Ⅸ 考え事は、寝起きの後で
窓から入る爽やかな風が頬を撫でる。体をくるむ柔らかい毛布を抱きしめる。寝返りを打つと緩衝材が沈み込んで優しく髪を包み込むような感触があった。ぱちりと目を開けると、見覚えのある顔があった。イズルの侍女。
「おはよー、いい朝だねー……」
「夜ですけどね」
そういうわけで、まさかのウォンゴール家の屋敷での二度目の寝覚め。絡新婦を倒して、イズルと喋った辺りから記憶が無い。あの後、爆睡してイズルと護衛の人に運ばれたのだが、仮にその事実を知ったところで、ヘレンの辞書に『恥じらい』という言葉は無い。人間社会で暮らす上での最低限の常識こそあるものの、自由奔放、睡眠万歳が彼女の本質である。
――とはいえである。
「結果的にはなんとかなったけど、一人で無茶しすぎだ」
「メンボクない……」
イズルにこってり絞られた。こっそり魔人(ファントム)を討伐するつもりが、殺されかけ、あまつさえイズル自身の手で助けられた。彼は熊を退治した現場をもっとよく観察しておきたいという理由で、偶々あの場に戻ってきただけだったのだ。もしも、それが無ければヘレンは間違いなく死んでいた。
「ヘレン・ワーグナー、一生のフカク……、このゴオンは必ず返すので」
「……なんか強そうな戦士(ウォーリア)みたいだな」
いや、実際に強いのか、とイズルは訂正する。その瞳が注意深くヘレンの表情を観察する。相も変わらず眠そうな顔なのだが。
「……もしかして落ち込んでる?」
「そんなことー……あるー……」
声に覇気がない……のはいつものことなので、判断材料にならない。「なんでわかったの?」と小首を傾げると、イズルは「想像しただけだよ」と答える。
「ヘレンは、勇者と一緒に旅をしていたくらいには、強いんだろ?」
ごめん、なんとなく気づいていたけど話す機会が無かったんだと、イズルが付け加える。この辺境にも勇者の名が知れ渡ってたことに、ヘレンは驚き、少し嬉しい気持ちもあった。
「“強かった”……うん」
ヘレンは自分の強さを否定もしなければ、誇示することもない。だが、それなりの自信、誇りはあった。だから、あの程度、余裕で倒せると思ったのだ。だが。魔王からの呪いを抜きに考えても、自分が如何に驕っていたか、腕が鈍っていたかを考えさせられてしまう。
魔王の呪いを受けて以降、ヘレンは強敵と戦わず、確実に倒せる敵だけを相手に暮らしてきた。故郷に戻った際、父親にそうするよう言いつけられた為だ。そのせいで以前より、戦いの勘が鈍った。尤も父のその言いつけが無かったら、今日まで生きてこれなかったかもしれない。現にアラクネを相手にあと少しで死ぬとこだったのだから。
「強かった? 今でも十分強いよ。ここにいる誰より強いじゃないか」
「でも、あのくもおんなには、負けた。イズル達が来てなかったら死んでたと思うしー……」
これでは勇者(ジェイソン)達から置いていかれたのも無理はないなー……と、ヘレンは考えていたのだ。
「やっぱりその事で落ち込んでいたのか」
「……あれで死にかけるようじゃ、魔王なんて倒せないよなーって」
俯くと淡い緑色の髪が表情を隠した。イズルは視線はそのまま顔を少し逸らして尋ねる。
「一昨日、ヘレンが言った言葉覚えてるかな……ほら、獣とモンスターやファントムの違いについて」
「全然覚えてない」と即答するヘレン。だと思ったと苦笑しつつイズルは続ける。
「戦い方の違いだよ。獣は時として生きる方を優先し、魔物や魔人は相手を甚振って得られる快楽を優先する。で、ふと思ったんだよ、じゃあ人間はどうか?ってね」
人間の戦い方――それをヘレンは意識的に考えたことは無かった。勇者(ジェイソン)に故郷を救われて以降、一緒に戦いたい、信頼された相手に応えたいと思うようになった。それまで他人に関心を持ったことが無かった彼女が変わるきっかけ。
「人間は一人じゃ生きられない――戦えない事を知っている。一人で出来る事なんて限界があるんだ。だけど、誰かと一緒なら、無限の選択肢が、可能性がある」
無限の可能性――そんな考え方をヘレンはしたことが無かった。誰かに頼るということをあまり意識して考えたことも。
「だからさ、俺達が来てなかったら負けていた――って考え方じゃなくてさ、俺達が来たから勝てたって考えるのはどうだろう?」
「おぉっ……」とヘレンは目を輝かせた。
「とてもぽじてぃぶ。それなら私のシッタイも無かったことに――」
「――は、ならないけど……」とイズルはこつんとヘレンの額を小突いた。ヘレンは確かに落ち込んでいたが、とても単純かつ純粋だった。イズルの言葉だけで、いつも――かつて勇者と共に旅をしていた頃――の調子にまで戻っていた。
「ありがと……」と小突かれた額を抑えながらヘレンは言った。
「いいさ。それより、これからどうするつもり?」とイズルが尋ねると、ヘレンはまたしても小首を傾げる。
「これから……特に考えてなかった」
「実はさ、近々アリエス国が魔王軍の一団に対して反撃に出る動きがあるんだ。俺も、招集を受けていて、微力ながら力添えをするつもりなんだけど――」と、イズルはヘレンの肩にそっと手を振れた。
「ヘレンも一緒に来ないか?」
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