EPⅡ 星の乙女と寝坊助姫

Ⅰ 星の乙女の苦悩

 夏の日差しを受け荷馬車は進む。青空の天蓋、荷物を覆う布を緩衝材に、腕は最も手軽な枕。ヘレン・ワーグナーは隙あらばいつでもどこでも寝る。本人が気持ちのいいと感じた場所なら尚の事。


「ほら、起きる」


「ふぇっ……今のは夢だったか――」


 イズルが頬を抓り、ヘレンがぱちりと目を覚ます。少々乱暴だが、この娘、ちょっとやそっとの事じゃ中々起きないので仕方ない。


「まだついてないのに、なんで起こすのー」


「昼間に寝すぎるのは身体に良くないからね」とイズルは革袋を差し出す。中は山羊のミルク。それを黙々と飲んでから、ヘレンがふとイズルを見る。とても優し気な笑顔で、それを見てると安堵し、また眠くなってくる。が、先程頬を抓られたのを思い出し、なんとか意識を保つ。


「……イズル、おいしゃさまみたいだね。体の事よく知ってる」


 この旅路の中でも体にいい薬草の話、効率的な身体の鍛え方等など、ヘレンの知らない事を色々と教えてくれた。


「ある意味で医者とやってる事は同じかな――治癒魔法はね、体の事をよく把握していないと正確に掛けられないんだ――って、ほらほら」


 うとうとし始めてるヘレンの頬を引っ張る。「むぇー」と、羊みたいな声でヘレンは答える。ヘレンは魔王(タナトス)によって「永遠に解けることのない生きたまま眠り続ける呪い」を掛けられた。彼女の仲間である魔女と大僧正の手によって解呪が試みられ、奇跡的に緩和することはできたが、やはり完全に解けることは無かった。


 あの魔王(タナトス)が「永遠に解けることはない」と豪語するだけのことはある。だが、ファントムは嘘つきで傲慢だ――とヘレンはイズルに語った。解呪は完璧ではなかったが、ヘレンは眠り続けることは無く、再び起きることができたのだと。


「……夜が来るまでは起き続けてみせ……でも、ちょっとだけなら――」


 それはそれとして、彼女は元来寝るのが大好きだ。眠気が迫りくるというなら受け入れるのが彼女だ。これまでもそうして生きてきた……のだが。


「す、こ、し、は、抗え!」


「むぇぇえ……」


 今はイズルがそれを許さない。容赦なく頬をぐにぐにされ、ヘレンは微睡から戻されるのだった。道のりはまだ長い。イズルはこの先を思いやられ溜息をつくのだった。



――アリエス国、北の砦、アストレア城内部会議室は、瞬き一つできない程、緊迫の最中にあった。


 アリエス国、赤髪の王子ソル・ルミエールを筆頭に、各地領主の貴族が議会の席についている。招集後、間もない為、空席が目立つが、ソル王子は時間の無駄を許さない。ある程度の人数が集まった時点で魔王軍討伐の議を始めていた。


 部屋の壁には若き剣豪、近衛騎士団団長 ア・シュラ・シュバリエ他、騎士団の錚々たる騎士が整列している。その屈強な男達の中にあって、異質かつ他とは一線を画す特別な存在があった。


 他の騎士と同じく蒼に銀の甲冑姿。違うのは「男ではないこと」。流れる黄金色の長い髪、海辺のように透き通る蒼い瞳、穢れを知らぬ白い肌。気迫あふれ、凛とした表情は、見る者を惹きつける。


 王子や団長が放つ人を従わせる「王」や「長」のオーラとも違う。言うならば天賦の才であり、超自然的な力を秘めていた。


 聖女――コレット。純粋で敬虔、純潔で謙虚であると称されるアリエス国の英雄。元は村娘に過ぎなかった彼女だが、「星のお告げ」を王子に伝え、神から賜った「星の魔法」を以てして数多くの戦いを勝利へと導き、魔王軍に占領されていた幾つもの地を解放へと導いた。


民衆は彼女を「星の乙女アストレア」の生まれ変わりと信じていた。


 だが、当の本人は自分がそれ程の称賛に値する者だとは思えなかった。未だ魔王軍は健在であり、対する人類は一つに纏まることが出来ずにいる。


「――我がガーランド領は、魔王の侵略から解放されたばかり、十分な兵力も食料もございませぬ。他の領地でも同様、ここは防衛に徹し、戦線の拡大は避けるべきと愚考致します。我らがアリエス国国王も同じ考えと聞き及んでおり――」


「奴らに時間を与えれば、再度の侵略、同じことの繰り返しではないか! 進軍すべきでございます!」


 貴族達の意見は割れていた。領土ごとにそれぞれの事情があり、考え方の違いから衝突が起きる。ここ数ヶ月その繰り返しだった。ソル王子はどちらの意見も決して無視はできないとし、敢えて意見をぶつけさせてきた。今日これまでは――。


「そもそも、進軍するにしても、どこで終わりにするのか――」


 すっと手を上げ、ソル王子は議論を止めさせた。四歳の頃から彼は父であるソレイユ国王を内政面で支え続け、軍事面においては、その指揮における迷いの無さと正確無比な動き、騎士団団長、ア・シュラをも超える剣術の才と魔法兵団大隊に匹敵する程の魔力を併せ持つ。


――天才という言葉でも収まらない、星々の神々に愛された存在、正に王になるべくして生まれてきた男。


「今日、ここに諸君を呼んだのは、私の決断を告げる為である」


 ごく自然にソル王子は立ち上がり、優雅かつ自然な振る舞いで、貴族達へと手を伸ばした。


「我らの太陽が当たる地を取り戻しに行こう。共に、人間の世界を取り戻しに」


 王の言葉――それは、できるかできないかの話ではない。


やるか、やらないか。その決断を下す言葉である。


「参りましょう」


「共に!」


「我らの太陽を取り戻しに!!」


 言葉は熱病のように伝播する。ア・シュラを皮切りに周囲にいた騎士達が呼応し、主戦派の貴族達も立ち上がり、拳を突き上げて賛同した。コレットの目は厭戦派の貴族に向けられる。表面上従う者もいれば、諦めて席の上で沈黙を守る者もいた。


 そして、政治的なこの場において、聖女の言葉は求められない。今この場においては、決して王子よりも光り輝いてはならないからだ。


――どうか、全ての者に光あらんことを。


 コレットは心の中でそう祈ることしかできなかった。


 暗雲が立ち込める中、魔王軍への侵攻の日は近い。砦の窓にぽつりと雨が掛かっった。

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