Ⅹ 寝る子には旅をさせよ

「おとうさん、私旅に出る」




「駄目だ」




 即答されて、話が終わる。ヘレン・ワーグナーとその父、アーサー・ワーグナーの間で無言の時間が流れる。この場に第三者がいなければ、それ以上の進展は無かっただろう。だが、この場にはイズル・ヴォルゴールがいた。レムノスの森は辺境の集落とも言えないくらいに廃れた場所だ。魔人の襲撃以降、住民の多くは各地に散らばった。今でもここに住んでいる人間は少ない。




「理由をお聞きしても?」




「すみませんね、イズル様。こいつが強かったのは、勇者と旅をしていた頃だ」




 一緒に帰ってきたイズルの事をヘレンは「依頼主で、貴族」と雑な伝え方をするので、結局一から全部教える羽目になった。森の中に建てられた木製の家。部屋の中は質素で暗く、蝋燭の火が光源だ。窓には羊の皮で遮光がされていた。父親は酒を飲んでいるのか、仄かに顔が赤かった。




「魔王の屑野郎に呪い掛けられてからは、御覧のあり様だ」




「えっ」とイズルが横を見るとヘレンは椅子に座ったまま眠っていた。全くもって油断も隙も無い。「起きなさい」と肩を揺さぶると「おわぁっ」と薄目を開けて口から垂れた涎を引っ込める。




「ダイジョブ、起きてるから」とヘレンはむんと気合を入れるのだが、アーサーは無視した。




「ほら、な? こんな様で魔王軍と戦いなんて行っても足を引っ張るだけさ」




「――今回の依頼で、ヘレンは二度も俺達の事を救ってくれました」




 ヘレンは思わずイズルの方を見る。




「彼女がいなければ、獣も、魔人ファントムも討つことはできなかったでしょう。特に、魔人の存在は俺達だけじゃ感知できなかった。何も知らずに山に入って殺されていたかもしれない」




 イズルの言葉に嘘は無い。けれど、これだけだとヘレンにとって都合が良すぎる……気がした。




「でも、イズルが来なかっむぐぅ」




「君は行きたいのか行きたくないのかどっちなんだ?」




 イズルの人差し指がヘレンの口の前に置かれる。アーサーはその様子を見て「はぁ」と溜息を吐いた。




「若いねぇ。勇敢なことをしたいそういうお年頃ってわけだ」




 娘と同じく言い様はとても雑。だが、どうあっても行かせるつもりは無いという強い意志がその緑色の瞳には宿っていた。




「娘さんは今でも強いですよ、ここで一生過ごすには勿体ないくらいの才能が――」




「悪いが……いくら貴族様の言うことでもな」




 とアーサーは立ち上がり、壁に立てかけてあった石弓を抜いた。その先をイズルに向ける。酔っ払いとは思えない程の正確な動きだ。




「おとうさん?」




 ヘレンがさっと両者の間に立って、両手を広げ、アーサーを驚かせた。その動きの早さに、ではない。ヘレンが誰かを庇うという動きを見せたことに対してだ。




「殺しはしないさ。腕でも撃ち抜いて、お帰り頂く」




 イズルは立ち上がり、間に立つヘレンを優しく自分の後ろに下げた。




「それで貴方の気が済むなら、撃って貰って構わない」 




 アーサーは引き金を引かなかった。乱暴に床へ石弓を叩きつける。




「全く……やる気のある石頭は嫌いだ」




「誉め言葉と受け取っておきます」




 フンとアーサーはそれでもまだ引き下がらず、ヘレンの方を見る。




「お前はどうなんだ、ヘレン」




 今のヘレンはしっかり目を開けている。そしてかつての父の言葉を思い出していた。




「お父さん言ってた、もっと人との関わりってーのを持てって」




「あん? んなこと……言ったかもな」




 頭を搔きながらアーサーは目を逸らしつつ、「それで?」と続きを促す。酔いが回ってきたのか瞼が落ち始めていた。




「うん、それで……、あんまり考えた事なかったんだけどね……、少し分かった気がする……のでー」




 ヘレンの言葉は要領を得ない。だが、長年一緒に暮らしてきたアーサーを葛藤させる程には響いたようだった。イズルは横から彼女の言葉を補足する。




「ヘレンは、他の人と協力する大切さに気付いたんです」




「そうそう」と、ヘレンは頷く。この娘、意外とお調子者かもしれないと、イズルは思った。アーサーが疑わし気な視線を向けてきたので、ヘレンの鼻を軽く指で弾いた。「なんでぇ」と悶えるヘレンの横で素知らぬ顔でイズルは続ける。




「それを今度の旅でより深く知りたいのだと、俺は思うけど――そうだよね?」




 問いかけると、ヘレンは鼻を真っ赤にしたまま答える。




「イズルが言ってた人のかのうせーってやつ……人と協力したらホントになんでもできるのか……確かめてみたい」




 ヘレンの目はやっぱり眠たそうに見えた。だが、その言葉を伝える彼女の瞳の奥で静かに燃える情熱。知ったつもりだった人との繋がりを、もっと知りたいと思うようになった。彼女をここに留めようとしても無駄だろう。アーサーはがくりと項垂れた。




「……あーもう、好きにしやがれ」




 ヘレンはそんな父親の顔をそっと撫でた。イズルが見た事もないような優しい顔で語り掛ける。




「また戻ってくるつもりー……だから」




「お前の好きにしろー……」




 父親は酔いつぶれて寝ていた。そんな彼に娘であるヘレンは毛布を掛け、傍に手紙も書きおく。




「なんて書いたんだ?」




「また帰ってくるから、酒は程々にーって」




 そうして、ヘレンは家を後にした。彼女の旅が再び始まる。








 目指すは、アリエス国が誇る対魔王軍の要、聖女アストレアが護る北の砦だ。

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