Ⅱ 静寂の中に安眠あり

 アリエス国、北方守備軍は各領土からの出兵によりその規模を増していた。規模にして凡そ三千人。規模だけ見ればそこそこだが、烏合の衆に過ぎない。おまけに貴族達の中には兵力を提供した者もいれば、資金や物資だけ提供し、兵力は殆ど無いといった者もいる。「軍」を常備している者とそうでない者の差でもある。


 武人や英雄に恵まれた地もあれば、そうでない地もある。酷いところだと魔王軍の侵攻からの立ち直りが進まず、兵力も資金も無いそんな土地もある。


 それらが一同に介して、一つの旗の元で戦う。聞こえはいいが、決して容易いことではない。より多くの兵力を出した者が作戦の発言権も強く、しばし対立が起きた。


 さて、ウォンゴール領はというと。どちらかと言えば、兵力よりも物資の提供が主だった。人数にして百人弱。その多くは実戦経験が薄く、あっても鹿とか猪、その他、力の無いモンスター程度を相手にしたことがある程度である。この手の戦では、傭兵を雇うのが定石なのだが、軍を揃えられる程の資金は無い。


 ――ただ、彼らには秘蔵っ子がいる。


「おー……これは中々なお城」と、城門を抜け、ヘレン・ワーグナーはアストレア城を前にして、気の抜けるような感嘆の声を上げていた。他にも続々と集まる他兵力をイズルは眺める。ウォンゴールの紋章を見て、あからさまな嘲笑を浮かべる者もいたが、彼は気にも留めなかった……のだが。

 ヘレンを見て「なんだありゃ娼婦か?」とか言った愚か者には、石を投げつけようとして配下の兵に止められた。当の本人はあまりに鈍感でぽけーっとしており、言われたことにすら気づいていなかったが。


「うちは兵力少ないけど、ヘレンがいてくれれば百人力だよ」と、彼女の背中を優しく叩いた。強さにはやはり彼女なりの自負と誇りがあるのか「任せてよー」と胸を張った。


「百人どころか千人力だし……」と。


 アラクネに捕まった時の事は、ヘレンにとっては一生の不覚だったらしく、汚名を返上する機会を欲していたらしい。彼女なりに気合を入れているのか、イズルの前を歩いて城へと入ろうとするのだが。


「ほら、ヘレンはこっち」と、兵舎の方を指さす。城では現在、招集された貴族達が会議を始めていた。王子の近衛騎士以外の兵は全て兵舎に集められている。


「……はれ、てっきり、私も作戦会議に参加できるものと」


 これまで魔王との戦いの中では、勇者と共に様々な国を渡り歩き、様々な作戦に参加してきた。その経験からくるギャップなのだろう。


(まぁ、作戦会議とか参加しても寝ちゃうんだけど)と、呪いを受ける以前からの悪癖を思い出すヘレン。ある時はそのせいで王の不興を買って大変なことになったりもしたのだが、それはまた別の話。


 一方のイズルはイズルで、ヘレンを兵舎に残していくことに一抹の不安を持っていた。女の戦士はとても珍しい。中はむさくるしい男ばかりだろう。以前、アラクネの討伐、熊狩猟の際に共にいた家臣に命じて彼女に変な男が寄り付かないよう、見張っていて貰おうと考えていた。


「大して話すこともないから俺一人でいいよ。この中だとウォンゴール家はそんなに発言権がある側じゃないしね」


「……それは、不満?」


 どうだろうねぇとイズルは曖昧に返して肩を竦めた。どんな形であれ、自分の領土が、民が、平和に過ごせればそれでいい。彼は彼に出来る事をするのみだ。


「ふーん……」とヘレンはイズルの顔を覗き込む。何を考えているのかさっぱりだったが、「わかった……待ってる」と告げると、彼女はとことこと兵舎に向かう。イズルの配下が慌てて後を追う。なんとか納得はしてもらえたようだ。イズルもまた自分の仕事をすべく城へと続く階段へと向かっていった。


 結論から言うと、ヘレンに対するイズルの心配は杞憂に終わった。兵舎は男女で分かれており、イズルの想像通り女の戦士こそ少ないものの、魔道兵部隊という、魔法を用いて戦う兵士達には女性――魔女も多くいた。ヘレンは兵舎に入るや否や魔女達の手で女子寮に攫われて行き、慌てて追ってきたイズルの部下はいずれも男であるため、入口で魔女達に追い返された。


――女目当てで“突撃する兵”が少なからずいる為、彼女らの警戒度はかなり高い。


 そんな事情を全く知らないヘレンは年上のお姉様方の間で、新入りとして歓迎されて、勝手に妹分みたいな扱いを受け、瞬く間にもみくちゃにされた。


「きゃーっ、カワイイ!」


「ねぇねぇ、どこの家の子? お名前は?」


「ふわふわでとても綺麗な髪ね、良かったら結ってあげるわよ!」


 兵舎の中で、ヘレンは黄色い歓声と矢継ぎ早な言葉に、ヘレンは「おわぁ……」と、ただただ圧倒される。かしましくて、落ち着かない。以前一緒に旅をしていた魔女のメディアも何かとヘレンの面倒を見たがる人だったが、今はそれが十人くらいに増えたようだった。肌や髪に触れる様々な人の感触、鼻孔をくすぐる香水の香り、耳に響く雑多な声は、感覚鋭い彼女にとっては、刺激が強すぎて、眩暈がしてきた。


「ほれ、やめやめ。その子嫌がってるじゃんか」


 その様子を見かねたのか、黒帽子に赤毛の活気ある少女魔法使いが皆を諫めた。ここに新たな女性が来ることは珍しい。加えてこれから戦いに赴くともあって、変な高揚感と一体感が彼女達の中には生まれていた。


「ごめんなぁ、こいつらもさ、悪気が――って、あれ? あの娘、どこ行った?」


 忽然とヘレンはいなくなっていた。元々、森の中でひっそりと狩りをして暮らしてきた彼女にとって、集団での洗礼(おでむかえ)は、慣れないものだった。彼女らに悪気が無いのも分かってはいたが、とても耐えられそうにない。兵舎で待ってるよう言われた彼女だが、ものの数十秒も耐えられず外に出てきてしまった。おまけに不味いことにいつもの「眠気」が襲ってきている。


「どこか……眠れる場所――」


 ふらふらと城の方に歩いて行き、塔の傍に丁度いい空の樽があるのを見つけた。


「……落ち着く」


 早速中に入ってみると、うとうととする。中身は林檎でも入っていたのだろう。自然の甘い香りに包まれ、ヘレンの意識は微睡の中へと消えて行った。

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