが、国王レイを襲う様子はなかった。
「一度敗北し、エクリプスも失われ、孤立無援。この状況で王を襲う程、我々も愚かではありませんよ……」
「ニコラス……わかりました」
騎士団の後衛を務める修道士――ニコラスと言うらしい――がコレットの警戒を解くように話した一言にコレットは応じる。今は彼らの言葉を信じる他無さそうだ。
「転移準備完了だ! ほら、全員来い!!」
エメリナが叫んだ。「全員」とは近衛騎士団も含めてなのだろう。転移後に騎士団が反旗を翻す可能性を警戒しつつ、イズルはヘレンを担ぎ、彼女が落とした大斧(ハルバード)を左手に持ち、エメリナの元へ走る。背後から魔狼が襲い来るも、コレットが放った魔法により浄化される。エメリナが手を伸ばしてイズルを引っ張り、転移の魔法陣を起動させた。
「ハハハ、いやぁ、ホント面白い――」
ロキは静かになった森の中で乾いた拍手を送る。傍にいたフェンリルは顔面蒼白になりながら震えていた。
ロキは自分の頭に深々と突き立てられている手斧を力任せに引き抜いた。断面から噴き出しそうになった血が頭へと戻り、頭蓋、肉、皮膚が元の姿に戻っていく。
「今度会うその時まで、また生きていてくれよ?」
そして全ての興味を失ったようにロキはパチンと指を鳴らして消えた。森に残されたフェンリル達はアストレア村に向かったが彼女らが辿り着く頃には、既にそこはもぬけの殻だった。
――戦いは終わった。アリエス国が行った『アストレア村派兵』として歴史に刻まれたのだが、ソル・リュミエールの叛乱は長らく歴史書に載ることは無かった。
王子の決起は、国の争乱を招きかねないとし、貴族達の殆どがエクリプスによって思考を書き換えられていたことをいいことに、秘匿されることになる。
ソル王子そして近衛騎士団は、表向きには傷の療養という名目で、城内に謹慎を余儀なくされた。ソルが大人しくそれを受け入れたことで大きな騒乱になることもなく、事は幕を閉じた。
派兵に加わった領主たちは元の領地に戻ることとなった。全ては元の木阿弥、この戦いで大きな功績を上げたイズルもまた、大した褒賞を貰うことなく、兵と共に元の辺境の領地へ戻ることになる。だが、彼は不満一つ漏らすことは無かった。
(今はこれでいい)
馬車の中、ぐっすりと眠るヘレンの頭をそっと撫でる。コレットが最後に、と話したがっていたが、ついぞヘレンが起きる事は無かった。国王が慈悲をくださるのであれば、コレットともまた話す機会はあるだろう……。
(生きてさえすれば、なんとかなる)
この先の事を考えるのは眠った後にしょう。ヘレンに身を寄せるようにしてイズルもまた目を閉じるのであった。
流れる一筋の星が沈みゆく太陽の上を流れ、一つの物語は終わりを迎えた。
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